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遠い山なみの光
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遠い山なみの光の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.85pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全81件 41~60 3/5ページ
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読了後、推理小説を読んだのに結局犯人が分からなかったような違和感を覚えました。何か見落としているのではないかと思い検索したところ、こちらのレビューに「原文では終盤に衝撃的なストーリーの転換がある」というコメントを見つけました。Kindleに英語版をダウンロードして読んでみました。 私と同じようにすっきりしない読後感だった方は、終盤のシーン、文庫本で245ページ5行目の「その男(そのひと)」を「あの男(あのひと)」に、10行目「そう、ほんとうなのよ。行ってみて嫌だったらすぐ帰ってくればいいのよ。」を「約束するわ。行ってみて嫌だったら、すぐ一緒に帰ってきましょう。」に置き換えて読み直してみてください。 全編にわたり原文に極めて忠実に、美しい訳がなされていると思います。このシーンも決して誤訳ではありません。しかし日本人読者の多くは種明かしに気づかず通り過ぎてしまうでしょう。 | ||||
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イシグロの長編としては第1作。未読だったので読んでみた。訳者の小野寺氏は先日亡くなったばかりだ。 物語は現在と過去を往き来しながら、淡々と進む。その推進力となっているのが「会話」だ。この作品で語られる過去は戦後まもなくの長崎。原爆の余韻もそこここに残っている。そこに住む人々の会話は、正確な意味での日本人の会話ではない。外国人イシグロのイマジネーションが作り上げたメタ日本人の会話なのだ。話している女性たちはイシグロの両親と同世代だろう(訳者の小野寺氏も)。両親というフィルターの向こうに霧のようにたちのぼる日本の生活を丹念に描くイシグロ。それは不思議な(あるいは不自然な)トーンの映像となって読者のアタマに刻み込まれる。最後の締めとなる仕掛けともいえないさりげない作者の企みによって、なんともいえない読後感を読み手に残す。若書きといえる作品だが、その後のイシグロのエッセンスはここにほとんどあるのではないか? | ||||
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私は敗戦の時2O歳ですから戦後の混乱期のことが解ります。英国籍の人にあの時代の悲しみ。苦しみ。妥協して生きてきた人達のことが解るのかと?戦後生まれの 人達にはこの本を読んで、どれだけ理解出来るか?思います。久しぶりにあの頃のいろいろを思い出しました。随分勉強なさっていらっしゃるのでしょうね。この本を沢山の人に読んで理解して欲しいです | ||||
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日系人であるため、翻訳の日本文は読みやすく大助かり。また作家とある意味では、同じ境遇であり、同感するところ多し。 | ||||
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淡々とした日常風景の描写に当時の時代背景とそこで生きる人々の息遣いのようなものが滲み出る。 読後になんとも言い難い深い余韻を味わえる作品。 | ||||
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ノーベル賞の内容を理解すべく購入した 日系イギリス人、イシグロカズオの作品に初めて接し、幻想的、ポエムチックな表現ながら 人間や社会のあるべき姿を描き出す手法は日本人の智(血)が残っている人とは思えぬ 日本人にはありえない視点を持った作品と感じた 予定通り到着して感謝しています amazonn関連の書籍は全てキチンと対応してもらえるので安心です Kaz | ||||
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小生の拝読したのは原作の第二稿訳です。第一稿訳は読んでおりません。原作のタイトルの訳から見ると第二稿の方が明らかに素直で分かりやすい。長崎に住む女性達の日常のさりげない会話がしつこくなくくどくなく描かれている。彼のベストセラーになった最初の作品とのことで、新人の持ついささか初々しさが感じられ、青年石黒の抑制の効いた文体に好感が持てる。石黒氏のキャラクターが読める感あり。 | ||||
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長崎の描写は残念ながら、長崎らしさが全く伝わってこないので残念です。ですが戦後の長崎の様子が描かれている場面のあって、興味はありました。 | ||||
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おそらく作者が非常に手の込んだ謎をしかけて、わざと読者をまどわせようとしているのはわかるけれど、だとしたら、最後にはちゃんとあきらかにしてくれないと、すっきりしない。記憶のあいまいさとか、語り手の頼りなさとか、そういうことではない。なにか、作者の秘やかな趣味を外側からちらちらと見させられたような、一体なんなんだという消化不良感と、中に入れさせてもらえない歯がゆさが残ってしまった。 この作品は英文学の伝統にのっとっているのだろうから、そもそも日本文学的ではもちろんない。そこは面白かった、日本を舞台にした英国文学作品として。 しかし、もしかしたら悦子は佐知子で、恵子は万里子なのではないか、と思わせるように仕掛けることで、悦子と恵子のその後の人生は佐知子と万里子のその後の人生にはからずも似ることになってしまった、という皮肉、不条理、を表現したかったのだとしても、それはあくまでも作品の伏線のひとつで良かったのではないか。 そうでないと、あまりに弱すぎる、作品の発する力がまるでぼんやりとした薄明のように感じられてしまう(まさに、文庫本の後ろの短い解説文に『淡く微かな光』と書かれている)。それを、登場人物たちの現状や未来を暗示したり象徴したりしているのだ、と作者が言いたいのなら、その仕掛けはちょっとやりすぎじゃないか、そうぼくは思ってしまった。 【追記】 読後、数日経って、最後の仕掛けがずっと頭に残っている。やはり、カズオ・イシグロは優れた作家だ。うまい。こういう技巧の秀逸さが、イギリスでも評価されたのだろうか。 その仕掛けは、よく考えれば、なんてことないのだ。しかし、非常に効果的なのである。これによって、作品全体が俯瞰され、作者の意図がおぼろげに見えてくる。見事である。 先日のインタビューで作者が語っていた創作の意図は、この処女作からすでにいかんなく発揮されている。つまり、作者は、同じテーマを長い時間をかけて、深く追及しているのである。これはやはり、さすがノーベル賞を受賞しただけのことはある、と言わざるを得ない。他の作品も読むのが楽しみだ。 | ||||
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以前「日の名残り」を読んで良かったので今回は「遠い山なみの光」を買いました、まだ読み始めたところです。 | ||||
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何故悦子は、自ら佐知子に関わったんだろう?が一番の疑問点だった。 子どもの動向を心配して、までは分かるけれど、わざわざ構いに行く気持ち自体が分からなかった 訳文が上品だなあ、と、あとがきの「名前に当てる漢字云々」が一番興味深かった | ||||
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大阪出張にもっていった本が想定より早く読み終わり、 帰りの飛行機の中で読む本として、 空港の中の小さな書籍売り場でで買い求めた本作です。 イギリス人の書いた本です。 占領下の長崎の描写に実感が伴いません。 読んでいて苛立ちます。 これが作者の意図で勝利とも言えますが、 ほかに優先すべき本があるので、もうこの作家の本は読まないかな。 | ||||
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昔見た映画「東京物語」の原せつこさんを常に頭に浮かべながら読みました。 | ||||
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小説の筋立てとしての面白さがありません。 登場人物の内面に切り込んだ深みを感じません。 風景を思い浮かべることも出来ません。 ただ、紙を嚙むごとく読み進めました。 自分の修行が足りないという思いでした。 | ||||
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ノーベル賞が発表されてすぐに注文したのですが中々届きませんでした。 どんどん読みすすめる本です。 | ||||
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イシグロは小津映画に大きな影響を受けたと語っている。長崎湾を見晴らすアパートでの義父と悦子のやりとりは、まさに小津の代表作『東京物語』の尾道水道を見晴らす家での笠智衆演じる義父と原節子演じる嫁のやりとりそのものだと思った。 物語は追憶と現在を交錯させながら一種不気味な緊迫感をもって進んでゆくのだが、語られないことが多い物語だ。悦子は英国人と再婚しているが、前夫二郎とは離婚したのか死別したのか、英国人と再婚して英国に渡ったいきさつ、これらは読んでいて当然気になる事柄なのだが、語られることなく終わってしまい、消化不良感が残る。その辺は読者の想像に委ねられている形だが、作者が本作に込めたの意図は個々の登場人物のストーリーではなく、主人公のさまざまな追憶の断片を通して、人生や人間社会の不条理といったなものに焦点を当てることなのだろう。 長崎湾は低い山並み=Hillsに囲まれた坂の街であり、坂を少し上がれば山並みが目に入ってくる。昭和30年代の日本を知る人、長崎に行ったことがある人には、自身の記憶と重なりあい、懐かしさを伴って味わい深く読むことができるだろう。それはまた幼児期のイシグロの脳裏に強く刻まれた記憶でもある。 | ||||
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『わたしを離さないで』を読んで,なかなか力量のある作家だと思っていましたが,他の作品は積ん読でした。ノーベル賞受章を機会に第一作目から順に読むことにしました。まあ,途中で気分転換に軽いものを挟むでしょうが……。 会話が主体で話が進んでいくので,人物の背景説明が少なく,読者としてかなりの創造力(妄想,しかも正答がない)を発揮しなければなりませんでした。人間関係もセクシュアル(レズビアンも含めて)な関係があるのかとか,舅との関係が夫との関係にどこまで関係したのかとか,戦後の米兵とそれにまとわりつく女性(パンパンなんて呼んでいましたね)が米国へ連れて帰ってやると約束されたら実は既婚者であったとか,まあ妄想しまくりです。 訳者や批評家は原爆の影という読みをしていますが,深読みのような気がしました。たしかに長崎観光散歩のシーンはありましたが原爆の影が強烈にあったとも思えません。昨日,ハイデルベルクの本屋にやっと Kazuo Ishiguro コーナーができていましたが,ノーベル賞の「ノ」の字もありませんでした。ちなみに,この本の題名は『Damals in Nagasaki』。なんでやねんと突っ込みを入れたくなります。ハイデルベルクの聖霊教会のステンドグラス「物理学」は,赤を基調にアインシュタインの有名な公式が描かれ,下部には 6.8.1945 と広島への原爆投下の日付(なぜか長崎のはない!)が刻み込まれています。なんだか,気持ちがスッキリしません。 最大の疑問は,会話で話が運ばれるのに,長崎弁でないことです。まるで東京の山の手の奥さまやお嬢さまが会話しているようで,そんな土地柄じゃないでしょう。友人の長崎県人によると,藩が違うとまるで外国語というほどだそうです。世界文学全集日本代表の石牟礼道子『苦海浄土』を読めばすぐに理解していただけると思います。解説の池澤夏樹さん,いかがでしょう? | ||||
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たった今、読み終えた。眠れない、、、まるで悦子と佐知子が入れ替わったみたいに感じる。胸騒ぎがする。まさか、この二人は同一人物?種明かしのない小説?とても焦れったい。また、時間を置いて読んでみたい。あの悦子が英国で暮らしているのがシックリこない。 | ||||
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書籍が売り切れではじめて、KINDLEで購入しました すでに、半分以上、読破中 | ||||
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会話の訳が酷い。 日本人の訳じゃないのかと思ったが日本人だった。 テンポが悪かったり、センスがなさ過ぎる。 | ||||
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