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水曜日の凱歌
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水曜日の凱歌の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.15pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全23件 21~23 2/2ページ
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知られざる戦後の女たちの裏面史。終盤、ミドリの叫ぶ啖呵が痛快だ。「覚えておきなっ、日本の男ども!誰もかれも、女のまたの間から生まれたくせに、その恩も忘れやがって、利用するときだけしやがって!戦争中は『産めよふやせよ』で、戦争に負けた途端に、今度は同じまたを白人どもに差し出せとは、何ていう節操のなさなんだっ!女の一人も守れないで、何が日本男児だ、大和男子だ、馬鹿野郎っ!いいかあんたたちは、いつか必ず復讐される。(略)アメリカからじゃなく、日本の女たちからねっ!」 確かにだからこそ戦後の女は強くなった。だが戦争はだれが推進したのか?止めることができなかった以上、だれにも責任はある。女たちにも。(権力者が「一億総懺悔」を言うのとは違う。) 今から見れば無謀、としかいいようのない日米戦争、けれども勢いのついた暴走機関車はもう止まれない。 ミッドウェーからガダルカナルまで敗戦を重ねても講和せず、首都が爆撃され焼け野原になり、沖縄が陥落したのにそれでも降伏しない。いったいこの精神構造はどうなっているのだ? そして戦後70年が経ったのに、まだあの戦争の総括すらしようとしない。東京裁判で終わったことにしている。なぜ戦ったのか?なぜ負けたのか?戦わずに生きる方法はなかったのか?まずすべてに先立って、日本人自らが国としてきちんと総括しなければならなかったし、今でも最優先にすべきことだ。 反省しない人間は、また同じ過ちを繰り返すだろう。それがこの国の怖さだ。集団催眠ともいうべき暴走と無反省。 筆者がこの時期にこれを書いた意味を考える。やはり危険のにおいを感じているのだろう。 | ||||
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全作読んでいる乃南アサさんの最新長編です。 プロローグ 「その日も水曜日」 第一章 「新しい防波堤」 第二章 「占領軍が来た日」 第三章 「大森海岸」 第四章 「クリスマス・プレゼント」 第五章 「お母さま」 第六章 「再会と、そして」 エピローグ 「また水曜日」 で構成された525ページに渡る長編です。 主人公 二宮鈴子(にのみや すずこ)昭和6年生まれ 14歳 比較的裕福な家庭で過ごしていましたが戦争により 7人家族が鈴子と母の二人だけとなってしまいます。 その14歳の鈴子の目線で終戦間近、終戦直後の日本の女達の戦い お母さまと呼ぶ「つたゑ」の変化、さまざまな階層の女性たちの姿をリアルに描いています。 物語には実在した人物もたくさん登場し、耳にした事はあってもその実情を良く理解していなかった RAA(特殊慰安施設協会)の存在が丁寧に描かれ、組織として経営されていた事に衝撃を受けました。 生きる為に逞しく働く母 その母のおかげでよそに比べたら良い暮らしをさせて貰っていると自覚しつつも 思春期の鈴子から見た母は以前は敵性語と呼ばれていた英語を使った仕事をし あれほど忌み嫌い鬼畜と呼んでいたアメリカ進駐軍の将校と付き合う嫌悪する存在でもあります。 元々は素直で優しい鈴子が母の変化によってどんどん卑屈になって行きますが 空襲で右腕を失った幼馴染の勝子ちゃんと再会した時のやり取りは 切なさの中にも和みを感じるひとときで心が温まりました。 戦争と言う特殊な状況の中で生きていかねばならない女性たちが ストーリー全体を通して圧倒的なリアルで描かれています。 戦後70年となり徐々に戦争を語る人達が少なくなる中でたくさんの事を教えてくれる作品でした。 ノンフィクションの様な味わいを持つ読み応えありの1冊です。 | ||||
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読み始めたら、一気に読ませてしまう筆力。忙しいとか疲れてるとか、そんな言い訳をどこかにやってしまって、この作品を読んでしまった。作品に込めたメッセージも大事だが、作家にはまず読者に読ませてしまう力量が必要で、乃南アサさんはその筆力の持ち主だ。 2015年の夏の単行本化。特に作品の初めのところが今の私(たち)に必要なことなのだと思う。 この社会で自分の存在に意味があるとしら、それは何なのだろう。社会の一員であることなど、忘れた生活をしていないか。私の理性であろうと、感性であろうと、生きてこの社会の中にあるとき、それは私ひとりだけの理性、感性にとどまらない。忘れていないか。忘れたふりをして、安楽な日々によりかかって時間を過ごしていないか。安楽は、あっという間に失われることを70年間経験してないから、ぼんやりと生きているのではないか。 | ||||
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