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ノルウェイの森
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【この小説が収録されている参考書籍】
ノルウェイの森の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.82pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全558件 341~360 18/28ページ
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10代だった発売当初に友人にすすめらたけれど読まなかった本。何年も経って読んでみて、あぁ友人はこうゆう内容を読んでいてたぶんこう感じとっていたのかなぁと思いを巡らせながら、しみじみ自身もいろいろ感じとりました。そして、もう一度読んでみようかなと思っていたところ。レビューをみていたら、めちゃくちゃ批判している方がいて非常にビックリしてしまいました。文章そのもの自体からしか読み取れなかったり表面でしか物事をみれなかったりする性質の方にはつまらない本なのかなと思います。目に見えない大切なものを、読者自身で感じとることを楽しむ本または感じとる感性を育てたり磨くのを楽しむ本だと思います。この本の意味がわからない方は感性がまだ低いか乏しいか、自分中心にしか物事をみれない方だと思いました。心豊かに成長したい方または他人の心を理解できるように成長したい方におすすめで、人の心理の勉強の1つになるのではと思います。人それぞれ読む時期それぞれで感じとるものは違うと思います。今現在の世の中の悲しさの原因の一つを理解するのにも役立つかもしれません。 | ||||
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本作が爆発的な反響を呼んだのは、もう20年も昔のこと。 当時私は小学生。 「はなきんデータランド」などのテレビ番組のランキングでは、毎週毎週「ノルウェイの森」が登場し、 知らず知らずのうちにこのタイトルが記憶に刷り込まれてしまった気がします。 私もこの小説の主人公たちと同じ年代になった頃、一度読破したことがありました。 しかし強い印象を得ることはなく、露骨な性描写に年齢なりの興味を惹かれた程度に過ぎませんでした。 今30を超える年齢になって見て、自分の20代を冷静に振り返れるようになった時、淡々とした文体の中に潜む示唆に気づくようになりました。 幼いころから不可分の関係を気づいてきた直子とキズキの二人。 何かたり足りないまま成長してきた二人の心は、大人になるにつけ無残に破壊されてゆきます。 性行為を行おうとしても、肉体的な準備ができない直子。そこには「心」と「体」の存在への問いがあるのです。 キズキを失った後、なぜ一度だけ彼女の体が主人公を受け入れ、求めることができたのか。 それを考えることが、本作の大きな鍵となるのではないでしょうか。 どの女性の言葉も「〜なのよ」と終わり、全体的に台詞がやや説明的に過ぎるきらいがあります。 故に主人公の態度としてはやや受動的にならざるを得ず、こういった面にイライラを感じる人もあるでしょう。 練りこまれた比喩が鼻について仕方ないという人もいるでしょう、 このあたり本作は春樹作品の典型と言ってよく、やはり好き嫌いの分かれる作品かと思います。 正直言えば私も文体はあまり好きではないですが、それをおいても読ませるものはあるはずです。 | ||||
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ブームはとうの昔に過ぎ去ったいま、この名作を読んだ。 読み終えた翌日の朝、息を吸うたびに、この本の世界に引き込まれるのを感じた。 矛盾だらけの世の中で、誠実さを貫き通すのは難しい。 そんな中で、主人公のワタナベ君は孤独を選び、親友たちは死を選んだ。 その彼らが恋愛する。その愛の形は不器用だ。 でも、とてつもなく「切ない」そして「うつくしい」。 ハデハデしい描写は一切ない。文章だってケレンミない。 でも、生きることの辛さ、生き抜くことの大切さを、静かに深く訴えかけるのだ。 いまは軽薄な世の中だ。改行だらけスカスカの恋愛小説が好まれている。 メディアミックスとかなんとかで、売れればいいという発想が蔓延している。 そんな世相にあって、「これはホンモノ。ホンモノはすごい!」と叫びたくなる一冊。 PS.ヒロインの緑が魅力的。いままで読んだ本の中で一番惹かれる女性だ。 | ||||
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あまりにレビューが多く、内容がどうこうというようなことはとても書けませんが…。 真ん中へんまで読んだ時、別に下巻は読まなくてもいいや、と思いました。 しかし、終盤にさしかかり俄然、下巻を買わなきゃ、と本屋を探しましたが、 近くにありませんでした。 下巻を手にしないまま、上巻を読み終えてしまうことに、不安さえ感じ始め ました。 たった今、Amazonで下巻を注文し、ホッとしています。 青春時代の不安定さが、よく書かれていると思いました。 また主人公が、やるせなく一人で夜を過ごしているときの描写がとても好きです。 | ||||
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最も美しい小説を一つあげろと言われれば間違いなくこの作品を選ぶだろう。 あまりにも人間臭くそれぞれが独自の個性をもった登場人物が次々に現れては消えていく展開と、クリアで流れるようにスムーズな文体が最高に合っている。 また精神病や死というものが身近にある日常的なものだということを感じさせてくれている。 これが20年前に書かれたのが信じられないほど現代に通じる感じがするのは、この作品が「トレンド」ではなく普遍な「本物」である証だと思う。きっと後10年後に誰かが読んだとしても素直に感動する作品なのではないだろうか? | ||||
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前半と異なり、主人公の行動が漸く道理に近付く。 馥郁とした青春の臭みと、情景と、その描写が精緻になり、目視し辛い部分が巧みに示されて来る。 ストーリー自体は何てことのないものなのだが、全体を通して、主人公の内情も、周辺の装置も、作者の表現もが、段々と素敵なものへ研かれて行っている感がある。 上巻だけで倦み諦めず、下巻まで読む方が、何倍も好い。 | ||||
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この作品にはかなり重いテーマが込められている。それは、端的に描写されてはいないが、丹念に読めばわかるはず。なぜ直子は早熟なのに健全な恋愛ができなかったか、なぜ精神を病み自殺せねばならなかったのか。それは幼い直子と父親との関係にある。直子の姉の自殺の理由もそこにある。 主人公は、恋愛において直子と緑と安定した三角関係を維持するが、直子が自殺すると、安定した三角関係が解消され、主人公は「どこでもない場所」に放り出される。その結果、緑を「所有」すると同時に、直子という「哀しみ=喜び」を喪失する。言い換えると、この作品は、「所有・責任」を拒否していた主人公が、「どこでもない場所」から生活・結婚・仕事といった現実=1対1関係=責任を背負おうとするまでの物語である。 村上作品に多くの固有名、たとえば曲名やアーティスト名が出てるが、固有名はフワフワした「場」につなぎつめることができる数少ない方法である。もちろんセックスもその数少ない方法の1つである。村上作品における固有名と性描写は「必然」である。 村上作品は文章が読みやすいために、大事な部分を気にとめず読み飛ばして、何が言いたいのかわからず不満に思う人が多い。もちろんそれも1つの読み方だが、その印象を書評としてそのまま書くのは、自分の読みの甘さを露呈させるだけになりかねない。作品を反倫理的だと批判する向きもあるが、リアリズムとは大小はあれもともと反倫理的なものである。主人公が一貫して倫理的であれば、それは「自己正当化の物語」か「伝記」である(宗教の教祖にでもなりたいのでなければ、自己正当化は作品を愚作にする触媒である)。 ほかにも言いたいことは多くあるが、このあたりで止める。私はこの作品を全面的に評価しているわけでないが、1つの時代を作り、いまだに多くの読者に恵まれるに足りる力を持っていることを素直に認めたい。 | ||||
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村上春樹って名前がやたらと一人歩きしいるが、私は村上春樹の本ほど予備知識なしに読んだ方が断然楽しめるものはないと思う。 事実、私は恥ずかしながら中学生まで外国文学しか読まない西洋コンプレックスばりばりの文学少女だったので、たまたま家にある『ノルウェイの森』を読んだとき、村上春樹なんて名前まったく知らなかったし、これがベストセラーなんてことも知らなかった。 だから、よく見る評価で“これがベストセラー?”とか“これが純文学?”とか“これがノーベル賞候補の作家?”とか書いてあるととても違和感を感じる。 そういう先入観なしに読んだら、ビックリするくらい自分の中にスルスル入ってくる奇妙な小説なのに・・・・。これはまぁ人それぞれだろうけど、私は少なくともこの露悪的なほど感傷的で理不尽な小説に物凄く感動したのを覚えている。死人が多いとか、整合性がないとか、そんなこと他の小説でも山程あるし、性描写も特に過激だとは思わなかった。そんなことよりも、ただただ胸が痛くなった。 直子はキヅキや姉の亡霊に囚われ続けていて、本当に人を愛せなくなっていたのかもしれない。そんな静かな生を感じさせる直子を、唯一救えたかもしれないワタナベ君が、鮮やかな生を感じさせる緑に惹かれていく過程。そして直子やキズキが何故死ななければいけなかったのかの徹底した"分からなさ"は、この奇妙なストーリーだからこそリアルに浮かび上がってきて、痛々しい。人の記憶なんて不確かなものが多い。事実、自分の胸にしまっている大切な記憶や思い出を掘り起こしたら、『ノルウェイの森』の様に奇妙で生々しいものが出来上がってしまうんじゃないかと思う。私は、この小説はワタナベ君が直子のことを忘れないために、書いた小説なのだと思う。 だからこそこれ以上ない位感傷的なのだ。大人になるとよくわかるけど、過去の記憶を思い返すときほど感傷に耽ることはないのだから。実際にあの時の中に身をおいていたころ、自分がどれ程青くさくて愚かなのか分かっている人はいない。 | ||||
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物語の中に「俺は死後30年以上たった作家の本しか読まない、時代の洗礼を受けていない作品を読む気はしない」といった旨の台詞を言う登場人物が出てきます。 ノルウェイの森も発表されて20年あまりがたちました、20年たった今でも読まれているのだから、おそらくはあと10年たとうとも、作者の死後の30年後になろうとも、きっとこの本は世界中で読まれているのだろうなと思う。 だが、同時にこの本は時代の洗礼には耐えられず、次第に断片に、そして最後には文学史の中1987年の出来事、その中の一行だけになっていくのだろうなとも思う。 なぜなら、この本は普遍性を著しく欠いているからだ。 例えば「なになにの曲がかかっていた」という表現が多いが、そういう舞台演出のためにでてくる洋楽ミュージシャンの名前など今の若者でもすでに知っているか怪しい。 しかも、こういう手のこんだ舞台を用意しながら、その上で何か現代までに通じるテーマを展開するわけでなしに、単なる作者の趣味以上の意味は特にない。 純文学としては凄まじく異質、というかはたして純文学なのか、単純に読むだけならとても楽しかったので☆4つ | ||||
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小説の中に何度か登場するトーマス・マンの「魔の山」の中で主人公が向かったサナトリウムと、「ノルウェイの森」の主人公ワタナベ君が向かった「阿美寮」が重なる。対象が異性・同性の違いことあれ人里離れた山奥で暮らす、病的な人物たちを描く。 ただ、ノルウェイの森に出てくるレイコさんや直子は正常と病との間にいる。どちらも過去を引きずりながら精一杯生きようとする。 「ノルウェイの森」を読むのはこれで3度目。20代の頃は主人公な直子の気持ちが良く分かった。30になって読むと、レイコさんの気持ちが良く分かるし、2人を慮ったやさしさと気配りのうまさを特に感心して読んだ。読むほどに深く理解できる作品です。 | ||||
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小説の中に何度か登場するトーマス・マンの「魔の山」の中で主人公が向かったサナトリウムと、「ノルウェイの森」の主人公ワタナベ君が向かった「阿美寮」が重なる。対象が異性・同性の違いことあれ人里離れた山奥で暮らす、病的な人物たちを描く。 ただ、ノルウェイの森に出てくるレイコさんや直子は正常と病との間にいる。どちらも過去を引きずりながら精一杯生きようとする。2人の過去の話しに引き込まれながら(上)巻を読みきる。(下)巻の顛末が楽しみだ。 | ||||
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これこそ「人生の真実」であり、人間の一生って、きっとこういうものなんだろうな、と思う。 「ウツ」の人が、迫り来るウツの影におびえながら、しかし逃れることができないように、 直子もまた身近にある「死」の影に引き込まれて、最終的に、そこから逃れることができなかった。 永沢さんが自分の彼女との結婚に対して、「それはハツミの問題であって、俺の問題ではない」と言い切る、 その明確な「世の中の構造論的な線引き」には、たしかに、その通りだけに、それを言い切る強さは魅力的。 そして、主人公のワタナベ。 彼ほど、時代背景の影響を少なからず受けながらも、「透明な心」を持ち続けている男も少ないだろう。 「普通であり続けること」が異常とされた時代に、あくまで「普通」であり続けた彼に、好感を覚える。 ワタナベが最終的に、天真爛漫な恋人・小林緑とその後を共にするであろうことには、その後、しばらくの間の幸せなシーンがイメージできる。 これこそ「人生の真実」。 「恐怖の影」におびえながら、その恐怖がもつ得体の知れない魅力から、逃れることからできない人々。 その恐怖から逃れられない人々の周囲にいる、それぞれの人生の重みを背負った人々。 それでも、どうなりながらも、「生きていかなければならない現状」。 30歳を超えた人なら、さらに味わい深く、よめるのではないか? 10代、20代では、理解できなくて、「反感」をもつ読者も多いであろう。 | ||||
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暗さと長さと描写の緻密さにおののいた。 いい本だとは思った。 | ||||
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文学史の本に載っていて、なんとなく知っていた本。 別に読みたいとも思わなかった。 だけど、友人がなぜかいつも村上氏の本を読んでいるから 気になって、一番有名なこの本を買った。 初めて読んだときの感想は、オナニー本な気がした。 性描写が多くて、読書経験がほとんど無い私にとっては何を言いたいのかわからない。 ただなんとなく、たまっている人間が読む、一種の官能本かと思った。 だけど、最後まで読んでから何ともいえない気持ちになった。 皆さんみたいに、ここがよかった・すごく考えさせられた・どこがいまいちわからなかった・何をいいたいのかわからない などと、そんな明確なものを、自分は発見することは出来なかった。 ただなんとなく読み終わって、今まで感じたことのない、もやもやが残った。 村上氏の本は、「ここが良い、悪い、為になる」などと私は上手く言えない。 他人から「どこがいいの?」って聞かれても、わからないと答えることしか出来ない。 だけど、なんともいえない、この「もやもや感」を、再度味わいたいと思い現在 出版されている本を、ほとんど読ませてもらった。 ふだん本を読まなかった私が、読書をするきっかけとなった本。 あまり本を読まないという人にも、是非一度読んでもらいたい。 | ||||
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この本を初めて読んだのは18歳のとき、 本屋の100円コーナーで緑と赤の背表紙が目についてなんとなく購入しました。 村上春樹の本を読むのはこれで2冊目なんですけれども、早くも 「ああ、この作者は凄い人だなあ」と感じました。 どこが良いのか分からないけれど、何故かこの本には惹かれてしまいます。 私は論理ではなく感覚で本を読むほうなのでノルウェイの森はばっちり合いました。 ビートルズのノルウェイの森は聴いたことが無いけれど、 この本を読んでいるとどことなく音楽が聞こえてくるような気がします。 | ||||
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本の虫だった子供のころにはじめて読んで、まるでワタナベ君に愛着がわかず、親近感も持てず、全然わからなかった。わからない上に、自分のものの見方がわからなくなり、現実にどう対応していいかわからなくなり、自分はおかしくなったのかと思った。セックスの描写にも頭がパンク状態だった。 再び読むのが怖かったが、本は捨て(られ)ずに押入れに入れていた。 それから20年近くたって再び読んだ。じっくり向かい合って。 ・・・・・・胸が苦しいほど没頭した。 今になってこんなに面白く大好きな本になるとはなんとも不思議。 ワタナベ君は、私が子供の時には未知で不気味な人だったが、今は、そうなりたかったような、そして自分はなれなかった冷めてゆるぎない自分を持った憧れの姿になっていた。 | ||||
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EDは病気です。バイアグラやED治療のない時代の悲劇の物語、のように私は感じました。 すいません。 | ||||
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村上作品は独特の美しい比喩表現が特徴的だが、本書ではその比喩表現はほとんど姿を見せない。ただ淡々と物語が進んでいく。それを退屈と捉えるかどうかは人によるところだろう。 本書に出てくる登場人物たちは皆それぞれの孤独を抱えている。 一種の嫌世観をもった大学生ワタナベ、幼馴染のボーイフレンドに自殺されてしまった直子、有能すぎて人と対等に付き合うことができない永沢。 皆とても自分に正直に生きていてソツのない会話を交わしているけれども、根底にあるのは誰とも理解し合うことはできないだろう、できたとしてもその状態は永遠には続かないだろう、という登場人物たち同士の暗黙の了解だ。恋人や友人同士であったとしても、お互いの過去や秘密をすべて共有していたとしても、結局は人は一人で生きていくしかないんだと本書は訴えかけてくる。 村上春樹の作品は読者が納得するような整った形のオチがないものが多くて、正直私はあまり好きではなかった。読者を物語の深みに引き込んでおいて、ラストで宙に放り出すやり方にどうしても賛同できなかった。 けれども、それは「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」や「海辺のカフカ」などのファンタジー形式の小説に於いてのことだ。 本書のような単純な恋愛小説では割り切れない純文学に片足突っ込んでいるような作品では、春樹スタイルは最も生きてくると思う。 少なくとも私は「ノルウェイの森」で濃密な読書時間を過ごせたと思っている。 | ||||
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この作品は、永沢さんの言う「作家の死後30年を経て」ないとしても、優れた古典作品の一つであるのは間違いないでしょう。18歳で初めて読んだ時には数ページでダウンしました。20歳の頃には登場人物に嫌悪しました。25歳になってやっと素直に読めるようになって、今は30を過ぎていますが、何度でも手にとってしまう一冊です。 結局のところ、優れた古典と言われるものは作家のものではなくて、読者のものなのでしょう。私たち読者は、村上春樹が「何をどう書いているのか」を読み取っているのではなくて、私たちが「どう受け止めたのか」、そして「どう変わっていくのか」を自分に当てはめて読んでいるのだと思います。だから、年をとりいろいろな経験を積む度に、それまで気付かなかったいろいろな読みが生まれてくるのだろうし、繰り返し繰り返し何度読んでも擦り減らないのだと思います。その意味で間違いなく古典的名作です。 | ||||
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この作品を読み終わって思ったことは、主人公の 苦しみを自分がすべて受け取ったら即死してしまうだろう ということだった。 | ||||
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