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遠い山なみの光
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遠い山なみの光の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.92pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全20件 1~20 1/1ページ
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| 悦子という日本人女性が主人公だが、彼女は戦後間もなくの長崎で婚姻し子供をもうけ、その結婚が上手くいかずに離婚して英国人の夫と二度目の結婚をしイギリスに住んでいるという設定である。日本人の夫との娘(景子)を自死で失い、英国人の夫が先立った後にイギリスの田舎で今は一人暮らしをしているのだが、そこに久しぶりに二番目の娘(英国人の夫との子供ニキ)が訪ねてくるのである。悦子は長女の死を思いながら日本居住時の様々な思い出をそこにオーバーラップさせ、今と過去を照らし合わせて回想するというのが大まかな筋書きである。 この小説は会話のやり取りが非常に自然でなめらかである。小説らしい作り物めいた雰囲気がない。一女性の回想が過去の様々な出来事にあらためて意味を生み出している様な『今考えればこういうことであった』という想念を浮かび上がらせながら過去と現在を行ったり来たりするというストーリーである。かつては理解できなかった様々な事柄が今では自然に納得できる、というか今なら分かるという感覚なのである。 過去の記憶として、理解できなかった長崎時代の子持ちの友人女性(佐知子)とのいきさつがあるいは悦子のその後の人生のほの暗さを象徴しているともいえる。何の屈託もなかった最初の子の妊娠時代の青空が今の暗く寂しい人生の夕暮れと、それまでにかかわった人々とのやり取りが重なって今更訂正の利かない人生のエンドロールを見ている様な結末であった。 この小説を読んで川端康成の『山の音』とヴァージニア・ウルフの小説をちょっと思い出した。悦子と最初の夫二郎の父である義父の緒方さんとのやり取りは『山の音』の義父と嫁との関係、悦子の行ったり来たりの想念の流れはウルフの『灯台へ』の意識の流れ文学…でもこれらは見かけだけでおそらくイシグロは説明不要な現実の不条理な世界をそのままに描いたものなのだろう。 確実と思われていた世界が一瞬にして別のものへと変わってしまう不確実性に対して足場を失った人間の虚無感であるとか、頼りにならないものと分かっていて縋ってしまう人の弱さであるとか、守ってやれなかった保護すべき対象への後悔と懺悔とか、分かり合えるはずのない人と人の疎外感とか、この小説にはこんな材料があちこちにバラまかれているけれど、結局最後には何の救いも無いという想定外の結末である。まあそういう事だよね現実の世界は、と思うのであった。ということで、予定調和の無いそれこそ真にホラーともいうべき作品と感じたのである。 どうして二郎と別れたのだろうか?その伏線は会話の端々にはあるのだが、佐知子はその後どうしたのだろうか?佐知子の子である万里子は思わせぶりな悪夢の様に悲惨な最期を遂げたのだろうか?長女の景子はどうして家族と乖離して自死したのだろうか?など多くの疑問には作者は何の回答も用意しない。当たり前の結婚を否定して一人の女性として生きていく次女のニキが不意にロンドンに帰ってしまうというラストで、悦子の想念はそれっきりぷっつりと終わってしまうのである。 こういう小説って内容にかかわらずこれが一番不条理であると思ったりするのであった。つまり、小説の筋書きこそが最も不条理なのであろう。 | ||||
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| カズオ・イシグロの作品で、映画にもなったので、読みました。 友人が主人公と同じころ渡英しましたが、今も倖せにくらしています。 不条理の気分が流れていますので、理解しにくい点もありますが、映画ではより pail view がわかりやすいのではないかと、見るのを楽しみにしています。 | ||||
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| 読みやすかった。ニキの「お母さま」という呼び方など、原作を読んで確かめたいと思った。 悦子がどうして日本を離れる決心をしたのかがはっきりとは書かれておらず、他にも自分で想像して埋めないといけない箇所が多くて、そこを楽しめるかどうかで味わいが変わってくる。 | ||||
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| 登場人物、名前は日本人だけど感性も会話中の比喩表現も日本人離れしている。なんだかそれが妙に気になってあまり内容が入ってきませんでした。 | ||||
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| 今夏映画化されると知り、読んでみた。 全体を通して、誰のところでも何か起こりそうで起こらない、どの場面もずっと不穏な感じ。この空気感、温度感は今まで読んだカズオイシグロの作品全部(と、言っても3冊)似ているような気がする。 舞台は長崎だけど、自分の頭の中で描く風景はなぜか、広島のそれだった。 佐知子と娘の万里子を取り巻く事情、見え隠れする「アメリカさん」(この言い方は現在においてはNGなのかもしれないが)の存在とか、おいおい、と思わずにはいられないのだけど、こんな感じの母娘、当時は珍しいわけではなかったのかもしれないと思う。 一方、比して悦子の家は一見、順風満帆ぽいのだが、当時に家庭内における男女、上位関係において、義父のことを「緒方さん」と呼ぶのはすごく違和感がある。いくら「緒方さん」の息子の二郎と一緒になる以前からよくしてもらってたという関係だったとしても。変に勘ぐってしまった。 読後、巷の感想をあさってみると、悦子&景子=佐知子&万里子と解釈してる人が多かった。言われてみたらそんな気がしてきた。大した知り合いでもないのに、やたら悦子は佐知子&万里子にそこまでしてあげなくてもよくない?ってレベルで親切にしているし、あんな越し方で、佐知子が英語がペラペラというのも、おかしいし。 悦子と佐知子の対話になっているようでなってないやりとりが脳の表面を横滑りしていく気持ち悪さから、すぐに再読して確認する気にもなれないので、映画を見たらまた考えてみようと思う。 | ||||
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| 映画化ということで読んでみた。 戦後の暗い長崎の物語と、イギリスに移り住んだ後の暗い話が続き全体的に陰鬱な内容。 また、著者自身が日本語で書いていないので、日本語表現は訳者の力によるもの。 これが令和の映画でどう表現されるのだろうか。 | ||||
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| ありがとうこざいました。 | ||||
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| すでに戦争直後の日本人の価値観をリアルに感じることができなくなっていて、そのことがこの小説をさらに幻想的にしている。非日本語人が日本と日本人を描く不思議な小説でもある。 | ||||
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| 私は終戦半年前に生まれたが、実際の戦争は何も知らなく、戦後の生活の苦しさもさほど感ぜず、家族でも戦争は話題にならずそれが子供にとって普通であったと思う。学校の教育でもさほど戦争を強調した授業もなかったのである。それは軍事教育を体験した先生達が避けていたとも思わず、社会科の先生が「アカ」だという言葉の意味も解らないガキでした。イシグロ氏が1954年長崎に生まれ5歳より英国で育ち、この処女作にある長崎という戦後の時代を背景に、そこで暮らす人々を思い描き、英語で物語を紡いでいく過程に違和感と共に、外国の人々が敗戦国日本人の有様を、素直に読み取れたのかという疑問さえ憶えました。 | ||||
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| 長崎原爆にあった若い母親の主人公悦子、対象的な自我の強い母親二人の友人関係を軸に、その後、英国で再婚した悦子だが、次女の帰省に自殺した長女を思い巡らせるお話し。 | ||||
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| イシグロ作品の素晴らしさは、翻訳家の皆さんの力量によるところも大きい。 本作に関しては、別の翻訳家によるものも読んでみたい。 早川書房さん、どうぞよろしくお願いいたします。 | ||||
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| 送られてきたものは、予想していた通りの文庫本で、とくに問題ありませんでした。 | ||||
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| カズヲイシグロは私には何を訴えたいのかわからず、難しく、インターネットの解説を見ながら読んでいます。 | ||||
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| 大阪出張にもっていった本が想定より早く読み終わり、 帰りの飛行機の中で読む本として、 空港の中の小さな書籍売り場でで買い求めた本作です。 イギリス人の書いた本です。 占領下の長崎の描写に実感が伴いません。 読んでいて苛立ちます。 これが作者の意図で勝利とも言えますが、 ほかに優先すべき本があるので、もうこの作家の本は読まないかな。 | ||||
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| 何故悦子は、自ら佐知子に関わったんだろう?が一番の疑問点だった。 子どもの動向を心配して、までは分かるけれど、わざわざ構いに行く気持ち自体が分からなかった 訳文が上品だなあ、と、あとがきの「名前に当てる漢字云々」が一番興味深かった | ||||
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| 昔見た映画「東京物語」の原せつこさんを常に頭に浮かべながら読みました。 | ||||
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| 『わたしを離さないで』を読んで,なかなか力量のある作家だと思っていましたが,他の作品は積ん読でした。ノーベル賞受章を機会に第一作目から順に読むことにしました。まあ,途中で気分転換に軽いものを挟むでしょうが……。 会話が主体で話が進んでいくので,人物の背景説明が少なく,読者としてかなりの創造力(妄想,しかも正答がない)を発揮しなければなりませんでした。人間関係もセクシュアル(レズビアンも含めて)な関係があるのかとか,舅との関係が夫との関係にどこまで関係したのかとか,戦後の米兵とそれにまとわりつく女性(パンパンなんて呼んでいましたね)が米国へ連れて帰ってやると約束されたら実は既婚者であったとか,まあ妄想しまくりです。 訳者や批評家は原爆の影という読みをしていますが,深読みのような気がしました。たしかに長崎観光散歩のシーンはありましたが原爆の影が強烈にあったとも思えません。昨日,ハイデルベルクの本屋にやっと Kazuo Ishiguro コーナーができていましたが,ノーベル賞の「ノ」の字もありませんでした。ちなみに,この本の題名は『Damals in Nagasaki』。なんでやねんと突っ込みを入れたくなります。ハイデルベルクの聖霊教会のステンドグラス「物理学」は,赤を基調にアインシュタインの有名な公式が描かれ,下部には 6.8.1945 と広島への原爆投下の日付(なぜか長崎のはない!)が刻み込まれています。なんだか,気持ちがスッキリしません。 最大の疑問は,会話で話が運ばれるのに,長崎弁でないことです。まるで東京の山の手の奥さまやお嬢さまが会話しているようで,そんな土地柄じゃないでしょう。友人の長崎県人によると,藩が違うとまるで外国語というほどだそうです。世界文学全集日本代表の石牟礼道子『苦海浄土』を読めばすぐに理解していただけると思います。解説の池澤夏樹さん,いかがでしょう? | ||||
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| 年を取って読んだらまた違う見方ができるのか。 なんだか読んでいて疲れるような気がしました。 ショッキングな部分もショッキングにしてないしどこに焦点があるのか20代の小娘にはよくわかりませんでした。 | ||||
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| 日本を去り、イギリスに住む主人公・悦子は、 前夫とのあいだに生まれた長女・景子の自殺をめぐり、 その喪失感の中で自らの過去を回想します。 太平洋戦争が終わった直後の荒廃した長崎の様子と自身の孤独、 同じ長崎で、復興の兆しの見えたころ出会った アメリカ人と結婚をほのめかす不安定な女と心を閉ざすその娘、 老いてなお子どもに対して一言二言多い義父と前夫の未成熟な親子関係、 ゼロから興した蕎麦屋をはじめとする元気な市井の人々、 選挙権を得た妻をめぐる夫婦のエピソードなど、 混乱から脱していない社会と、 当時のイギリスから見ると(たぶん)人間としてまだまだ未熟な様相を ぽつぽつとちりばめています。 また、記述は少ないのですが、 自身の再婚の事情・渡英や 長女の引きこもりとの葛藤、 反抗期の次女ニキのとげとげしさを含め 惹かれるエッセンスが盛り込まれていて、 それを読者の想像に任せる余地を残して、詩的にまとめられた作風に仕上げています。 (読み落としたのではないかと何度もページを戻って読み返しました。) 筆者のひきだしの多さには感心します。 故意に現代と回想部分の時世を変えて惹き付けるという テクニックを駆使されています。 『』 『』 にみられる確実に伝達しようとする律儀さ・饒舌さは未だありません。 デビュー作。王立文学協会賞受賞作品。 | ||||
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| 冒頭で明かされた「私はついに佐知子のことがよくわからなかった」という悦子の言葉は、自身に対する言葉でもあり、日本的な価値観で見て当時は批判的だった佐知子と同じく、母というよりも女として人生を歩む決意するに至った過程を、彼女自身が不可思議と捕らえているとも思えました。女としての思いと、母としての思いに引き裂かれる女性の物語と言っても良いと思います。筋立ては良く出来ていると思います。 米兵とともにアメリカに渡った後の生活を夢として語る佐知子と、夫と子供と共にある自身の生活は幸せだと語る悦子、二人の会話が完全にすれ違っている場面は一つの山場だと思いました。また、佐知子の娘の万理子と悦子の娘の景子の人生が微妙に重なる点は、物語に奥行きを与えていると思います。景子の末路は明らかですが、万理子のその後は明らかではありません。文章化されていませんが、全く別の結末があったのかもしれないという悦子の疑念や後悔が感じられ、同時に女性が自分らしく生きることの難しさを感じさせる展開でした。 | ||||
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