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悪意の夜
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悪意の夜の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.83pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全6件 1~6 1/1ページ
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何年か前に、ヘレン・マクロイのベイジル・ウィリング博士シリーズ『家蠅とカナリア』を読んだが、残念ながら期待外れの作品だった。 それ以後『家蠅とカナリア』以外でヘレン・マクロイの作品を読んだことがなかったが、同じベイジル・ウィリング博士シリーズの10作目の本書『悪意の夜』(原題:The Long Body)が未訳であり、昨年刊行されたのを知って興味を持ち読むことにした。 この作品が発表されたのは、1955年(昭和30年)であるから、半世紀以上も昔に書かれたものである。 が、良い作品は時代を超えた普遍性がある面白さがある、と、期待して読みはじめた。 卒直に評価すると、読みはじめてすぐ、証拠となる書類だけを犯人が抜き取り、封筒だけ残していくという設定に違和感を覚えてしまった。 なぜ犯人は、封筒ごと盗んでしまわなかったのか、などと頭にこびりついたら読み進む興味がなくなってしまった。 めったに存在しない夢遊病者を物語の主人公にすることも気になってくるとページを繰る手が鈍ってくる。 これは評者だけの感想かも知れないが、残念ながらミステリとして出来の良い作品ではないと思いながら読み終えまた。 駒月雅子さんの読みやすい翻訳に敬意を表して星3ヶにしておきました。 | ||||
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ああ惜しい…というのが率直な感想。 夢遊病などマクロイ自家籠中の心理学的要素、恐怖や猜疑心の震えるような人物描写、夫の過去に怯えるヒロインと謎めいた悪女の対立など存分に道具立てが揃いながらも、プロットが熟成されることなく生煮えで、結末もやや尻すぼみの感がある。この倍の分量で細部を書き込めば更に説得力が増しただろう。 とはいえマクロイほどの手練れ故、導入部から中盤までのサスペンスの醸成は見事だし、物語の鍵となる手紙の隠し場所の意外性や、あまり知ることのない第一次大戦下の米軍の詳細な描写など美点も多い。なによりウィリング博士シリーズの長編の翻訳が全て成されたのは慶賀の他なく、ファンなら読む価値は当然ある。 | ||||
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謎かけはマクロイらしい非常に魅力に満ちたものであるのだが、名探偵ウィリング博士を登場させながら博士の扱いがぞんざいである事、「夢中歩行」やこの小説の原題である「the long body」という精神心理学上非常に面白い題材を扱いながら、作品にはうまく活かされていない事、サスペンスとしても本格物としてもあっさりしすぎている事で非常に中途半端な印象を受けた。 マクロイの作品は全て読んでおきたいというファンであればともかく、作者にこだわらず面白い作品を読みたいという方はこの作品はスキップしても構わないと思う。 | ||||
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好きなブロガーさんがヘレン・マクロイの愛読者で、興味をもって読むようになりました。 読むたびに凄い女流ミステリ作家さんがいたものだと思います。謎もサスペンスも描写も 素晴らしく、描写が綺麗です。めくるめく感覚に嵌ります。 でもこれでベイジル・ウィリング博士物の未訳作品がなくなったそうです....残念です。 | ||||
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ヘレン・マクロイ(Helen Mccloy)著、駒月雅子訳『悪意の夜』(創元推理文庫、2018年)1955年発表のアメリカのミステリー小説である。名探偵ウィリング博士シリーズの一冊である。このシリーズで日本で最後に翻訳された書籍になる。 原題は「The Long Body」。「長い身体」は本書で重要な意味を持っている。タイトルに相応しい言葉である。一方で邦題『悪意の夜』はサスペンスを盛り上げるタイトルである。 ウィリング博士が探偵役である。独特の存在感を醸し出している。真相究明のために重要な謎を解く。但し、一般の探偵小説の探偵役のような華々しい活躍はない。前半は全く登場しない。事件の謎解きの大半は手紙が明らかにする。正統派の探偵物と比べてキャラが立ちにくい役であるが、それでも印象に残る。作家の筆力のなせる技である。 英米のミステリーを読んで感心することは被疑者被告人の人権についての意識の高さである。親子の会話でも「この国の法律には有罪が立証されるまでは無罪と見なすという大原則がある」という台詞が出てくる(60頁)。本書は半世紀前の話であるが、現代日本よりも進んでいる。当時のアメリカには赤狩りがあり、決して人権保障の理想郷ではないが、何気ない会話に日本との差を感じる。日本ではアングロサクソンの法体系を弱肉強食的と否定的に捉える見解があるが、むしろ学ぶところが多い。 本書ではアメリカとメキシコの国境が取り上げられる。中南米はアメリカの裏庭と称されるが、それでも国境管理には緊張がある。トランプ大統領の国境の壁建設がクローズアップされているが、歴史のある問題と感じた。 | ||||
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1955年刊のウィリングシリーズ本である。原題はThe Long Body。帯にもカバーにも解説にもあるように、ウィリング・シリーズの長編の中で、最後に日本語訳されることになった本である。 では、ここで、一番最後まで未訳のままで残されていた理由を考えてみよう。 各方面にまことに失礼とは思うが、私見では、その理由は、ウィリングシリーズとしては、あまりできがよくない、どちらかというと平凡だからである。 ネタを割らないように、抽象的に書こう 一、謎の構成が弱く、意外感にも乏しい。 二、サスペンスが弱い。夢遊病も有効に使われていない。 三、メロドラマとしても、ファムファタールとしても、ゴシックロマンとしても弱い。 四、過去が重すぎて、ウィリングの登場場面が少ない。 というわけで、本書自体の評価は、星三つで十分と思う。 しかし、本書は、長年のウィリングファンまたはマクロイファンにとっては、各人に、なぜ本書が未訳のままで、残されてされていたのかという魅力的な謎を考える機会を与えてくれる貴重な本である。 よって、星四つとしたい。 | ||||
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