蓼喰ふ虫
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| 谷崎潤一郎とその妻・千代と佐藤春夫の三角関係については、その新事実が、瀬戸内寂聴の「つれなかりせばなかなかに 妻をめぐる文豪と詩人の恋の葛藤」で明らかにされている(なお、同書p69によれば、寂聴の本の出版前に、谷崎の末弟により、もう一人の男の存在があった新事実は発表されていたが無視されていた)。私は同書の読後に、「蓼喰う虫」を読了した。 私は、本書は、てっきり三角関係が主題の小説かと思っていたが、小説の中心は淡路島の人形浄瑠璃(文楽)を中心とする文化の紹介である。本書は本文が241頁あり、その註解として53頁が費やされている。この註解により、小説に書かれている古典芸能などを中心とする深い背景が書かれており、谷崎の造詣がわかるとともに、この註解なしには、小説の味わいは浅いものになってしまうのではと思えるほどである。なお、この註解には、小説とは関係の薄い解説もあるが、それも蘊蓄として興味あるものが多い(例、「梅田」は「埋田」に由来する、p258)。新聞小説として連載された時の小出楢重の挿絵がすべて本書に掲載されているのも魅力。 「蓼喰う虫」は、谷崎が、「生計の苦労を知らずに、極めて悠々たる月日を過ごした」時に、「はっきりしたプランの持ち合わせ」もなく書き出した小説p314.進行形である三角(四角)関係を、本人たちの同意なく、新聞小説に書いているので、「蓼喰う虫」においては、この三角関係は、物語の背景に、時々出て来る程度の話であり、よって始まりも帰結もない。 谷崎にとっての女性と人形芝居に対するスタンスは、次の一文から女性蔑視と芸能に対する興味が明らか。「人形のやうな女(=妻の父の妾)を連れて、人形芝居のやうな扮装で、わざわざ淡路まで古い人形を捜しに来る老人(=妻の父)の生活におのづからなる安楽境のあることが感ぜられて、あんな心持になれたらばと思ふのであった」p192.「此の女を“四肢と毛なみの美しい獣”として卑しみ去ろうとする意志の下には、その獣身にラマ教(=チベット仏教)の仏像の菩薩に見るような歓喜が溢れているところをなかなか捨てがたく思うp205」。 本書の裏表紙には「互いに愛人がいながら離婚にふみきれない中年夫婦」と書かれているが、「蓼喰う虫」の内容は、妻の不倫は本気であり、夫の不倫はプロの娼婦のような」相手であるため倫理として外れる部分が軽いかのような印象を読者に受けさせる書き方である(「ほんの一時の物好きと肉体的の要求とから、いかがわしい女を求めに行くと云うことだけだったp134」)。これは谷崎の自分の立場を正統化するような姿勢の表れであるが、寂聴の「つれなかりせば、、」を読むと、それ以上のものがあることがわかる。同書によれば、谷崎は当時、の妻・千代の妹せい子を「思うままに調教するには、千代は邪魔(同書p11)」であった。一方、千代は「潤一郎に虐待されてすぐ泣き出すような小田原時代の千代とは別人のような雰囲気(同書p73)」が感じられるとあり、「蓼喰う虫」に登場する妻に一致する(「当時の千代はハイカラになっていて美しかった(同書p77)」「とてもさばさばした人で姉御肌(同書、p99)」。 千代の不倫相手は、佐藤春夫ではなく、和田六郎という人物であったが、寂聴によると、谷崎は「千代から六郎との恋の成行を詳細に報告させていたらしい。現実の恋愛を同時進行形で新聞に書かれていた」ため、「“蓼喰う虫”は実に怖ろしい小説である」(同書、p79)「谷崎は果たして悪魔主義なのか、真実悪魔なのか」(同書、p101)。谷崎は、佐藤春夫への妻君譲渡事件に際して、宣言文を発表する前に、「蓼喰う虫」を刊行していたため、世間は「谷崎の性的に不一致な夫婦の不幸という悲劇に、何となく納得させられた(同書、p94)」。 「蓼喰う虫」には、主人公の高夏という人物が登場するが、実はこちらが佐藤春夫をモデルにしたもの(同書、p113)。高夏は、妻と離婚する時に、最後の別れを惜しむために一晩中妻と泣いた(p71)が触れられている。ところが、これは現実には、谷崎は、佐藤春夫には千代と六郎の関係を土壇場まで隠し続け、千代が佐藤に相談するのも止めていた。ところが、谷崎は昭和4年(1929年)2月25日に佐藤宛に手紙を書き、二人の関係を明かしたところ、佐藤は千代のもとに行き、一晩中寝ずに語り明かし、千代は泣いた(同書、p102)というもの。つまり、谷崎はこうした事実を、自分の小説のネタに都合よく利用したということになる。一方、佐藤は、「蓼喰う虫」を読んで、「谷崎夫婦の間に新しく闖入して来た男の存在、決して自分ではない男の影を感じ取らない筈はなかった(同書、p114)」。六郎のほうは、千代が佐藤の前で涙を見せたことを曲解して、千代と別れてしまう(同書、p130)。 | ||||
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| 本書『蓼(たで)食(く)ふ虫』の書名は、 蓼食う虫も好き好き、ということわざの一部です。 省略された「好き好き」という部分が小説のテーマでしょう。 男女の不思議で厄介な「好み」(9頁)を、蓼食ふ虫のことわざに例えています。 本書『蓼食ふ虫』には、虫は登場しません。ペットの犬が二匹登場します。 1928年から1929年にかけて新聞に掲載された谷崎潤一郎の小説です。 約百年も前の新聞小説です。 すっかり変わってしまった現代の男女関係に参考になるのでしょうか? 本書文庫版には小出楢重の挿絵八十余点が、完全収載されています。 挿絵だけ拾い読みしても面白いです。 挿絵に導かれながら読めば、もっと楽しいです。 谷崎もこの挿絵を楽しみにして、 挿絵に励まされながら、この新聞小説を執筆したそうです。(318頁) 本書のカバー画と同じ挿絵が、101頁にもありました。 本書カバー画は、大きな犬の首に抱き着いた男の子の絵です。 犬の名前は、リンデイー。子供の名は、弘。 犬は、小父さんの御土産の「グレイハウンド」。牡犬。「一年と七箇月」(64頁) 「リンデイー。―――リンドバークのことだよ、ハイカラな名だらう?」(59頁) 「リンデイー、お前は鱧だとよ」(97頁) 顔が長いから、魚の鱧(はも)みたいな犬やなあつて。 散歩のとき出会った酔っぱらいのような見知らぬ人が言った。 弘は話の風向きを変えて皆を笑わせました。敏感で利口な子どもです。 本書の主人公は、愛のない夫婦の間に生まれた息子「斯波 弘(しば ひろし)」(57頁) 「小学校の四年へ行ってゐる弘」(20頁)。「十歳以上」(21頁) 「互いに愛人がいながら離婚にふみきれない中年夫婦」(裏カバー表紙)とは、 夫の要(かなめ)と、その妻の美佐子。 互いの愛人とは言っても、その愛は未知の疑問に包まれ、不確かなもの。 美佐子は「三十に近い歳」(18頁)。二十代後半。要と結婚して十数年でしょう。 「愛することは出来ないまでも慰(なぐさ)み物にはしなかつたつもりだ」(134頁)と 理屈っぽく夫の要が言うと、 「だけどあたしは、慰み物にされてゞももつと愛されたかつたんです」(134頁)と 受け答えをする妻の美佐子。 美佐子の不倫相手は、阿曽(14頁)という男。 美佐子は離婚後、息子の弘を引き取って育てるつもりはないようです。 この点について、阿曽と美佐子はまだ話し合いも合意もできていない様子。 ピオニーという名の、前から飼っているコリー種の牝(めす)犬(83頁)も、 御土産の牡犬リンデイーと共に連れて、阿曽の家へ行くつもりもないようです。 美佐子の父親は、京都に住んでいます。 その父親の妾は、お久(ひさ)(16頁)。二十二三(161頁)の京女(165頁)。 娘の美佐子より若い。(28頁) 「まことにお久こそは封建の世から抜け出して来た幻影であつた」(170頁) 要は幻影に囚われている人間です。 そして、要の従弟(いとこ)の小父さん、高夏秀夫(57頁)が 仕事に合わせて、上海から要夫婦の家に来てくれた。(62頁) 高夏だって、元妻の芳子さん(79頁)との離婚歴があります。(71頁) そして最後、「要はひそかに老人よりもお久の意見が聞きたい気がした」(250頁) 要はいつまでも幻影を追い求め続けるのでしょう。 | ||||
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