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羊をめぐる冒険
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羊をめぐる冒険の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.22pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全19件 1~19 1/1ページ
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初期三部作の3作目。4作目から現在に至る、感情移入を妨げる不思議な、というか、この作者は大麻でも吸いながら書いてるのではと疑わせるような意味不明な作品群を、あらかじめ予告するような内容でした。 村上春樹さんの残りの生存期間もそれほどないので、安心して全著作読破の旅を始めたばかりですが、まったく感動しないもんだし、何を読まさせられてるのか理解に苦しむ独語所感で終了ですわな。 | ||||
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折れ曲がり傷だらけ、今まで注文した商品で最も最低の状態で届いた。 | ||||
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今まで注文した商品で、最も最低の状態で届いた。 | ||||
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ストーリーが荒唐無稽でよくわからないし、この人の作品によく出てくるタイプの主人公が、何だかカッコつけすぎていて鼻につく。ダラダラとよく分からない文章を読まされて、どこにも着地できない感じ。 好評価をつけている人は、本当に面白いと思っているのか?思わせぶりな記述の中に、ありもしない深い意味を勝手に読み取って、満足しているだけなのでは(小説とは所詮そんなものかも知れないが・・)? まったく時間の無駄でした。 | ||||
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何というか、どの春樹作品を読んでもイメージされる単語は「弱男」だ。 不安を打ち消そうとするかのようにオサレ感や思わせぶりで余裕を演じ、いざとなったら可愛いらしいホッコリ感へ逃げる。そんな逃げ腰と対照的に性へのがっつきは半端ない。 自分に自信はないけどモテたくてしょうがない、そんな声が文章全体から立ちのぼってくる。ある意味、男という生き物の普遍的な声だが、それにしてもやりすぎではないか。 弱いことはいい。しかしそれが売り物にしていることに気づいてないところがあんまりだ。 春樹氏の文体が吹き込んだ風は歴史的に価値があったが、日本の男がイタイもののイタさに鈍感過ぎていい時代は終わった。 しかしそんな中、本作は謎解きのワクワクや羊男の存在感を比較的楽しめる。 | ||||
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私にはこの小説はまったくわからない。意味がではなく価値が。村上春樹氏の小説は突飛な話が多いようだが内容が有るのか無いのか私には残念だが分からない。 | ||||
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使用感があるとのことでしたが良品とのコメントでした。紙質は全体的に焼けているようで古本としては標準、又はその下の状態と思います。 | ||||
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大学一年の時に出て割と話題になったのですぐ読んだが、さほど面白くはなかった。というのは私は村上春樹に批判的だがそれとは別に面白くなかったのである。蓮實重彦『小説から遠く離れて』で批判されているが、探した結果見つけたのが昔の自分だというのは「エンゼルハート」の原作のヒョーツバーグ『堕ちる天使』のパクリで、このあとでオースターもやっているやつではないのか。 | ||||
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いまから約25年前に人から勧められて読んだのが、デビュー作の「風の歌を聴け」そして続編ともいえる「1973年のピンボール」。 残念ながら同時期に読んだ「ノルウェーの森」同様に自分の心の琴線には響くものはなかった。 あれから四半世紀。青春篇の最終章と位置づけられており、評判も良かった本作に挑戦してみたが、村上文学に対して「不導体」で ある自分を再認識したに過ぎなかった。 初期作品に限られることかもしれないが、作品には常に「セックス」「酒」「タバコ」そして「死」の香りが付きまとい、学生運動が 終焉を迎え、どこか退廃的な空気が当時の若者たちのあいだに漂う70年代を懐かしむと同時に、その時代に対するレクイエム(鎮魂歌) を捧げるのが三部作のテーマのようにも感じた。 | ||||
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「ハルキスト入店禁止」そんな店があったらビックリするだろうが、ぼくの近所にそういう掲示物を張り出したラーメン屋が本当にある、店の外なら効果があるだろうに店主は気が小さくてそこまではできないらしい、脂汚れがひどいのでもうだいぶ前に張ったものなのだろう、入って左手の鏡の上にプラスチックのメニュー板があるのだが、欄外に「特製あんかけチャーハン」の短冊を掲げるようになり、その下にふと視線をずらしたとき、古びたポリ容器の陰に隠れるようにしてあるこの小さな張り紙にようやく気づいたのだ、 その日、昼の部の最後の客になったぼくは、財布を抜きながらその点をさりなく質してみた、無論「ハルキストではない」とことわりを入れた、店主は「読んでいて何にも引っかからねえ、そんなの文学といえるか」とかなりの詰問調で返してきた、ぼくのことを正真正銘のハルキストと勘違いしている、高齢の店主に言わせると、トルストイや司馬遼太郎、こういうのが本物なのだという、 このやりとりをきっかけにして、ぼくは村上春樹を初めて読む気になった、昨年10月のことだった、 うわさに高い「羊たちの冒険」、ターゲットは絞れていた、最近作は失敗続きだというし、恋愛モノは大の苦手としている、壮大な作品というのも骨が折れる、作家というのは初期作品に全貌が現れる、処女作を超えられない、という格言も選択の後押しをした、 ばかばかしい話だが、とにかく肩が凝らない、スムーズに話が進み、いろんな意味で読者の期待に素直にこたえてくれる、いい女がいる、射精する、料理を作る、音楽の話がある、飽きないのだ、下巻から読み始めたが所要時間はそれぞれ40分程度、計1時間半に満たなかった、これだけの時間的ロスで世の片隅でジメジメしていた人間が、明るい顔をしてふたたびメインストリームに立つことができる、劣等感と優越感のせめぎ合いのなかで敗北を余儀なくされ、かろうじて息をしている現代人――彼らにとっての必須の処方箋になり得る、効果はてきめんで、ふたたび息が詰まるころ新処方の「ココロの軟膏」が全国チェーンのドラッグストアにプロモーションとともに並ぶというわけだ、 初めての長編でこの水準に達したというのは、やはり驚異であろう、なぜなら小説を書くような人は、右とか左とかの思想に凝り固まっていたり、哲学的想念の高みに立っていてそこから降りようとしなかったり、いつまでも棟割長屋の原風景的なものにこだわりつづけていたり、何かに「染まっている」ものだが、そういうところがまったく見られない、抑えようとしても端々に出てしまい、抜けるのに時間がかかるはずなのに、この作家は最初から透明のままやって来た、万人に対して素通しの文章を書ける、これは削らなきゃという箇所がほとんど目立たない、余計なことはいっぱい書いてあるが、それは読者とのお約束であり、おしゃれ感覚であり、貧乏臭いこだわりが前に出るというのとは違う、推敲で辿りついたというより、第一稿からプレーンなテキストになるのだろう、 全編を通じては、北海道の自然のなかを走破するシーンがいい、車に羽がついているようだ、疾走感・浮遊感がある、これは意識を無意識のほうにスライドさせてできることなので、そういう意味では芸術家の風貌を垣間見せてくれている、ということはできる、 だが本作は芸術作品ではない、エンターテイメントだ、贔屓目でもコンテンポラリーアートの域にとどまる、度重なる既視感、ここは先行する小説、映画、テレビドラマのパクリではないか、という疑惑が次々に途切れない雲のように飛来してくる、そのたび投げ出そうか、と思うのだが、何しろ文章がさらっとしているので、そこまでの反発は抱かない、いや読んでいる間は抱けない、 冒頭の部分がチャンドラーの名作の出だしと同じだと指摘した評論家がいたのを思い出し、調べてみるとたしかにそうだった、しかしこの作家がこの名作の新訳を出して、それを闇に葬ってしまった、完全犯罪の成立?――いや、そういう後ろ暗さ、いみったらしさのないところがこの作家の持ち味だ、とはいえ意外に機を見る敏で目端が利く、気を抜いていると思い切った独断専行に走り、後手を踏まされる、後ろからチクっと刺される、あれっという思いがつきまとう、逆に言うと出し入れがウマイのだ、 誰かがコンテンポラリーアートはその時代の支配的な感覚を少しだけ先取りするが、その元になるのはまったくの新しさではなく、むしろ古い型の踏襲にあると言った、その人はベンヤミンを読んでいたのだろう「――大衆の音頭をとるのはつねに最新のものである。だが最新のものが大衆の音頭をとれるのは、実はそれがもっとも古いもの、すでにあったもの、なじみ親しんだものという媒体を使って現れる場合にかぎってのことなのである」 村上春樹という一つの容器はベンヤミンのこの一文のなかにすっぽりおさまってしまう、それほどに小さい、だからこそ打つべき次の一手が必要になってくる、売れっ子の彼には彼なりの焦りがあるのだ、それは芸術家の焦りではない、たった一人の広告代理店ゆえの焦りではないかとおもわれる、 文章にとどまらずこの作品の構造、骨組みの部分に型の踏襲がある、引っかからない文章の元にはコピーライティングの技術が隠れている、人物はブルーアイドイエローとでもいうべきか、登場人物たちが黄色人種の遺伝子ではありえない行動をとる、行動は社会化の一環でもあるから西海岸の二世であればいくらか納得がいく部分もあるが、ロスに舞台を移してもどうしても説明しきれない部分が残る、白人の属性を臆面もなく丸ごと東洋人に放り投げている、これは商業的アーティストとしての立場から理解できても、芸術家としての観点からは理解不能である、 つまり彼は人間を描くことがちっともできないし、最初からその気もない、アメリカ、ヨーロッパの既存のものに日本人の衣装を着せているに過ぎない、これと対になるであろう死に対する意識の欠如、こっちのほうがもっと深刻で致命的かもしれない、死を描けない作家は生を描けない、即物的な死はたっぷり用意されている、しかし自然死は見事に割愛されている、芸術に本当の生命が宿るのは死を突きつけている瞬間だけだ、自殺の多発は裏を返せば自殺以外に死ありえないという極論を熱心に説く伝道師の眉唾を根拠とした性質の悪い嘘だ、「透明の正体」は実はそれであった、 テレビコマーシャルに死の要素は盛り込まれない、購買意欲は死の意識を取り去ったところにしか生まれない、景気に水を差すのが死だ、老人だ、賢者の戒めだ、それを抜いたものが商品ということになる、数ある風邪薬で競争優位に立つのは宣伝上手の会社の製品と決まっている、パッケージングにこだわり、起用する俳優のイメージにこだわる、適度に効く、しかも誰にでも、副作用もない、安心、中身ではない、パッケージングの勝利、しかしココロが風邪を踏み外したとき村上流「ココロの処方箋」は記号を並べた紙切れになるしかない、フクシマ以降、日本人は「ココロが風邪を踏み外し」ているからバッシングの雨が降っているのだ、油断してはいけない、芸術家ではなくコンテンポラリーなアーティストは、大衆がふたたび風邪の守備範囲内に戻ってくるのを知っている、それを待っている、埃をかぶった古い誰かの処方箋がこの人の手にはいり、その手にかかって最新のものに化けて世に出ることになる、 ページをめくっていたぼくの興味は、物語からは失われていった、だが、登場人物が米を食うシーンがあるのかないのか、に興味が移り、かきたてられ、いつのまにか絞られ、それに引っ張られてエンディングに行き着いた(ぼくの場合は上巻の最終ページになるが)、彼らはついに米の飯を食わなかった、食べたことは食べた、だが、食べたのはたしかピラフだったと思う、意外な発見もした、 子供のころ、当時の二枚目俳優と美人女優が逃避行をして、山荘にこもり、しばらくして買出しに出て、いっしょに食事を作るという場面を見た、ぼくは衝撃を受けた、二人はいっさい言葉を交わさず、フランスパンを買い込み、牛肉を仕入れ、ワインを買い、野菜を調達して、手分けしてサラダとビーフシチューを作り、無言のままワイングラスを傾け、パンをちぎったのだ、この場面がそのままこの作品に使われていた、 偶然かもしれないし、本作の価値を少しも毀損するものではない、だが異なる作り手の意図が何かの次元で共鳴したことは間違いない、日本酒と肉じゃがと白飯では、いっぺんに興ざめしてしまう、では、醒めていない段階でわれわれが見ていたものは何だろう、ぼくは既にゴッホを知っていたし、新潮社のポケット版作品集で『馬鈴薯を食べる人たち』を見ていた、ドラマの一シーンとこの絵が重なっていたはずだ、いま「羊たちの冒険」を読み終わってそれにもう一枚が重なった 三か月ぶりにラーメン屋に行ってみた、店主はぼくのことを憶えていた、いつになく上機嫌で、他の客の麺をもみながら、こう言った「お客さん、あなた、ハルキストでしょ、顔見りゃわかるよ」 | ||||
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久々に三島由紀夫の「夏子の冒険」を読もうと新しい版を買って読んだのち、巻末にこの作品が触れてあったので、上下買ってしまいました。 しばらく村上龍とも春樹とも意識せずページをめくってましたが何も共通点がない逆の趣味の小説で「上」の1/3で止めました。 これがこの作家の到達点のように書いてある方もいますがそうならば縁のない作家でしょう。 ごめんなさい低評価で。 でも三島作品の巻末に書いた人お金を返してくださいと言いたいです。 | ||||
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ミステリとファンタジーとノワールがミックスされたような他愛ないプロットが、情景・状況描写、比喩表現、一般論に落ち着きがちな諦観的人生観などで彩られ、主人公「僕」(村上春樹自身の代弁者ととれる)が、かつてのセフレ、前妻、旧友、新しいガールフレンドなど、それなりの関わりのあった人物たちを失っていく、喪失感が基調の作品。 読みどころの1つである比喩表現については、筆者の限られた読書経験の中では、チャンドラーの影響が強いと思う(プロット面でも、結末で旧友と再会するなど『長いお別れ』に通ずるものあり)。また、情景描写や価値観などには、1980年前後の時代性が色濃く反映されているため、風化も早く、今読むと古い(些細な点ながら、飲酒・喫煙シーンの多さも個人的にNG)。喪失感については、失われていく人たちとの関わりが希薄なので(少なくともそう描かれているので)、非常に希薄。おそらく村上の狙いなのだろうが、読書体験そのものも希薄で、印象に残りにくく、個人的には読まなくてもよかった作品という思いだ。 登場人物の中では、ファムファタール役の新ガールフレンドの扱いに疑問が残る。プロットにどの程度関わっていたのか、明示されず謎として残るのは小説技巧としては上手いものの、登場した時の知的でミステリアスな感が徐々に消え凡庸な女性に成り下がり、更には主人公「僕」とも強い絆を持たぬまま、あっけなく消えてしまう。作品の希薄さには貢献しているが、人物としては印象に残らない。それが村上の意図であるにせよ、読者としては、鮮烈な印象と共に消え、「僕」の喪失感を強めてほしかったところだ。 | ||||
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やっぱりダメだ。 こんなの好きなの多いのが信じられんな。 読み始めて、1ページ過ぎて、耐えがたい。 | ||||
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帯、カバーに思った以上に汚れ、擦り傷、日焼けがひどく不満足。 | ||||
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すまん。。。面白くない。。。この物語がどこから始まりどこに向かうのか。。そこを期待しちゃダメなんだよってことなのかな。。。だとしても。。。 ダメだ(笑)。。。村上ファンには申し訳ないがなんだコレ。。。全共闘とバブルの間にぽっかりと空いたなんともいえない時間は感じたのだが。。。口にアイマセンデシタ。。。 | ||||
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村上作品として初めて読んだノルウェーの森が面白かったので、 前評判の高いこの作品を読んでみましたが、「なんですか。これ?」でした。 奇妙な登場人物がでてきて、奇妙な指令を実行するので、それなりに、先がどうなるのか気になり、最後まで読み通すことはできましたが、羊男って結局何? なんで耳が美しい女性が出てくるのか? 作者のイイタイコトは何? 理系人間には理解できなかった。 | ||||
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村上春樹の3作目。第1章は、誰とでも寝る女の子がいて、語り手である主人公はその誰とでも寝る女の子と寝て、誰とでも寝る女の子はトラックに轢かれて死んだ。この章はまったく不必要。第2章は主人公が離婚するはめになる話。村上春樹には子供がいないらしいが、この章にもあとのいくつかの章にもその言い訳がましい言葉が何回か出てくる。この物語の登場人物には、村上春樹を除けば、誰にも名前がない。無名だ。誰も名前で呼ばないし誰も名前で呼ばれない。そういう世界だ。それがねらいだって?「百パーセントな耳」(!?)を持った女がでてくるあたりから、話はまったくでっちあげであることがまるわかりの内容になってくる。鯨のペニスの挿話もいらない。平凡、退屈、凡庸といった言葉を多用し、あいかわらずうんざりし、煙草を吸いまくる。あるいはビールをのむ。梅雨は初夏だと勘違いしている。前作までに比べると、苦労して花の名前だとか鳥の声を出しているが、季節感が凡俗なのでどれもちぐはぐ。風景描写は実に下手だ。「世界に対して文句があるなら子供なんて作るな。」だって。やれやれ、いいきなもんだ。第4章からは羊をめぐるインチキ話が延々と続きます。乞う御期待。(下巻に続く) | ||||
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上下2巻を読んで感じたことはいまひとつというところ。 喪失感や体の中を風が吹き抜ける感を味あうならいいかも。よく「作品の中の主人公になった感じで・・」とか言うが、最後まで第三者(TVと視聴者)として読めた感じ。 村上ワールドがわからなくて残念です。 いつか分かるときがくるのでしょうか?もう少し彼の作品を読んでみます。 | ||||
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最初は、ミステリー的要素があり、読者をひきつけてゆくが、よく読み返せば、内容は非常につまらないものである。ストーリーにも論理的に不条理なものがあり、それを形而上よしとする考えもあるが、常人であるならば知ったかぶりをせずに、むしろ駄作であるとはっきり認識すべきであろう。 | ||||
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