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スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編
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スタンド・バイ・ミー―恐怖の四季 秋冬編の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.30pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全71件 21~40 2/4ページ
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今や少年の成長物語の代名詞と言ってもおかしくないステーヴン・キングのあまりに有名な半自伝的作品。映画は原作に忠実だが、真夏の空気感やべたつく汗、登場人物の心の動きを体感できるのは、書物ならではだろう。(映画にはない、長じて小説家となった主人公の作中作は、続きが読みたくなるようなできである) それぞれに心に傷を持った4人の少年たちのロードノベルで、行方不明の少年の死体を見に遠出する、といういたって単純なストーリーだ。 旅の途中のちょっとした出来事で、軋轢が生まれたり友情を確かめたりするシーンは、ノスタルジックな感慨を呼び起こす。宝探しに似た遊び感覚が、現実に直面し変容していく様は、旅の終わりの結末として胸に迫まる。今やビルドゥングスロマンの定番となった、”あの人は今”で切なさ満開だ。 同時収録『マンハッタンの奇談クラブ』は、いわゆる百物語でこちらも切ない系ホラーとなるだろうか。謎が謎のまま終わる余韻を楽しめる作品だ。 | ||||
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Sキングはスプラッタホラーよりこういう話の方がずっと面白いね | ||||
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映画を見て読んでみることにした。 映画と比べて主人公一人語りが激しい。セカイ系かよ!文学少年め! これを読むなら映画も絶対見るべきだ。小説だけでも面白いっちゃ面白いけど、映画を見るならもっと楽しめる。キングちゃんの小説は映画ばえするしね。 | ||||
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子供の頃映画でみて、少し前にレンタルして観ました。 これまでも自分で買って観ていたのですが引っ越しが重なり見失い、この度家族にみせたところ、家族が気に入って今回本を購入するに至りました。 まだ読んでいませんが。 | ||||
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大人と子供の狭間で、理想と現実の間で、揺らいでいた。 諦観と受け入れること、肯定と否定、暴力と優しさ。 混沌とした現実の中で、何かを求め続けた彼。 僕はリヴァー・フェニックスが大好きです。 僕の心の中で、リヴァー・フェニックスと映画の中で彼が演じるクリスチェンバーズのイメージが、見事なまでに重なっている。 ある種の透明さを抱えたまんまでクリスは死んでしまった。そしてリヴァー・フェニックスも・・・。 この小説は半自伝的な小説だとキングは言う(ゴーディーは、後に小説家になる)。きっとキングは、実際にクリスのような友人(或は彼の中のクリス的なものだろうか?)を失ったのだろう。 そう読んでしまうのは、単純すぎるのだろうか? クリスチェンバーズのようなイメージがスティーヴン・キングの中でかなり大きな位置を占めているようで、それは刑務所のリタ・ヘイワース(映画『ショーシャンクの空に』原作)のアンディ・デュフレーンの中にも見て取れる。 このイメージは彼の中で何度も反復される。もしくはそれを失っても、あるいは失ったはずの何物かを大切に抱えながら生きている事が・・・。 僕自身はどちらかというとクリスよりは、ゴーディーに近い人間だと思っているが(もしかしたらテディーかも知れない 笑)、この小説を読んでいると、自分の中のクリスが、クリス的なものが、とてもざわめく。 | ||||
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この作品は、映画の印象が強い。原作は、ホラー小説の大御所キング、田舎町で、家庭問題、友情、学業、それぞれの悩みを抱えながら、地元の不良が殺した少年の死体を探しに旅に出る話、アメリカ的ノスタルジー! | ||||
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このスタンドバイミーを読んだのは高校生の時が最初だが、それ以来何度も読み返しています。 読み返すたびに新しい発見があり、読むたびに全く違った種類の感動を感じますy。 それは、作者の子供時代から現代まで抱いてきたいろいろな思いがぎゅっとつまっているからだろうと思います。 たぶん、また2, 3年後に読み返えすと、またさらに違ったものが見えてきそうです。 ぜひ、手元に置いておきたいし、いろんな人におすすめしたい一冊です。 | ||||
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少年たちが轢死体を探しに冒険するという、現代の感覚からすればちょっと変わったストーリー。 でも何というか、読みながら自分の思春期を振り返ってみると思い当たる節がちらほらある。 四人の少年たちは最初はただの野次馬根性やいささかの虚栄心で行動を始めるのだけれど(ここが本当にガキんちょっぽい!)、 冒険を進めていくうちに自分の振る舞い方とかを見つめなおすことになって、ただの純粋な子供たちの仲良しグループとしては どうしてもいられなくなってしまう。この感覚は思春期を経た人なら誰しも一度は経験するものではないだろうか。 そしてこの物語の圧巻はやはり、タイトルの「スタンド・バイ・ミー」のフレーズの意味が明らかになるところでしょう。そのシーンの 絶望感というか、カッコ良さというか、凄まじさというか、それまでの少年たちそれぞれの心境や状況の丁寧な描写を踏まえた上での あのシーンには何とも言えないほどの感情を覚えずにはいられない。 それとまた物語の背景も良い。まだ開拓の余地があって、列車が威勢よく走り回っていた時代のアメリカ、派手にほつれたジーンズと 瓶詰めのコーラが最高に似合いそうな(もっとも、これは私の勝手なイメージだけど)この舞台がこの物語に格別の情緒を与えている。 と、ここまで「スタンド・バイ・ミー」の感想を私なりに必死に語ったのだけれど、これでも星五つをつけずに四つにせざるを得なかったのは 本書の後ろの方にもう一遍の話があるから。こちらの作品にケチをつけるつもりはもちろん全く無いのだけれど(どちらも紛れもなくいい作品です)、 できれば「スタンド・バイ・ミー」の話を読み終えたあとの、あの冒険がすべて終わったという感覚を残したまま本を閉じて机に置いてしまいたかった。 「スタンド・バイ・ミー」は長編として十分過ぎるほどの出来ばえなのだから、これ単体で一冊の本として出すか、あるいは 「マンハッタンの奇譚クラブ」を収録するにしても掲載の順番を変えてこちらを本の前の方に持ってきてほしかった。 私個人の勝手な思いですし出版の都合等もいろいろあるのでしょうけれど、この作品が紙の本の良さを再確認できる類の作品だった手前、 純粋な読後感として私はついそう感じてしまいました。 | ||||
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この小説は宗教小説なのでは ユダの裏切りと思しきエピソードがあるし 死体を見つける場面は復活に重なる そもそもBODYとはキリストの遺体のことでは そう考えると大人になってしまった主人公が 誰にそばにいて欲しいのかわかるような気が | ||||
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ゴールデンボーイと同じ感想になりますが、映画より現実的ですが、 映画を先に見た人でもスタンド・バイ・ミーは十分楽しめます。 奇譚クラブは意外な方向に走り、強烈な印象を残しました。 村上春樹に似ているなと思いました。 また、この作品を「きみは赤ちゃん」を書いた川上未映子は読んだのかなと思いました。 キングを映画の原作者としてくくってはいけない作家と気が付きました。 只この4編は「トロッコ」通じるものがあり、女性はどのような感想を持つのでしょうか。 | ||||
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キングは比較的好きな作家だが、気になるところがあって読んでも楽しめないときが多い。過剰な純文学志向と、心の底に異常を抱えた感じが常にするのが引っかかる。 本書の前書きでキングは「ホラー作家のレッテルを貼られても全然気にしない」と書いている。これはかなり反語的で、「本当は純文学作品も書けるんだよ」と言っている気がするし、また彼の純文学コンプレックスの現れとも思える。 そのせいかキングの書くものは、ストーリー周辺が必要以上に煩雑で読みにくい(“ホラー界のナボコフ”を狙っているのか)。時代の雰囲気を表現するのにその時代に流行った大衆文化(ポップ音楽、テレビ番組など)を安易に当てるので、緊張感が崩れてしまう。 また異常性について言えば、それは後味の悪い作品が多いことに現れていると思う。 「スタンド・バイ・ミー」にはこの二つの問題が如実に現れている。 「恐怖の四季」4部作の秋篇で、1960年の9月、猛暑の夏休みの終わりに悪童四人組が遠い森へ探検にいく楽しい冒険物語・・・ のはずだが、目的は「子供の死体を見に行く」こと。後味のよいわけがない。映画化された「スタンド・バイ・ミー」の印象に引きずられがちだが、原題はザ・ボディ=死体、アブノーマルな話なのだ。 文学作品の中のすべての旅は「自分探しの旅」であり、また橋を渡り水に潜るのは再生の暗喩象徴らしい。4人の少年たちはまさにそれをやっている。しかし最終目的が死体では、少年たちの将来は暗い。 この物語は、唯ひとり生き残り、作家となったゴードンの回想という形式をとっている。回想には若い頃の文学修行や文学的テーマの追求などが挟み込まれている。しかしゴードンは結局、この先も“死体を探しに行く話”を書き続けるほかないだろう。 4部作の中でいちばん怪異の要素が強い「マンハッタンの奇譚クラブ」は、ねちっこい残酷描写が強烈な印象を残す。ゴシックホラーの雰囲気で読みやすく、伏線が巧みに張ってあるが、本題に入るのに時間がかかりすぎるのが難点。ナボコフ並に比喩や喩えが多すぎる。 全体が純文学的な二重構造になっていて、本筋の怪異譚が語られる場であるクラブ(の建物)自体にも不気味で得体の知れない謎があるところが面白い。この先、いったい何が起こるかという不安を感じさせる終わり方が文学的でよい。とにもかくにも4部作の中でベストの作品ではないか。 | ||||
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「スタンド・バイ・ミー」 レイバー・デイと新学期の始業の日に先立つ週末でもある金曜日の朝 行方不明だった少年の事故死体が森の奥にあるとの情報を掴んだ4人の少年たちは、死体探しの旅に出る その2日間を通して、誰もが経験する少年期の特異な友情、それへの訣別の姿を、成人して作家になった仲間の一人が描く、という形をとった著者の半自伝的な作品 映画をご覧になった方も多いことでしょう 特に有名なのは、少年たちが鉄橋で列車の前を必死に走るシーンでしょうか 私がよく覚えているのは 鉄橋のシーン 少年たちの野宿のひと晩 作中作のブルーベリーパイ早食い大会の顛末 死体を発見した時の年上の不良たちとのやりとり などです 少年時代の色々な感情が混ざった思い出を感傷的に綴った物語ではありませんね 目の前の出来事に夢中になり遊び回っていた少年たちの狭い世界 彼らの目に映る周囲の大人の狡さや矮小さ 親や兄弟への絶対的な愛情 やがて彼らは成長し、家庭環境の違い、価値観の違いから、別々の道=親が暮らすのと同じ世界に進みます あの日仲間たちと渡った川がまだ流れているように、少年だった語り手も変わっていくのです 「マンハッタンの奇譚クラブ」 ニューヨークのとある会員制社交クラブが舞台 このクラブではメンバーたちによって様々な物語がかたられる 特に、年に一度のクリスマスの夜には、とっておきの話が聞けるのです ある年のクリスマス・シーズンに80歳になる老医師が語ったとっておきの話とは… ホラー作品ではない、普通の2作 堪能させていただきました | ||||
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キング作品は読んだ事はないが、万人向けの名作の映画版が気に入ったという人は読むのを避けた方がいいかも。 映画は原作のひどい部分を抜かして、美しく映画化した物なので、原作の ひどい暴力や子供でも向き合わされる人生の不可避の酷さは出てきません。 そもそも原題からして、「スタンド・バイ・ミー」でなくて、「Body」(死体)なので、 言葉からイメージする通りのキングらしいえげつない内容です。 大人もクズみたいな連中ばかりしか出てきませんし。 底辺層・ロクでもない家庭環境に生まれ育ったり、ひどい障害を持っていたりと、 マトモな未来など有り得ない十代前半の少年たちは、一夏の死体探しという冒険の後に何かが変わったか? ・・・ジュブナイルや青春小説のような爽やかさ・暖かさは微塵もありません。 なんか漫画家・西原理恵子の育った町のひどさに通じるものがありますね。 私も多少、既視感があります。 今の日本にもこんな場所、子供たちは大勢いるんだろうな。 ちなみに、表題作は、キングの超常ホラーでない中編集「Different Season」の4編の内の1つ。 ホラー物でないのをアピールするためにこの題にしたそうですが、邦題が「恐怖の四季」 では意図が台無しだと思うのですが。 | ||||
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大人と少年少女って、恐らく「人種」以上に もはや「種族」が違うのではないか。 少年達の楽しみが大人達を時おり困惑させ憤らせるのは、自分達が失った素晴らしく輝かしい「何か」を持った種族に対してある種の羨ましさを感じるからかもしれない。 その少年達独特の、魔法のような煌めきが本書では余すところなく描かれている 安っぽく口にされる冒険も彼らが体験すればそれは本物であり誇らしいのだ。 大人に汚い仕打ちをされたクリスも、自身を見つめることのない両親を持つゴードンも、少年らしい誇りと情熱を武器にエースに対峙した。 大人になれば、道は違うかもしれないが、そこにあった四人の友情が失われたわけではない。 暗黒の塔で語られた「カ・テッド」であり、彼らは 「ケフ」をわけあった仲なのだろう。 これに恐怖を加えた物語がかの長編「イット」であると言える。 屈指の名作なので、気になる方はお薦め致します。 | ||||
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映画が公開された時小学校高学年だった私だが、大人になって思い立って原作を手にとってみた。 この話のテーマは格差だと思う。お金のあるなしだとか頭のよしあしだとか(確かにそれもあるだろうが)というよりは意識の格差と言った方がいい。 小説と映画ではほぼ同じストーリーながら印象がかなり違う。ちなみに原作のタイトルはTHE BODY(死体)だ。 映画最後の台詞『あの十二歳のときのような友達は出来ない』 は確かに小説でも中ごろに出てくるが、その意味は純粋な意味というより自分と違った世界の友達はそれ以後できなかったという意味合いの方が強いように思える。 小説の最後はこうだ。テディ(眼鏡)とバーン(太っちょ)はこの旅をきっかけにゴードン(主人公)とクリスから離れていく。彼らは次第に不良へなっていき、若くして事故で亡くなってしまう(クリスが亡くなるのは小説も一緒だが、二人はそれより前に亡くなってしまう)。 小説の最後に出てくるのは車で遺体の所へ行った不良のリーダー・エースだ。小説家になった主人公は故郷でエースを見かける。不良だがハンサムだった彼は、太ってその面影を全くなくし工場で働いていた。小説の最後の一文はこうだ。『川はまだ流れている。そして私も、そうだ。』 誤解を恐れずに言えば、大人へと変わる過程で落ちていってしまう人がいる。成長をあきらめてしまう人が少なからずいる。 四人の小旅行は、少年の日の美しい思い出などではなくて、運命をくっきりと分けた残酷なターニングポイントだったのではないかと思う。 大人になった今ならゴードンやクリスの悲哀と苦悩、そして大人になることの残酷さが痛いほどわかる。 数年前に6才くらい下の人達とお酒を飲んだことがあったが、その中で主題歌「スタンドバイミー」をソラで歌えるのは自分だけだった。私の世代にはやはり特別な歌なのだと思う。 そばにいられないからこそ人はそばにいてほしいと言うのかもしれない。 | ||||
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映画を観て、そのあと本を読んだものです。 少年達の友情やアメリカの寂れた田舎町の情景が映画では上手く撮られており、何とも心にしみました。永遠の青春映画になるでしょう。 ただ、正直なところ、本は映画に比べ少し見劣りすると感じました。映画だからこそあの哀愁が出せるのでしょう。今でも目に浮かびます。錆びた線路を歩く四人の少年達の姿が… | ||||
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これは、出版されると同時に原書で読んだ。Different Seasons は、実質的に Four Seasons。 春が、Rita Hayworth and Shawshank Redemption。長年待ったかいがあって、名作映画になった。夏の Apt Pupil も映画化されたが、あまり注目されなかった。秀才でありスポーツ万能の高校生が自己崩壊してゆく物語。 秋の The Body は Stand By Me として、映画化され高く評価されたため、改めて説明する必要もないが、body は死体のこと。少年達が死体を探しにゆくという設定であるものの、薄気味悪さはなく、Stephen King の作品としては、数少ないノスタルジーに満ちた友情物語に仕上がっている。 冬の The Breathing Method は、ニューヨーク・マンハッタンにある奇譚クラブが舞台。それなりの趣向はあるものの、上記3作と比べるとやや印象度が落ちる。そのためか、映画化はされていない。 以上、映画化率は 7割5分。名作映画化率は 5割 という傑作集であったことが今更ながら、本書の価値を裏付けている。ぜひ読まれることをお勧めしたい。 | ||||
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高校生の頃に初めて読み、何とも言えない気持ちに満たされた。 当時の友達に「こんな良い話なんだけど…」と話をふっても「なんだよ、それ」みたいに理解して貰えなかった。 そして今、あの頃の友達との付き合いは無くなりました。 この作品は過去への決別と言うよりも、過去から現在への流れを優しく辿ったものだと思います。 胸に切なさや疼きを感じながら、主人公はまた流れて行くんだと思いました。 そして私も疼きを感じながら、流れて行きます。 | ||||
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幼少期には一度は通る死という通過儀礼だろうか? 誰しも経験する死への好奇心は多かれ少なかれあるけれども、作者にはそのモチーフを物語へと構築する執拗な意志が漲っている。事実のグロテスクさなのかストーリーテリングの絶妙なのか?というくらい、たしかに読ませる力量は並ではない。比喩の面白さ、というか強引さというか、文章スタイルは独特である。少年時代特有のあの微妙な鬱屈とストレートさに浸りたいときにはうってつけの、大人の読み物だ。悲惨でありながら栄光でもある、繊細でありながら能天気な少年期のノスタルジーの賛歌である。 | ||||
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【恐怖の四季(秋の目覚め):スタンド・バイ・ミー】 ゴードン、クリス、テディ、バーンの4人は物語の主題の死体探しが終わったあと、それぞれの人生を歩んでいきます。映画でそれらの役を演じた俳優達もまた人生色々。 以下、映画DVD(http://amzn.to/as81Vc)の方のレビューで語られるべき内容だと思いますが、以下ご了承ください。 ◆ウィル・ウィートン(ゴードン役、語り部):あまり日本では有名ではないが、テレビドラマで主に活躍中。私がこの俳優さんを知ったのは『スタートレック Next Generation』のウェスリー・クラッシャー役でした。この役でもゴードンと同じくナイーブな少年を演じていました。ギーク、パソヲタ。 ◆リヴァー・フェニックス(クリス役):この映画で注目を浴び『旅立ちの時』でアカデミー助演男優賞にノミネートするなど非常に将来が期待されるも、薬物中毒により1993年10月31日23歳という若さで死亡。生きていたらブラピどころじゃなかったと思う。 ◆コリー・フェルドマン(デティ役):順調に名俳優としての道を歩むも、成人後に薬物中毒につまづき、現在更生中。 ◆ジェリー・オコンネル(バーン役):映画はでぶっちょの気の弱い少年役でしたが、その後ダイエットして見違えるようないい男に。奥さんはレベッカ・ローミン(元夫ジョン・ステイモスを捨てて再婚)双子の娘を持つ幸せ者で、リヴァー・フェニックスなき今、4人の中では一番の出世頭。 以上、小説の主人公4人が映画で役を演じた4人とシンクロして、読んでいてなんともいえない気持ちになりました。 【恐怖の四季(冬の物語):マンハッタンの奇譚クラブ】 物語の中で更に語られる物語のあっと驚く展開と、英国の紳士クラブの雰囲気の描写が見所。オチ(クラブ及びクラブの執事の正体とか)がよくわからなかったけど、雰囲気を楽しめばいいんですかね。この物語。 ホラーとファンタジーの絶妙な融合具合がさすがスティーヴン・キング。出産に対するさまざまな描写及び知識が『ダーク・タワー』 http://amzn.to/9BhxPL のスザンナの出産エピソードに活かされてるんじゃないでしょうか。 ☆『恐怖の四季』春夏秋冬残りの春夏の物語もオススメです! http://amzn.to/cPc7VP☆ | ||||
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