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陰翳礼讃
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陰翳礼讃の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.39pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全77件 1~20 1/4ページ
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日本人の昔からの生活を、西洋生活として比較している 生活習慣、歴史の違いが面白いです | ||||
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『源氏物語』訳で、角田光代先生のものは、谷崎のものと違い主語が明瞭で分かりやすい、故に良いという投稿を拝見し、苦笑したものでした。良いか悪いかそれは好みにすぎず、主語を省くというのは谷崎が意識して作り上げた文体の特徴、方法です。元となる彼の文章は非常に読みやすく、味気ないくらいです。翻訳調です。初期の『痴人の愛』などびっくりするくらい読みやすい、素朴な文章です。内容はともかくとして。ためにコンプレックスを持ってらしたらしく、いろいろ工夫して、作り上げてゆくわけです。陰翳礼讃し愛しながら、陰翳に乏しい文体であったわけですから。そして、陰翳礼讃と堂々と謳えるまでになるわけですね。虚仮威しに見えなくもありませんが、本著に仕組まれたレトリックの効果は抜群です。努力家ですし、読書家な方です。そうはいっても、著者のものを、私はそう好みはしませんが。 | ||||
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中古品とは思えないくらい綺麗でした。 | ||||
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谷崎潤一郎が日本文化を形作る基本的な要素の一つとして陰翳(陰影)があることを、衣食住を中心にして美しい文章で綴った本、「陰翳礼讃」に、写真家の大川裕弘さんが谷崎潤一郎の文章を目で見えるような写真にして数多く掲載しています。 光と陰、いやむしろ陰が主役の写真は、ため息が出るような美しいロケーションや櫛や和菓子、家具など完成された純日本の品々は見つけるだけでも大変だったのだろうと思います。巻末の写真の説明を見ると中には超高級旅館もあって、非常に美しいけれど値段を見るとまぁいいや、と思ってしまいました。 谷崎潤一郎さんは本書のなかで陰翳の美しさを知っている日本人に対して、何でもツルツルピカピカにしないと気が済まない西洋人を対比していますが、何かの本で、パリにガス燈が大規模に設置されたときは「我々の夜を返せ!」と抗議デモがおきたくらいなので、陰翳の美しさもヨーロッパ人はちゃんと分かっています。教会やカテドラルの闇に差し込む光や荘厳なステンドグラスも陰翳があってのものです。 なので、ツルツルピカピカは西洋文化ではなくて、日本も西洋も同じ現代文化と置き換えれば良いかと思います。 私が最近感じたのは、満月の夜で満月は半月の20倍も明るいと言われていて、昔は満月の夜は月に照らされた夜を皆が楽しんだわけですが、今では街灯だけでなく飲食店などの電燈のおかげで満月でも新月でも誰も気にしないし、おまけに全員スマホしか見ていないので何だか貧しさを感じます。 本書にあるように、まぁ、こういうことを言っているのは老人だけで(とは言うものの谷崎潤一郎は当時まだ50歳前ですが…)、若者は拡声器(スピーカー)から音楽が流れて様々に照らされた空間を「オシャレー」と言ってわいがいがやがやと騒がないと子孫繁栄につながらないわけで、仕方がないといえばそうなのでしょうね。 | ||||
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センスの良い友人にプレゼントするものがなく、、、この本を差し上げたら、とっても喜んでもらえました。 日本の美学再発見! | ||||
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名随筆である。 京都の料亭「わらんじや」の燭台による照明の美、障子のもたらす日本家屋内の光の美しさ。。。 日本人が古来から親しむ日本の美・・・光と影の綾なす融合した美の空間・・・について、微細な感覚を以て書き上げた、古今の名文である。 | ||||
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写真と言霊の絶妙なバランス。 幼い頃の薄暗い厠を、走って居間に戻った記憶が蘇る。 暖かな、そして背筋がピンと伸びる一冊です。 | ||||
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やけに美文名文と誉めそやされる『陰翳礼賛』だが、この文章の巧みなところはそのエクリチュールの美しさの下に織り込まれた、当時の歴史社会的な文脈を読者に一向に感じさせないところだ。 特にあげつらうべきなのはしばしば登場する「われわれ」という言葉で、「われわれ」は、西洋に対する「東洋人」であったり、「黄色人種」であったり、はたまた純一な「日本文化」を保持する「日本人」といった具合に伸縮自在な概念として使用される。 純粋な日本文化を論じた文章かと思えば、かくの如く論の規模がアジアにまで拡張してしまう。 「東洋」という大きな枠で語れば当然ながら純一な「日本文化」を論じることは難しいはずだが、この文章では中国などからの日本文化に対する影響は巧みに排除される。 というか、西洋諸国との文化的差異を列挙するにもかかわらず、中国朝鮮との差異を全く論じないので、読者の側では「美しい日本文化」を論じた文章として読みながら、「中国朝鮮との文化的差異?まあ、うん...」といった風に読み進めざるを得ない。 中国朝鮮とは東洋という非実体的な観念で結ばれた、なんとなく日本と似ている文化圏で、なんとなく日本文化はそれらよりも純粋に独立して論じることができると言わんばかりなのだ。 敢えて左翼文学理論風に語るなら、1933年に発表されたこの文章の罪は、そんな風に中国朝鮮と日本とのなんとなくの同一性を検証しないまま語り進めることで、満州国建国を支えるイデオロギーであった五族協和(=満漢蒙朝日民族による国作り)と、民族間の同一性の演出による同化主義を文化的に補完するイデオロギー装置となってしまう点である。 しかし戦後も国語教科書にこの文章が残り続けることができたのは、日本人=単一民族という神話を日本文化を論じることで演出する文章でありつつ、中国朝鮮などを一見貶めないように見える「無害」な文章だからなのだろう。 こうも「日本文化」を疑わないレビューの数々をが90年後を健在であるのを見ると、谷崎先生のレトリック操作の技術に驚くとともに、疑いようもなく彼が日本語の達人なのだなぁと思わされる。 | ||||
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国語の本です。写真がきれいな本です。 | ||||
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当方、20代ですが、この本を読むの感性が磨かれると思います。 若い方に読んでいただきたいです。 | ||||
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素晴らしい感性と表現力で、興味深いテーマではあった。 だが、東洋美学の観点から他国文化である西洋美学などを悪例として引き合いに出し、批判して締め括るパターンが多く、それはいささかナンセンスであり低俗に感じざるをえず、せっかくの品性を貶めていると感じたので減点。不快な表現に萎えた。 薄暗い闇で生活していると性格も卑屈で批判的になる典型であろう。よって明るく鮮やかな我々の西洋美学の方が健全で優れていると西洋人から批判し返されても仕方無いなじり具合と挑発。 同じ日本人として、著者の代わりに謝罪致す。数々の無礼を御許しくだされ。 実際、殆どの日本人は国内に限らず色んな文化に興味を持っており、それぞれの良さを理解し生活に取り入れている。 他国の文化、他者の美学を批判しておきながら、自身の感性の正当性を日本人全体の意見として主張し、押し付けがましく失礼であると感じた。異国の文化や芸術に対する寛容性の欠如。世界中で戦争がなくならないのも無理はない。自分の美学/自国の文化以外は芸術として認めない心の狭さよ。もはや聞く耳を持たぬ頑固な老害臭すら感じる。 西洋には西洋の人々にとって大切な文化/美学/芸術があるのだ。 日本人特有の美学で西洋には理解不可能な概念だと決め付けているが、陰影や蝋燭の美学は西洋にも古から存在しているし、蝋燭やランプの歴史は西洋のが古く、現代でもその技術や芸術性は進化し、それらを日常的に愛用している人は日本より多いのではないか。ちゃっちい白い皿と罵った西洋の陶磁器も素晴らしい技術と美術的な価値がある。 著者は、芸術家ではなく、偏った美学と偏見の持ち主なのは読めば解るし、思想にも一貫性が無いのも解った。 美術に対し、広く深い見識を持っているわけではない。 能は暗い場所を前提に金糸の衣装を~という持論も眉唾物だ。 色の見え方について、いずれも薄暗い闇(屋内/夜間)という環境を大前提に、現代の西洋の電灯や歌舞伎と比較しておられるが、日中の屋外での太陽光は想定外のようだ。能は日中の屋外でも演じられていたし、正確な色確認は当時も太陽光で行っていたと思われる。武者も日中の屋外で活動する時間が多かったわけだが、ともすれば著者の仮説は崩壊するのだ。 西洋との比較対照は必要無い蛇足。 他者の芸術を悪例として引き合いに出したり、結局御自身は異国文明と原子力にあやかった設えの近代的な家屋に住んでおられるのに、本当はああしたかっただのという言い訳も見苦しいから無用。美学より利便性を重視した事実が総てだ。 禅わびさび等の概念を肚の奥底から理解しておられないようなので、ことごとく言論のブレが生じておられるのは致命的である。 決め付けや偏見を用いることにより、色んな意味で自爆してしまった。 外国か現代人に対して本を書くとするならば、東洋美学の魅力だけ淡々と語れば良いのだ。 せめて、他者の美学や文化を悪例扱いや批判などしなければ、幽玄で美しい美意識と精神性を伝える読み物に近付けたかもしれない。 美術的、学術的に価値のある書物かといわれれば、自分としてはさほど高度なものではないと評価する。 写真について。 写真そのものは優美で美しいが、文章の意図とは真逆のイメージを与える嫌味な写真が数枚あり、慇懃無礼。無頓着なのか悪意があるのか、原文や陰影を理解しているのか、本人に確認してみたくなるレヴェルである。 また、この写真はこの文章とリンクしてますよ~という引用は、繰り返しに該当し、素人の感性だというのが露見、たまもや美術的な価値を下げている。東洋美術に携わるならば、東洋美術を勉強してから踏み入った方がいい。 本筋からかけはなれた写真だと自覚しているから、あえて引用文を用いて紐付ける必要性があるとの思慮であろう。的確に的を得た写真であるならば、余計な説明は不要だからだ。 引用は野暮でしつこく、これまた押し付けがましい構成である。 著者は西洋の輝く銀製品などを批判していたが、輝く銀製品やらLED照明で撮影したであろう華麗な写真を起用してみたり、全体としてテーマに一貫性が無くカオスな本となっている。 中途半端な見識と美意識が垣間見え、当方の心が満たされることは到底叶わぬどころか、ざわめきという余韻を残す不快な結果となった。 | ||||
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文章と写真映像の一致がとても良いです。谷崎先生の感性が文章になっていますが、現代の私達には捉えにくい繊細な部分が映像化されています。読解を補助してくれます。 | ||||
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美しい写真が挿入されたことが何よりもわかりやすく素晴らしい。 内容は多少の主観を混じえ、頑固すぎるようにも思える信念を、日本の忘れ去られた心を感じ取れる、そんな作品。 | ||||
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まずもって驚くのは著者の文章のあまりに読みやすいこと。 1930年代に書かれた作品という事ですがつい先日書かれたような瑞々しい感覚を文章がいまだに持っていることに非常に驚きました。 流れるような平易な文章で当時を生きた人の感覚をそのまま伝えてくれている印象をほぼ90年後に生きている私に届けることが出来るというのはこれは本当に驚くべきことです。 「日本の建築の中で一番風流に出来ているものは厠かもしれない。」 「風流は寒きものなり」 「漆器の碗の良いところは暗い奥深い底に容器の色とほとんど違わない液体が音もなく澱んでいるのを眺めた瞬間の気持ちである」 「美は物体にあるのではなく物体と物体との作りだす陰翳のあや、明暗にこそある。強いてその醜さをみようとするものはそこにある美を自ら追いやってしまう」 「われわれは己の置かれた現状に甘んじ暗いことに不平を言わず返ってその闇に沈みこみ己の美を発見する」 「古人は女の紅い唇をわざと塗りつぶし豊穣な顔から一切の血の気を奪った。闇の灯りに浮き立つように」 「元来嘘を本当らしく見せるのはなるべく簡単に書くのに限る」 「小説の中の会話を読んでも一つ一つの単語に違いは無くても必ずジェンダーの違いの区別がつく」 「直訳体にならないで我々が純然たる日本風の表現を獲るとしたらむしろ原文より短いくらいになる」 「日本は元々ジェンダーの差を設けてあるのにわざわざ平等という名のもとに折角の国語の機能を滅ぼしている」 読んでいて面白いのは特別に「厠」への思いがあるとしか思えないほどトイレ事情に異様な情熱を燃やしている事だ。 これは海外旅行に頻繁に行く人なら非常によく理解できることだと思いますがトイレ事情ほどその国の文化を表すものは無いと言っていい。 そこを掘り下げて掘り下げているのは本当に面白いです。 そして解説ではこの陰翳礼讃を根底からひっくり返すような否定的な文章に溢れておりそれも本当に面白かったですね。 | ||||
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文筆に関わる方であれば、何遍も読み返す一冊であった。 他方で内緒にしたいが、「青空文庫」でも閲覧可能だ。 モニターでみるのは味家ないので、縦書き印刷できる環境があれば、 楷書フォントで原稿用紙風に起こしてみるのも一興であろう。 | ||||
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とにかく写真が素敵、写真集のようです | ||||
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「陰翳礼讃」など5篇のエッセイを収録しています。 特に興味深いのが「文章読本」です。本作は谷崎本人による谷崎文学・日本文学の案内書でもあり、 文章のノウハウや文学鑑賞に指針を与えてくれる内容です。 用語、文体、含蓄といったテーマに沿って、古今の名文の優れた点を指摘し、文章の書き方の工夫を細かく指南してくれます。 散文文学作品の読み方・書き方ガイドとしてもたいへん分かりやすく、参考になりますし、 文学の素養がない私も文学鑑賞をしてみようという気になりました。 本書を足がかりに、谷崎潤一郎の他の作品を読みたくなりますし、 漱石・鴎外・志賀直哉といった本書で称揚されている作家の作品を手にとってみたくなります。 素人にも文学鑑賞への意欲を湧かせてくれるお買い得な一冊だと思います。 | ||||
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日本建築の持つ陰影の美しさを、西洋との比較により説明しているため、日本と西洋の建築史を同時に勉強できるような内容でした。 淡々と説明が続く建築史の参考書とは違い、日本建築に落ちる光や影がどのように美しいのかが繊細に表現されています。 最後に谷崎とは逆の解釈があることや、この本が書かれたモダニズム流行中の時代背景が解説されており、建築を多方面見ることができて視野が広がりました。 | ||||
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写真が美しい!大きなサイズで見たいと思いました。 | ||||
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人気のある作家の文章ながら、途中で飽きた。 | ||||
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