銃と助手席の歌
- クライムサスペンス (51)
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書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点9.00pt |
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サイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
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ロンドン生まれ、西オーストラリア育ちの英国人新進女性作家の初邦訳作品。二人の少女が殺した男の死体を捨て、車を奪ってオーストラリアのハイウェイを北へ、北へと逃走する、熱量が高いロード・ノベルであり、バディ・ノワールである。 | ||||
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※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
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犯罪と青春のノンストップ・ロードノベル。 17歳白人少女と先住民の女子学生が西オーストラリア州3200kmを走行する。 緑のピックアップトラック(ユート)に乗って、酷暑と赤土にまみれた二人がぶつかり合いつつタッグを組む。 ”友だちになってくれてありがとう”と。 | ||||
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オーストラリアには何度か行ったことがありますが、どうしてもゴールドコースト界隈のリゾート島に限定されていました。唯一、シドニー空港からハイウエイでミルトンパークという内陸に100Kmほどドライブ(自分で運転したわけではありませんが)しました。窓から見えるのはほぼ森林だけだったと記憶しています。 本作は西海岸のパースで退学処分をくらった高校生と継父からDVを受けている大学生がほぼ同時に殺人を犯してなぜか『偶然』出会ってしまい、死体の始末と「とある荷物」の横取りをするためにまず車を盗みひたすら北に逃げます。途中で大学生の娘のルーツであるアボリジニの伯母の家に立ち寄りますが、敵も必死の追跡を続けますし、警察も追ってきます。 砂漠、スコールのような大雨、台風クラスの暴風雨、道ばたに飛び出して轢死する野生動物、廃鉱となった金山跡地など日本ではほとんど考えられない大自然の驚異と闘いながらつきることの無い悪態の応酬を繰り返します。さらに元高校生の姉が人質となり相棒と知恵と体力ををしぼしながら「とある荷物」にまつわる謎を必死に推理して、都合良く初対面の怪しい娘たちを助けてくれる人を巻き込みながら最終的に悪人と対決します! もちろん未成年の犯罪活劇には違いないのですが、なぜか読者としても罪悪感をあまり感じることも無く、意外な結末にはほっとさせられたりもします。このペアか3人組でぜひ続編をお願いします。 | ||||
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凝った訳題になっているが、原題はNo Country for girlsで、原書は2022年の刊行。ウィルバー・スミス冒険小説大賞を受賞したほか、いくつかの賞の新人部門にノミネートされている。 原作者はエマ・スタイルズ、イギリスの女性作家だが、オーストラリアでの居住、就業体験がある。獣医の仕事を経て、大学の犯罪小説創作講座の修士課程を終了し、本作品でデビュー。 一、私的感想 アマゾンに載っている原書の宣伝には、「クリス・ハマーとジェイン・ハーバーのファンのためのアウトバック舞台の、ハイオク・スリラーの傑作」という賛辞が、題に続いて載っている。 クリス・ハマーとジェイン・ハーバーはどちらもオーストラリアのミステリー作家で、ハマーは一昨年にポケミス創刊70周年記念第一弾として『渇きの地』が翻訳され、ジェイン・ハーバーのほうは、『渇きと怒り』と『潤みと翳り』が2018年と2019年にミステリ文庫で刊行されている。 それで、翻訳されているものについて、本書との共通点を考えてみると、いずれもオーストラリア内陸部の田舎を舞台として、大自然が描写され、読者が退屈しないようにストーリーがダイナミックに展開される小説ではある。 しかし、ハマーもハーバーも翻訳されているものは新聞記者または捜査官が事件の謎を追うミステリーなので、本書のような、犯罪を犯してしまい逃亡する女性二人の車逃避行と、逃避行の中で起きる事件を描く犯罪冒険小説とは趣が異なる。 杉江氏の解説には、「2人の女性が・・明日の見えない旅にでるという物語は1991年の『テルマ&ルイーズ』によって切り開かれた」「書評を見ると、2020年代の『テルマ&ルイーズ』という声も多かったようだ」と書かれている。原書のgoodread読者レビューにも「現代版「テルマ&ルイーズ」のような物語」という記述がある。 しかし、映画『テルマ&ルイーズ』は昔々観ただけで、細部はすっかり忘れてしまった。幸い動画配信はされているので、本書の読書後に、リドリー・スコット監督(『グラデュエーター』の監督である)『テルマ&ルイーズ』をじっくり鑑賞し、楽しい時を過ごした。 確かに、本書は2020年代『テルマ&ルイーズ』と読んでもよい作品と思う。次々と事件が起きること、女性二人が互いに反発したり、頼ったり、片方が無茶な行動をしたり、絶望したりのバディもの(シスターフッド?)の楽しさは共通している。 違いは、映画の女性バディは2人とも成人女性であるのに、本書のチャーリーは17歳の少女であること、映画には逃亡の原因は旅の途中で発生するが、本書では逃亡の原因が発生したことで旅に出ざるをえなくなること、映画では2人は旅に出る時点で友人同士だが、本書では2人は(一応は)あかの他人に近いこと、映画では2人とも白人のようだが、本書では白人少女とアポリジニの血を引く大学生という組み合わせになっていることかな。もちろん、映画の舞台はアメリカである。 しかし、最大の違いは映画ではテルマとルイーズの過去は(ルイーズの嫌なテキサス体験を除き)特に謎がないことの比して、本書では、チャーリーとナオの過去には謎があり、その謎とチャーリーの姉の過去の謎、追跡者の謎が解かれていく(解けていく)のが、重要な魅力となっていることである。 本書の原書はたいへん好評であったようで、新聞雑誌レビュー、アマゾン海外読者レビュー等々には賛辞が並んでいる。しかし、酷評も少しある。興味深い酷評は、①様々な視点から語られるため、同じ話が出てきてイライラする。②中盤が退屈であるの2点。 二、私的結論 ◯西オーストラリアの大自然を舞台に、若き女性二人の苦難に満ちた逃避行を、2人の対立と強調、過去の謎解き、追跡者との対決を絡めて、複数の視点でダイナミックに描きあげた青春犯罪冒険ミステリーの傑作である。 ◯勘違い、不勉強、誤記ご容赦。 | ||||
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オーストラリアを舞台にしたスリラーは、「55」(ジェイムズ・デラーギー 2019/12)以来かもしれません。(自分が何を読んだのか?覚え切れていません(笑)) それも今回は西オーストラリア、パースを起点にしてグレート・ノーザン・ハイウェイからエイティ・マイル・ビーチを経てキンバリーへと向かうキレッキレの<ロード・トリップ・クライム・ノヴェル>でした。原題を見た時は、コーマック・マッカーシーを想起したりしましたが(荒野は似ていたとは言え、国も異なり)、趣は別のものでした。 3名の女性たちが登場し、それぞれの視点からほぼ交互にこの物語が語られていきます。 一人目は高校を退学になったばかりのチャーリー。彼女は姉(ジーン)の<男>ダリルから小さなインゴットをくすねますが、その後彼女は見知らぬ先住民の女性、ナオと出逢います。ナオは訳ありなのか、頬に誰かに殴られた跡があり、車の事故があってしばらく休ませてほしいとチャーリーに懇願します。そして、そこから災厄が災厄を呼び込み、過去に起きた事件を取り込みながら、チャーリー、ナオ、ジーンがいかにこの物語に関わらざるを得なかったのかが明らかになっていきます。そのスピード感がすこぶる魅力的でした。 チャーリーのキャラクタリゼーションについては、米国スリラーではそれほど特異なものではない、<既視感>のあるものでしたが、特筆すべきは"アボリジニ"の血を継承したナオの姿が新鮮でした。それは彼女が男性から逃れるべく背負わされた<被支配>という軛によって、その歴史をシンボライズさせる役割を背負わされながら、尚最後まで女性としてのリアルな美しさを損なわなかったことにあります。 小説中、ロード・トリップ・ノヴェルではありがちですが、映画「テルマ&ルイーズ」(175p)が言及されています。米国本国で映画がリリースされた時点(1991年)では評価の低かったはずの映画が、時代を超えて世界にインパクトを与えていたことになります。 スリラーとしては、(具体的に言うことはできませんが)<蛇>の扱いが素敵でした。それは、ヒッチコック・タッチと言ってもいい。反面、スリラー慣れした面々からはストーリー・テリングに少しご都合主義が目立つという指摘もあるかもしれません。 まあ、細かいことは抜きにして、最大の美点は"Country for Girls"にあります。世界中のどんな土地であれ、その自然を慈しみ、愛することに勝るものはありません。 私もまた今年も書を捨てて、<ロード・トリップ>を実践しよう(笑)。 ▫️「銃と助手席の歌 "No Country for Girls"」(エマ・スタイルズ 東京創元社) 2025/2/19。 | ||||
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