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羊をめぐる冒険
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羊をめぐる冒険の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.22pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全204件 161~180 9/11ページ
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他の方のレビューとかを見ていると、どうも、私は 読む作品の順番を間違えているらしい。 本来は、『風の歌を聞け』、『1973年のピンボール』そして 本作品が一連の登場人物と、その物語らしい。それで、この後は、 『ダンス・ダンス・ダンス』を読む、というのが、正当な順番 だったらしい。 し、しまった。 とりあえず、『ノルウェイの森』に、なんとなく調子が似ている ような感じだったので、あえての大作『海辺のカフカ』を今回は 辞めて、こっちにしたのだが・・・・。 でも。ま。 やがては、どれも、読むだろうから、順番はいいか。 まだ上巻だけだから、書評を書くのもいかがなものか、 という気もしましたが、でも、文章はおもしろい。 人気があるのも、うなづける。嫌いな人がいるのも、うなづける。 なぜか? 語彙や文章が簡単。簡単な文章で綴っていく「僕」。 音楽や詩のように、日本語のストリームが流れていく感触が 心地よいのかもしれません。 でも、ときどき、独特の哲学のような、思想のような、物語の 亀裂、ノイズのような台詞、言葉がどかっと出てくる。 そんなところが人気の秘密なのかもしれません。それはさておき。 この『羊をめぐる冒険』は、物語としても、今のところ、ミステリアスで 読者の興味を引きます。乾いた感性の物語というか、独白、手紙、会話 で成りたっているのは、いつものとおりなのですが、一体、「鼠」が 「僕」に託した、北海道で取られた「羊」の写真に写った、謎の 星型をもつ、存在しえない羊、と日本の闇を牛耳るフィクサーが追い求める 羊との因果関係。 この謎が、結局、僕と彼女を、「鼠」が待つ北海道へと、運命的な旅立ちを 引き起こす。 早く、下巻を読まなくっちゃ。 | ||||
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久々に読んでみました。 札幌のホテルの様子に関しての描写は現在ではずっと変わってしまっているようにも思え、そういう意味ではノスタルジックな感じもしました。 クライマックスとなる山奥の別荘での再会は読む前からなんかウルウル来てしまいました。 とっても幸せなシーンですな。 いやはや、、、泣けます。 「泣ける自分がまだいる」というところに生きている意味を実感できるかも。。 | ||||
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あなたのことは今でも好きよ、という言葉を残して妻が出て行った。その後広告コピーの仕事を通して、耳専門のモデルをしている二十一歳の女性が新しいガール・フレンドとなった。北海道に渡ったらしい“鼠”の手紙から、ある日羊をめぐる冒険行が始まる。 この本は美容師さんに薦められて読みました。 この本がきっかけで僕は村上春樹の言葉の世界に魅せられてしまった | ||||
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この作品を最初に読んだのは、文庫版ででした。 文庫版を何度も何度も読み返して、自分が年をとり、この小説に対する感じ方が年々変わっていくのがとても面白いです。 そんな中、今年は、文庫ではなく全集で読んでみました。本の重さや肌触りが変わり、手で持っているときのこの重厚さが、なんとなく読んでいる時の印象を大きく変えているような気がします。文庫や単行本で呼んでしまったという方も、ぜひぜひ全集でも読んでみてください。 | ||||
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10年ぶりに読んだ。ダンスダンスダンスほど高度資本主義に対する喪失感、あきらめ感がなく、言葉あそびというか、軽妙な文体でテンポよく物語が進んでいく印象を受けた。重力が少し減ったような村上ワールドが楽しめる。 | ||||
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我々が大学生だった1980年頃は大江健三郎が大御所的な存在であり、村上春樹は村上龍や片岡義男とともに、まだ一部の若者に支持されるだけの不確実な作家だった。あまり知的とはいえない友人に勧められて初めて読んだ時は、ただ軽くドライで気障な文章に拒否反応を起こした記憶がある。 その数年後、もう一度読んだ時に、実は意外に思想的に深くウェットな純文学だということに気付き、以後、すっかり作者の小説世界にはまっていた時期があった。 それから25年の時が流れた。 今、もう一度手に取って読んでみると、自分の青春時代が重なって切なく懐かしいけれど、決定的に時代が移り変わっていることがわかる。 気障でニヒルな登場人物たちは、重要な場面になるとやたらと煙草を吸っているし(しかもポイ捨て!)、スヌーピーのTシャツを着てしまっていたりする。レコードから流れている音楽はボズ・スキャッグス!ちょっと寒くなってくるような設定だ。今の大学生が読んだら、かなり違和感を感じるのかもしれない。 今、改めて感じたことといえば、彼は我々と同時代の作家ではなく、団塊の世代の代表者だったということだ。学生運動の敗北によって、喪失感を抱えて生きることを余儀なくされ、そんな我が身を嘆きつつ、ドライな次世代の若者に乾いたまなざしを送る、団塊の世代。 この話の中で、何も考えていない清潔で軽い大学生というのは、まさに我々の世代(団塊より一回り下)ということになる。皮肉なことに、村上春樹はこの世代に絶大な支持を受けて育った作家といえるだろう。本人が望んだかどうかは別として、彼は今では高校の教科書にまで載っている、日本を代表する文豪の一人だ。この《羊をめぐる冒険》にしたって、大学の授業で一年かけて講義しても良いような文化史的な小説になってしまった。時代背景、若者の感じ方、考え方の変遷、興味深い歴史的資料にすらなりつつある。 村上さん、思ったよりも女性に対する見方が軽い。妻も、ガールフレンドも、ただの小道具でしかないところが、女性読者としてはちょっとムッとさせられるところです。だから〈僕〉は逃げられちゃったってことなのかな? ストーリーについては、他の方のレビューを読んでいただければ十分でしょう。 こんな読み方もある、ということですが、内容に対する評価は☆4つ。 基本的な部分では共感、感動できる作品です。 | ||||
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この時代設定の1970年代末の時点で、私自身は10代だったし、 刊行された80年代前半では、当然、二十歳一寸過ぎ。 しかし、「僕」と同様、30歳前後に為って見ると、時代背景や世代の違いは 有るものの、 1.昔、特に、学生時代と比べると、思ったよりもリッチに為っていた。 2.それで居て、「自由に生きる」為に、何か知らんが、やけに苦労している。 の2点が、共通点だった。 更に、30歳くらいの時は、世の中の仕組みが大体判っちゃっているから、 少なくとも、自分の働いてきた業界を足場にして、多少の冒険は出来るだろう、 もし、失敗したら、また一からやり直せばいいや、と思っていたりする。 この前半部でのキーパーソン「黒服の男」に、挑みかかるだけの 気概は、「僕」と同様、あの頃の私自身も、有り余るほど持っていた。 いや、正確には「僕」の方は、エネルギーの半分くらいは 「耳のモデルの女の子」に向けられているかも知れないが。 近代日本史、そしてアジア史を突き動かして来た「謎のパワー」に 向かって、「冒険」が始まるッ!! いや、90年ごろなら兎も角、70年代終わりの、あのシラケきった時代は こんな荒木マンガのノリじゃ無い。 後半に続く。 | ||||
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村上春樹の『僕と鼠』の俗に言う『青春三部作』の三作目。 比較的短い『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』に比べ、 上下巻があるなど長めの物語である。 しかしこのシリーズと一貫して大きな事件がおきるわけではなく、『僕』を語り部として淡々と日常がつづられていく。 物語性は薄い。 しかしこれはこの作品だけではなくて 前三作も物語としてみるとものすごく薄い。 かといって極度な観念性のある話という感じでもない。 登場人物はすべての象徴であり、凝縮したような存在に感じる。 しかし内容は直接つながっていないとはいえ、 前二作を読んでいないと完全に置いてきぼりをくらう感じである。 もっとも、読んでいたとしても 淡々と流れる日常にただ飲まれるだけであろう。 個人的には『風の歌を聴け』という名作を受ける作品として、 過剰な失敗作ではないのはもちろんの事、成功という感じもしない。 ただし、成功というのがなにを意味するのかは 厳密には定義しがたい。 『後日譚』という表現を使わせてもらうとすると、 まさにその言葉どおりとなる。 実際の物語は下巻からはじまるといってもいい。 だから、とりあえず上巻には★3つ。 | ||||
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この「羊をめぐる冒険」では、「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」では詳しく描かれなかった、主人公「ぼく」と友人「鼠」の性格や特徴が詳細に書かれ、物語としても引き込まれる仕立てとなっています。 まるで、音楽を聴くかのように、小説の言葉がはいってきます。 羊探しの旅のなかで発見する、様々な出来事。それぞれが紡ぎあい小説を、深く味わいのあるものに仕立てています。 | ||||
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独特な表現手法、村上春樹ならではの物語の展開方法が繰り広げられている一冊。 人によって様々な受けとめかたができるため、色々な読者の感想を聞いていくと、自分が今まで気付かなかった発見ができます。 一般的には、「羊をめぐる冒険」で主人公・僕の青春3部作完結と言われていますが、「ダンスダンスダンス」で実際に物語を終える主人公・僕。 「羊をめぐる冒険」という作品があってこその「ダンスダンスダンス」。対して、人生というものは「踊り続けなければ」、「羊男が現れない」と考えさせられてしまいました。 あっ晴れ♪ | ||||
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村上 春樹さんが「風の歌を聞け」で、その独特の文体で、しかもいろいろな仕掛けをちりばめた小説でデビューして、続く「1973年のピンボール」でその手法を確かにした後の、鼠3部作の最後の作品。 ここで初めて、村上さんのストーリーテラーとしての小説を完成させます。 この作品から、村上作品には欠かす事の出来ない様々な事柄(主人公はトラブルに巻き込まれ、自身に非は無い点や、魅力的な彼女が大きな分かりやすい理由もなく主人公と行動を共にする事、固有名詞の使い方の絶妙さ、一癖ある脇役、などなど)が表れます。 私個人的にはやはり「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」には劣ると思いますが、素晴らしい作品です。 後の傑作「ダンス・ダンス・ダンス」を読む為にも、オススメ致します。 | ||||
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上下2巻を読んで感じたことはいまひとつというところ。 喪失感や体の中を風が吹き抜ける感を味あうならいいかも。よく「作品の中の主人公になった感じで・・」とか言うが、最後まで第三者(TVと視聴者)として読めた感じ。 村上ワールドがわからなくて残念です。 いつか分かるときがくるのでしょうか?もう少し彼の作品を読んでみます。 | ||||
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風の歌を聴け、1973年のピンボールが土台の話。 上下巻なので前二作を併せた以上の長編、内容もだいぶ赴きの変わった感がある。 独特の世界観をより楽しませてくれる。 *作品紹介には三部作とあるが2007年現在は四部作。 1.風の歌を聴け2.1973年のピンボール3.羊をめぐる冒険4.ダンス.ダンス.ダンス | ||||
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上巻での「僕」は妻に去られようが、会社がトラブルに巻き込まれようが、どうでもいいと思っているかのような無気力な印象の人物。どこか捉え所のない男で、彼が出会う人々も「特殊な能力の耳をもつ女の子」とか「羊に取り付かれた大物右翼」とか現実感が持ちにくい感じだ。そのために物語の世界に入り込むのがむずかしかったが、下巻にはいると大きく物語も「僕」も動き出す。 下巻では「羊博士」や「羊男」など印象的な人物が絶妙にストーリーに絡んでくる。最後の山奥での出来事は、幻想的でありながら、熱い血の流れを感じさせる感動的なシーンで、この長い小説をほっぽり出すことなく読んだ者へのプレゼントといえる。上巻の停滞感も含めて、細部まで計算しつくされた小説ではある。 | ||||
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『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』に続く村上氏初期の長編ですが、その二つの作品に比べて、文章量が絶対的に長い点と、俗に言う「村上WORLD」的な世界観が発揮されている点において、私は本作を村上氏の原点―現に、この三作は三部作として考えられることが多い―と捉えるのが良いのはないかと思います。 後期の他の作品と比較して、、舞台が都会から離れた場所であることもありますが、人物描写よりは、背景描写が多いような印象をうけました。村上氏の描く登場人物は、他のどの作品においても、気の利いた冗談を言い、洒落た音楽や飲食店を知っています。本作でもそういった主人公であることは間違いありませんが、ややそういった特徴が「薄い」感じは否めません。 村上春樹という優れた文学作家でも、文章を書きながら文章力が磨かれていくのだと感じました。 本作で登場する「ドルフィンホテル」や「羊男」は、他の作品でも登場します。他にも、作品に流れる思想など、その作品を越えたつながりが、村上氏が根強いファンを獲得している理由の一つであるのだと思います。 『ノルウェイの森』で爆発的な人気を獲得する前の村上氏の作品を読めることは、ある意味でファンにとって幸せなことなのかもしれません。 | ||||
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いまや世界の村上春樹だが、 まだ全ての作品を読了したわけではない。 読了したのは、『風の歌を聴け』に続いて、 まだ、2作品目の初心者だ。 『風の歌を聴け』に比べると、 エンタテイメント的な要素が格段に増えたこと、 舞台が変わっていき、飽きさせないことなど、 初心者にも読みやすい作品だ、 登場人物は、読者が「受け入れやすい」形で描かれていると思う。 感情移入、というのとはまた違った感じなのだけれど、 認識しやすい風に、登場人物が描かれている。 奇妙なくらいに身体的特徴が明確であったり、 名前がストレートであったり。 文庫だと、前後編であるのが、また良かった。 前編を読了した後、 後編が読みたくてしょうがない、という気持ちになった。 そんな気持ちを得られることは、幸せだと思う。 | ||||
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30才になった「僕」は、四年の結婚生活にピリオドをうつも仕事は順調にこなしていた。新しい恋人は完璧な耳を持った不思議な女の子。耳を解放したらって話はよくわかなかったが、妻がいなくなった僕の隙間を埋めていた。 単調な生活から、街を出て放浪する鼠から送られてきた羊の写真がきっかけとなって冒険というのか旅に出る。 背中に星形の印がある羊は人の中に入り込んで支配する。羊としての世界観を実現させることで、付随的に宿主だった人間は社会を支配するも幻想に悩まされるという。羊を探しに人里離れた山小屋にまで来た僕は、暗闇の中で羊に取り込まれることを拒否した鼠と再会した。 前作にも増して非現実的な世界が展開するけれど、相変わらずリアリズムに徹する日常生活の描写のおかげか単なる幻想小説にはとどまらない魅力がある。 「羊」は何なのだろう。野心? そんな単純なものではない。世界そのものかもしれない。いや、羊は羊のままでいいのだろう。頭で考えるだけでなく、心にまで羊が入り込んでくるような作品だった。 | ||||
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「世界の終わり」「羊をめぐる」「ねじまき鳥」を村上三大長編と呼びたいと思います。「罪と×」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」とまでは行きませんが、頑張る村上春樹の頑張る名作長編。 多分この三つの大作は共通して作家が身を持って体験したと思われる60年代から80年代にかけての政治的思想的問題を全共闘世代らしくそれなりに精算してみた?という印象を受けました。「ノルウェイの森」も謂わば彼の青春の後産的傑作?と思われます。 育ちの良い教育のある若者が学生運動の洗礼を受け傷つき、そして生きる道を書く事そして読む事に求めた時、こうした物語というスタイルに辿り着いた。この本にある羊男はこうした村上春樹を100%象徴したよい見本です。「羊の皮を被った傷ついた狼」 それこそが村上春樹の真実の姿ではないかと思います。 | ||||
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上下二巻。存在するはずのない羊を追いかけて、北海道へ行く話。 前半はわりと普通の都会的な推理小説のノリだが、中盤以降急に 独特の違和感を抱かせる不条理な展開になる。人間の心の奇っ怪でシュールな 部分を淡々とした旅を追いながら直視させられる、といった乾いた展開が 急に別次元の違和感に変化していく不思議な小説。 羊男が出るおかげで、著者独特の甘い過去から一方的に別れを告げられる ような独特の喪失感が肉感的にわかりやすい。 逆にまず羊男ありきみたいなところも少なくないところが難点か。 | ||||
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すごい作品です。村上氏の作品は全てまだ読破していませんが、いままで読んだ中で、一番好きです。よくわからなかった所もありますが、深いコメントが、ところどころにちりばめられています。読んだあと、車で夜、逗子のあたりのバーへ入って、ピーナツと葡萄ジュースが飲みたくなりました。 | ||||
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