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平場の月
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平場の月の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.02pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全120件 1~20 1/6ページ
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読み難いのです。出だしの数ページから、どうにもややこしい場面・時間と筋の展開で戸惑いました。著者の頭の中では整理出来ても、独りよがりな文章で読者が戸惑うようでは物語と言えないのでは? しばらくして、やっと少し整理されたと思ったら、男女がそれぞれ「青砥」「須藤」と氏で呼び合い、セリフもお互いが男言葉としか思えない、少々荒っぽい会話が続きます。しかも客観的な描写もその調子ですから、どうにも読まされる方は違和感がある。そう感じたのは自分だけでしょうか? 後半になってそう呼び合う理由の様なものが、妹の口を通してぼんやりと伝えられますが、どうにも不自然です。第一に読者として男女を描いた小説の雰囲気が、その呼び合いでかなり損なわれていると思うのも自分の偏見でしょうか?会話でも客観的な描写でも、どこかで「名」で書かれていれば、より読み易い男女小説・恋愛小説の様になったのではないでしょうか? それにしても、この男女は「中学を卒業して35年」の様ですから、50歳でしょうが、どうにもそうは思えない。30代ぐらいのフリーター同士にしか思えない。50代ならそれなりの人物らしい雰囲気を作るのが作家の技量でしょうが、残念ながらぐるぐる同じ会話と場面が繰り返された様な、しかも後半は癌と闘病という平易な内容で引き回された読後感しか持てませんでした。 「たっぷりと世間の水をくぐったはずなのに炊き損じの米みたいな固さを残す~」(p36)「コップの中の氷が溶けていくように。いつしか消えた・・・妻はコップの中の氷を揺すり、小さくなった氷の音を立てていたのかもしれない」(p180)の様に、これは!と思わせる文章も書けるのに・・・山本周五郎賞と帯にあり、どうなものかと期待しましたが、誠に残念でした。 | ||||
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若い頃あのあたりのマンションに住んでいたので懐かしかった。名作です。 | ||||
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注文から受け取りまで迅速に進めてくれて満足です。品物もきれいでとてもお安い値段で購入できました。次回も利用したいと思います。 | ||||
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ぼくは朝日、が某有名中学の入試問題に出たときに、印象に残った作家さんなので読んでみました。 今の自分に心打たれる作品でした。「ぼくは朝日」のときに気になっていたあの”なにか”の直感が正しかったんだなと改めて思いました。 自分の人生の後半を見つめさせられました。衝撃です。 | ||||
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久しぶりに泣きました。 レビユーを見ると、肯定、批判いろいろですが、私は高評価をさせていただきます。 読み進めると、これは「虐待」ではないかとわかり、子供への虐待となると、私は数年前に、北海道南幌町で起きた、悲惨な「家族殺害事件」を思い出してしまいました。 しかし、それでも、主人公が、アンさんのように救ってくれる人に出会い、人生を生きていく様が読み取られ、勇気をもらいました。 また、アンさんが、なぜ自分から主人公を好きと言えなかったのか、その理由がアンさんの死によって初めてわかり、愕然としました。 「性的マイノリティ」だったというのも、今の時代を映し出していると思います。 「ありきたりな素人小説」と思う方もいるようですが、少なくとも私はこれを読み、泣き、(感動というものとは少し違うとは思いますが)「明日への勇気」をもらう。これで十分と思います。 読むことによって「人間の死」を直視する必要性を改めて感じ、大切な人を思う。そして、死はいつか来ると思いながらでも勇気をもって生きていく。それだけでも、この本を読む価値はあると思うし、この本は町田さんが出した「すばらしい良作」と思います。 | ||||
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私も、どうやって死んで行くんだろうと、不安になった。 | ||||
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凄く共感できる、という訳ではないのだが、なんとなく気になって2回読んだ。 主人公もヒロインも貧乏くさくてせせこましい。二人とも50歳ということだけど 枯れてる雰囲気はなんだか貧困老人のルポみたい。人生100年時代で、まだ半分生きただけなのに この未来のない感じ。これが平場ということなのか。それだけにヒロインの死もすんなり入ってくる。 夭逝という感じがせず人生を全て終えきった感じがするもの。 脇役に、主人公の同僚でヤッソさんという老人が出てくるのだがこの人物が実に良い味を出している。 頑迷で人間性が曲がっていて、でも人情味がある。主人公も嫌いになれず酒にしばしば付き合う。 狭い視野で地味な人生を生きる庶民の象徴のような人物である。 主人公がこの人物を見ている目線が、読者が主人公を見る目と同じで、入れ子構造になってるんだな と思った。貧乏くさくて惨めでも、なんとなく嫌いになれないのだ。 | ||||
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恋する男女の50歳という年齢を考えるとちょっと信じられないような 精神年齢の若さ(幼稚さ)に驚愕して、え、これって今の標準なの? とかえって自分を疑いたくなりました。 この人たち、団塊ジュニアの世代だよね。 読んでいるときに、何十年も前に読んだ「なんとなくクリスタル」を思い出し、感慨にふけりました。 日本もここまできたか、と。 大人の恋愛話(ということになっているらしい)なのですが、 語り手は自らを卑下して「平場」だの「庶民」だのと言う言葉を使っています。 こんな悠長な言葉を使っていられるのは、先進国で日本だけでしょう。 他の先進国の主要都市に話を移したら、庶民、じゃなくて貧民層。 ちょっと油断すると老年期にホームレスか生活保護、という階層の話です。 そして日本のマイノリティのお話です、きっと…。 物語のテーマとは大いに外れますが、私はしみじみ恐ろしくなりました。 | ||||
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中高年という年代に差し掛かった人間同士の恋愛がどう描かれるのか興味をもって手にとった。 期待以上、というか、期待を良い意味で裏切られた。恋愛小説でもあるが、晩年というものが視野に入りはじめる年代の人々がそれぞれに抱える来し方行く末、人と人の間で生きていくについて描かれているように思えた。 | ||||
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恋愛と病気という内容ですが、結論は中江有里の解説に結論が見え出せました。 | ||||
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久々に感動しました。 悲しいではなく、人間の『強さ』を感じました。 | ||||
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ここに出てくる人々は50代です。これまでがあり、これからを迎えていく男女の話しです。50年生きてきているから見えてくるものを感じました。 とても静謐な物語です。 | ||||
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青砥(あおと)は50過ぎの男。地元の総合病院に患者として来院した。そこで中学の同級生の女子、須藤と出会う。須藤葉子(あだ名はハコ)ともう一人の同級生、ウミちゃんは売店で働いていた。青砥は体内に腫瘍が見つかったので、検査を受けるために来たのだ。 中学3年の時、青砥の友人である江口が須藤に告白した。しかし、きっぱりと断られた。少し後に青砥も告白したのだが、これも断られた。須藤とはそんな思い出がある。 再会して、2人はLINEを交換し、無駄話をすることになる。青砥の須藤に対する印象は、相撲の横綱みたいに「なんか太い」というものだ。 2人とも、今は配偶者がいない。須藤は大手証券会社に勤めていて、結婚退職したのだが、41歳で夫が亡くなった。子どもはいない。 青砥は結婚していて2人の息子もいたのだが、妻が自分ではなく他人に、それも必ず男性に自分の家のことを相談するのを認められず、離婚することになった。 2人は焼き鳥屋でだらだらしゃべった。 2回目に会った時は店が開いておらず、須藤の家に誘われる。最初はそれはまずい、と言った青砥だったが、結局家に行くことになる。 青砥が離婚してアル中になりかけ、そこから脱した話をすれば、須藤は男に貢いで金がなくなった話をした。そんな中で2人は関係を持った。 青砥の検査結果は「異常なし」だった。須藤の検査の結果は陽性だった。進行性の大腸がんだったのだ。人工肛門までつけるというから、かなり進んでいる。明るい結末にはなりそうもない。 タイトルである「平場の月」の平場は、自分たちは平たい地面でもぞもぞ動く、ザッツ・庶民だという意味である。 私も父を大腸がんで亡くしているので、その大変さは少し分かる。平場とはいえ、そこにはいろいろな事件もあり、生きている当人は大変なのだ。読後、そんなことを思わずにはいられなかった。 | ||||
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強い女性像 | ||||
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酸いも甘いも噛み分けた、50代、経済的に豊かでない、老いと死への不安、孤独、離婚…。共通項があるのに皆目共感できなかった。 時系列バラバラで読者についてこいみたいな書き方。最初からヒロインは死ぬことがわかっている。プロポーズした時の、須藤のリアクションも容易に予測できる。 須藤の「〜だ」という言葉遣いに違和感。LINE、UNIQLO、セブンイレブン…これでもかと固有名詞の羅列。座面の高いひとりがけのソファ…平場に生きる孤独感の象徴なのか知らないが何度もでてくる。 先が読めて、最後の方は飛ばし読み。 帯には感動の声続々!らしい。 私の心の琴線には触れなかった。 | ||||
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大人のごく身近に感じられる恋愛をリアルに表現されていた。 | ||||
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結局、癌という病気のことでなく、人の思いは良いとか悪いとかはさておいて「どうしようもない」ということに気づかされる。 物語は青砥の思いを中心にして進んでゆくのだけど、目次タイトルは全て須藤の言葉で示されている。序章の「夢みたいなことをちょっと」と最終章の「合わせる顔がないんだよ」の言葉で須藤の気持ちが伝わってくる。切ないね。行き着こうとしているところは同じなのにね。東京周辺都市の町の片隅でのつつましやかな五十才の男女の思いの物語。恋愛小説として、かなり以前に読んだ姫野カオル子さんの「ツ・イ・ラ・ク」も拾いものの(失礼)一冊でこの本もそんな感じでした。 | ||||
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主人公がなにも言わずいってしまったのは、悲しかった。あまりにも潔すぎた。 | ||||
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出だしから時間・空間の錯綜があり、戸惑いがありましたが、これも著者のテクニックと思って読み進めました。50歳位と私より少し若い年齢の男女のゆっくりとした友情のような恋愛、変に格好よく描いてなくて好感が持てました。 ヒロイン須藤の言葉使い、少々違和感がありましたが、映画化されてセリフとして聴けば案外気にならないものかと思います。 内容詳細は他の方のレビューに譲りますが、靑砥が須藤の妹から聞かされた須藤の最期の言葉「靑砥検査に行ったかな」、この言葉に須藤の靑砥を想う気持ちのすべてが詰まっているような気がして何回読んでも涙が溢れます。 私事ですが、二年ほど前まで東上線沿線に住んでおり、単行本出版当時買うかどうか迷ったものの、結果的に文庫化まで待ってしまい転居後の先日購入して読みました。 やはり当時住んでいた近場の「空気感」を感じて読むべきだったと後悔しています。 映画化決定とのことで今度は後悔しないよう映画館で観ようと想います。 キャスト、私としては須藤役は永作博美、一択。 | ||||
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せつないです。若かったら頼れたかもしれない。 「合わせる顔がないんだよ」わかりすぎるほどわかります。 大人って不器用になってしまうんです。 自分もそうです。 | ||||
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