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ザリガニの鳴くところ
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ザリガニの鳴くところの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.39pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全203件 201~203 11/11ページ
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作家の知人が、「10年にひとつ巡り会えるかと言ってよいほどの作品」と評していたのがきっかけで購入しました。 「作者は70歳で初めて小説を書いたという生物学者。自然描写も人間の業をめぐる洞察力も申し分なく、歴史に残る純文学」と。 著者にとって最初の小説とは思えない完成度の高さに驚嘆。自然と生物の丁寧な描写は本当に生物学者という著者ならでは。ラスト50ページの展開は予想がつかなかったし、最後は涙目でページをめくっていました。 | ||||
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2019年の全米ベストセラー小説。どうせ看板倒れでがっかりするんだろうな、という予感をみごとに裏切る読書体験になりました。読者は少女といっしょに闘い、悩み、悲しみ、成長する。少女が感じる大地の息吹を共有する。動植物、鳥獣たちとの交感を仮体験する。孤独の真実の意味を理解する。救いの手を差し伸べる黒人や少年に慈愛の思いを抱く。陥る窮地にはらはらする。最後は――やはりこういう結末でなきゃあね、と一種の胸すく思いとともに、じわっと込み上げてくるものを余韻として本を閉じる。象徴的なのは、父親が焼いてしまった母親からの手紙のわずかな燃えかすを後生大事にガラス瓶にしまう、彼女の心情。このガラス瓶が物語の最後に再び登場し、歳月と情愛の糸を読者の心に巻き付ける。作者はこの長編小説を書き上げたとき69歳。自然と人間の内奥をここまで迫真的に描くにはそれなりの人生の年輪が必要なのでしょう。 | ||||
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パット・コンロイの「潮流の王者」は、ニューヨーク、ヴェトナム戦争、そしてサウス・カロライナの「大自然」の物語でした。私にとっては、それを原作とするバーブラ・ストライザンドが監督した「サウス・キャロライナ」もまた、忘れがたい映画でした。小エビ漁師、心臓を鷲掴みされるような重い過去、そのトラウマが時間の経過と共に収束します。それらを想起しながら、今回の物語を読むことになりました。 そして、今回の場所はノース・カロライナの「湿地」。現在は、ディズマル湿地と呼ばれる場所。 「ザリガニの鳴くところ "Where The Crawdads Sing"」(ディーリア・オーエンズ 早川書房)を読みました。何の予備知識もなく読むことになりましたが、基本的にはパズラーですから、書けない部分が多くあります(笑) 1969年、湿地を持つバークリー・コーヴという架空の村で、地元のスター・アメフト選手だったチェイスの死体が発見されます。遡って、1952年。いきなり母親とその家族に去られながら、ポーカーと酒に明け暮れ、自分を大きく見せようとするあまり嘘を重ねる典型的な「依存性者」の父親の下、その「機能不全」と否が応にも向き合わざるを得ない10歳の「湿地の少女」・カイアの成長の物語。その二つの時代が交互に描かれていき、次第にオーヴァー・ラップしていきます。しかし、「誰がチェイスを殺害したのか?」について、多くを語るつもりはありません。およそページ数の10分の7を経過したあたりからは特に、言うことが叶いません。 カイアは、「戻ってくる母さんのために小屋をきれい」にしながら、しかし、たった一人でこの差別と悪意に満ち溢れた世界をサヴァイヴしようとします。最近の読書で言えば、「世界のはての少年」、「夕陽の道を北へゆけ」の少年少女たちよりもある意味とても過酷な「生」を恐る恐る、怯えながら歩んでいかざるを得ませんね。<自立>した女性のように地に足をつけて生きようとする少女、そして「あること」をきっかけに、自立した少女は、ほんとうの苦難の果てに、真に<自立>した女性としてその「孤高の姿」を見せつけるように生き抜きます。 <生き物たちが自然のままの姿で生きてる場所>=「湿地」とその環境の中で生きる植物、動物、あまたの生物を克明に描く作者の筆致によって、その作者の溢れ出る願いが少女・カイアに見事に託されているのだと思います。 「漕げよマイケル」、「必要なときには女性を守る行動ができる者」(これは、私を含む男たちへの叱りの言葉だ)、たった一人で生きるカイアを見守るカモメたち、多くの鳥たち、そして出て行った母親への共感を感じるとき。 パズラーとしては決して巧みだとは言い難い部分もありますが、それよりも雌の「ホタル」、雌の「カマキリ」がシンボライズするこの小説の生物学的な「Why-done-it」が、心の底からの震えを伴いながら、感情を抑えることが困難なほどの感動をもたらすことを告白しておきたいと思います。 いつまでも語っていたいという気持ちを抑制しながら、特筆すべきは、カイアは本当にたった一人で良く生き抜きながらも、多くのマイナーな支援者たちに支えられながら生きていることにも気づかされることになります。ソウルメイト・テイト、その父でもあるエビ漁師・スカッパー、船着場にある燃料店の店主・ジャンピン、その妻・メイベル、弁護士・トム、編集者・ロバート、そしてカイアの兄「悲しみのジョディ」。 (感傷は嫌いなはずなのに)彼らひとりひとり、「湿地の少女」を取り巻くガーディアン・エンジェルたちを思うとき、何故か我が国のもっとも有名な小説の中で「踊り子」たちがさんざめきながら言う台詞を思い出してしまいました。 「いいひとは、いいね」 そう、本当に、いいひとは、いい。 | ||||
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