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羊をめぐる冒険
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羊をめぐる冒険の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.22pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全204件 21~40 2/11ページ
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今まで注文した商品で、最も最低の状態で届いた。 | ||||
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『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』に続く、3作目。非常に力強い作品である。前2作と異なり、詩的な雰囲気は薄らぎ、奇妙な形ではあるが、しっかりと小説の形になってきた。とはいえ、やはり全編を貫いているのは人生の無常や青春の儚さである。本作では、それらが決定的なものとなる。主人公は、「羊」をめぐる冒険の非日常を経験し、彼の儚い青春は終わるのである。 「時代が変れば、いろんなことも変る。でも結局はそれでいいんだよ。みんな入れ替っていくんだ。文句は言えない」というジェイの言葉が、読む者の心に突き刺さる。 | ||||
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『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』に続く、3作目。非常に力強い作品である。前2作と異なり、詩的な雰囲気は薄らぎ、奇妙な形ではあるが、しっかりと小説の形になってきた。とはいえ、やはり全編を貫いているのは人生の無常や青春の儚さである。本作では、それらが決定的なものとなる。主人公は、「羊」をめぐる冒険の非日常を経験し、彼の儚い青春は終わるのである。 「時代が変れば、いろんなことも変る。でも結局はそれでいいんだよ。みんな入れ替っていくんだ。文句は言えない」というジェイの言葉が、読む者の心に突き刺さる。 | ||||
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思っていたより綺麗な状態でした。本の中に帯も封入されていました。買って良かったです。 | ||||
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私の時代だったんだ。この内容に似た青春でした。今は東京じゃないけれど西の都に帰宅。三億円の時代だったんだ。 東野圭吾からのバトンタッチ。日常のストーリーからさしたる問題でもない会話、でも楽しい会話です。ユーモワいっぱいのそのユーモワが分からなければ読んでもつまんない本だろうと思います。 私はこの本に出合えてよかったです。青春がよみがえってきて、こんなことがあったんだ、あんなこともあったんだと古い友人を思い出します。死んじゃったけれど その重ね合わせで友人が僕に語っているようにも思い。また読み返してしまいました。 たぶん年に一度は この本を読むことでしょう。 1973年のピンボール の続きなんですね。これを先に読まなくっちゃー ほんとにいい本です。 | ||||
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とにかく、鳥肌がたちました。 村上春樹作品で一番、好きかも。 | ||||
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ハルキの作品の重要なテーマである「根源的な悪」が最初に登場するのがこの作品である。 あの写真は心霊写真のようなものだと思う。写ったものを探して見つかるわけがない。 現実界と異界が違和感なく接しており、異界で主人公の僕は想定外の人物と遭遇してしまう。 しかし、ホラー小説ではなく、あくまで純文学なので、ここからが異界です、という書き方はしていないが、非常に注意深く、その境界が記述されている。 「根源的な悪」の退治方法は、ここでは自殺(「ダンス・ダンス・ダンス」も自殺だった)であり、それが悲しい。「ねじ巻き鳥クロニクル」では、異界でバットで殴るという方向に発展するのだが。 | ||||
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村上春樹を最初に読んだのが本作。時を隔てても古さを全く感じない春樹ワールドの原点。 独得の浮遊感と極端に濃い現実感が交互に表れる不思議な世界。 大好きです。 | ||||
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タイトル:村上春樹の『羊をめぐる冒険』のすばらしさの、Birnbaum による英語翻訳版『A Wild Sheep Case』からの逆証明 ≪物語のあらすじ≫ 背中に星の班点のある羊が日本を制御する邪悪な象徴。 ただ、この羊は人間を宿主として、しかも生きた人間と一体となっていなければ生きていられない。今、宿主である闇社会に君臨する「先生」は死の淵にあり・・・・死ぬ。 この一連の経過・事情に巻き込まれている主人公の友人「鼠」。 彼、鼠の中に、その羊が「概念として」が入り込んでしまった。 鼠は自分に執りついている羊を殺すために、羊もろとも《 概念としての爆死 》を実行しようとしている。 主人公は、その「背中に班点のある羊」を捜すために札幌にある「いるかホテル」をベースとして、友人の鼠が所有する別荘(山小屋)に向かう・・・・ 【緒言】 いくら日本語に精通している英国(米国)人とはいえ、日本人の書く文章に含まれる機微を察知できる人は稀だと思う。まして、文章を書くのが職業といわれる方の、心の中心から出てきたと思われる語句を加不足なく英語の文章に翻訳することはほぼ100%不可能だと、わたしは考えます。 ここでは、日本の批評家達に、悪口の典型として、「まるで英文和訳のような文章・文体」と批判の典型として―――現在でも―――言われ続けている村上の小説を遡上にあげ、翻訳英語を日本語に逆翻訳してみる。 わたしが、ここで証明したいことは、ただ一つ、村上が紡ぐ文章がいかに優れているか、ということです。 批評家の、英文翻訳的文章≒稚拙な文章、というステレオタイプの思いこみがいかにヘンテコな批評であるか、証明してみたいと思う。 この小説において、第一章は非常に短く、作者と読者、両者の肩慣らし、といったとこで、実質的な物語の始まりは第二章です。この章は、私の推測では、たぶん小さな推敲を何度も、嫌になるくらいに重ねたと思われる章です。この章は、まさに、ねりにねった素敵な文章の連続です。 この論文では、第二章に焦点を絞り、最初の数パラグラフですが、どの様に英文翻訳されているのかを詳細に調べることにより、村上の原文の素晴らしさを呈示する。 【方法】 英語翻訳文と村上の日本語原文とを比較するとき―――全ての記述は不可能なので―――小説全体から興味深いセンテンスを複数個選び出すやり方と、特定の、連続したパラグラフを基盤にする方法がある。ここでは、後者、複数の連続した文章(パラグラフ)を用いた。加えて、文章は物語の本筋ではなく、物語に膨らみを与える記述です。少し乱暴な言い方をするなら、小説としては、存在しなくても別段致命傷とはならない、ということです。 ただ、小説を丁寧に読んだ方ならすぐに気がつくのですが、(科学関係の学術論文とは、360度?違って)小説ではこの、物語に直截的に関係のない文章にこそ、小説家の多大な精力が注がれている。ここでは、レビュアーは第二章の書き出しに焦点を当てた。何故? 少し読んでいただければ、レビュアーの気持ちが解かって頂けると信じます。 なお、Birnbaum による翻訳英語原文の、いくつかの英単語・語句に日本語訳を付与した。 【結果】 Ⅰ:≪Birnbaum による翻訳英語原文≫ Page 13 , line 1 Chapter 2 [Sixteen Step] : I waited for the compressed-air hiss(シューッという音) of the elevator doors shutting behind me before closing my eyes. Then, gathering up the pieces of my mind, I started off on the sixteen steps down the hall (廊下、玄関)to my apartment door. Eyes closed, exactly sixteen steps. No more, no less. My head blank from the whisky, my mouth reeking(不快なにおいを発す) from cigarettes. Drunk as I get, I can walk those sixteen steps straight as a ruled line(罫線, 定規で引いた線). The fruit of many years pointless self-discipline(自己訓練). Whenever drunk, I’d throw back(うしろへ曲げて) my shoulders, straighten my spine(脊柱), hold my head up, and draw(引きしぼる) a deep lungful of the cool morning air in the concrete hallway. Then I’d close my eyes and walk sixteen steps straight through the whiskey fog. Within the bounds( 閉ざされた) of that sixteen-steps world, I bear(身につける、ついている) the title(肩書き、敬称) of “Most Courteous(誠実な、礼儀正しい) of Drunks.” A simple achievement. One has only to accept the fact of being drunk at face value(額面). [レビュアーによる翻訳] 第二章 ≪十六歩≫ 僕は、自分の後ろで、エレヴェターの扉が閉まる時の「シューッ」 という圧縮空気音を聞いてから目を閉じた。そして、意識の切れ端を拾い集め、自分のアパートのドアに向かって、廊下での十六歩の歩みを開始した。それ以上でも、以下でもない。 僕の頭はウィスキーのせいで空っぽで、口の中は煙草の吸い過ぎで嫌な臭いがした。 どんなに飲んでいても、僕は定規で引いた線のように、真直ぐに十六歩を正確に歩くことができる。長年の意味のない自己訓練の賜物だ。酔払うたびに肩を後ろに引き、背筋(せすじ)をしゃんと伸ばし、顔を上げ、朝の空気とコンクリートの廊下の匂いを思いきり肺に吸い込む。そして目を閉じ、ウィスキーの霧の中をまっすぐ十六歩歩く。 その十六歩世界において、僕は「最も礼儀正しい酔払い」という称号を与えられている。簡単にできること。自分が酔払っているという事実を額面通り受容すれば良い、それだけのことだ。 [村上の原文] 第二章:ページ 25、1行目 ≪その1:十六歩歩くことについて≫ エレベーターのドアが閉まるシュウッというコンプレッサー音を背中に確かめてから、おもむろに目を閉じる。そして意識の断片をかきあつめ、アパートの廊下をドアに向かって十六歩歩いた。それ以上でもそれ以下でもない。ウィスキーのおかげで頭はすりきれたネジみたいにぼんやりとして、口の中は煙草のタールの匂いでいっぱいだった。 それでも、どんなに酔っぱらっていても、目を閉じたままものさしで線を引いたみたいにまっすぐ十六歩歩くことができる。長年にわたる意味のない自己訓練の賜物だ。酔払うたびに背筋をしゃんと伸ばし、顔を上げ、朝の空気とコンクリートの廊下の匂いを思いきり肺に吸い込む。そして目を閉じ、ウィスキーの霧の中をまっすぐ十六歩歩く。 その十六歩的世界にあっては、僕は「最も礼儀正しい酔払い」という称号を与えられている。簡単なことだ。酔払ったという事実を事実として受容すればいいのだ。 Ⅱ:≪Birnbaum による翻訳英語原文≫ Page 13 , line 5 from the bottom No ifs, and no buts. Only the statement “I am drank,” plain(平易な) and simple. That’s all it takes for me to become the Most Courteous Drunk. The Earliest to Rise(上がること、), the Last Boxcar over the Bridge(鉄橋の上を走る最終天蓋車両). Five, six, seven・・・・・ Stopping on the eight step, I opened my eyes and took a deep breath. A slight humming in my ears. Like a sea breeze whistling through a rusty wire screen. Come to think of it, when was the last time I was at the beach? Let’s see. July 24, 6:30 A.M. Ideal(理想的な)time of year for the beach(海辺), ideal time of day. The beach still unspoiled(そこなわれていない) by people. Seabird tracks scattered about the surf’s(寄せる波?)edge(へり) like pine needles(松葉) after a brisk(活発な)wind. The beach, hum・・・・ I began walking again. Forget the beach. All that’s ages past. [レビュアーによる翻訳] 「もしも」も「けれども」もない。単なる宣言、「僕は酔払った」ということ、平易で単純だ。 それだけのこと、そのようにして僕は最も礼儀正しい酔払いになる。最も早く起床し、そして、鉄橋の上を走る、最終の天蓋列車だ。 5・6・7・・・・・ 八歩目で立ちどまり、目を開け、深呼吸をする。軽い耳なりがした。錆びた鉄条網を通り抜けてくる海の風のような音だった。そういえば、最後に海に来たのはいつのことだったろう、という思いがした。 そう、七月二十四日、午前六時三十分。海辺に行くには理想的な季節で、理想的な時刻だ。 岸辺の砂はまだ人によって損なわれてはいない。海鳥の足跡が、強い風が描いた、寄せ波のへりの松葉模様のように散らばっていた。 海辺か・・・・。 僕は再び歩きはじめた。海辺のことはもう忘れよう。あの時は、すべて過ぎ去ってしまったのだ。 [村上の原文] ページ 25、後ろから3行目 「しかし」も「けれども」も「ただし」も「それでも」も何もない。ただ単に僕は酔払ったのだ。 そのようにして僕は最も礼儀正しい酔払いになる。いちばん早起きをするむくどりになり、いちばん最後に鉄橋を渡る有蓋貨車になる。 5・6・7・・・・・ 八歩めで立ちどまって目を開け、深呼吸をする。軽い耳なりがした。錆びた鉄条網のあいだを抜けていく海の風のような耳なりだった。そういえばしばらく海を見ていないな。 七月二十四日、午前六時三十分。海を見るには理想的な季節で、理想的な時刻だ。砂浜はまだ誰にも汚されてはいない。波打ち際には海鳥の足あとが、風にふるい落とされた針葉のようにちらばっている。 海、か。 僕は再び歩きはじめる。海のことはもう忘れよう。そんなものはとっくの昔に消えてしまったのだ。 Ⅲ:≪Birnbaum による翻訳英語原文≫ Page 14, line 12 On the sixteenth step, I halted(立ち止まる), opened my eyes, and found myself planted square(かっきりと、きちんとした) in front of my doorknob, as always. Taking two day’s worth of newspapers and two envelops from the mailbox, I tucked(はさむ) the lot under my arm. Then I finished my keys out of the recesses(奥まったところ) of my pocket and leaned(かがむ)forward, forehead against the icy iron door. From somewhere behind my ears, a click. Me, a wad of cotton(含み綿) soaked(吸収する) through with alcohol. With only a modicum(ある程度)of control of my senses(意識). Just great. The door maybe one-third open, I slide my body in, shutting the door behind me. The entryway was dead silent. More silent than it ought to be. That’s when I noticed the red pumps at my feet. Red pumps I’ve seen before. Parked in between my mud-caked tennis shoes and a pair of cheap beach sandals, like some out-of-season Christmas present. A silent hovered(漂う) about them, fine as dust. [レビュアーによる翻訳] 十六歩で立ち止まり、僕は目をあける、そして自分がいつものように正確にドアのノブの前にいることを確認した。郵便受けから二日ぶんの新聞と二通の封書を取り出し、それらを自分の腕にはさんだ。 ポケットの奥まったところからからキーをとり出し、前方にかがみ、額を冷たい鉄のドアにつけた。耳の後ろ側の方で、カチッという音。 僕?, アルコールをたっぷり吸いこんだ綿のようだ。 ある程度まともなのは意識だけだ。 やれやれ。 ドアを1/3ばかり開けてそこに体をすべりこませ、ドアを閉めた。玄関は死んだように静かだった。必要以上にシーンとしていた。 それから僕は足もとの赤いパンプスに気づいた。 前にも見たことのある赤いパンプスだった。それは泥だらけのテニス・シューズと安物のビーチ・サンダルの間に挟まれて、季節はずれのクリスマス・プレゼントみたいに見えた。沈黙が、細かいちりのようにそこに漂っていた。 [村上の原文] ページ 26、後ろから9行目 十六歩めで立ち止まって目をあけると、僕はいつものように正確にドアのノブの前にいた。郵便受けから二日ぶんの新聞と二通の封書を取り出し、小脇にはさむ。そして迷路のようなポケットからキー・ホルダーをとり出し、それを手に持ったまま冷やりとした鉄のドアに額をつけた。耳の後ろ側でかちんという小さな音がしたような気がした。体が綿のようにアルコールを吸いこんでいるのだ。比較的まともなのは意識だけだ。 やれやれ。 ドアを1/3ばかり開けてそこに体をすべりこませ、ドアを閉める。玄関はしんとしていた。 それから僕は足もとの赤いパンプスの存在に気づいた。見慣れた赤いパンプスだった。それは泥だらけのテニス・シューズと安物のビーチ・サンダルにはさまれて、季節はずれのクリスマス・プレゼントみたいに見えた。その上に細かいちりのような沈黙が浮かんでいた。 【考察】 村上は、自身最初に書いた二つの作品『風の歌を聴け』、と『1987年のピンボール』を習作と認識している。したがって『羊をめぐる冒険』は、正真正銘の彼の処女小説ということになる。 Birnbaum の英語翻訳版の日本語ではあるが、村上の原文と比較するとレビュアーの日本語への変換の拙さを差し引いても、村上の原文の凄さが容易に理解できる。加えて、Birnbaum の英語翻訳は村上の原作をかなり正確に、丁寧になされていることも同時に分かる。確かに、Birnbaumの英語翻訳では、原文から省略されている語句も散見されたが、このことについて、英語を母国語とするBirnbaum に全責任を負わせるのは酷であると思う。なぜなら、小説家(村上)は長い物語を紡ぐ際――-ところどころで――――物語を膨らませるべき時が訪れた時、全精力をつぎ込んだ日本語文章を記述する性向がある。それが、この物語『羊をめぐる冒険』では、第二章の最初の部分なのだと思う。 この論文みたいな中で提示したほんの僅かな部分だけでも、村上の小説をこき下ろす批評家の無能さを認識していただけると信じます。 1:A Wild Sheep Chase, ペーパーバック;Haruki Murakami, translated by Aifred Birnbaum:出版社 : Vintage (2000/4/20) 2:羊をめぐる冒険 、 単行本 ; 村上春樹、出版社 : 講談社 (1982/10/13) | ||||
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都会で暮らす平凡なサラリーマンがあることをきっかけになんだかよくわからない茫漠とした世界に入り込んでしまう。そんな基本構図はその後の村上春樹の小説の原型になっているのだろう。全作品を読んでいるわけではないけれど、『羊』がやっぱり一番好きな小説だなと感じる。 北海道という土地の持つ欺瞞・因縁とそこから見る日本の近代という時代、戦後日本ののっぺりとしたノンポリ気質、などなど、村上春樹がそういったことをどこまで意識しているのかは知らないけれど、読む度にそんなこの小説の持つ政治性について考えさせられる。 個人的に北海道に舞台を移す下巻からが特に好きだ。札幌に旅行に行きたくなる。 鼠と主人公の友情、というかお互いがお互いに対してある種の責任を感じ合う関係性というか、そういったものもとても素敵だ。 ぜひ一読をお勧めしたい。 | ||||
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バッドエンドではないのに、やるせなさが残ります。しかし、とても面白かったです。何度も読み返しました。 鼠が「キーポイントは弱さなんだ」「弱さというのは体の中で腐っていくものなんだ。」と言っています。 弱さは克服するものだと思っていましたが、それは鼠に言わすと「一般論としての弱さ」なんでしょうね。 鼠は「俺は俺の弱さが好きなんだよ。」とも言っていますし、「弱さ」含めて自分だと受け入れたから羊に打ち克てたのでしょう。その手段は決して明るいやり方ではないですが。 | ||||
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鼠三部作の上巻。黒秘書が出てきたあたりからのめり込みました。 下巻まぜ読み終えた後に、上巻の戻ると物語りがより深く理解できます。鼠の手紙や、黒秘書と「僕」が会話されている内容に、どこに伏線があったかとか。 | ||||
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なんといっても語り口が魅力。 戦前戦後と変わることのない日本の支配者、そこへの静かな怒りがマグマのように隠されているように感じた。令和の日本も全く変わってないことに愕然とする。 | ||||
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学生時代に読んだことがある本です。 実は、日本語を勉強している私の生徒さんからのリクエストで この本を取り上げることになり、もう一度読むことになりました。 最初読んだときは、新鮮な感じでしたが、 主人公の年齢よりもずっと自分の今の年齢の方がうえで、 仕事で読んでいるせいか、こんなだったかなという感じです。 きっと主人公と年齢が近いほうが感動できると思います。 | ||||
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「ボールを持ったからにはゴールまで走るしかないさ。たとえゴールがなかったとしてもね・・」読み終え、この言葉が妙に気になったが、そもそもこの物語のゴールなんて作者にとってはどうでもいい事だったのかもしれないなんて思っている。いささかリアリティに欠けた物語ではあったが、心の葛藤・動きは感じ取れ、それなりに読めた。 | ||||
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とても村上春樹的です。鼠三部作の三作目。なぜダンスダンスダンスは三部作に入らないんでしょうね。 | ||||
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面白い | ||||
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村上春樹の1982年発表の作品。 村上春樹ワールド色は濃くもなく薄くもなく中くらい。ただ、のめり込んで読める、なのにライトな感じ。不思議な読了感。 | ||||
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夫から村上春樹さんを紹介されました さて、レビューの難しい作品です 先に【ダンスダンスダンス】も読みましたが、まだ書いてません 今日クリスマスイヴの合間に読み終えたので、取り急ぎ書いてみます ―――――― ◎〈無意識〉なる〈細胞の生まれ変わり〉 ◎〈大いなるプログラム〉の中を蠢く〈生活〉 ◎〈自我〉と〈使い捨て〉の違い 抽象的ですが、ザッと感想を述べました 村上春樹さんはこの作品で個人主義の弊害を警告、現実と無意識を繋げる本気の試みをした、私は和多志で出来ている、そう個人的に感じ取り心底震えました ――――――― 通った人しか解らないのかもしれない 漠然とした生き方に馴染んでるふりをする 長年、鬱状態に苦しんだので身に沁みる 読める人は最後まで読んでみて それは懐かしく哀しく、爽やかな続きを見られるから 走り過ぎたら骨休みしてみて 振り返ったときに星座が見れる グローバル化も悪いことばかりではないよ 楽しいクリスマスを祝っていきましょう | ||||
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好きなキャラクター。神様の電話番号を知っている運転手さん、いるかホテルの支配人、羊男。 好きでも嫌いでもないキャラクター。ジェイ、羊博士、鼠。 嫌いなキャラクター。主人公の彼女、鼠の彼女、主人公。 初出の雑誌・群像ではエピローグの最後に川岸で主人公がレスター・ヤングの「ジャンピングウィズシンフォニーシッド」を口笛で吹きませんでしたか? 37年前の記憶なので自信はありませんが、かなり鮮明に覚えています。 単行本で今再読して、削除?されており驚きました。単調でノリのいい曲が空間を切り裂くシーンに思えて、好きだったのですが。 | ||||
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