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乳と卵
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乳と卵の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.35pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全74件 41~60 3/4ページ
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| 緑子は大人になることを嫌い、人が生きていくことに疑問を持つ。 精神が体を脱け出して、人間の肉体の不可思議さに興味を持ち、悩む少女は決して暗くなく明るさを感じるところがよかった。 人間であることに疑問を持つ少女から人間らしさが溢れてくる、そうやって生きていくことを少しずつ学んでいくのかなと思いました。 | ||||
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| 前評判を全く知らずに読んだからでしょうか、私は読み終わった後、しばし読書の喜びにひたりました。 女性として生きることの苦しさと切なさ、その中に確固として存在する誇りを感じます。 悩みもがくすべての女性に幸あれ。 | ||||
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| 多分、この作品・作風に合う人・合わない人極端だと思います。 関西弁で語っているけど、なんとなく北の国からの ナレーションを思い出してしまいました。 女性作者によるほぼ女性登場人物(わたし、姉、めい)のみによる母子の葛藤を メインに描いており、男性の自分には知りえぬ世界という点で 新鮮ではあったものの、おそらく偏った感性・感覚なんだろう と自分では解釈しています。吐き気を催す人もいるんじゃないだろうか。 最後、登場人物の母子が、たくさんの卵を自らの体で 割ってぐじゃぐじゃになりますが、 選択的緘黙を行っていためいが心からの叫びをしゃべりだします。 この卵、が意味しているところは何なのか?気になって仕方ありません。 | ||||
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| なんだか「横漏れしません」という生理用品のCMでも聞かされているみたいだ。「それではいままではヨコモレしていたのか」と怒ったのは山本夏彦であったが。―男たちよ、かってに女というものを幻想すんなよ。セイジョウだかコウキだかビレイだか、そういうものを女性の価値と結びつけんなよ。それを穢してそこから性的快楽を得るためだけに、一生懸命幻影を築いてるだけだろ。女なんて清浄でも高貴でも美麗でもないんだ、もっと生身の生き物なんだ―というような小説が繰り返し書かれ、「眠りかけた男たちと目覚めかけた女たち」によって支持されている。 「妊娠小説」が男流文学だとすれば、「生理小説」、これこそ「アンネの日記」にも通ずる女流文学。最後、緑子の悲しみが奔逸し、玉子まみれになるところは哀切である。 | ||||
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| 第138回芥川賞受賞作品。 ひとつひとつの文が異常に長い。文法的に見ればなんだかおかしな文の羅列。 しかし、それがまったりねっとりとした空気を作り出しているように感じる。 この手の文章は生理的に受け付けないはずなのだが、意外に読みやすかった。 頭の中に、ぬるっと入り込んでくる感じ。 ところどころ、少しだけスプラッタな表現がある。 私はそういうのは非常に苦手なので、読んでいて少し気持ち悪くなった。 読後感としては、「なんか生臭い感じ」。それが率直な感想。 面白く、さくっと読めたけれど。 | ||||
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| いつだったか、吉本隆明が現代日本の詩人たちについて、「彼らはもう書くべきことがない」という意味のコメントをし、その理由として「日本から自然が失われたから」と語っていた。残念ながら同感である。 そのような時代にあって、川上さんは貴重である。彼女にあっては自然が失われていないから。自然とは美しい山や川を指すのではない。いや、そのような認識ではもう我々は生きていけない。究極の自然は自身の肉体である。川上さんはそのことをよくわかっている。自然が感じられる限りは、つくりものではない感情もそこに宿る。 この芥川賞作品は、コンクリートの中で、生きものとして、ひからびてしまわないセンスを湛えている。 | ||||
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| 女であることを、こんなふうに、きちんとえぐりきって表現できる作家はとても少ないと思う。だって女は隠す生き物なのだから。救われるような感じといってもいいほど、書かれていることに共感できる。ただ、私には大阪弁であることが、はぐらかしのように思えたので、星ひとつマイナス。 | ||||
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| この文体には賛否両論があると思いますが、読みにくいと思うのは最初の10ページくらいで、あとは逆にリズムで読む感をつかめばいとも易しく読めます。情景描写や形容表現、オノマトペは非常に独特かつ想像に易く、一方の描写によって、他方の情景を連想させる力があると思います。おもしろいと感じるかどうかは小説に何を求めるかによって個々違うと思いますが、この文体や作者の哲学には刺激を受けました。 | ||||
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| テンポよく進むお話で、楽しい。 大人の女友達と話をしているような感覚で、メリハリある内容であり尚且つ心地良く読める一冊でした。 私は「先端で・・・」を先に読んで、それは関西弁がきつくて読みきれなかったけれど、こちらは適度に標準語が入っているのでまだ大丈夫でした〜。 | ||||
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| 川上未映子の芥川賞受賞作「乳と卵」は、豊胸手術をしたいと切望する母と初潮を迎える時期にきて言葉を失い筆談しかしなくなった娘が、東京の語り手(母の妹)のもとを訪ねたときの模様を大阪弁を基調にしたしゃべくりで書いた物語。前作「わたくし率 イン 歯ー」でもそうだったが、文体に独特の躍動感というか運動性があり、読んでいて快い。ただ、「わたくし率」の方が、統御しきれない言葉のきらめきがあったが、今回は評価を意識してか、意図的にまとめていったという感じは否めない。その意味では、多少不満がある。もっと書きたいように書いて、それがおのずと評価に――人々に届くということに――つながるのが理想なはずである。 豊胸手術に取りつかれたホステスである母巻子の姿は悲喜こもごもの姿といってよいが、そうした妄想から離れたところで生きられないのは多かれ少なかれどんな人間にも当てはまる。それはたんに「若く」ありたいというような簡単なことではない。どうにもついて離れぬ、自己の身体への妄想。乳首の大きさと黒ずみに悩みながら、それをどうにかしようともがく巻子は、生活が苦しいにもかかわらず豊胸手術の費用も、またその痛みをも気にするところがない。そんな言葉にならない人の思いの切なさと動かし難さを川上未映子は的確に表現している。 娘の緑子の方は、友達たちが初潮を迎え、自分の体が成長していくことを体感しながら、そうした「大人になること」をうまくいけ入れることができず、人間など生まれてこなければいいと考える。彼女は、母にもやさしい思いを持っているが、それを話し言葉で表現する手段を失い、ただ筆談というかたちで他者とコミュニケーションをとることができるだけである。自分のなかで卵子が成熟し、生理として排出されることを、その生と死のありようを、人はどのようにして自然かつ自明なこととして受け入ることができるようになるのか。少女の思いはここでもうまく言葉にできない。緑子はそのことを母の豊胸手術への違和感として感じてもいる。クライマックスで、酔った巻子に「お母さんは、ほんまのことゆうてよ」と叫んで、玉子を自分の体に叩きつけて割るシーン、母も一緒になって自分の体に玉子を叩きつけ、そこらじゅうが玉子だらけになるシーンは、まさに成長できない卵の死んで行く姿を象徴しているが、それが同時にこの二人の新しい人生へのステップでもあるという意味で、生を象徴していもいる。そんな言葉にならない生と死のあわいで生きるしかない人間のありようが「乳と卵」の描く世界なのである。 川上未映子は独特の感性をもった作家である。今回の大阪弁のしゃべくりでは、詳細に描写するあまり、ときに文体が弛緩している箇所があるが(たとえば生理用ナプキンを着ける場面)、つぎのような個所は全編の白眉といってもいい。 今日まだ一言も口をきかない緑子の唇のなかには、真っ赤な血がぎゅっとつまっていてうねっていて集められ、薄い粘膜一枚でそこにたっぷりと留められてある、針の本当の先端で刺したぐらいの微小な穴から、スープの中に血が一滴、二滴と落ちて、しかし緑子はそれには気づかず、白いスープのゆるい底に丸い血は溶けることなくそのまま滑り沈んでいくのに、やっぱりそれに気がつかずにその陶器の中身の全部を自分ですべて飲み干してしまう。濡れた、その薄い唇が合わさるすきまに赤い丸の輪郭がちゅるっと消えて、消えて、消えて、とやってると[……] この表現はするどい。作者はそれを意識的に使う技量をもっているが、全体の構成のなかでその場所を的確に定めるところまでは行っていないようだ。それができたとき、川上未映子の「長編」というものを私たちは読むことができることになるだろう。 | ||||
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| 話題性が無くなった1年後の現在、あえて読んでみました。客観的に受け止められるかなー、と。読む前から作者にはちょっと反感を持っていたし、オビに顔写真なんて売り方にもひるんじまいますけど。 読んでみると、なかなかいい作品でした。関西弁の饒舌体は、それなりに必然性が感じられたし、女性の肉体性について、エロスとは別な次元でこだわった面白さを感じました。豊胸手術とか小学生のかん黙とか、現代的な事象も盛り込まれ、母子の断絶と和解を適度な湿り気で描いていました。 作者は頭もセンスもいい人なんだなーと感じました。ついでに顔とスタイルまでいいところに、やっぱり少しむっとしますが。 | ||||
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| おもろい。才女やわぁ。文体が独特、読みにくい、という感想を持つ人は、昔の小説読んでないのかも。これってまさに樋口一葉。意味が掴みにくい人は黙読ではなく、音読してみるといい。よーくわかる。無駄な描写もなく、よく考えられた文章。しかも今どき人情噺。いいじゃない! 筆者は若い女の子じゃない。30歳の、哲学の好きな大人の女性。 こういう読み方ははやらないけれど、私が抱いた感じでは、この母はきっとあまりの生き難さに、子供を父親の手にゆだねたいのだろう。そういう自分の正直な感情に向き合うのが怖くて、許しがたくて、別のことに異様に関心を向ける。そういうの、長く生きてるとよーくわかる。娘は敏感にそれを感じ取り、早く大人になって母を助けたい、でも成熟した女になるのはいや、という感情に引き裂かれている。おかあさん、本当のこと言って、という叫びは、だから切実。大阪人情噺。新鮮! | ||||
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| 関西弁がネイティブなら、問題なく読めるはず。筒井康隆さんの唯野教授思い出すなぁ。町田康より、だんぜん読みやすいし、理性的すぎないでいいんじゃないかな。ところどころで入るエピソードや回想なんかも変にまとめすぎたりせずに投げだされてる感じが◎。前作から頻出する「〜部」って表現、使いたくなりません? 男性の僕にはテーマをちゃんと理解するのは難しいけど、言葉を追いかけること自体の快楽はたっぷり味わわせてくれます。 ユーモアやバランス感覚のある素敵な作家さんだと思いますよ。 挿入される緑子の日記部が秀逸。「ちゃんと話の時をつくらな、あかん。なんでそんなことするのかってあたしちゃんときけるかな、胸の話とかはしやんと、全部、ちゃんと、したいねん」 | ||||
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| 芥川賞をとった作品なので、読んでみようかと思い、借りてみた。タイトルが何を意味するのか、わからなかったのだが、読んでみて理解できた。ちょっと、奇抜な発想なので、目をふせたくなるようなシーンもあるのだが、物語の結末は、心に迫るものがあったし、それなりに、面白かったと思う。ただ、ちょっと、文体が読みにくいところが難点か。 | ||||
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| こういった文体は金井さんから町田、舞城王太郎といろいろいるけど、川上さんの文体が一番いいと感じた。 今後も頑張ってほしい。 | ||||
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| 文体の独特さは、賛否両論ですが、最初は読みにくかったものの、次第に古典を読んでいるかのごとく一定のリズムを持って心に落ちてきました。関西弁だからこそ、よかったのだと思います。 内容としては、これといったドラマチックなことは何も起こらない(最近の芥川賞の特徴ですね〜)ですが、女性ならではのある意味「えげつない」表現にびっくりしました。夜中に生理がきて、下着を汚したときの描写などは「なんとなく臭いを嗅いでみた」、など、普通の作家では書かないと思います。 この「女」をずばっと前面に押し出した作品は、怖いもの見たさもあり、今後も読んでみたいですね。 | ||||
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| 初潮におびえる少女と、自らの外見(乳頭の形)におびえる母親を、両者の間に入ることにおびえる母親の妹が語る。「女」におびえる女しかでてこない「おびえ」小説。この「おびえ」は作者がどこまでも突き詰めて書く小説に「おびえ」ているからでしょうか。意識と身体、言葉と意味という古めかしい構図から一歩も出ようとしないことも、樋口一葉という伝統的な「文学」に依拠することも、「おびえ小説」の小説への抵抗に見えてきます。「武装」している感じ。 典型的なのは、いわゆる饒舌文体なのに、しゃべっているうちに自分がわけわからなくなる、ということがないこと。いや、漢字をずっと書いているうちにその意味があやふやになったり、記憶があいまいになったりすることはあるけど「あー、あやふやだ」と思っている自分は保たれている。典型的な自意識保存小説です。「私」の一体感だけは保つ。そーいう意味では、これから「私」をつくろうとする若者には向いている作品かもしれません。 唯一、初潮前の少女の美しさにほれぼれする語り手(これもどうなの?性以前の女ってロリコンおやじの視線だよ)が、初潮のことばかり考えている少女の意識に感染するかのように、その夜、早めの生理になるところは興味深かった。意識のままにならないものが描かれた唯一の場面。ところがそれさえ生理の処理の失敗として、少女への教訓にしていくんだけど。どこまでも意識化。なんて啓蒙的な。 ラストの母と娘の対決を「言葉が足りない」と思って傍観している語り手の、「言葉でできている意識」を守ろうとする抵抗感が気になって仕方ない小説でした。だから芥川賞なのだろうけれど。余計なお世話だけど、哲学勉強してまーすっていう作品外の身振りだけは、あるところで思考を制限して分かりやすく書いている実態にそむいているし(それが悪いわけじゃない、これから人格形成する若者には逆にいいぐらい)、天然ぶりをさらしているのでやめて欲しい。。。だれか注意してあげればいいのに。 *2011年1月の追記 文庫化を機に再読してみると、男性原理に支配されたなかで女性はいかに思考することができるのか、という問題をめぐって、言葉で思考すること自体、いかに批判的にもせよ男性原理への依存になってしまうのではないか、ということを乗り越えるのが大阪弁との融合に求められていることに気付きました。標準語=批評言語=男性的、大阪弁=身体的言語=女性的。 5000円札の「たまごみたいな顔」をした樋口一葉が、ラストの卵の散乱や主人公の生理と響き合っていることを遅まきながら発見。受精しない卵(卵子)つながり。しかも生理以前の女の子へのお守り。やっぱりよくできている。 | ||||
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| 一般受けする作品はプリンかババロアのようなもの。口当たりよく、つるりと飲み込んで、お腹にたまらない。そこにうんと歯応えのある堅焼き煎餅が出てきたら、強烈な印象を持ってしまうと思う。そんな作家は好き不好きが分かれる。心理描写のおもしろさ、ただし「息継ぎ」しづらく、読みこなすのに根性が要ると感じた。☆は5つでもよいのだが、強い印象、すばらしい作家さんだけに敢えて辛く4つ | ||||
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| なんか「乳と卵」っていう題名が、いかにもどろ臭そうで、芥川賞っぽくて、手を伸ばさずにいたのですが、読んでみたら表と裏に隠された微妙な母子の関係がけっこうよくて、思ったよりするって読めました。ただ5000円札見るたび、この話思い出してしまいそう…な気がします。 | ||||
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| 最初の一行から最後の一行まで、一切の無駄も隙もない文章。ぐいぐいと読まされて、本当に新人?とびっくりです。前回の芥川賞で前作が候補になった時、町田康にそっくりと非難する声があったそうだけど……違うじゃん。単に大阪弁の語りというならむしろ谷崎潤一郎だし、作者本人は逃げも隠れもせず樋口一葉ですと言ってるんだし、多和田葉子が好きという言葉も出てくるから、おいくつですか?と本当にびっくりです。寺山修司とか岸田理生の匂いもするし、椎名林檎っぽい気もするけど、もうそんなんどうでもええわ、他のどこにもない、古そうでいて新しそうでいて、本当に凄い新人。凄いです。 たとえばもう、15ページから続く飲み屋街の描写ひとつとっても、饒舌というよりは本質のど真ん中を突くストライク。豊胸手術をしたがる母と、初潮を恐れる娘という設定にしても、その母子と語り手の距離感にしても、三日間のできごとがきっちり並べられた作品構造にしても、全てが満点。今日からファンです。 | ||||
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