ザ・ロイヤルファミリー
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| この作品は、現実の厳しさを描こうとする意図自体は理解できる。しかし、その“現実主義”があまりに徹底されすぎて、読者が感情を託す余地がない。メインの馬が毎回2位に終わる展開は、敗北のリアリティというよりも、報われなさの連続による徒労感を生む。 現実がうまくいかないことなど、誰だって知っている。だからこそ、物語の中でまで同じ現実を突きつけられる意味がどこにあるのか疑問だ。この作品は“現実の厳しさ”を描くことに執着しすぎており、読者は救済のない世界に長時間付き合わされることになる。作品に没頭するという行為は、現実の痛みを共有することではなく、そこから何かを見出すことのはずだ。 とりわけ惜しいのが、第1部ラストの有馬記念前、早朝の東京競馬場のシーンである。隠し子を待つ場面は、長い物語の中で唯一、父と子の再会と和解が実現する可能性を感じさせる重要な転機だった。しかし、子は現れず、再会もなく、すべてが空振りに終わる。この一点で、物語全体の情動が宙吊りになってしまった。 読んでいて「来ないんかい!!」と思わず声に出た。そして続く有馬記念でも、散々引っ張っておいて2着。「勝たせないんかい!」と再び叫んだ。第2部の最後でも結局2着だと知り、そこで読むのをやめた。“昇華されないカタルシス”に疲れ果てたからだ。 現実を再現するだけなら、それはノンフィクションで十分だ。フィクションにしかできないのは、現実の中にも意味や希望を見いだすこと。そこを描かない限り、どれほど技巧を凝らしても、読者にとってはただの苦行に終わってしまう。 主人公像にも難がある。父親と他人であるワンマン社長を重ね、盲目的に従う姿は「成長」ではなく「依存」として映り、共感を阻む。奴隷根性のような心理描写を成立させるための背景説明が乏しく、読者はその行動を理解するよりも先に拒否感を抱いてしまう。 総じて、“現実の再現”にこだわるあまり、物語としての情感や報われる瞬間が犠牲になっている。せめて一度でいい、勝利の瞬間を描いてほしかった。 | ||||
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| ドラマになったことで目に入ったので、かなりミーハーな気持ちでよんだ。 失敗した。そんな気持ちで読んで良い作品ではなかった。 本を読んでいると、あ、そろそろこういう展開になるなとか、泣かせどこはここかな?見たい感じでああやっぱりと思って涙腺をくすぐられる気持ちよさがある。しかし、この作品にはそれがない。 自然な形で感情を揺さぶられる。 現に物語が二部制になっている。そこで切り替わるのか、同見せ場を切り替えるのか。そこのフォーカスする視点が他の作品とは一線を引いている。 ただ最後の台詞に救われる。 | ||||
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| 父から子へ引き継がれる血と想い。その神々しさが競馬を通じて描かれます。 競馬好きなら読んで欲しい一冊です。 | ||||
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| 知らない世界だったけど、本当に面白かった。 | ||||
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| ドラマ化され、馬主が佐藤浩市、秘書栗須が妻夫木聡で始まっている。妻夫木聡が父親の意志を継げなかったことで泣くシーンが心に刺さる。「勝つ覚悟があるのか」という牧場主の気持ちがなんとも言えない。それを受けて立つ山王耕造。一緒に夢を作ろうとロイヤルホープと名づけられる。 本書は、競馬の物語。私は、競馬を一度もしたことがない。でも、なぜか、興味がある。むかしむかし、私の父親が競馬にのめり込んだ時期があったからだ。 この物語は、父と子の物語だ。父親の想いをどう受け継ぐか?競馬の馬主というものがどんな存在なのかが、よくわかる。そして、時代が変化する中で、どう受け継ぐのか? 映画国宝の『その才能が、血筋を凌駕する』という血と芸の葛藤があったが、競馬の世界は、血が重視され、その父親を超えることができるのか?が問われる。乗り越えられないものの方が多いのだ。 そして、牧場を手伝う加奈子の息子翔平は、騎手をめざす。山王耕造の腹違いの耕一は、最年少の馬主となる。 栗須は、税理士の父親の意志を継いで税理士になったが、父親から一緒にやろうと言われて、それに応えなかったことに、後悔をする。父親の想いが痛いほどわかるのだった。 そして、馬主の山王耕造の父親らしさに惹かれて、栗須は、秘書をやり、馬主とは何かを考えながら、競走馬の幸せとは、競走馬の血統とはを考える。そして馬主の継承について考える。栗須は山王社長の豪快で、かつ繊細な笑顔に魅了され続けた。 山王はいう「お前にはセリに出てくる馬の善し悪しがわかるのか? 結局、俺たちはカタログに書かれてある父馬の競走成績や、母馬の繁殖実績くらいしか見てないと思うんだよな。いずれにしても、俺には馬の本質なんてわかってない。 だったらプロを信用するしかない。こいつなら信用できるっていう人間と一人でも多く知り合って、そいつが『この馬はきっと走ります』って覚悟を持って言ってくるなら、俺はそれに投資する。馬に出資するんじゃない。その人間への信頼に賭けるんだ」 この言葉が、この物語の核心でもある。 競走馬のネーミングにはいくつかの厳格なルールがあるが、その最たるものは「カタカナで二~九文字に収める」ことだった。馬主は、年間所得が二年連続で1800万円以上、総資産9000万円以上でないとなることができない。 馬主資格を持っている人って2500人くらいいる。その中で個人で一頭でも現役の馬を持てているのは、せいぜい500〜600人くらい。 山王は、勝てず、稼げず、賞賛もされず。ケンカをして、人が離れ、インターネットでは罵詈雑言を浴びせられて。いったいどうして馬主になどなるのだろうという疑問は、膨らみこそすれ、解消することはなかったと栗須はおもう。 山王は、繰り返し言う。「馬にではなく、人に賭ける」「だからいつも言ってるだろう。馬を見る力のない俺は、人間に賭けるしかないんだよ。それだけのことだ」 そして、有馬記念に勝とうとするが、果たせない。そして、山王は歳をとり、老い、ガンで死に、それを受け継ぐ子がいた。そして、受け継いだゆえに悩む。 クリスは、「馬は勝つという結果でしか未来を切り拓けない」と翔平に言う。競馬は結果が、はっきりしているから、余計熾烈なのだ。その競馬に賭ける人生に、自分の人生を投じる。人生はチャレンジであり、ギャンブルなのだ。 競争馬の世界では、血統は「ブラッドスポーツ(血のスポーツ)」と呼ばれるほど重要視される。その理由は、競走能力や適性が遺伝によって受け継がれることが統計的に確認されている。競走馬の品種であるサラブレッドは、速く走る能力を追求して品種改良されてきた。現在の日本競馬界は、偉大な種牡馬サンデーサイレンス、そしてその直系のディープインパクトやキングカメハメハの血筋が非常に大きな影響力を持っている。ディープインパクトは、もう亡くなったが、子供だけでも1400頭を超えると言われる。子供達で競い合うのだ。 何のために、走るのか?走るためだけに、生まれたのか? | ||||
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