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ナイルパーチの女子会
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ナイルパーチの女子会の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.91pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全88件 41~60 3/5ページ
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展開がすごい | ||||
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人物像や設定に全くリアリティがなく、子供が未熟な調査?と薄っぺらい想像力で書いた作文のようであった。時間のむだ。 | ||||
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住む世界の違う女(独身キャリアと主婦ブロガー)がブログを接点に出会った話。 という感じで見始めたけど全然違った。 まぁ、何も考えずに読むとホラー。 ただ、結局は人との付き合い方についてだと思う。 人との付き合い、友達の作り方、誰も教えてもらったことがない。 友達が多く、普通にできる人にはわからないだろうけど、 そうでない人にとってはすごく刺さる場面が多々あった。 行動は過激だけど、その心情はなんとなくわかる。 誰でも一度は経験してるだろう学生時代一番仲の良かった友達が 別のグループと仲良くなった、彼氏を優先した、そういった寂しさの類から うまく切り替えられなかったんだろうなと感じた。 翔子の家族との気持ちもすごくよくわかる。 家族だからって誰もが無償の愛情で繋がってるわけじゃないし 家族だからってだけで、いつまでも愛せる訳じゃない。 真織は友達が全てでエリコからは負けたように見えたかもしれないけど、 結局は友達以外の男、家族とはうまく繋がれないんだと思う。 人はよく見えるけど、それぞれに悩みを抱えて それぞれにうまく人と付き合ってるんだなぁって胸が痛くなった。 えりこが救われますように。 | ||||
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話の展開、栄利子や真織の人物設定など所々現実的ではない(リアリティがない)箇所がありますが、この小説で重視するべきポイントはそこではないと思います。 栄利子と翔子それぞれが友達がいないという現実とどう向き合っていくかを見ていただきたいし、小説の中では人と人との関係性についてとても丁寧に細かく書かれてます。 ただ、主人公たちの心情部分は少数派なところがあるので読む人によって共感できないと思うかもしれない 個人的に思うのですが、男性や友人関係に悩んだことがないと自負できる人には、登場人物を自分に置き換えて読むより、自分の周囲に栄利子や翔子と似たような人はいなかったか?などを考えて読んでみるといいと思います。 友達が少ないことに悩んでる、主人公たちと似たような所を持っていると感じた人は、主人公たちと悩みながら読むといいと思います | ||||
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2019年の現在、思ったのはトランプ登場前の2015年位の感じだよな~という事です。 それぞれの育ちの良い中での二人、派遣の玉の輿狙いの下層階級出身者、中産階級出身の既婚者の立場から見た世相を描いています。 この辿り着いた閉塞感の中から次の時代が始まる訳ですが、それがどんなものかはまだ分かっていないのです。 | ||||
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すっごく面白かった。「女友達がいない女」がテーマだが、内容はセンセーショナルではなく、これでもかというほど友達がいないコンプレックスや切望、その様子が他人の目にどう映るか、なぜ友達ができないかの描写に紙面が費やされる。そこがいい。 個人的に彼氏いない歴=年齢の女性よりも、友達いない歴=年齢の女性のほうがヤバく感じる。前者は私にとって他人事だが、後者は具体的な迷惑に直結する。経験上、友達が全くいない人には非常識な人が多い。単に魅力や必要の問題ならいいが、こちらを傷つける非常識な人なのか否かはそれこそ深く付き合ってみないとわからない。 栄利子は典型的な「やばい奴」。自分のプライドのためだけに友達を切望する様子は、皆が持っているぬいぐるみを欲しがる女児となんら変わらない。友達が好きなのではなく、友達のいる自分になりたいだけだ。脅迫して友達を作るなんて、根本から間違ってる。 翔子は女より男が好きで、芯からは友達を欲していない。居心地のいい人間関係を夫や恋人に求めるから、ギブアンドテイクな友達はいらない。無気力だったり依存傾向があったり多少の問題はあるのだが……こういう人いるし、別に嫌いじゃないな、と思いながら読んだ。 この話の面白いのは、脇役として友情を重んじる人もかなり細かく描写されるところだ。彼・彼女らも別に「いい人」ではない。ただ同性の仲間が好きで、互いに自立しあいながら助け合う「友達」という人間関係が性に合っているだけだ。 私も友達と一緒に結婚式の衣装合わせをしたし、今も友達にマイホームの相談をしている。真織の考え方は極端過ぎるけど、少し分かる気がした。 心の拠り所が栄利子は両親、翔子は夫だとしたら、友情を最も大事にする人の拠り所は友達であり、反面伴侶や親にそこまで期待をしない。伴侶の想像力の欠如や浮気、家事の怠慢に寛大なのは、初めからそこまで期待してないし、相手がいなくても本質的には大丈夫だからだ。結局人は複数の人間関係を心の拠り所にするほど器用ではなく、拠り所にした対象によって人間関係の癖ができるものなのかもしれないな、と思いながら読んだ。 しっかし温泉旅行の描写、本当にグロテスクだった……。裸ではしゃぐおばさんって客観的に見ると超イタイと理解した。 | ||||
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なんとな〜く微妙な一作。傑作とも駄作とも、リアルとも嘘っぽいとも。女子の゛親友欲しい゛気持ちは単純に世間体だけじゃない。ギャングエイジである少女たちの排他性は可憐なようでいて、地上もっともサバイバル。この関係性を悪化させ、心に血を噴いたのが栄利子。対照的に、何もかもを億劫ととらえる翔子。世界を飛び回る商社ウーマンと怠惰な専業主婦という、一見勝負あった二人の力関係を呆気なくつき崩す作者の豪腕。社会という名の梯子の自在な掛け外しが文学だな、と。通常、接点がないはずの二人が、ブログという密室かつ世界発信な繋がりを握られた結果、さて、どうなる?というストーリーでした。 卓越した心理描写にグイグイ引き込まれるも、ストーリー展開が不自然でついていくのが、やや困難。思うに、「前後編」とかパキッと2つに折り分けてくれたらもっとよかったかと。個人的には、翔子の家族に対する忌避感が身につまされ、ふたつとない傑作でした。 が、それにしても栄利子のうす汚いストーカーっぷりに、終盤、とことん私は嫌気がさしました。なんだ言ってヒロインなんですから、多少の愛嬌くらいはせめてもに残して欲しかったな…あれじゃあ夢も屁ったくれもありはしない。単なる「手癖の悪い低能なヤンキーあがり」。あんなに暴走しますかね??きっとまた相手を変えて、彼女は繰り返す・・ ストーキングってか「万引き犯」みたいなああした常習性。不愉快ですね。 | ||||
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栄利子が翔子に固執した動機に説得力を感じなかったので、物語全般が薄っぺらく感じた。 商社に勤めている美人のやり手30歳が返事のない相手に二十通のメール送るくだりは笑った。 この人物設定なら、相手に不安を感じさせないやり方をもうちょっと知っていそうなものだけど。 それと女性の本音というには露悪的すぎる文章が多いと感じ、そこも共感できない理由となった。 導入部の商社の様子などはなかなか良かった。 | ||||
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佐藤優氏の『嫉妬と自己愛』で、こじれた友情を理解するために適していると紹介されていた作品。 主婦ブロガーの翔子と友達になろうと接近する商社勤めの栄利子の一方的な思い入れが不気味な序盤。 狂気さえ漂わせる栄利子の言動に弾みがかかる中盤。 生きている世界は違えど、二人を動かす価値観や欲求は底で通じていたことがわかる後半。 そして、栄利子や翔子が抱える心に空いた穴は、自分自身も抱えているものなのではないかと気づかされる終盤。 単なるエンタメ小説の枠組みを超えた、自分を省みさせる力を持つ一冊であると思います。 | ||||
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とにかく怖いし、 自分にも少しでもそんな怖さに共感すると自分も狂気?と思ったり、自分も感情、共感もどうしたものか?と疑ったりと、なかなかスリリングでショッキングな中盤。 でも最後の方はかなり希望の光も感じ、一定の満足なあたたかな気持ちで読み終えれたかな。 | ||||
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人気ブロガーの主婦と高年収の女性という世相をつかんだ内容だが、登場人物が全員まともでないせいか共感が薄い。友情、女子会と、いかにも友達が大事と思い込んでいる主人公に首をかしげる。 特に会社の派遣社員の女性がひどい。 低学歴の派遣社員という設定とはいえ、現実にあんな人はいないと思うのだが。台詞が荒っぽすぎるし、芋けんぴで会社の給湯室で婚約者を刺すってちょっと考えられない。 狂気の主人公が次に何をしでかすか、という興味で引き込まれる部分はあった。 受賞作品としてはうーんという感じ。 | ||||
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キャラクターの描かれ方(特に栄利子)が極端ではあるものの、決して他人事とは思えない、身に覚えのある心情がたくさん書かれていて、イタいところを突かれつつも読んでいて安心感がありました。 自分も他人との距離感の測り方が分からず空回りしがちなタイプなので、登場人物の中で唯一真織が非現実的な存在に思え、それでいてかっこよく思えたのかなと思いました。 抉られつつも最後まで読むと少し心の風通しが良くなるような作品でした。 | ||||
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このストーカー心理って、実は男も女もなく、似たような感じになるのだと思う。ただ、その精神の壊れ方が、やはり読んでいて異常だと思い、感情移入できなかった。読んでいてドン引きする感じ。登場人物がいやなやつばっかりなんだけど、それが読後感の悪さにつながる。一人くらい、いい人というか翔子の味方がいてもいいと思うんだけどなあ。 | ||||
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柚木麻子さんって、比喩表現でなく、キャッチコピーみたいに作品の中で大事なことを短く伝えてくるため児童文学に似ている。 同性の友達について掘り下げられており、今なお人間関係に苦心している私にとって身につまされる部分が多々あった。 作品では、「友達っていうのは努力でどうにかなるものではない」と言ってみたり、「人間関係はメンテナンスしながら調整していく繊細なもの」と表現したりなかなか難しいものだ。 私は栄利子みたいに他人との距離を間違ってしまうことが多く、それ故に失敗が沢山あった。栄利子の行動に周りが怖がる様子が描かれる、私もこんな風に怖かっただろうなと思う。 沢山失敗しないとわからなかった他人との距離感。 学生時代の同性の友達が大事っていうのはなんというか狭い水槽に入れられ、その中でヒエラルキーが形成される中で、友達がいないということはそのままヒエラルキーに影響し、存在価値にまで影響した。だからあんなに必死だった。大人になってからの友達関係とは違い、学生のときの人間関係は過ごす時間というか、友達と一緒にならないとどうにもならないことが多く、避けては通れない死活問題だった。 ただ、大人になっても同性の友達問題は尾を引いている。 結婚できてないのはおかしい、友達がいないのはおかしいと言われる。もう疲れた。自分はおかしいんだろう。 真織のような女友達が大事!と30歳になっても憚らずに言える人のことを私は軽蔑している。真織の結婚相手が女子会を尊重することを馬鹿にしているのも共感できた。だって友達友達って女子中学生みたい。でもそれは真織のように上手くできないから。 私だって人間関係をメンテナンスしているつもりでも、気を遣ってるけど同じようにはできない。私は栄利子のように上辺だけを猿真似しているだけで、相手は困惑しているんだろう。 恋愛できる相手がいて、同性からの友達もいる、という昔のティーン誌で読んだ「両モテ♡」がこなせないと真織のように「お前が同性から陰でなんて言われてるか知ってんのか」と野次る人が出てきて嫌だ。 真織は中学生のときの人間関係が上手な気が強い女の子にそっくり。 あの子今何してるのかな。私は今でも怖いです。 | ||||
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面白いです。ゆっくり読もうとしたのに、気付いたら夜明けが来るまで読みふけってしまいました。 他人に認められたい、そんな誰もが持つ承認欲求を社会的地位とブログでのアクセス数に求める主人公の二人。自分にはできない方法で社会から承認されている二人はお互い惹かれ合うが、憧れの人からの承認を目指し、認知すらされない自分に苦しみ、その人から執拗に承認を求めるようになり、気付く頃にはストーカーへと化していた。本編ではそんな主人公たちの心の声が直接書かれていて、読み始めの頃はその狂気じみた承認欲求に恐ろしさすら感じますが、読み進めていくごとにこの主人公は私たちそのものではないかと分かってきます。 途中、東電OLなど実在の事件も登場し、益々現実の人間の承認欲求が恐ろしくなってきますが、最後はすっきりと読み終えられます(ただ夜3時くらいに中盤を読んでいた頃は、栄利子と同じような承認欲求を持つことに気付いた自分自身が彼女と同じように腐っていくのではないかと恐怖を感じました)。 | ||||
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面白かったです。「あまからカルテット」にうんざりしたまま、敬遠しないでよかった。 むしろ、これを読んだ後では、「あまからカルテット」は、作者の意地悪な悪い冗談みたいに見えてくる。 女性どうしの友情を、いたずらに賛美するのではなく、その難しさや恐さをホラー映画なみの、やや滑稽なまでにデフォルメした表現で浮かび上がらせているけど、通り一遍でない、型にはまらない、人の心の弱さが基本に描かれていて、そして決して女性に罪を着せてはいないけど、かと言って単純な男女の戦いにもしていない。 どういうか、読み終えて、ある感慨を持ちました。「女性の友情なんて成り立たない、あり得ない」と言われていた私の子どものころ(ざっと50年ほど昔)から、「セックス・アンド・ザ・シティ」などのドラマが描く確かな女性の友情がしっかり市民権を得るようになって、それがもう、皆を縛る常識として批判的に分析されるまで、時は流れて、進んだのだなと。そして、女性男性両方の責任や社会の在り方との関わりを、これほどきっちりとらえていて、決して安易に女性を悪役にも被害者にもしない視点や描き方が、ここまで生まれてきているのだなと。 作者はもちろんすぐれた才能の持ち主であることは疑いないのですが、でも、この人がこれだけの広さと深さで女性の友情を見つめて描ける背景には、フェミニズムやジェンダーや、その他もろもろの社会の進化と発展があって、それなくしては生まれなかった小説ではないかと思うのです。それは作者の過小評価では決してなくて、そういう男女を問わず、新しい時代をめざして苦闘してきた多くの人たちとの合作として、この小説は生まれているような感じがするのです。 いろいろある意味、ひっどい話なのですが、妙にさわやかに笑えるのは、これは大きな意味でも細かい意味でも、相当事実に近いという実感が私自身にもあるからで、ひとりひとりの登場人物が嘘みたいに「まさかこんな」と言いたいほどとんでもないけど、でも絶妙に過不足なくリアルなんですよね。醜すぎて、何もかもが美しい。 欲を言うとさ、いや冗談なんですけど、唯一の欠点は、真織さんがカッコよすぎ(笑)。彼女のせりふと行動のひとつひとつが、特に最後の場面なんか、もう最高で笑い転げて読みました。彼女を主人公にして、一生を小説にしてほしいです。いやマジで。 | ||||
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学生時代から今に至るいろんな女友達の顔を思い浮かべながら読みました。 情景描写も心理描写もリアルで緻密で、1ページの文字量が多いことがうれしかったです。 柚木作品は初めて読みましたが、いい作家さんに出会いました。 | ||||
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文中に出てきた箱根ポーラ美術館のモネ睡蓮柄のクッキー缶、気になります。 | ||||
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自己愛のために周りが見えなくなっている若い女性たちの苦しみと、 その苦しみから抜け出すための、蜘蛛の糸を手繰るようにかすかな、でも確実な光。 さめてはいるけれど、決して見捨ててはいないまなざしで描かれていました。 学歴やお金や仕事の内容で武装しても 結婚などの社会的安定ポジションに逃げても 何も自分を安心させてくれるものはない。 すがるものがほしくて、安心できる場所がほしくて 自分を傷つけると思うものは、先に徹底的に傷つけようとする… 逆に、自分が欲しいもの、欲しい人は、相手も自分が欲しいと思っているに違いないと 思えてしまう・・・ そんな心境からモンスターになってしまう女たちに、光はあるのか。 その光は、どこからどんな形で見えてくるのか。 一方で、こんなモンスターではないと思っている自分を支える根拠の脆弱さに 指先でそっと触れられてしまうような、そんな小説でした。 | ||||
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柚木麻子さんてまだ若いのに凄い小説を書くなぁ・・というのが読後の感想です。 直木賞候補作品として選考委員達の評価は私も読みましたが、 本当に最後まで読んでおられるのでしょうか? 確かに途中、冗長かなと思うところはありましたし、読むのを 中断はしました。私にとってもイタいところが多々あったからです。 アドラー心理学「嫌われる勇気」にも書かれているように、人は誰しも 承認欲求を持っているものです。(アドラーはそれを捨てろと言う) この本は女友達が居ないことに拘る栄利子や家族から逃げている 翔子だけを描いたものでしょうか? 栄利子は翔子をストーカーのように追いかけるけど、それは母親に 認められたいという欲求が形を変えたものとして捉えることができるでしょう。 また、翔子も人気ブロガーを栄利子のように追いかけ回すようになるのです。 メビウスは本作ではタバコの銘柄ですが、「メビウスの帯(おび)」を想起されます。 作者は意図して描いているはずです。冗長に感じることも読者に同じところをグルグル 巡らせているのではないか。 さらに後半からラストにかけて栄利子(表)と翔子(裏)のどちらがどちらか わからなくなる不思議さがあります。 そうして栄利子や翔子の問題は誰の中にも形こそ違えあるものなのです。 (青春・介護・貧困・機能不全家庭・等々の)暗闇の中で生きていく上で 避けられない躓きや綻びを角度を変えて描き、ラストでヒロイン達は 自らの生き方に気づき(悟り)一気に飛翔してゆくーーとはいえ身の程を知り 出来ることから少しずつ手をつけ始めるだけなのだけど、何というか 啓蒙的でもあるのです。 それにしても、真織の豹変ぶりには驚きを通り越して、 笑いがこみ上げてきました。 | ||||
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