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燃えつきた地図
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	燃えつきた地図の評価:
	
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.91pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
		※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
		未読の方はご注意ください
	
	全32件 21~32 2/2ページ
	
	
	
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| 安部公房先生の作品を何点か読んだ事が有る方でしたら こちらのお話は箱男、カンガルー'ノート、友達、人間そっくり のテイストに似た例えるなら不条理系です。 そして1冊が400P近いので結構な長編かと思います。 文中地図や新聞の切り抜きの挿絵が何枚か入っているので読み疲れた時のちょっとした休憩にはなるかと思います。 解説はドナルド'キーン先生です。 物語は興信所で働く主人公(物語終始名前無し)に半年前行方不明になった夫の捜索をして欲しいと根室夫人から依頼が来るところから物語は始まります。 根室夫人が差し出した手がかりは 居なくなる前日にレーンコートに入っていたマッチ箱と夫である洋の写真のみ。 その僅かな手がかりを元に捜索を開始するのですが 道中出会う 夫人の弟、洋の部下田代、ゴキブリを食べる男だったり男娼だったりとどことなく気味が悪く胡散臭い人達ばかり。 依頼人である妻のりも情報が二転三転し、結果誰が本当の事を知っているのか、 この依頼は不明人を本当に探したいのかと色々考えさせられます。 結果めぐりめぐって調べ上げた洋の事はさておき主人公が、、、、となります。 物語彼の名前が出なかったのに納得がいきました。 ですが物語を読んで移動場面が少なく同じ様なところをぐるぐる回っている薮の中のもやもやした気持ちにさせる構成はすごいなと感じます。  | ||||
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| この長編には、底本となった「カーブの向こう」という短編がある。『燃えつきた地図』のエピローグは、ほぼ丸々この短編が充てられている。『燃えつきた地図』の大半は、エピローグに読者を導くためのものだ。他の方のレビューに「だらだらと長い」とあるが、そのような感想を抱く読者がいてもおかしくない。 人探しを依頼された探偵が、街の中で自分を見失っていく。『燃えつきた地図』はそれだけの話だ。ストーリーなどあってないようなもの。意味ありげでウィットに富んだ(ような気にさせる)警句も、猥雑な街の描写も、会話という名のモノローグをつぶやく登場人物たちも、すべては色あせ、書き割りのように立ちすくむ。 それでも、私はこの長編が大好きだ。負け犬のダンディズムが匂いたつこの長編が大好きだ。 エピローグに至って、主人公は何もかもを失う。いや、そうじゃない。最初からすでに失っていたんだ。彼はやっと気付いた。自分の影に目をそむけ、せいいっぱい虚勢を張って、いっぱしの常識人のフリをして、襲いくる不安を振り払ってきた自分に。最後に彼は微笑むが、それはなんの解決にもならない。 なのに、ここに至って読者ははじめて感情移入を許される。それまで強固に突っぱねられつづけた感情移入を。 もちろん、ただ戸惑うだけの読者も多いだろう。あなたはこの小説に選ばれなかった。それはとても幸福なこと。もうこんな小説のことなど忘れたほうがいい。 残念ながらそうではなかった読者は、これから何度もこの小説を読み返すことになるだろう。そして読み返すたびになにかを発見するだろう。それは不幸なことだ。 でも、そんな不幸があってもいい。  | ||||
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| ライナー・マリア・リルケ『マルテの手記』 「人々は生きるためにみんなここへやってくるらしい。しかし僕はむしろ、ここでみんなが死んでゆくとしか思えない」。そんなマルテの書き綴った言葉を思い起こした。 行方不明になることは、逃亡であり、田代が言うように疑似自殺なのだろうか。自殺を選べない卑怯者がやることなのだろうか?いや、「彼」は迷ったのだ。「ここではみんなが迷ってしまう」。ここ、都会という場所では、地図はもはや役に立たない。地図は無効なのだ。無効な地図を片手に、迷い、自分を見失ってしまう。 「ぼく」は、行方不明者の「彼」を追う。追うことができるのは、「ぼく」が迷いながらも、まだ地図の有効性を信じているからなのだが、「彼」を追うことによって、その地図の無効性が露になっていく。地図は燃えつき、「ぼく」は「彼」になる。あるいは、「彼」が「ぼく」になる。たぶん「ぼく」が追っていたのは、「ぼく」自身なのだ。 迷い、自分を見失った「ぼく」=「彼」は、救済者としての「彼女」を拒否する。「彼女」が「地図の外からの使い」ならば、「ぼく」=「彼」を救うことはできない。地図は燃えつきたままだ。「ぼく」=「彼」は、迷い続けるだけのことだ。手探りで地図を描き、「彼女」に辿り着く。それだけが「ぼく」=「彼」の救済の道なのだ。安部は「絶望を語ったわけで」はない。「出発」を語ったのだ、そう私は思う。 安部はリルケからの決別を宣言したが、この小説は、リルケへのオマージュなのだ、そう私は感じたのだった。  | ||||
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| 迷路を彷徨いつつ、依るべき地図を持たないまま、決まった区画で生きて行かなければならない現代人の姿を象徴的に描いた作品。作中に挿入される、作者の手書きの地図も印象的。 主人公は興信所の調査員の<ぼく>。根室と言う失踪した夫の捜索を依頼して来た夫人のために仕事をすると言う冒頭の設定は普通の小説らしいが、以後の展開は小説の体裁を逸脱している。失踪人に係わりがありそうな、夫人の弟でチンピラの親分が主役級で出てきたかと思うと、暴力沙汰で殺されてしまう。また突然、<ぼく>の別居中の妻が出て来て、<ぼく>と失踪人の立場が「逃げたまま、戻れない」点で似ている事に気付かせる。更に、失踪人と最後に会う予定だった田代と言う男が、失踪人に関する嘘をついたかと思うと自殺する。「存在する」とはどういう意味なのか。読者は、カフカ「城」よろしく、<ぼく>が失踪人に会う事はないと確信せざるを得ない。それでも<ぼく>は僅かな手掛かりで失踪人を追う。もしかすると、<ぼく>が追っているのは<ぼく>自身かもしれないのだ。「メビウスの環」のような展開である。また、作者の常の如く、本筋以外の日常描写に関しても精緻かつ論理的である。特に人間の視線と女体に関しては。このため、却って物語の非日常性が高まっている。結末で、<ぼく>と失踪人が逆転したように思えたが、様々な解釈があるだろう。 小説としてのストーリー展開を敢えて崩し、不確かな地図の中で「存在する」事の意義を問い掛けた秀抜な実験作。  | ||||
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| こういう読み方は正しくないのかもしれないが、憂鬱なときにぱらぱらと読んでいるとなんだかとてもホッとする作品。全体的に非常に重い不安感に包まれているが、それも含めて私にはぴったりくる(変な表現だが)。 散文詩といったら違うだろうけれども、ともかく筋の捕まえにくい作品だから、ストーリーの面白さを重視する人にはあまりお勧めできない。けれども、この作品の世界の核にいる、静止的、安定的世界を象徴しているような依頼人の女性の魅力。不安から彼女に引きよせられながらも、そこから抜け出して「自分の選んだ世界」を手に入れなければならないと自覚する主人公への共感、等々。とても自分にとって切実なテーマだとかイメージに満たされているような気がして、私は好きだ。  | ||||
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| 安部公房は嫌いじゃない。「砂の女」や「箱男」なんかは間違いなく日本、あるいは世界文学史に残すべき傑作である。 が、これはいけない。非常にだらだらした印象で、これならミステリを読んだほうがいいのでは? と思った。後半からの展開は伝え聞くところによるとわりと面白そうではあるが、そこにたどり着く前に挫折した。つまらない本は最後まで読めないので、やっぱりいかん。 そもそも、安部公房の文章はあんまり好きじゃない。…の多用と、やけに読点がおおくて、読んでいていらいらする。 もちろん、「砂の女」や「箱男」はそんな文章の好みを凌駕する技巧とサスペンスに満ち満ちた内容であると思うので、この小説にはがっかりだった。  | ||||
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| 興信所に依頼が届く。1年半前に失踪した夫の行方を知りたい(「砂の女」(新潮文庫)が一瞬脳裏をよぎった)。主人公が事情を聞くために依頼主である人妻を訪ねるところから話が始まる。最初から波乱含み。錯綜が錯綜を呼ぶ。直線を歩いているに過ぎないのに、そこは絶対に迷子になる迷路のようで、しかも出口がない・・・という不気味な不条理感が全篇を覆っている。結末部は意表をつく展開で、デヴィッド・リンチ映画の呪いのような不思議さがあった。いかようにも解釈できる内容で、「解説」を読むと「ああ、そういう読み方もあるなあ」と思った(ので、「解説」は先に読まない方が良い)。ある種の混乱が楽しめる人にはすごく面白い小説だろう。理路整然は求めぬが吉。 | ||||
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| ある女性に夫捜しを依頼された探偵の話だったのが、 それを舞台としていつのまにか観念的に。 そのまま探偵自身も何が何だったのかわからなくなり、 ふと、テーマがぼんやり脳裏に浮かび上がる。 正直よくわからない部分があったけれど、なぜか 物語の風景が今でも鮮明に頭に残っている。  | ||||
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| 結局何を理解すればよかったのか?そこが不明。内容は特に難しい話ではない。失踪者を探していた探偵がいつの間にか自分自身を見失い、結果的に失踪者になる、という話。自分の感ずるところでは、世の失踪者というのは、大体こんな感じで自分を見失い、自分の場所を見失う。そして失踪者になるんだよ、と言っているような気がするがどうか? もう一度読むとわかってくるかもしれないが、もう一度は読みたいと思わない話だった。  | ||||
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| 竹本健治「ハコの中の失楽」の中で、雛子という女子高生が面白かったと述べている。 自分としては、弟が殺されてからの展開が不満。そこまでは非常に面白かったのだが、いきなり終わってしまったという印象。  | ||||
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| 現代人の心に潜む陰と倒錯が反映されていると思う。川端康成の「東京の人」の俊三同様、蒸発(失踪?)する人の心は複雑である。しかも、「たとえ、探し出されても、問題は解決されない」のである。「砂の女」同様、最後が衝撃的である。なぜなら、あれほど望んだ砂の家からの脱出を、最後の最後に自らの意思で後回しにした「砂の女」の主人公と同様、主人公はついに一線を越えてしまう。というより、もうとっくに超えていて、戻ってくるのをあきらめただけなのか…? | ||||
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| 『砂の女』『他人の顔』『箱男』などと並んで、本作は安部公房の代表作の一つであろう。 安部公房はご存知のように生前は「ノーベル文学賞」の有力候補としてあげられていた作家で、世界中で翻訳出版もされている。 主人公の私立探偵がある女性から依頼を受けて仕事を進めていくうちに、次第に「追う立場」から「追われる立場」のようなことになっていき、どんどん袋小路にはまり込んでいくというストーリーだ。 本書は「不条理」と「存在」が大きなテーマになっているように感じるのだが、読者も同様にそうした問いの只中に置かれるので、そういう意味ではかなり哲学的な問題意識を持って読むことも出来るし、逆にそれが面倒な読者には退屈な本になってしまう可能性があるかもしれない。 「不条理」や「存在」というと、カフカの諸著作を思い出すが、『燃えつきた地図』はカフカほど観念的ではない。 またアメリカにおいて『燃えつきた地図』は「ニューヨーク・タイムズ」の「外国文学ベスト5」に選ばれていることを考えても、小説の内容が極めて同時代的であるとして受け入れられていることがわかる。 本書の内容やテーマ性は現在も決して古びてはいないと思うし、世界中の人々に影響を与えている著作であることも間違いない。 私個人的には、安部公房の作品の中でも最も好きな作品だ。  | ||||
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