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平場の月
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平場の月の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.02pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全120件 61~80 4/6ページ
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宣伝が過度で、それで買ってしまった。内容のない本だ。 | ||||
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幼馴染がなんとなく地元で再会し、その時の状況を十分に理解しあいながら育む恋の話。まるで、「中学生日記」のようなコンテキストで互いの会話は進みますが、実際には、年を経て積み上げてきたそれぞれの人生と死を意識せざるを得ないことを薄々感じています。 題名のとおり、普通の人、普通の場所、普段の生活の中で起こる事件...。私も自分のことを重ねずにはいられなくなるほどの親近感を抱きました。 | ||||
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電車の車内広告が、気になり Amazonのレビュー見たら 高評価が目についたので 購入しました。 しばらく読んで中断しました。 ごめんなさい。 Kindleだとかさばらないので 埋蔵しておきます。 | ||||
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現代社会の下層に生きる五十代男女の純愛をリアルに描いた傑作小説。 | ||||
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どこの書評でも高評価だったのでとても期待していたが、途中で何度も投げ出したくなった。 ただの好みの問題かもしれないが、どうしても文体に違和感があったし、独りよがりな文章だと感じた。 変にカッコつけず、「青砥は」が全て一人称だったならまだ、マシだったかも。 須藤の言葉使いも汚くて、「えっ?こんな話し方の女性いる??」と全然感情移入できず。 内容は、生乾きの洗濯物の臭いがしそうなくらい(それを狙っている感がまた不快…)生活臭プンプンで、読んでいて鬱になりそうだった。 確かに人生の夕暮れを感じる年代ではあるが、周りの50代ってもう少し輝きと透明感が残っているし、もっと魅力的だと感じていたので、「あー、こんなふうになるのだけはイヤだな」としか思わず、とにかくガッカリ。 「50になるのも悪くない」と思わせてくれるような、深みと厚みある登場人物の話が読みたかった。 | ||||
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冒頭、結末に触れているので、推理小説好きには物足りない感じでした。 でも、読後にジワリジワリとなんだか分からない、満足感に浸れることができました。 | ||||
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子供の時には成立しない大人の純情と実は人が本来持ち合わせている優しさを掘り起こしてくれた作品。人として、経験を積んできた中での優しさの表現とそれを受容するかしまいかの葛藤。読み終えて、心地よいジレンマと大人としての振舞い、タイトル通りに平場の生活感から表現が残りました。 | ||||
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女性的視点での中年男女のストーリーのため、我々中年男性には面白みが無かった。 | ||||
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これは、恋愛小説だろうか。 闘病の記だろうか。 同級生の物語だろうか。 ページ数が多いわけではないのに、 とてもとても、深くこころに響く。 始まりに須藤の死を知る青砥。 そこから、青砥が思う、それまでの二人が描かれる。 記憶や、出来事から、それは当然時系列で語られるわけではなく、 重なって、繰り返して描かれる場面や、会話のやり取りがある。 そこが、とてもいい。 記憶にある中学時代の須藤の印象が、 今になって、深く理解できるあたり。 青砥の妻や母のこと。 同級生の物言いや、そのあたりのニュアンスで、 須藤や青砥が思うことを語るあたり。 いちいち、いい。 歳を重ねたからこその考え方や、行動。 とても納得がいく。 そして、ストーリー。 久々の静かな感動を感じた。 しみじみと心に響く良質な本を読んだ。 | ||||
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信頼する友人に勧められ、本当に久々に文芸書を買って読んでみた。 若いころのジェットコースターのような恋愛ではなくて、 中高年の静かな、生活に即した男女の心のやりとりが書かれている。 主人公のふたりは、ふと顔が思い浮かぶような人たち。 自分のまわりにもいるような。 病院での出会いというのも、やけにリアル。 私は好きな本を何度も読み返すタイプで、 これは何度も何度も読み返したい類の本ではないけれど(その意味で☆4)、 読んでよかった本だったことは間違いない。 | ||||
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一千万人の人生と、一人の人生の価値は同じだ。そう考えられる人がどれだけいるだろうか? 生きる平等性は、数の論理では絶対に割り切れない。多くの小説もまた、そうした価値観に立脚して書かれる。読者はその安心を文字を通して獲得する。 『平場の月』で言う平場とは、平らな場所、メリハリのない場所、特に目立った人生ではなくても、社会を形成する最も多くの人たちが暮らす場所のことを言うのかもしれない。北海道出身の作家なのに、この小説の舞台は、埼玉南西部の何本かの私鉄沿線、新座・朝霞・志木であるらしい。あまり目立った名前でもなく全国的な知名度は埼玉県民でもなければ、相応に低いように思う。ぼくは人生の一番多い時間を埼玉県民として過ごしたから、なんだか隣近所のように思えるのだけれど。 市井のそれも若さからは少し遠ざかってしまった五十代の男女の恋愛と、一方の発病という苦難を、これ以上ないほど誠実に、一人一人の命をなぞるように描いて、山本周五郎賞を獲得した作品である。 不思議なのは、最初の数ページで、青砥(男)と須藤(女)の物語のダイジェストが一気に語られてしまう。須藤の死までもが。青砥の目線で物語は始まる。須藤との再会。須藤は同窓生でかつて告白してふられたことのある相手である。二人は五十歳。これからの人生がたっぷり残されているわけでもなく、過去のできごとは彼らの背後に、まるで疲労のように蓄積している。 どのページを開いても切なさでいっぱいになる。自分のことではないけれど、自分のごく近しい家族とか友人みたいに、あまり距離を感じさせない、自分事みたいに錯覚を起こさせる物語なのである。そして人生の後半を生きる時間の重さ、というものもページの重さとしてそのままに感じられる。庶民、と一まとめに言いたくはないけれど、多くの平場に生きる人間たちの、その数だけある現実のひとつと向き合っているような。そういう二人の今を、応援したくなるような。拳を握りしめて。 そう。人生は、他人事ではない。ぼく自身、がんの発病とと向かい合った一年であったからこそ(無論その構図は今も未だ完全には終わっていない、須藤のように)、この作品の、意外にさらりと書かれている闘病風景と、そこに進行する五十代の男女だからこその誠実な恋愛風景とを、ぼくは彼らに寄り添うように読ませて頂いた。 本作が多くの人に読まれているのも、どこか自分に似たこと、自分がそうなっていたかもしれない運命、自分にこれから起こり得るかもしれない未来、そして何よりも重たい現在、を描いて、作品自体が市井の読者に優しく寄り添っているからなのだろう。そして定番としての女性の死という運命。 ネットなどで、作者のインタビューを読むと、作者は定番で勝負したかった、五十歳の『世界の中心で愛を叫ぶ』を書きたかった、のだそうである。三ヶ月ですらっと書き上げた。そしたらやはり作者らしい小説になっていた。納得。 厳しくも優しい小説である。二人でいる方がより強く感じられる孤独。厳しい心象風景の連続するなかに、確実に人が与えてくれる手のひらの温もり。繊細な小説時間の中で世界とのつながりを感じさせてくれる不思議な本であった。 | ||||
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山本周五郎賞受賞時、直木賞候補時の評価が高かったため期待を込めて手に取った。リーダビリティーが高く1時間ほどで一気読みした。「泣かない主人公の代わりに読者が泣く」の評判どおり、私は泣いたが、この涙はフランダースの涙を見れば自動的に流れる涙と同質で「そりゃ泣くわ」な当たり前の生理現象である。どちらかといえば感情を揺り動かされた部分より、何も起こらない日常の描写こそが見どころであり、この作者の特質なのではないだろうか。是非、この作者の他の作品を読んでみたいと言う気にさせられた。しかし、それは同時にこの作品一作ではなんとなく消化不良だった、と言うことに他ならない。 全体を通して、文章の端々から才気が匂い立つように感じられた。が、その才気について、この一作では全貌を計りかねたのだ。もともと捉えどころのない作風なのか、はたまた「難病もの」というパッケージが作者の作風にマッチしていないのか。 一作しか読んでいないため見立てちがいなら申し訳ないが、抑えた玄人好みの作風を持つ作者が「私、こんなものもやっちゃえますよ」「朝倉風世界の中心で愛を叫ぶはこうですよ」と嘯いているような印象が拭えないのだ。中二病を卒業し、大二病罹患中の精神構造を見せつけられたというような。あるいはもう少し戦略的に、通好みの達人が、売れそうな題材で「セルアウトした」ということなのだろうか。しかしそれにしては思い切りが足りず、初読者にもわかる作者のこだわりが見え隠れし、せっかくのわかりやすい感動を阻害する。 例えば、6月の別れのあと、青砥は須藤にいくらでも会いに行けた。家がわかっているのだから家の前で待ち伏せすることだってできたはずだ。もちろんその「行動しないこと」の違和感自体は、この小説の瑕瑾とはいえない。もっとも問題なのはその違和感が、小説内での諦念や悔恨として実感できないことである。「青砥が会いに行かなかった」のではなく、「作者が青砥に会いに行かせなかった」、「青砥は泣かない」のではなく、「作者が青砥を泣かせなかった」と感じさせてしまうのだ。難病もののパッケージを採用しながら、達者な作者の自意識が透けて見えてしまう。その中途半端さが消化不良の正体だ。 「難病」「低所得者の日常」「毒親」「不幸な生い立ち」「上品な抑えた筆致」エトセトラ。全てがハーモニーを奏でることなくそのままの形でそこにあり、「結局何が一番見せたいの?」と混乱したままラストを迎えてしまう。だから作品の印象もページをめくる都度変わる。是枝監督作品や初期新海監督作品のような静謐な諦念を感じたかと思えば次のページでは日曜の「ザ・ノンフィクション」みたいなどうしようも無い底辺の遣る瀬無さ、を感じさせられる。それがいちいち上質なのが始末に悪い。現実をそのまま写し取りましたと言われればそこまでだが、エンターテイメント好きとしてはある程度の「見せたいもの」の取捨選択をしてほしいと感じてしまった。 とにかく「なんだかわからないけど才能ありそう」な片鱗だけお披露目してくれたと言う意味で「セルアウト」は成功と言えるのかもしれない。おそらく私はこの作者を追いかけるし、初読者の入り口としてはなかなか美味しい作品であった。しかしおそらくこれは「難病もの」の最高傑作でもないし「朝倉作品」の最高傑作でもない。と、思うし思いたい。 ちなみに山本周五郎賞で選考委員の石田衣良氏が激賞した「文体の発明」は、残念ながら冒頭だけ。冒頭1ページを読んだ時、まるで「悪童日記」を初読した時くらいの胸に迫るような感動と期待を抱いたのだが、その文体はわずか1ページで終わりを告げる。なんらかの感動を呼び起こす装置としていつ再登場するのだろうかと期待して読んだが、最後まで姿を現さなかった。あれは一体なんだったんだ。どう言う狙いであれを発明し、お披露目したのかわからない。そう言う点を含めて、なんとなく焦点のぼやけた、手練れの試作品、みたいな印象で終始した。 | ||||
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読み終わった後も、切ない気持ちが余韻のように残りました。久しぶりにいい本に出会えました。 | ||||
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親の介護や自身の病気、50代になったからこその思いやりあふれる恋心・・・ 同世代でもあり、共感できる部分が多っかったせいもあり、 じんわり泣けた。 須藤の意固地な部分は、生い立ちによるものだとわかったが 青砥の気持ちが宙に浮いてしまい、あまりにもせつなかった。読み終わって思い出すたびに じんわり、じんわり泣けてきた。後味がやまない心に残る小説だった。 | ||||
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平場って地名?なのか? タイトルの意味がわからなかった。 冒頭のあたりが意味不明というか分かりにくく、 時系列が滅茶滅茶というか過去なのか現在なのか明記してないし 「巨漢」と書いてあるのに女性を指していたり、 うわぁ読みにくい!と挫折しかけたが やがて慣れてくるとスラスラ読めました。 切ないお話です。 50代の恋愛小説ってなかなかないし あってもセレブが主人公では感情移入できないが こちらは地方に住む普通の、ちょっと失敗しちゃった男女。 悲しくてちょっと甘いお話が読みたければどうぞ、ですね。 | ||||
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読み応えのある作品でした。良かったです。 残念ながら女性は亡くなるんですが、その後の展開が… | ||||
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恋愛対象の女性が癌で・・・、という物語は余程心地がよいのだろうか、何度小説や映画になったことやら。 主人公の須藤は中学時代に自立を志しそのために訓練までして、男子に強烈な印象を残し、その印象を50歳まで保っているという設定なのに、終盤に打ち明けられる経歴と生活保護の利用まで図る自立心たるや同一人格とは思えない矛盾に満ちてます。打ち明け合戦につきあう男の過去も同様のくずっぷりで、要するに割れ鍋に綴じ蓋のツンデレ小説です。 山本周五郎が草葉の陰で泣いている気がしました。 | ||||
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とにかく文章がうまい。その文章を読ませるために「小説」の形を借りているんだな。 そんな中、帯の「心のすき間を埋めるような感情のうねり」とか、「求めあう熱情」とか、「大人の恋愛」なんて表現はマイナスにしかなってないね。編集、頑張れよ。作品の価値を下げているぞ。 | ||||
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50代の恋愛物語。 地元同級生のあるある の面倒くささとか共感できた 情報通の同級生って必ずいる 笑 | ||||
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恋が叶ったばかりの頃に歯医者でぼんやり手にした週刊誌に朝倉かすみさんの恋についてのエッセイが掲載されていて、そこにこの本も紹介されていました。少しの間はのらりくらり迷いながら、でも絶対に読みたい気持ちになって、意を決して購入しました。 最後の少し前くらいから、涙すると思います。 昨日でも明日でもなく、今日の今の私の気持ちのまま読んで良かったです。 | ||||
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