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黄色い家
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黄色い家の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.06pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全87件 81~87 5/5ページ
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主人公花と彼女をめぐる3人の女性(黄美子さん、蘭、桃子)は住む家ももなく食べるのにも困るような貧困状態にはない。それは表社会と裏社会の歯車がなんとか噛み合ってお金がまわっているからだ。その歯車はたえず軋んでいまにも止まりそうな状態にある。それが止まってしまったら生きていけなくなる…薄氷を踏むような自分たちの生活の危うさに気づいているのは花だけだ。他の3人(そして花の花親の愛)は現状を客観視できるから将来の不安に備えるために必要な認知能力に欠けている。4人とも「親ガチャ」に外れた人たちだといえるが「親ガチャ」という言葉は貧困という状態に至る過程の複雑な経路を単純化してしまう。親ガチャ、未成年、女性、都会暮らし・・・属性と環境が複合的に重なったところが社会の「盲点」あるいは「歪み」となって治安や福祉のレーダーから外れる。スナックれもんは、歯車が回っている短い間だけ、「一緒に暮らしている仲間だけで近所の常連客を相手にするような」「自分で掃除をし、鍵をしめて鍵をあけ、そこで起きることのすべてについて考えて自分で決定をくだすことができる」自律的アサイラムのような場でありえた。しかし所詮この社会派「頭のまわらない人間をカモにして、なけなしの金をまきあげるなにか」はそのアサイラムの存続を許さない。金とは、それを持たないものにとっては「猶予」だ。「金は猶予をくれる。考えるための猶予、眠るための猶予、病気になる猶予、なにかを待つための猶予」。それは贅沢でもなんでもない。現代の社会では「人権」とよばれるものだ。しかしそれを知るためにも「猶予」が必要なのだ。一方で「口座にいくらあるか知らないですむような金持ち」がいる。「家の金、親の金、先祖代々のでかい金に守られているようなやつ、そいつらがその金をもっていることには、なんの理由もない。そいつらの努力なんかいっさいない」。花の「親」役だったヴィヴィアンは言う。だから「どんどんぬいてやればいいい。あいつらの金は、わたしらの金とは違う。データだと思えばいい」と花に説く。しかしそんなふうに思って手に入れた金は結局どんな「猶予」とも交換できない。「賭場で儲けた金が賭場から出ることはないんだよ。親に食われて終わり。最後はぜったい親が勝つようになってるからね。子はぜったいに負けることになってんの」。ヴィヴィアンはバカラの金のことを語っているがそれはそのままこの世の中の現実だ。バカラをやる人間は「金の奥」にいこうとしている、とヴィヴィアンは言う。その奥に到達すると「金がこの世の中でいちばん無意味になものになるんだ。おかしいでしょ。だって金はすべてでしょ。それは間違いない。金がすべてで、でも、それと同時に金が無意味になる。金以上のもなんかあるわけなのに、そんなことはわかりきっているのに、でもここにはいま、金以上のものだけがあるんだ」。 花が身体を張って守ろうとしたのは「そこで起きることのすべてについて考えて自分で決定をくだすことができる」場所だった。金はその場所を取り戻すためのの手段だったはずなのに、いつのまにかその目的は曖昧な「未来のため」になり、金を稼いで貯めることそのものが目的化していく。未来を想像できる者はそうやって金という魔物に立ち向かうが、未来を想像できない者は金という魔物にかんたんに捕食されてしまう。未来のない者は魔物と討ち死にをする(それがバカラだともいえるだろう)。花たちは生き残った。それはしぶとさでもなくしたたかさでもないが、絶望でもない。そう思いたい。 | ||||
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怖。 読み終わった感想はその一文字だ。 知的に問題がある中年女と、未成年の女の子3人の共同生活の話。 女の子のうち1人は頭が良く(勉強ができるわけではないが、彼女が真剣に勉学に取り組んでいたら、きっと簡単に成果が出たと思う。一言で言うと『骨のある子』だ。)、残り2人の女の子はちょっと何かが足りていない。 中年女と女の子3人が幸せに暮らしていけるように、主人公の頭の良い女の子は東奔西走孤軍奮闘するが、 目的と手段よ とツッコミを入れたくなる。 要は『4人で楽しく暮らしたい』という目的自体は良いのだが、手段に問題がありすぎる。 物語を読むかぎり、その手段しか取れなかったというようにも思えなくもないが。 読後感ははっきり言って悪い。 特に、精神医療や福祉に関わる人間は読んでる間の胸のつかえる感じがマジでキツいので、おすすめはしない。 だけど、こんなに長い小説(厚さ4cmぐらい。角を使えばちょっとした武器になる)を、全部読まなければ、全部読みたい、と思い、読み切ったのは初めてだ。 発売1週間で既に3刷しているらしい。 絶対芥川賞じゃん と思ったが、既に1度受賞してる人は受賞できないらしいね。 そして、芥川賞って新人に与えられる賞らしいね。 | ||||
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カワカミは、 文体を必要としない。 色彩(語)を必要としない。 悪は、あくまで善の一部。 カワカミの思想的充実は、もはや、物語・構造を必要としない。 感覚のみが、共時性、シンクロ性をたもつ。 時間の問題をあつかうわけ。 読み手に、素晴らしい体験をサービスしているってことだよ。 | ||||
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「『ある人』が、どうしてこうなってしまったのか」を知るため、犯罪(現在なら、外国からの遠隔操作による強盗事件のような)に手を染めたことのある主人公が、過去を回想する。主人公は、犯罪から遠く離れた場所に立ち、「若かったから大人たちに利用されていただけ」と、(一つの解釈でしかないと思いつつも)「『ある人』は、あの頃から変わっていないのだ」と。 小説全体が回想に終始した点を、どう評価するか。僕は、ややダイナミズムに欠けると思いましたが、皆さんはどうでしたか? | ||||
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元々苦手だけど、本屋があまりに必死なので読んでみたけど相変わらず最悪。何も調べず書けば売れるだろう的に適当に書いてるだけ。 それこそ、2年に1冊ぐらいしか本を読まない、読書をまともにしたことがない人向けです。 | ||||
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(後から考えたけれど、主人公が悪に染まる、新聞小説...ということでは町田康の「告白」と合わせて読むのもいいかもしれない。) 期待をもって読んだ。私は川上未映子の「愛の夢とか」からのファンで、「すばらしい骨格の持ち主は」とか「ミス・アイスサンドイッチ」「ヘヴン」が好きな読者。 百瀬、聖、善百合子、こういう人物を描ける川上未映子が、犯罪に手を染める(あるいは、居場所のない人たちの居場所についての)物語を書いたと聞いて、かなり期待していた。 読んだ後の感想は、「いい教訓を得られた」というもの。 エンさんの言葉、映水さんの忠告、どれも自分の身に染みる。個人情報が記載されたものはちゃんとなくさないようにしよう、と考えた。そして、蟠りが生まれる前に人を手伝おうとも思った。笑 こんなふうに実生活をちゃんとしようと思わせてくれる物語は、本当に珍しい。川上未映子は、読者思いなのだと感じる。 でも、「お金」と「犯罪」というテーマにしては、物語はちょっと浅いかなと思っていたら、 見方を変えると「シスターフッド・父性母性」というテーマが浮かび上がり、それに関しては恐ろしいほどに緻密な批判を下している物語だということが分かった。 まず、「お金」と「犯罪」というテーマで読んだとき。 金について、主人公の肉体感覚に関わる部分から多義的に考察し尽くす小説は、おそらく世界でも前代未聞。 しかし、物語の根幹にあるはずの、というよりも「お金」と対称的に描写されるべき「貧しさ」に、なぜだかリアリティがない。 それは主人公が「一人で頑張り抜く」ことで、貧乏の鬱屈などを吹っ飛ばしていて、うやむやになっているから、ということも言えるだろう。この「一人で頑張り抜いて、うやむやになっている」部分は、物語において大事な効果をもたらすとともに、 物語の多くの描写、さらに深堀りすれば美味しかっただろう場面をも蝕んでいる。 普通の人が犯罪に手を染めるまでの過程、というテーマはとてもよかった。 しかし、ヤクザの「仕組み」やマルチの「仕組み」水商売の「仕組み」などを登場人物に語らせる場面が多いのに、その世界に生きる人間の、独特な人間性が滲み出て来ない。井戸を深堀りすれば、湧き水は出るはずなのに、それがない。 「仕組み」ばっかりで「生身」に乏しい。 「社会に迎合できない」という「特殊な社会に対する迎合」があって、 いつでもどこでも人間の中にいるのに「どこからも弾き出されてしまったもの」がない。主人公には持ち合わせた完全な孤独がない。そのため、良い意味でも悪い意味でも、主人公は現実に生きている人間によく似ている。どこにでもいる、どんな物語にもいるモブの人間に。小説の面白味というのは、普通の人間が持つ特殊性を深堀りすることで、そこに普遍性を獲得する営みなんじゃないかと思う。主人公の不安症とその心理(つまり言い訳)を描くだけでは、普遍にならない。鋭利な描写による、主人公の神経質なほどの恐怖心を、もっと見たかった。 主人公の浅掘り描写のこともあって、この物語は普遍的な物語というより、「みんなが知らなかった情報まとめ小説」に片足を入れている。 壮大で大きなテーマに、魅力的な素質を備えた登場人物たちが潰されている。作家が彼らの建前ばかりを聞いていて、本音に耳を傾けないまま、 「こんな世界があるんだよっ」と、声を大きくしているために。 「黄色い家」は登場人物を読ませるというよりも、物語を読ませるエンターテイメントなのだろうか。「お金」「犯罪」という、物語として世界随一になる充分な材料が揃っているのに、どこか中途半端なのである。 ここであえて、帯の宣伝文句を受け止めるのではなくて、「黄色い家」を「シスターフッド・父性母性の崩落」として読んでみる。 すると、男女の社会関係と心の繋がり方が、恐ろしいほど綿密に描かれていることが分かる。 たとえばマルチにはまる女性、シノギに手を染める男性、彼らを支配する男性・強い父性を備えた女性。 対人関係において、「働く」父性と「養う」母性を演じる問題。リベラルを重んじられる現代においても、いまなお人間の根幹にそれが眠っているということ。そして、役割を演ずることがいかに無意識で行われるか... ...不思議なことにそうやって読むと、お金は人間関係のあいだを行き来するツールに過ぎず、 むしろ人間関係を見ることこそがこの物語の主眼なのであると、分かるのだ。 そもそも英訳は「The yellow house」ではなくて「Sisters in yellow」なのである。海外に翻訳されるのだから、タイトルは日本語で伝えるよりも物語の本質に率直なものの方が、理解されやすい。 「夏物語」でシスターフッドの連帯感とフェミニズムを描いた作家が、 今度はそこに批判を加え、見事に「シスターフッド・父性母性」の特性を描いた。 そして恐らく、ここに書いてある崩落は、今後の世界を予見しているかもしれない。 (少し脱線すると、「前後不覚」章からの下りは圧巻で、川上未映子もいわゆる“地下二階”に降りたのだと感じた。いかんせん、そこにたどり着くまでが長いけど。) 作家とは、どうしようもない世界に生きる登場人物を、彼らが最後に死のうが生きようが、信じきる仕事だと思う。 今回の小説は、筋道の方をより信じるあまり、終盤に至るまでの間、それがあまりできていないように読めたのがちょっと残念だった。 それでも、私は花の「家」に共感したし、読後は私の胸の中にも家があるような心地になり、 寄る辺のない孤独が慰められたのは嬉しかった。 そして装丁も素敵なので、星4つにしました。 | ||||
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金欠なので2090円の本を買っていいものか悩みましたが、600ページを超えているということでページ単価にすれば高くない、と自分に言い聞かせてがんばって購入し、読みました。 「夏物語」の感じで読んだのがいけなかったのかもしれません。 登場人物だれにも感情移入できず、中身はひじょうに薄っぺらいです。 要約してしまうと、貧乏や素行の悪さで社会から溢れた少女たちが、発達か知的がありそうな、ちょっと足りないおばはんを見つけて同居して、お金ないから犯罪して、怖くなっておばはんを見捨てて犯罪で得た金を分配して逃げた、という話です。それを600ページかけて書いています。 文体は読みやすいのでラストまで読みましたが、虚しかったです。 肝心なところをもっとしつこく、読者が入り込めたり納得したりするまで描写して欲しかったです。 | ||||
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