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磔の地
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磔の地の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.50pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全4件 1~4 1/1ページ
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冒頭数ページを読んだ時点で感じた「読みにくそうだな」という印象は間違っておらず、そのまま最後までずっと、とても読みにくかった。 文学とミステリの融合というのが売りのようだが、一部のものを除いて、一般的な文学作品は本書ほど読みにくくも分かりにくくもないし、これは文学だからと言われても首肯はできかねる。 物語は主人公の一人称単数で語られるのだけど、事件についての説明が全くなく、読者はそれを登場人物たちのセリフから想像して読み取らなければならない。 なのだが、そのセリフにも何が起こっているのかの明確な説明はあまりなく、しかも徹頭徹尾、海外小説によくある比喩とジョークを多用した曖昧な文章ばかりなので、事件の全体像が漠然としか理解できない。 登場人物の数が、人物一覧表に入り切らないものも含めると30人余りもいるし、1シーンしか登場しない人物にもいちいち名前と個性がある。 これがさらに読みにくさを増大させている。 冒頭に登場する女性カメラマンと前科持ちの黒人男性が、物語の主軸になるのだろうと思っていたら、そうはならず、このふたりを含め、数多くいる人物たちが全編を通してほとんど等しく登場する。 彼らの関わる様々な事象が最後に収斂する、というわけでもない。 このため、作品に一本の柱のようなものがなく、全体的に散漫な印象になってしまっている。 通常、一人称単数で書かれた小説には、主人公の内面を読者に伝えやすいという利点があると思う。 だけども、本書ではそれが一切生かされておらず、狂言回し的な役割だからだとしても、主人公がどういう感情で、事件やそれと関連する人々と対峙しているのかが描かれてなさすぎる。 出来事の表面をなぞっているだけの文章表現が多いので、終始、冷静で淡々としているようにしか感じられなく共感しづらい。 悪人という設定の人物たちが、実際に悪行を成す現場の描写がほぼないので、全員揃ってそれほど悪く見えなくて物足りない。 海外の有名作家たちによる帯の賛辞には、「思わず目を惹く文体」「洒落た会話が楽しめる」などとある。 しかし物語そのものをほめたものはなく、気を遣った上での率直な感想なのかなと思う。 個人的に、個性的な文体や洒落た文章は読みにくいと同義なことが多く、当然それは面白く感じにくいということでもあり、この小説はまさにそれだった。 物語とは別の問題だけれど、 P.10、2行目の「数年前」は「数十年前」の誤りでしょう。 この脱字が原因でその後しばらく、登場人物たちの年齢がいくつで舞台となっている時代がいつなのかが全く分からなくなり、大いに混乱した。 校閲にはできる限り完璧なものを求めたい。 | ||||
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人がたくさん死ぬ。つらい。 | ||||
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デイブ・ロビショー刑事の元に拘置中の容疑者が虐待されているという相談がきて・・・というお話。 久ぶりに、ロビショーが活躍する長篇を読みましたが、以前に読んだのが90年代くらいだったと思うので、20~30年ぶりに読んだかも。そういう事で、この主人公の属性の設定などはあんまり覚えておりませんでしたが、もうちょっと自己主張が強い感じだった様なとか、色々考えながら読みました。 色々な事件や事象が錯綜するので、全体を把握する事ができたかどうかは判りませんが、数値化すると7割くらいかもと白状しておきます。それでも、ロビショー・シリーズを久々に読めて良かったです。南部の自然の描写も味わい深くて、いい感じでした。ただ、過去の作品の書評などで、自然の描写があまりうまくないと書いていた方もいたので、評価が判れるかもしれませんが、私は納得しました。文章も品格があり(翻訳ですが)、読んでいて読み応えがありました。 巻末のリストを見ると、結構色々未訳があるらしいので、これと先に翻訳された「破れざる旗の下に」がきっかけになり、また紹介されてくれると嬉しいです。 上記の「破れざる~」の感想で、既読の物を読み返したくなったとか書いておりましたが、忙しくてまだ読んでいません。すいません。でも、またシリーズ順に読みたくなりました。 久しぶりの翻訳が嬉しいロビショー物のCWA受賞作。是非ご一読を。 | ||||
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ジェイムズ・リー・バークによる「破れざる旗の下に」を読んだのは、2024/11月。汚濁に塗れた”Bayou”の最中にあっても光り輝くものと私は書きました。 今回、1998年作の本書が訳出されました。「刑事デイヴ・ロビショー・シリーズ」の一作ですが、ロビショーは特に何も解決を図ることなく一人の<触媒>として物語の中に存在しています。人はもう一人の人をコントロールできない。それはアルコールを始め薬物、ギャンブル、性、その他依存症者たちのもう一つのテーマではなかったのだろうか?いずれにしても、彼は何もできない。 過去の磔の死体の存在。殺害されていたのは社会運動家、ジャック・フリン。しかし、事件は未解決のまま現在まで続いていました。彼の娘であり、写真家でもあるミーガンと映画業界で成功を収めた弟のシスコ。ルイジアナの彼(か)の地では、映画撮影が行われ、そのロケ地、旧家テルボンヌ一族の敷地に於いて、その地主、娘、映画監督たちが集まり、その長い南部の<差別>の歴史が開帳され、まるで南部を舞台にしたロバート・アルトマンの群像劇映画を見るかの如く(「ナッシュビル」のことではありません(笑))、物語が展開されていきます。読者は、そのサスペンスを拒否した<文学性>をどう受け入れるのかが問われています。 また、ロビショー同様、ここには<依存症者>たちが多く登場していますが、とは言え、回復を望みながらいつまでも自我を削ることができない<依存症者>たちの往く末は決して清潔で明るい場所へ辿り着くことがないことをこの物語は包含しています。 いずれにせよ、「あとで迎えに行くから。そうしたら"サンセット・リミテッド"に乗ってハリウッドに行くのよ」(73%あたり)と言ってのけるロビショーの母親の一言が全ての始まりだったのかもしれません。 | ||||
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