■スポンサードリンク
静かな爆弾
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
静かな爆弾の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.64pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全25件 1~20 1/2ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
俊平と響子の、静かな静かな、ラブストリー、著者の感性がほとばしる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
まさに読みたい物が読めた。 大きな事件もないのに読む手が止まらない。いつもの吉田修一作品と感心しました。 そして随所に唸る程の洒落たフレーズがあり、そこらの芥川賞授賞作より時によっぽど純文学と思えました。 ラストもよい❗ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
音、言葉がある事が普通。こんな音のない世界なんて考えたこともない。新しい体験。愛するって、素晴らしいんだなと感じられる作品。文字で無音の愛の世界を体感してみよう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
もちろん主人公の立場で読むと思うが、響子の立場になって読んでいる場面も有るかもしれない、自分は読み終えて直ぐそう感じた。 もう一度読み返したら響子の思考に成れるかも。なぜって響子が凄く強いある人と被っていたから、その人の思考が知りたいから。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
吉田修一の淡々系も好きです なにか大事件が起こるわけではなく フツーの日々が描かれてるのですが そのそこかしこにすてきな表現が散りばめられていて 戻って読み返すすてきな時間を過ごせます | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
時間の無駄にならない小説を読ませてくれる数少ない作家 西加奈子さんとなかが良いみたいだけど 雲泥の差 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
番組製作に関する仕事をしている男が、ある日耳の不自由な女と出会い、恋愛関係になり、仕事の忙しさからすれ違い気味になり、女と連絡が取れなくなったものの再び連絡が取れるようになる、という話。本当にそれだけの話。特にドラマチックな展開があるわけでもなくあまりにもあっさり、のっぺりとした内容。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
恋愛小説は、恋に落ちる二人の出会いがどれくら素敵なのかにつきると思う。それなくして、男女のすったもんだを延々と読まされるのは堪らない。始まりが良いからこそ、二人の結末がどうあれ感動を与えるのではないか。 吉田修一さん『静かな爆弾』の男女の出会いは、染み入るように恋の予感が表現されている。 テレビ局で働く早川俊平は、ある日公園で聴覚にハンディキャップをおっている響子と出会う。音で世界が隔絶されている二人。俊平と響子が惹かれ合っていく過程がとても自然だ。住む世界の全く違う二人が、偶然出会って恋をする。二人を結びつけるような出来事は何も起きない。二人のちょっとした仕草に、ときめきを感じさせるのが、吉田修一さんの上手さなんだと思う。 男女のどちらかがハンディキャップをおっている場合、読み物としては、恋愛感情の他に庇護者としての側面を描くことが多い。その手の作品はともすれば居心地の悪さを感じてしまうが、本作品はそうではない。文体が乾いているのもあって、湿度は極めて低いのだ。 俊平は怒りを沸騰させやすい男だ。そのために、過去の恋人たちとは破局をしてしまっている。しかし、響子とは、音を介して意思を疎通することができないため、気持ちをコントロールできる間がある。俊平にとっては、付き合いやすい女性なのだ。ある意味都合が良いとも言えるだろう。そのあたりがストレートに描かれている。 本作品は、俊平の心の動きを描いているため、響子の心のうちは読み取れない。大きな仕事に熱中するあまり響子とのすれ違いを繰り返す俊平。突然、響子は、俊平のもとから姿を消してしまう。理由がわからず俊平は、戸惑うばかりだ。響子が如何に大切な存在だったか思い知らされる。さてさて、二人の結末は ・・・ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読んじゃったぁ。 盛り上がりもなく? 静かで・・・。 ホロリと、泣けて。 気づいてないこと に、気づかされる。 わかっているつもりで。 わかっていなくって。 知らないことに。 知らないことばっかり。 で。 なんだろ? これは、何? アタシも気づく。 響子さんに会ってみたくなる。 けど。 アタシも俊平くんの母のようかも〜。 この二人の出会い方良かったよ。 耳の不自由な響子さん。 タイトルが意味深ですわ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
仕事が忙しく要領も悪く過去のいわゆる「ヒステリック」を持ち合わせた女とは上手くいかなかったけど耳が不自由で小動物のような「癒し系」響子には素直になれる、かつ仕事に手応えが出てきた自分に酔ってる感しか見えない作品。正直言って気持ちが悪い | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
印象的な響子との出会いの場から、全体のボリュームが少ないこともあって一気に読破したが、エンディングは尻切れとんぼのような気がしたし、 当初は、全体に何が作者がいいたいのかがわからなかった。その後、『女たちは二度遊ぶ』を読んで、何となく本書が理解できたような気がした。 いずれも、男女の関係のすれ違いみたいなことが、テーマとなっているが、本書では、響子が戻ってくるので一応ハッピーエンドである。 全体に読み進めながら、映画のように各シーンが鮮明に浮かび上がってきて、本書も映像化されれば面白いと思った。 文庫本の赤を基調としたカバーは、イメージと違います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
『パーク・ライフ』『悪人』で有名な吉田修一。 この人はいつも「書く人」として巧いな・・・と思わせる。 1つの事柄を表す言葉のチョイスも、物語を構成するフレーズも巧い、と、わたしは思う。 近著であるこの作品は“伝える”事を主軸に描いている。 中篇だが、最近の活字の大きさゆえ嘗ての中短編ほどの作品。 しかし、どのエピソードもずっしりしているので、非常に濃密な内容になっている。 TV局でドキュメンタリーを制作している早川は耳の聴こえない女性と出会う。 音の無い世界にいる彼女と暮らす事で、早川はそれまで自分が通り過ぎていたことの多さに気付く。 「ことば」を伝えること。 「思い」を伝えること。 普段何気なくしている(していない)事で気付くこと。 誰もが思い当たるであろうことを“耳の聴こえない女性”との隔たりと共に、主人公が追うテロリズムを含めた社会への関わり方へと拡げて行く。 加えて、主人公が住まうマンション等、卑近なコミュニケーションも世界を舞台にしたコミュニケーションと被せる。 この構成が良い。 結局、他者との繋がりに大事な事は同じなんだと。 とても印象深く、読み終わって充足感を味わえる作品であった。 何度も読み返したい作品でもある。 自分の置かれた環境状況で見え方が変わってきそうな気がする。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「言葉にしようとしても、浮かんでくるのはその光景で、いっこうに言葉になってくれない」 言葉ーというもののもつ力とその無限の可能性、そしてその限界について書かれているんだと思った。それを分かりやすく伝えるため、聾唖というヒロインを設定しただけで、この小説のテーマはあくまで「言葉」そのものであると。 言葉は、人を幸福にも不幸にもする。使い方を間違えると、凶器にさえ、爆弾にさえなる。 言葉は不用意に投げられる。悪意無く発した側が全く気付かなくても、受け取る側は深く傷つくこともある。 時に、時限爆弾のように、ある日、爆発することも。 言葉というもののみで不特定多数の誰かに向けて「伝えたいこと」を必死で伝えようとしている真摯な筆者の想いが、葛藤がストレートに書かれた作品だと、私はそう受け止めた。 これからも、きっと、素晴らしい作品を残していく作家なんだろうという期待をさらに持った。だから★4つで。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
テレビ局の仕事に忙殺されて、私生活を省みる暇もない主人公の早川俊平。 ある日、偶然に知り合った耳の不自由な響子に魅せられていく。 紙に書くことでしか意思の疎通ができないふたりの様子がもどかしくも巧みに表現さ れている。 音のない世界は優しく穏やかだ。 慌ただしい生活を余儀なくされている俊平は、喧噪から隔離された世界に暮らす響子 に癒されていく。 この物語の中では驚くほど音がしない。 その代わりに描かれる情景は色彩豊かで、その時々の空気まで感じられるよう。 そういった意味では実験的小説かもしれない。 こんなに静かな音のしない小説は初めてだ。 俊平の視点で話は進んでいくのだが、 読者の耳は響子が感じているであろう静かな空間を漂うという不思議な空気に包まれる。 響子とのかかわりの中で俊平は、言わなくてもいいこと、 伝えなくてもいいことを取捨選択していくようになる。 言葉の重みを実感していく。 「悪人」や「さよなら渓谷」に比べるとストーリー展開は地味で変化に乏しい。 俊平の意識の流れのようであって、物足りなさを感じる人もいるかもしれない。 また、吉田修一さんが意識的にしていることかもしれないけれども、 言葉を発することのない響子の印象が薄く、存在感がない。 幻のような、不確実な人間に描かれている。 そのせいで響子のミステリアスさがグッと増していることも事実だが、 その実、物足りなかったりもする。 心が通じることと、相手の素性を知ることはまるで別物であるという 現実にも起こりえそうな、ちょっと恐ろしい展開に 吉田さんの底力を見せつけられました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
響子に一緒に暮らすことを断られ、悲しいけれど心のどこかでホッとする俊平。 好きだけれど、突き進むことに躊躇するのは、危険やトラブルにみまわれてもその事実にさえ気づかない響子に対する恐れ。 愛する人をそんな危険にさらさらければならないことへの恐怖にあると思う。 気持ちを紙に書いてコミュニケーションをはかることには限界がある。 咄嗟に出てしまう衝動的な言葉は伝わらないし、早口でまくしたてればスッキリするようなことも書くための紙を探したり、 言葉を選んでワンクッション置いているうちに浄化されてしまうだろう。 そんなことから気持ちにズレが出てきてもおかしくはない。 耳が聞こえないという設定以外に響子の人物像が見えてこないのが残念。人物像だけでなく気持ちも見えてこない。 読者でもイライラするんだから俊平の気持ちが窺えますね 神宮球場の場面は喧騒が押し寄せてくるような感覚に襲われ、また不気味でもあり圧巻。 俊平の仕事の様子が詳細に描かれすぎてることに疑問を感じたけど、タイトルが「静かな爆弾」であることを考えると素直に納得できます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
悪人を読んでから、読んじゃったもんだから、少々物足りなさを感じました。 でも、吉田修一の恋愛小説ってこんな感じだったような気がする、と思いながら。 男性目線からなのか、それとも仕事バリバリ系の男主人公だからなのか、 どうもかわきすぎてて・・・。 最後も、そうか、そうだよね。そうだと思ったよ的な・・・。 恋愛小説は、もっとどろどろしてたりする方が好きっすね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
話し言葉っていうものは甘えや傲慢さを含んでいるものなのだと、この小説は教えてくれる。話し言葉には書き言葉にはないニュアンス、情報量が含まれていている。その“ニュアンス”を含めることが出来ない書き言葉であるメールの文章は、時に誤読を生む(顔文字はニュアンスを補完するための苦肉の策だ)。この小説の主人公の彼女、響子はしゃべることが出来ない(それにしても、この“響”という言葉は小説のテーマを象徴している)。主人公は、話し言葉、声、音といった情報が当たり前に存在する世界に暮らしていて、音のない世界に住む響子とのディスコミュニケーションに戸惑い、驚き、恐れを覚える。そして、響子と出会う前の日常が、いかにニュアンスに甘えたものであるのかを知る。まぁ、この小説の面白さは、話し言葉−書き言葉=ニュアンスあるいはノイズっていうものが、いかに豊かな情報であり、それを書き言葉、言語、文学に盛り込むことがどれだけ困難な作業であるかってことを、炙り出した点にあるんだと思うけど。ホットな話し言葉とクールな書き言葉は、まったく別のツールである、っていう。 それともうひとつ、響子が野良猫にハムを与える行為を、主人公は最初「偽善的」って捉えるんだけど、響子自身は「もしかしたらこの猫、神様かもしれない」って捉えている、そのコンテクストの差異。主人公はそれを「施してやる」「施させてもらう」って言葉に整理しているんだけど、これもニュアンスに頼って一方的に押し付けるのか、逆に少ない情報量からいかに相手の感情、表情を読み取るのかっていう、Push的なコミュニケーションとPull的なコミュニケーションの考え方の対置、相違を示しているんじゃないかな。 主人公は響子の世界を徐々に理解していくんだけど、小説の後半、仕事で自分しか見えなくなった主人公に甘えと傲慢さが芽生え、響子という存在を失ってしまう。結末はお楽しみだ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
物語の本線はテレビ局で働く主人公と耳の聴こえない女性との恋愛ストーリーです。 今までの吉田修一作品同様、環境や境遇の違う2人が紆余曲折を経て不器用ながらも恋愛を進めて行こうとする力強さが描かれています。 ただ本作ではシンプルな恋愛ストーリーの中に、タリバンによる仏像破壊の取材の記述を並列させることで、「外部に対する想像力の欠如」を主人公(と読者)に突きつけます。 途中、「大変なんだろうなとは思っていた。ただ、思うだけでその大変さを想像しなかった。」という文がありますが、遠い世界でおこる様々な出来事から隣に座る恋人の思いまで、 人はどれだけ強く真剣に想像することができるのかと問いかけてきます。 ラスト近くで主人公が遭遇する神宮球場の観客が、群衆の漠然とした想像力の無さのかたまりのようで、なんとも不気味に思えてしまいます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
内容は、少々難解だ。 まず、音の無い世界の不思議さに酔える。 公園での激しい喧噪と、満開の桜の美しさという、両極端のものが同居し得る、という幻想性がある。 そして、野良猫に食べ物を与える、という、何気ない下りから、話題が神にまで及ぶのには驚かされた。 この、神にまで言及するエピソードは、作品全体に、一定の意味を持たせている。 作品は、耳の不自由な女性との純愛や、番組制作のための海外取材を題材にしている。 しかし、本質的な部分は、別次元のところにある。 それは、目的意識の脆弱性だとも考える。 人の行動は、何らかの目的意識に、突き動かされて成される。 そして、脇目もふらずに、それを遂行する過程で、目的意識が揺らぎ、いつの間にか、他の目的意識が成熟する。 これは、番組取材の成功と、この物語の結末部分を読むと、なるほどと思う。 無音の世界の幻想の中で、人の心理のひたむきさを感じる。 そして、出来るなら、春に住みたい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
昨年読んだ「悪人」がとっても良くて、本作も期待して手に取ったのですが、 これは私には向いていなかったかも。 主人公・俊平のことは職場や仕事の細かい内容、 両親のことなどずいぶん説明があるのですが、 響子のことは”耳が不自由”ということしか特筆すべき事がないのが気になりました。 本書は”耳が不自由=彼女の特徴”と言うくくりでしかないので、 彼女が本来持つ性格や、歩んできた道のりが全く見えず、 なんだかぼんやりした内容だった気がしてしまいました。 俊平が「他人の会話というのはどうしてこうつまらないのだろう」と言う件があるのですが、私の感想はまさにそんな感じ。 ながながと赤の他人の話を盗み聞きしていただけでした。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!