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きれぎれ
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きれぎれの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.21pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全47件 1~20 1/3ページ
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本当にガッカリしました。芥川賞作品ですが、私の学生時代に読んだ他の芥川賞作品よりも、格段にレベルが低いです。(ちなみに、今、私は61歳です) 内容はナンセンス漫画のようで、あるいはまた、今どきの漫才のネタのようにも感じられます。この作家さんには一定のコアなファンがいるようなので、私の感覚が古いのかも知れません。しかし、私はこのような作品を文学とは呼びたくありません。これを文学と呼べば、歴代の芥川賞作品は穢されてしまう気がします。 「きれぎれ」の冒頭は最後まで、他の箇所とのつながりが見られません。これは主人公の夢の中の話なのでしょうか?そもそも、大黒天や吉祥天女が何故、無数いるのでしょうか? 確かに、言葉遊びが上手なので、その辺はミュージシャンでもあるこの作家の、言葉に対する独特の感性は感じられます。それが刺さる人には刺さるのでしょう。それで、一定のファンがいるのかも知れません。 細かい指摘で恐縮ですが、本文中、和太鼓を日本ドラムと表現している箇所が見られました。和楽器が好きな私は、この表現に不快感を覚えます。日本ドラムと表現すると、まるで和太鼓は西洋のドラムを真似したような意味合いにもとれます。和太鼓は西洋文化とは関係なしに、日本で独自に発展してきたものです。 「人生の聖」ですが、主人公が小ぶり小体なレストランで無茶苦茶なことをするシーンは、まるで、最近の迷惑系ユーチューバーのような話ですね。読んでいて不快な気分になります。 だいぶ否定的な意見を書きましたが、共感する部分もありました。主人公が会社内の理不尽な仕打ちに憤る箇所ですが、サラリーマンなら誰しも経験することではないでしょうか。 全体的に、漫画のような表現が多く、この作品が日本文学史に新世紀を切り開いたとは全く思えません。しかし、これがこの作家の作風でこれがすごく好きという方も、広い世の中にはいるのでしょうから、まあ、そういう方はこのような作品をどうぞ読み続けて下さい。 | ||||
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最悪。 支離滅裂な内容。 よくこんなんで芥川賞とれたな。 もう二度と読まない! | ||||
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町田さんの本を初めて読んだのは「告白」でした。その素晴らしさに感動したので、その後次々と町田作品を購入ました。 その他の町田作品も相変わらず表現が笑えて面白いなぁ~とは思ったものの、あまりに極端すぎてすぐに飽きてしまったのです。 私の理解力の無さなのかもしれませんが、どれも、正直何が言いたいのか(訴えたいのか)全く分かりませんでした。 結論ですが(私個人としては)、町田作品は「告白」だけが傑作です。 | ||||
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芥川賞受賞作である町田康「きれぎれ」を読んだ。読んだ。読んだ。あぎゅー。なんやねん。ばまりごんでるやないか、俺。僕。粋やの。クラウスの眼。と、いきなり町田康の文体(?)を真似てみました。町田康は短編、長編、エッセイ含め何作か読んでいるが、それらと比べてもこの虚実時空間がメルトダウンしたブッ飛びっぷりは濃厚。でも、悪くない。 賛否が真っ二つに分かれる作品。Amazonの書評などを見ると町田ワールド絶賛の一方で、訳が分らない、読みにくい、理解出来ない、文章が破綻している、だから途中で読むのをやめた、なんてのも多い。でもね、そもそも理解しようとするのが間違い。読み易く分かり易い小説を期待しているのが間違い。これは文字によるサイケデリック・パンクですから。 巻末の解説は「町田康は粋である。粋というのはそれだけで粋なのであって、解説を加えるなど野暮の極み。洒落を絵解きしてどうするか」で始まっている。極めて同感。己の凝り固まった理屈のフィルターを通さず、そのまま受け入れる。尊敬するブルース・リー先生の言葉を借りるなら「Don’t think.Feel!」(考えるな、感じろ)ですな。この作品を読むにあたって必要なのは。 | ||||
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あえて受賞作はあとまわしにしていたのですが、そうしておいてよかったです。 もしこれを最初に読んでいたら、拒絶反応からあの傑作「告白」を読み漏らすところでした。 前衛的であることは理解できるのですが、この作品を理解することは私にはできず、また、体言止めでぶつぶつ切れる「きれぎれ」の文体を感性で楽しむこともできませんでした。 ひと言でいうと、読むのは苦役でした。 | ||||
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えっとぉ••• 何でしょうか。あまりの意味不明さ、理解できなさに、私、頭がおかしくなったんじゃなかろうかと思い、そうか、私寝不足だ! と思って本を閉じ、よく眠った爽やかな午後にもう一度読み始めて、••• ん? ん? 数ページ読み始めてから、ん? ん? んんんんんん???? もう一度最初に戻って、町田康を勧めてくれた友人に、すみません、全く理解できんのですが! と、助けを求めたところ、【 きれぎれは正に幻覚なのか妄想なのか現実なのか、その境が曖昧で読んでいてかなり混乱する小説ですね。芥川賞受賞作ですが、町田康の小説の中でもかなり読みにくい部類だと思いますw 併録の人生の聖の方がまだ物語は追いやすいかな。小さな物語の連作ですし 町田康には色んなタイプの小説があるので、合わなかったら次に行っちゃってもいいと思いますよw 天才というか、天才なんでしょうけど、同じことしたくないんでしょうねえ…】 と教えて貰い、そうか、そういうことか! と思って、理解しようとしない、という姿勢で観念して読んだら、読んでる最中にクスっと笑えたり、主人公がライバルにお金を借りに行くのに必死に自分の気持ちを誤魔化し、偽ってる心情だったり、自然と共感もできたりして、いつの間にやら読み終えてました。 ピカソのゲルニカだな。何の説明も無しにいきなりこんな調子で始まる小説、ありなんですか! ありなんだなぁ はぁ、驚いた。 | ||||
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文章も内容も、私には合いませんでした。 わかる人にとっては、いい作品らしいです。 | ||||
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「きれぎれ」は、人間的にも社会的にも底辺を彷徨する主人公の、脳内活動が縷々つづられた作品。 男の嫉妬が露骨に描かれており、捩じれた感情が迸しる鬱屈した物語になっている。ジャンルとしては不条理文学に入るのだろうか。虚構と現実の交差するが、饒舌文体のなせる技か違和感はない。 ただ、この饒舌文体は、リズムがあわないのか眠気を誘われる。例えば、舞城王太郎、川上未映子ならば、ススっと入ってくるのだが、著者の場合はそうはいかないのだ。これは、音楽の趣味の違いに似ているのかもしれない。 | ||||
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芥川賞は大衆文学でなく純文学に与えられるものなのだから、読みにくいことと芥川賞受賞とは相反するものではない。 読みにくい大衆文学なんぞ言語道断であるが、純文学が志向する芸術性や前衛性において読みやすさの占める位置は(全くないわけではないが)かなり小さい。 読みにくい・一読してよくわからないことでなぜこんなのに芥川賞なんてという意見が出るようだが、これはあまりあたらないだろう。 芸術を解する(とされる)人物が大衆には見いだされないものを評価するということが賞の意義の一つであるのだから、エンターテインメントを求めて芥川賞作品を手に取るのは賢い選択ではないだろう。そんな人は直木賞を読もう。 意識を高めて挑んで挫折して酷評するのも楽しみ方の一つといえばそうなのだが。 内容については省略。あかんではないか。 | ||||
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町田康さんの作品って、破滅的ですよね。 破滅的な思考をもつ主人公をベースに、現実、非現実がぐにゃぐにゃで、理解するのは容易ではないです。 私も理解できたとは思っていません。 主人公は働いてもいなくて、金策にも困り、結婚相手の事でも悩み、不安や不満も鬱屈としていて、 それが返って、例えば見合いの富子しかりで(美人なのに、遊覧船を褒めたことで、妄想が突き進んでブサイクに見えてしまう。そして破談するよう破滅的な行動をした挙げ句、富子が結婚した後で、美しさに気付き横恋慕。奪いたいと思う)ちょっとした事で空想が暴走して空回り。 現代に生きながら、多数出て来る口語。昭和的価値観を持ちつつ、現代に生きている時代錯誤、そこも苦しみや空回りの原因なのかなあ。。。 いろいろな所で『きれぎれ』なんだなと思いました。 | ||||
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トルーマン・カポーティを思わせる文体がすばらしい。カポーティを超えているといってもいい。カポーティと比較することすら間違いなのかも知れない。これを生の日本語で読むことができる僕達私達はなんて幸せなのでしょう! | ||||
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言うまでもなく町田康の小説というものは理屈で読解したり語ったりするものではないので、ましてamazonで本のレビューをしたことのない自分が彼の作品についてあれこれ言うのは勘違いも甚だしいのですが、あまりに素晴らしかったので一感想を。 文脈も文意も通常を逸脱している小説は彼の出自になぞらえ音楽(パンク)に喩えられるけれども、たとえば大作「告白」は叙事的・叙情的な物語ゆえに長時間の演奏がプログレの要素を纏い、それは必定であるし、これまでにない絵巻的グルーヴ感が多くの方からの絶賛を得たように思うが、自分にはいまいち残るものがなかった。音楽においても瞬発と構築は馴染まないので。 一方で彼特有の、粉々に砕けた中から形のない音像が立ち上がる作品として、初期作や短編が結構好きだったのだけど、今作にあっては、滲み出る哀切が何より響く。平常運転でのシュールさ、おかしみも勿論良い。ただ、読み物としてのスタンダードを意図的に壊しながらその行間から絶妙な哀しみを鳴らすというのは、これは尋常な才能ではない。そのことをこの作品にあって初めて強烈に感じた。 分かり辛い物言いで恐縮ですが、音楽でも文学でも映画でも笑いでも、浮かび上がる哀切の感覚にひっかかりを感じる人であれば、数ある町田康の作品の中でも間違いなくおすすめの一作です。そして論理性や整合性よりも感性で物事を掴む人なら、きっと気に入ると思います。 今更ながらのレビューですが、これから読もうか考えている方がいらっしゃったら、一度手にとってみてください。収録されている二編、表題作も「人生の聖」も共に、非常によく出来ています。 (ちなみに順序が逆だけど文体や雰囲気は「苦役列車」を彷彿としますね。その類似性や相違性を読んで考えるのも時間があれば一興、かも。) | ||||
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太宰治が現代に現れて、思いっきり下品に開き直って書きなぐった、って感じですな。 文学的に高い評価を受けているようですが、私は嫌いです。プロの作家がこんな汚い日本語を使うべきではないと思います。 | ||||
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ひどすぎる。文章も内容もあったものじゃない。完全に破たんしている。…… こんな小説が芥川賞をとるようでは、同賞に対する違和感を覚えるのも当然だろう。 確か本作受賞当時、選考委員だった宮本輝氏が、 「何度も投げ捨てたくなる衝動と闘いながら読み進めねばならなかった」 と酷評していたが、それに強く賛同できる。 私もその「投げ捨てたくなる衝動」と闘いながら、なんとか読了することができた。 たかだか100P程度の小説がこんなに長く感じられたのは初めてのことだった。 (そういう意味ではコストパフォーマンスに優れている?)なんていう強烈なアイロニーが誠によく似合う作品である。 パンクロックですべき内容を、わざわざ文学作品に落とし込む必要がはたしてあったのだろうか? どっちつかずの中途半端な凡作である。 奇をてらった独特の文章は、ジャイムス・ジョイスやヴァージニア・ウルフ等の小説でみられる技法「意識の流れ」を思わせる部分もあるが、それらとは比肩できぬほどお粗末なものであり、不快感をもよおすこと必至である。 本作のように不快で誤った文学作品が、前途洋々たる若者のあいだにひろく蔓延することは、それ自体ひとつの脅威であり、文学界に暗雲をもたらす元凶である。 | ||||
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噂にはきいていた町田康、最初に手にしたのが本著だったのだがこれが実におもしろい。 偶然にもこれが芥川賞受賞作だったということも分かって納得。こんな文体は今まで接したこともないし、それは新鮮なおどろきでもあった。とにかくこの音楽的なリズム感といい自在な発想で際限なくパラドックスの世界に突入すると、ますますその滑稽さが浮き彫りにされ嬉しくなってくるのだ。読んでいて笑えてくるほどに楽しいのである。 百鬼園先生(内田百けん)のこだわりも相当なものだが、町田康は増殖するように次々と展開されどこまでもどこまでも徹底してズレていくから凄いのである。。 次は『くっすん大黒』を読むことに決めているけど、噂にたがわず最高レベルでおもしろいと思った。 「笑いとは瞬間的な優越感である」と定義づけた人があるけれど、このパラドクシカルな展開は日常とのズレを生み、笑いを誘う。それも裕福な家庭にありながら放蕩のすべてを備えたように浪費家で夢見がちな絵描きの「俺」の趣味はランパブ通い。高校を中途でやめてランパブで出会った女・サトエと結婚するが労働が大嫌いで当然のことのように金に困るという設定。 自分より劣る絵なのに認められ成功しそのうえ自分の好きだった女・新田富子と結婚している同級生の吉原に金を借りに行く羽目になる。 ここで持ち前のパラドックスが炸裂。思いがけないきれぎれのエピソードがフル回転となるのである。この一文だけで充分イメージしていただけると思います。 …俺はおまえの恵んだ金で絵具を買い、傑作をものにしておまえのいまの地位を脅かすのだ。そうなるとおまえの自慢の美人妻はもともとが計算高い女だけにおまえを見限るよ。わはは。その後、誰の元に走るのかは云わぬが花でしょう。これをみたか。これが俺の悪意だ。光にぬめる鎌草の復讐。鎌草少将の智謀によって吉原は結果的に終わるのである。(p100) アドリブ演奏のように自らをおとしめ「現実がなんだ、現実とは…」と問うように自分の日常を異化するのだ。だから、必然として“笑い”を生じるのかもしれない。 これは病み付きになりそうな不思議で稀有な名作と云っていい。 | ||||
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すえて臭気を放つナマの人間と現実を、幻妖な言葉術でえげつなくいじる痛快さにワクワク。 え?と思う一瞬を抜けると、第1頁から全身引きこまれて、うっとり眺めているのが実は派手に広げられた私自身の剥き出し”等身大”ハラワタだったとか、そんな感じの、日本では初めて見る、ばりばり、一種の、ファンタジー小説だが、ひょっとして古井由吉の角度をユーモア寄りにずらせたらありえたか? 実際、書き出しが『眉雨』そのもの。 ただ、理屈の柱に鎖でつながれた当たり前ジョークにしか反応できない人やカチカチ舗装の信号付き道路だけを正しく歩いていたい人には通じないだろう。 その類のご老人の鼻先で感覚バッタが跳ねまわるようなユーモアに、横顔深刻腹でゲラゲラ。 一見最悪にも近い幕引きなのに読後気分は明るいその仕掛けがどこにあるのか、いつか機会あれば町田さんにお訊きしたい。 | ||||
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本書は「きれぎれ」と「人生の聖」の二編が収められている。どちらの短編も、主人公は現状を打破しようと思うのだけれども、気力不足、身体異常、トラブル、反骨精神、プライド、そして運命のいたずらなどが障害になり、結局、前進しているのか後退しているのかよくわからないまま、疲弊だけが淀み、それが静かな絶望感を読者に与える。 とりわけ「きれぎれ」の主人公の燻りぶりは激しい。いわゆるぼんぼん育ちの主人公は、没落した後に、中流や大衆に自分を重ねることを拒み、あくまで自力で復活しようと試みるものの、なかなかうまくいかず、もがく。 凋落は、ボブ•ディランが「Like a Rolling Stone」で唄うように、それだけで美しいが、栄光への軌跡は無条件に美しいとは言えないのだ。「きれぎれ」の主人公の失望からは、そんな虚しいため息が聞こえてくるようだ。 | ||||
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ロックボーカルの彼が書いた著書が芥川賞をとったと聞き、購入した。 賞は審査員の偏見で決めるわけだけど、審査員変えた方がいいんじゃない。 この作品は読んでいて苦痛なだけだ。 | ||||
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はっきりいってどこまでが現実でどこからが空想なのかその境目が自分にはよくわからなかったし 読みにくいし読んでいても面白みにかけた 解説者は「洒落」とか「粋」とか言うけれど 私にはとてもこの出鱈目な文章が実は予定調和で文学とはとても理解できない そもそもこんな文章は売れないだろう・・・・ | ||||
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町田氏の描く主人公は社会に順応できず、順応しようとすると空回りしてますます泥沼へ。かなり共感できますが、池澤さんの解説によると、『勘違いした読者が主人公に心を合わせようとすればたちまち押し戻される。ついて行けないぜ。』と。でも、はまるんですよね。 | ||||
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