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1973年のピンボール



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1973年のピンボールの評価: 3.82/5点 レビュー 135件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.82pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全135件 41~60 3/7ページ
No.95:
(3pt)

考えながら読むもよし、さらっと読むもよし

主題や大きな流れが掴めないままに読み終えてしまった…
そんな私でも鼠が街を出るにあたって逡巡したり葛藤したりする姿には共感した。勝手ながら、就活が上手くいかないと悟った瞬間の気持ちを、25歳になって何も生み出せなかった鼠の気持ちに重ねてた笑
1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
4061168622
No.94:
(5pt)

村上春樹さんの本は奥深い

本でも持っているが、通勤中など読みたいときにすぐに読めるように電子書籍でも買ってしまいました。
1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
4061168622
No.93:
(3pt)

暗示が好きなムラカミハルキ。

『風の歌を聴け』の続編 と言う感じである。
1973年と言う 時間のずれでの気分を うまくとらえる。
僕は言う
『同じ一日の同じ繰り返しだった。
どこか折り返しでもつけておかなければ間違えてしまいそうなほどの一日だ。
・・・
久しぶりに一人になってみると、
自分自身をどう扱えばいいのかが上手くつかめなかった。
不思議なことだ。何年も何年も僕は一人で生きてきた。
結局 うまくやってきたじゃないか、それが思い出せなかった。
二十四年間、すぐに忘れてしまえるほど短い年月じゃない。
まるで探し物の最中に、
何を探しているのかを忘れてしまったような気分だった』

僕は言う
『僕は不思議な星の下に生まれたんだ。
つまりね、ほしいと思ったものは何でも必ず手に入れてきた。
でも、何かを手に入れるたびに別の何かを踏みつけてきた。
わかるかい?
そしてこう思った。
もう何もほしがるまいってね』

僕は 直子が死ぬことで ビンボールに夢中になる。
僕は言う
『僕が本当にビンボールの呪術の世界に入り込んだのは
1970年の冬のことだった。
その半年ばかりを僕は暗い穴の中で過ごしたような気がする。』

『あなたのせいじゃない、と彼女は言った。
そして何度も首を振った。あなたは悪くなんかないのよ。
精一杯やったじゃない。

違う、と僕は言う。・・・違うんだ。
僕は何一つ出来なかった。

指一本も動かせなかった。
でもやろうと思えば出来たんだ。
人に出来ることは限られたことなのよ。
と彼女は言う。
終わったのよ、なにもかも、と彼女は言う。』

物語の言いたいことは 以上のことだ。
ネズミは 暗澹たる気分となり、結局は眠ってしまう。
僕は 双子と一緒に暮らすが、その生活も終わりを遂げる。
一体、この双子は 何を意味するのだろう。
そういう暗示が好きなんだね。ムラカミハルキは。
1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
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No.92:
(5pt)

この小説に埋め込まれた「暗喩」 (私の解釈)

僕と鼠と双子の姉妹が「現在」の主な登場人物。そして「過去」に付き合っていた直子。彼女とは、1969年から1973年(大学2年から社会人2年目)の間付き合って、彼女が死んでしまったということを胸の内に抱え込みながら、現在通訳をやっている自分の生活を描いている。双子、ピンボール、バーテンダーのジェイ、親友の鼠、通訳の仕事と事務所の女の子という日常の情景を詩的な文章で綴っている。

この物語を一つの大きな暗喩の提示だとすると、「スペースシップ」というピンボールマシンは、付き合っていた直子という女性を表し、最後に50台のピンボールマシンを集めた倉庫に行くというのは、彼女が現在勤めている異質な世界(夜の稼業?)に会いに行ったという解釈ができる。「スペースシップ」でゲームを行うことは彼女との性行為のメタファーだ。そう解釈するなら彼女はもちろん現在も死んでおらず、15章に出てくる傍線が引いてある部分はそういう世界に行かざるを得なかった彼女に対して、無力(経済的に?)な自分は何もしてやることが出来なかったということを表現しているのではないか。双子の姉妹について人物造形が立ち上がって来ないように描いているのは、直子への思いが強く残っているからその後付き合った女の子はそのようにしか見えなかったことを表している。

というのが私の解釈です。
1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
4061168622
No.91:
(5pt)

この小説に埋め込まれた「暗喩」

(あらすじに触れている部分あり)
僕と鼠と双子の姉妹が「現在」の主な登場人物。そして「過去」に、僕は直子と付き合っていた。僕は、彼女と1969年から1973年(大学2年から社会人2年目)の間付き合って、彼女が死んでしまったということを胸の内に抱え込みながら、現在通訳をやっている。双子、ピンボール、バーテンダーのジェイ、親友の鼠、通訳の仕事と事務所の女の子。詩的な文章で日常を描写しながら、僕の心の深い所に刻まれている思いを、明に暗に紡ぎ出している。

この物語を一つの大きな暗喩の提示だとすると、「スペースシップ」というピンボールマシンはつまり僕が付き合っていた直子のことであり、最後に50台のピンボールマシンを集めた倉庫に行くのは、彼女が現在勤める異質な世界(夜の稼業?)まで僕が会いに行ったことを示している。「スペースシップ」でゲームを行うことは、彼女との性行為のメタファーだ。よって彼女はもちろん死んでおらず、15章に出てくる傍線部分は、そういう世界に行かざるを得なかった彼女に対して、僕が無力(経済的に? 踏み越えるべき何らかの一線を踏み越えることが出来なかった?)で、結局何もしてやれなかった悔恨や、叫びたいような衝動、そして混乱を、ピンボールのゲームとオーバーラップさせているのだといえる。双子の姉妹について(わざと)人物造形が立ち上がってこないように描いているのは、直子への思いが強く残っているために、その後付き合った女の子はそのようにしか見えなかったことを表す。

と、読んだ。解釈の楽しみをじわりと与えてくれる小説だった。
1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
4061168622
No.90:
(3pt)

おもしろかったです

前作から引き続き読みました。 おもしろかったですが、前作以上に理解不能な描写や出来事が多くあり、難解でした。 繰り返し読みたいと思います。
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4061168622
No.89:
(5pt)

虚無と倦怠と音楽と―ピンボールの目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある…


 最近、新潮文庫から出刊された村上春樹さんの『雑文集』によれば、「小説家とは、多くを観察し、わずかしか判断を下さないことを生業とする人間」であると述べている。さらに、「良き物語を作るために小説家がなすべきことは、ごく簡単に言ってしまえば、結論を用意することではなく、仮説をただ丹念に積み重ねていくことだ」と語る。そして、「仮説を決めるのは読者であり、作者ではない。物語とは風なのだ。揺らされるものがあって、初めて風は目に見えるものになる」(前掲書「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」から)と言っている。

 この『1973年のピンボール』は、「群像」新人文学賞を受賞した『風の歌を聴け』に続く、「僕」と「鼠」の二段構えの物語だ。前作では、1970年の8月8日から8月26日までの出来事を縦糸とし、アメリカのデレク・ハートフィールドという作家(もちろん、私は知らない)を横糸として筋立てているわけだが、本作では、1973年の秋から冬にかけての出来事を縦糸とし、擬人化されたスペースシップ型ピンボールを横糸として、物語が展開されている。それぞれにメインとなる女性も登場するのであるけれど、前作では左手の指が4本しかない女性が何とも印象的だ。

 この作品では、「僕」は「双子の姉妹」と同棲、同衾している。村上さんは、小説の素材を前掲書で「マテリアル」と称しているけれども、本作では、この「双子の姉妹」が「マテリアル」として相応しかったかどうか、私は些か疑問が残る。確かに、「物語とは風なのだ。揺らされるものがあって、初めて風は目に見えるものになる」であろうし、読者は、村上さんが敢えて残した“余白”に、想像力を働かせ、己れ自身を投影する形で行間を埋めざるを得ない。ただ、私個人としては、「仮説」として不安を抱かせる「双子の姉妹」に恃むよりは「一人の女性」を望みたい。
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No.88:
(5pt)

面白い

自分は氏の小説の大半が嫌いですが、この本と『風の歌を聴け』は大好きです。 美人のガールフレンド(候補)と行ったレストランでの食事を「凝縮された食費の味」と表現する主人公は他の作品には出ないですよね。 読みやすい上に安いので沢山の人に読んで欲しいです。
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4061168622
No.87:
(5pt)

死者に対する悔い

若いころ読んで、あまり印象に残らない作品だと思った。 今読んでみるとすごくおもしろかった。 今後の長編でくり返される’失われたものとの会話’のなかで、ピンボールとの会話が最初で最大のストレートでわかりやすい表現をしていると思った。 胸にささる。 物語としては弱めなのかもしれないけど、逆に無駄のない小説だと感じるようになってきた。
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No.86:
(2pt)

無駄な描写があまりにも多い

村上春樹の中編・長編の大半は読んだがこの作品を読了するのは大変だった。50ページ以下で纏められる短編をどうでも良い描写で4倍に引き伸ばしたような作品だと思う。とにかく目標の枚数の原稿用紙を埋めることだけを目的に書いたのではないだろうか。もちろん小説というのは単なるプロットではないし梗概でもない。話の筋と関係ない描写が多少あるのは当然だろう。だが、あまりにもそれが多すぎる。というか構成要素のほとんどは話とは直接関係ない描写だ。どうでも良い風景描写を長々と続けた上、それを更に比喩で補完するのだからうんざりする。センテンスレベルで見れば目を見張る表現がいくつかあるし、歴史的に見れば将来の傑作に繋がる重要な一作という見方もあるかもしれない。しかし、ここのレビューでは単品でこの小説のみを評価するべきだと思う。村上春樹が芥川賞を受賞しなかったことがしばしば話題になるが、彼が一人前の小説家になったのはこの後なのだから当然だろう。最初に読む村上春樹作品としてはおすすめできない。もしこれを最初に読んでいたら、読了せずに途中で放り投げて、二度と村上春樹を読もうと思わなかったと思う。
1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
4061168622
No.85:
(3pt)

雰囲気小説

読み終わって、結局何が言いたかったのかわからない。けど頭にボーッと残るものがある。これは何なのか。
全てが夢の中の出来事のようだ。現代の話なのに現実味が全然なく、全編通して幻想的だ。
この雰囲気だけで読ませるところが世間に受けたのか。
1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
4061168622
No.84:
(4pt)

青春(人生)の寂寞感を著わした、心理学の優れた副読本・・・

村上春樹の小説に共通するのですが、“僕”と“鼠”を、同じ時代を生きている“ふたり”と解釈しても良いし、“ 僕 = 鼠 ” としても、一向に問題ないのでしょう。 村上にとっては、 “僕” と “鼠” が同じ空間、時間にいても、実は “ひとり” のことについて記しているのです。この作品では、 “鼠” はより現実の人間が生きていくうえでの、主人公の感情の揺れを丁寧に記述するために登場させております。それは“鼠”につて記述した項目を抜粋して読んでいけば、「1973年の秋には、何かしら底意地の悪いものが・・・」で始まり、「・・・これでもう誰にも説明しなくていいんんだ・・・、もう何も・・・」で終わる、優れたリアリズム小説(純文学?)になることでも分かります。

一方、 “僕” についての記述は、(恋人との別離を含め)青春期から大人への成長に伴い、まるで、これまで使ってきて、機能疲労が顕在化しつつある配電盤(その基板の上には良心のようなものが載っている) を新しい配電盤に切り替えるように、加齢と伴に汚れていかざるを得ない、人間の精神の移動を冷静な第三者的な目でとらえたもの、と感じました。“僕” につて記述した段落では、現実には存在しない双子を僅かに残されている心の安らぎの暗喩として登場させ、歌舞伎の狂言回しのように使っております。

その後の作品で、テーマは種々ありますが、このような一人の人間についての「二元的」な書き方は筆者が確立した表現法(小説の構造)だと思います。
1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
4061168622
No.83:
(5pt)

愛読書になる1冊

初期の村上作品の特徴がよく出ていて、
最初から最後まで楽しめました。
愛読書として永久保存です。
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4061168622
No.82:
(1pt)

春樹ファンや彼の世代にとって必要な作品、それ以外に人にとっては???

「風の歌を聴け」 は、変な格言? が効いていて読み返すことができるし、
「羊をめぐる冒険は」 は、簡素な日本語がシャープに突き刺さる、

これは、中途半端だし、回り道の多い文体も白ける内容、、、

春樹を通してみた時に、重要な作品だし、三部作は順番に読んだ方が楽しめる。
しかし、これ一つとって、読み切るには相当思い入れが強い人でないと無理!!!
1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
4061168622
No.81:
(3pt)

複雑な物語。

私の過去と現在、鼠の過去と現在が交錯しながら物語は展開されていく。
長さも違うので一概に言えないが「海辺のカフカ 」より複雑で難しい印象を受けた。
ただ、文章は読みやすく、スムーズに物語が入ってくる。
1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
4061168622
No.80:
(5pt)

Perfect!

Thank you so much for your help. Great Supplier.
1973年のピンボール 1973 PINBALL 【講談社英語文庫】Amazon書評・レビュー:1973年のピンボール 1973 PINBALL 【講談社英語文庫】より
4770022085
No.79:
(2pt)

薄っぺらい小説

学生のころは氏の小説はすべて、夢中になって読んでいた。自分も齢を取ったし時代も変わって、読み返してみると、実に中身のない薄っぺらい小説だなと思う。表題になっているピンボールの出現の仕方も唐突すぎる。ジェイズ・バーでのジェイと鼠の会話も、利いたふうな口をきいているだけで実がない。古い小説でも、重厚なものは時代を超えて読み継がれていくが、この小説はどうだろうか。自分も氏も若かったのだなとつくづく思う。
1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
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No.78:
(5pt)

青春のピンボールマシン

デビュー作、風の歌を聴けの続編です。
風の歌を聴けよりも、物語に繋がりがあり、読みやすくなっている。ピンボールというゲームを通して、主人公の青春が描かれています。
この僕の冒険シリーズは羊をめぐる冒険という長編良作へと続きます。良作に挟まれた故に、この作品は地味な印象を与えますが、僕は割りと三部作の中で、一番好きかもしれない。
春樹節が至るところで見られ、春樹氏自身が憧れる双子との生活の描写はさすが細部までこだわりがあるようにみえる。シュールさを感じさせてくれるが、淡々としてる部分も多い。それが地味な印象を与えるのかもしれない。
この作品が気に入れば、羊をめぐる冒険があなたの期待を裏切ることはない。
1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
4061168622
No.77:
(5pt)

2冊目。

「スペースシップ」という名前のピンボール台との再会を描くところが秀逸。
疲れた体を引きずって、東京から横浜に帰る電車の中で読んでいた自分が懐かしい。
1973年のピンボールAmazon書評・レビュー:1973年のピンボールより
4061168622
No.76:
(4pt)

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4062749114/ref=cm_cr_ryp_prd_ttl_sol_26

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4061168622

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