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湖畔荘
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湖畔荘の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.33pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全22件 1~20 1/2ページ
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早く次の作品が読みたすぎる大好きな作家。「忘れらた花園」「秘密」から期待を裏切らないゴシック味のある重厚なミステリという物語。書評でなくて申し訳ないです。 | ||||
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訳者の青木純子さんがあとがきで書かれているように、まさにランナーズハイ状態だった。初めはストーリーが混沌として、誰のことが書かれて、それはいつの時代か、頭の中で整理するのがたいへんで、上巻では「この著者の本は2度と読まんぞー‼」と苦痛の中、ページを繰っていた。しかし、だんだんと人物と時代の構造が頭の中で出来上がってきたら、俄然面白くなってきた。最後は偶然の一致の重なり(本書の一つのテーマ)があって、めでたしめでたし的な結末。結果、楽しい読書時間を過ごさせていただき感謝‼だった。 | ||||
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章ごとに時代が行き来する構成が見事でした。登場人物一覧表を自作する必要があります。過去に読んだミステリーのどれとも違うタイプで、著者の独創性に恐れ入りました。読後感はハッピーそのもので、すばらしい物語をありがとうございました。 | ||||
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ケイト・モートンの集大成といったところ。内容は詳しいレビューが他にもあるので割愛するが、彼女の作風を要約 すると「大人のための英国児童文学」だと私は思っている。 子どもの時に読んでわくわくした「秘密の花園」やら「小公女」などの物語を大人向けに複雑にし、ミステリーを絡めた感じ。時にやり過ぎもあるけど、最後のカタルシスがたまらない。 丁寧な自然描写も楽しみにしている。 今回、映画版「ダウントンアビー」を観たら読み返したくなったので、ついでに感想をと思い書き込みました。 そうそう「ダウントンアビー」好きにもお勧めします。 数年前に原著を読んでいて、今回初めて翻訳版を読んでいるのだが、上巻に誤訳を発見したので記しておきたい。 P215「しっとりしたラズベリーの大きな実をセオのお腹の上で拭き転がし・・」の所。これ、欧米人が赤ちゃんのお腹に口をつけて「ぶ~っつ」って空気を吹き出してあやしてあげる行為をラズベリーを吹くと言うので、本当のラズベリーの実を吹き転がすのではないと思います。もしかしてもう直されていたらスミマセン。上の文だと意味不明。 | ||||
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「秘密」もそうでしたが特に最初のうち冗長と感じるのは否定できません。ですが根気よく読み進める内に冗長さが「丁寧」という印象に変わってきます。幾つもの絡まった結び目がひとつづつほどけていくような謎解きはお見事という感じで読んでいて気持ちが良く、最後の謎が解けるシーンは特に美しくて感動してしまいました。 ただ「息もつかせぬ展開」といった感じのものを期待する読者にはかなり退屈な部類のミステリーになるのかなと思います。それでも真相はなかなかわからないし(「秘密」ではすぐにオチがわかった読者が多かったようですが今回はうまく隠していると思います)、意外性や急展開だけがミステリーの醍醐味ではないと感じさせてくれました。 人物描写、心理描写に関しては女性の登場人物についてはきめ細かいですが、男性が特に過去の人物についてはただただイケメンで頭も性格も良いとか結構適当な印象はあります。ですが面倒くさい男性だったら無駄に冗長になるのでこれはこれでいいような気もして、筆者もあえてそうしてるのではと思うぐらいです。 昨今無理に過激な設定で読ませる作品も少なくない中、モダンなミステリーと古典文学をうまくミックスしたような上品なスタイルは他の作家にはない魅力です。このままこの路線で作品を出していただけたらと思います。 | ||||
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ケイト モートンの作品としていつも通り楽しめました。 結末は少し安易な感じがしましたが、読後感は良かったです。。 | ||||
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ポアロとあの時代のイギリスが好きなので、楽しく読めた。「あの時代」と現代を行ったり来たりし、アガサクリスティーの最新作を読んでいるような思いだった。登場人物も魅力的。 上下でとても長いが最後まで楽しめた。 | ||||
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ポアロとあの時代のイギリスが好きなので、楽しく読めた。「あの時代」と現代を行ったり来たりし、アガサクリスティーの最新作を読んでいるような思いだった。登場人物も魅力的。 上下でとても長いが最後まで楽しめた。 | ||||
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久しぶりに、上巻の最初から下巻の最後のページに至るまで一気に読み切ってしまったほど、吸引力の強い本格推理小説に遭遇しました。 『湖畔荘』(ケイト・モートン著、青木純子訳、東京創元社、上・下)のどこにそんなに惹きつけられたのか、それは3つに整理することができます。 第1は、推理小説の多くが次から次へと謎をばら蒔き、最後の最後に至って一挙に謎の解明がなされるのに対し、本作品では、精緻で複雑なパズルのピースが、物語の一里塚毎に惜し気もなく読者に手渡されるという基本ルールが貫かれていることです。すなわち、著者は一定範囲ですが、手の内を次々に明かしてくれるのです。 第2は、謎の失踪事件が発生した1933年のコーンウォール、70年間も解かれていない事件の謎を明らかにしたいとのめり込んでいく女性刑事が登場する2003年のコーンウォール、2003年のロンドン、事件から遡ること22年の1911年のロンドン、1914年のコーンウォールといった具合に、時が行きつ戻りつするだけでなく、登場する人物も入れ替わり、その経験したことが複数の視点から描かれるという場面転換、視点転換の妙が冴え渡っていることです。 第3は、謎解きの面白さは言うまでもないが、それだけに止まらず、戦争が人に与える圧倒的な影響、愛が人に思いがけない行動を取らせる起爆剤になり得ること――について深く考えさせる奥深さが作品に備わっていることです。 そして、思いもかけない結末が待ち構えています。江戸川乱歩が生きていたら、間違いなく本作品を世界十大推理小説の一つに選んだことでしょう。 | ||||
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久しぶりに、上巻の最初から下巻の最後のページに至るまで一気に読み切ってしまったほど、吸引力の強い本格推理小説に遭遇しました。 『湖畔荘』(ケイト・モートン著、青木純子訳、東京創元社、上・下)のどこにそんなに惹きつけられたのか、それは3つに整理することができます。 第1は、推理小説の多くが次から次へと謎をばら蒔き、最後の最後に至って一挙に謎の解明がなされるのに対し、本作品では、精緻で複雑なパズルのピースが、物語の一里塚毎に惜し気もなく読者に手渡されるという基本ルールが貫かれていることです。すなわち、著者は一定範囲ですが、手の内を次々に明かしてくれるのです。 第2は、謎の失踪事件が発生した1933年のコーンウォール、70年間も解かれていない事件の謎を明らかにしたいとのめり込んでいく女性刑事が登場する2003年のコーンウォール、2003年のロンドン、事件から遡ること22年の1911年のロンドン、1914年のコーンウォールといった具合に、時が行きつ戻りつするだけでなく、登場する人物も入れ替わり、その経験したことが複数の視点から描かれるという場面転換、視点転換の妙が冴え渡っていることです。 第3は、謎解きの面白さは言うまでもないが、それだけに止まらず、戦争が人に与える圧倒的な影響、愛が人に思いがけない行動を取らせる起爆剤になり得ること――について深く考えさせる奥深さが作品に備わっていることです。 「戦争が不当にも人の心を抜け殻にし、人生という織物を引き裂き、それまで紡いできた夢をもはや修復不能な糸くずに変えてしまったのだ」。 「(言葉は)真実に満ちあふれていた。こんなふうに単純で気楽で心弾む愛もあるということをすっかり忘れていた。○○に抱く愛情はこの20年で深まりもしたし変容もした。幾多の試練に出会うたび、夫婦の愛はそれを乗り越えるための形に変わっていった。愛とは相手を最優先で考えること、自分を捨てること、嵐のなかを漂うつぎはぎだらけの船が沈まないようにすることを意味するようになっていた。だが、□□との愛は小さなボートのようなもの、静かな水面をただたゆたっていればよかった」。 捜査上の規律違反を咎められ、上司から無理やり休暇を取らされた、警察官になって10年、刑事課に配属されて5年のロンドン警視庁の女性刑事、セイディ・スパロウは、祖父が住むコーンウォールで、森の奥にひっそりと広がっている湖、庭園と、家具や調度が残されたまま廃屋となっている大きな屋敷、湖畔荘を見つけます。「のっぺりした湖面が秘密めくスレート色の光沢を帯びる。すると突然、この自分が侵入者以外の何ものでもないという気分になった。踵を返して歩きだす。イチイの茂みをくぐる抜け、犬たちを家路へと追い立てるうちに、刑事課に身を置く人間なら自然と研ぎ澄まされる勘とでもいうのか、ある確信めいたものが生まれていた。かつてあの家で、何か恐ろしいことが起きたのだと」。 70年前に、この屋敷で生後11カ月の当家の長男が失踪したこと、懸命の捜査にも拘わらず事件の謎が未だに解明されていないこと、失踪した男児の生死が杳として知れないこと、そのため、湖畔荘はその後、荒れるまま長らく放置されてきたこと、行方不明となった男児の当時16歳だった姉が、超売れっ子推理作家のアリス・エダヴェイン、86歳であること――を、セレディは知ります。刑事魂に駆り立てられたセレディは謎解きに乗り出し、アリスから話を聞こうと3度手紙を出すが、無視されてしまいます。セレディの手紙を読んだ「アリスの頭のなかに当時の映像が、トランプのカードのように次々に降りそそいだ。きらめきを放つ湖に膝までつかった捜索隊、図書室のむせ返るような暑さに汗だくになっていた太った警官、しきりにメモを取る年若い新米警官、死人のように青ざめた顔で地元紙のカメラマンの前に立つ父と母。あのときフレンチドアに背中を押しつけて両親を見つめながら、どうしても打ち明けられずにいる秘密に気が揉め、胸底に巣食う罪悪感に苛まれていた自分が、いまも見えるようだった」。 ピースが一枚ずつ提供されるたびに、読者はあっと息を呑むことになります。「いつしかセレディの顔が脈打ち、火照りだした。新たなシナリオが形をとりつつあった。・・・すべてがしっくりと溶け合うかのように、それを目にする誰かの登場を待っていたかのように、いくつもの断片がひとところに折り重なっていく。苦境に立つメイド・・・一家が待ち望む男子誕生・・・子宝になかなか恵まれない女主人・・・。誰にとっても願ったりかなったりの解決策だったはず。ところが突然、そこに亀裂が生じたのだ」。 「あまりにも多すぎるパズルのピース、しかも各人がまちまちのピースを握りしめていた。唯一すべてを知っていたのは(アリスの母・)エリナだが、彼女はそれを決して人に明かそうとはしなかった」。 「何かが足りないのだ。あともうちょっとで辻褄が合いそうなのだが、肝心要のパズルのピースが欠けている気がしてならなかった」。 「セイディはふと思った。薬物や酒の力を借りれば快感を得るのは簡単だが、謎解きがもたらすぞくぞく感には到底かなわない。予想外の展開を見せるこの手の謎ならなおさらだと」。 何と、1カ所だけだが、日本が登場します。「『どちらも親が考古学者で、世界各地の発掘現場を渡り歩いていたとか。□□とうちの母親は、両方の家族が日本に滞在していたときに知り合ったんだそうです』」。 そして、思いもかけない結末が待ち構えています。江戸川乱歩が生きていたら、間違いなく本作品を世界十大推理小説の一つに選んだことでしょう。 | ||||
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ケイト・モートンの作品『忘れらた花園』『秘密』にもとても心を動かされましたが、 この『湖畔』は人間味が溢れ、さらに素晴らしい作品だと思いました。 人物関係も他の作品よりわかりやすく、いったん把握すれば悩むことはありませんでした。 世界から見れば小さな事件の裏に、一人一人の深いドラマがあり、 たくさんの思い込みや誤解から真実にたどりついたときの感動が半端ないです。 パズルのピースが一つずつカチンとはまっていく心地よさが味わえるだけでなく、 すべてが揃い繋がった時に見えてきたのが大きな愛だった、とわかると 登場人物の思いに胸が熱くなります。フィクションなのに、実在の人物であるかのように。 作者は1976年生まれなのに、第一次大戦の時代の苦しみなどがリアルで、 歴史的事実を自分で経験したように書くのが上手。 色々な立場の人間の心情も丁寧に描き、人間というものをよく理解しているなぁ、と。 何より、全ての要素が綺麗につながっているのが見事です(偶然に見えたものが必然だった)。 ページをめくる手が止まらず、でも読み終えてしまうのが勿体ないくらいの話でした。 単行本だとちょっとお値段が高いですが、読む価値は十分にあると思います。 (表紙も素敵だし、私は永久保存版にします) 星も6つ以上あげたいくらい。他の話も邦訳が出ることを期待しています。 PS. 気になったのは、エリナの死の真相。なぜあそこでああいう形で亡くなったのか、 推測はできるのだけど、納得いく説明が欲しかったです。 | ||||
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人物描写が巧みでぐんぐん引き込まれました。女性刑事は思い込みが激しく、身勝手なところもあるのですが、彼女の猪突猛進の働きで数十年前の謎が明かされます。 | ||||
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登場人物が多く、過去と現在を行ったり来たりする展開は、読者はを混乱させる。それがクライマックスに向けて収束し、見事な結末となるのだが・・・。やはり主要登場人物一覧くらいは用意してほしかった。これから読む人は、人物の相関図を書きながら読み進めるといいかもしれない。特に謎を解くのが好きな人であれば、解決の糸口になりえるだろう。私は相関図の作成をしなかったので、読了までの時間が長くなってしまった。プロットが良いだけに、丁寧に読まなかったことを悔やむ。 | ||||
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登場人物一覧などがないにもかかわらず、登場人物は多いし、時代が行ったり来たりするので、最初は読みにくい。上巻の半分くらいまでは苦労するだろうが、慣れてくると裏に潜む真相が見え隠れして楽しくなってくる。とにかく最初を我慢して丁寧に登場人物を押さえられれば、この作品に勝ったもの同然。ただし、下巻では上巻で読者(私だけ?)が推理した真相を覆す真相になりそうで、どう展開していくか、とにかく心を踊らせながら次に進む。 | ||||
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この作家は過去二作読みました。 設定は同じでしたが、やはりボリュームがあり物語には引き込まれました。最後は優しい結末。皆幸せに。 | ||||
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新作が出るといつも楽しみにしています。ページを繰る手がとまらなくなります。ほっとする結末でした。 | ||||
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期待通りの面白い作品でした。最後の結末が気持ちよく読めました。 | ||||
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手前勝手に純粋なミステリー作品だと思い読み始めましたが、読み終えた心地としては、訳者の方があとがきで語られていた通り、大人のためのお伽噺という評価に納得してしまいました。正直、「偶然」という言葉が重きを置くような作品はあまり好きではなかったのですが、それを飛び越えて読み心地の良い作品でした。また、私は文章から描かれている情景や風景を読み取るのが苦手でしたが、この作品では素直に湖畔荘を取り巻く自然の姿に感じ入ることができました。恥ずかしながらケイト・モートン氏の作品を初めて読ませて頂きましたが、ぜひ他の著書も読んでみたいと思いました。 | ||||
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読み終えた感想は、面白かった!最後でピタリと収まるとは、途中では想像もつかなかった。読みはじめの頃は、登場人物が多くて、誰が誰や誰やら・・・。何度も前のページに戻って読み返しました。ケイト・モートンは初めて読んだのだが、他の作品も読んでみるつもり。 | ||||
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英国南西端コーンウォールに荒れ果てた屋敷・湖畔荘がある。1933年、屋敷に暮らすエダヴェイン家の幼い息子セオが姿を消した。あれから70年。屋敷の現在の所有者はセオの姉アリスで、事件当時16歳だった彼女は今、著名な推理作家となっていた。 一方、ロンドン警視庁の刑事セイディは捜査情報をメディアに漏らしたことを咎められ、祖父が独りで暮らすコーンウォールで謹慎の日々を送っていた。そこでエダヴェイン家の幼児失踪事件に興味を持ったセイディは、真相を追おうとアリスに連絡を取るが、なぜかアリスは返事を寄こそうとしない…。 ------------------------------ オーストラリア人作家ケイト・モートンの最新邦訳作品です。これまで東京創元社は青木純子氏の翻訳で『』、『』と、この作家の素晴らしいミステリ小説を紹介してきてくれました。同じ翻訳者の手になるモートンの新しい邦訳が出たと聞き、一も二もなく手にしました。 今回も前二作同様、過去と現在が交互に描かれ、女性たちの悲しい秘密が徐々に明らかにされていきます。 今回の『湖畔荘』では1933年と2003年それぞれのイギリスに暮らす女性たちの母とその子供をめぐる3つの事件が交錯していきます。そのぶん、小説全体に登場する人物の数は多くなり、その相関図も複雑になりがちなはずですが、この作品では人々の関係を一度として見失うことがありませんでした。これまでと同じく、上下巻で600頁を超える大部の著ですが、最後まで倦むことなく読み通すことができました。それもやはり青木氏のリーダビリティの各段に高い訳文に助けられたからでしょう。 今回は物語の背景に第一次世界大戦の悲劇があります。戦争は、それが終わった後も、いつまでも執拗に人々をむしばみ続けるのです。戦争のいつ果てるともわからぬ悲しみが迫ってきます。 幼子セオ誘拐事件の結末について、私は上巻を読み終えるあたりである種の期待を持つようになりました。驚いたことにその期待どおりの結末をこの物語は迎えるのです。それはミステリの質を下げるご都合主義と捉える向きもあるかもしれない性質のものです。万人の了解を得られるものであるかどうかはわかりません。 翻訳者の青木氏も「訳者あとがき」で「『うひゃ、そう来ましたか!』と絶叫する人が少なからず出てきそうな気がする」と懸念を記していますが、その一方で「モートン作品はこれでいい、これは大人のためのお伽噺なのだ」とも書いています。作者モートン自身、ベアトリスというキャラクターにこう語らせています。 「もうエリナったら、純情ぶっちゃって! 人生はお伽噺じゃないのよ。本の世界ならそれもいいけれど、魔法みたいなものは現実にはないんですからね」(上巻119頁:エリナの従妹ベアトリスの言葉) 私自身はといえば、青木氏の言葉にうなずく気持ちがあります。そしてさらに言えば、セオがたどった運命の背後に、いみじくも登場人物のひとりルウェリンが諭すように語る次の言葉が、大きな伏線であったことに思い至り、心が心地よくざわついたのです。 「われわれ人間は、どこでどうやって誰と生きていくかを自分で選べるとは限らないんだ。それに耐える勇気を、とても耐えられそうにないことにも耐えられる勇気を、与えてくれるのが愛なんだよ」(上巻105頁) 思い通りにいかないこの人生をなんとか前に向かって歩き続ける力の裏に<愛>がある――私はまたしてもそれをこのケイト・モートンの小説から教えられた気がします。 ---------------- 東京創元社は老舗出版社ですし、ケイト・モートンの長編小説を出版するのは初めてではないのですが、今回はどういうわけか校閲がかなり杜撰です。前著の時とは校閲者が変わったのでしょうか。せっかくの青木氏の翻訳を、校閲者が台無しにしているところが散見されます。 いずれ文庫化されるときに修正されることを期待して、私が気づいた誤字脱字、誤訳を以下に指摘しておきます。 *上巻148頁:「ダヴィズ・ルウェリンにインスピレーションを与えた人物として。著者はエリナ・ドシールに光を当てていた」とありますが、途中の句点は読点であるべきです。 *上巻231頁:「アリスは魂が抜けみたいな顔つきになってしまった」とありますが、正しくは「アリスは魂が抜けたみたいな顔つきになってしまった」とするべき。「抜けた」の「た」の字が抜けています。 *上巻234頁:「『さあ行くわよ、おちびちゃん』言ってセオの手についた泥をぬぐう」とありますが、「と言って」とするべきです。「と」の字が抜けています。 *上巻281頁:「障害を持つ娘の介護に明け暮れた」とあります。「障害を持つ」とするか、「障害がある」(あるいは「障害のある」)とするかが日本では平成になってから議論になっています。どちらが正しい/正しくないということは簡単には判断できませんが、徐々に世の中は「持つ」から「ある」へ移行しているようです。文庫化するころにはこの表現に関する議論はさらに進んでいるかもしれません。 *下巻33頁:出征するアンソニーを妻のエリナが見送ったときのことを、「戦地に向かう夫を見送った一九一一年のあの朝」と訳していますが、これは間違い。正しくは「一九一四年のあの朝」です。原文を確認したところ、「the morning in 1914 that she’d waved him off to war」となっていました。第一次世界大戦が始まったのが1914年だったことを校閲者が知っていれば、アンソニーは1911年に出征するはずがないと気づけたはずです。 *下巻35頁:「もしやその後に何かあったのでは不安に襲われた」とありますが、正しくは「もしやその後に何かあったのではと不安に襲われた」です。「と」の字が抜けています。 *下巻52頁:「この店につき合わされるはいつもセイディだった」とありますが、正しくは「この店につき合わされるのはいつもセイディだった」です。「の」の字が欠けています。 *下巻68頁:「MTといかう人と食事をする約束になっていた」とありますが、正しくは「MTとかいう人と食事をする約束になっていた」です。「といかう人」ではなく「とかいう人」です。文字の順序が間違っています。 *下巻113頁:「その合間にこちらをちらちらちら盗み見ていた」という記述がありますが、この日本語は奇妙です。「こちらをちらちら盗み見ていた」、あるいは「こちらをちらちらちらちらと盗み見ていた」ならまだわかりますが、「ちら」が3回というのはオノマトペとして変です。 *下巻210頁:「この推理をはじめて口にしたとき。セイディもアリスと同じ気持ちだった。」とありますが、途中の句点は読点であるべきです。 ------------------------------ 同じくオーストラリア人作家が書いた以下の書も紹介しておきます。 ◆M・L・ステッドマン『』(早川書房) 灯台守夫婦と幼い赤ん坊を襲う悲劇の物語です。第一次大戦後がもたらす悲しみの大きさが胸を打ちます。映画化され、『光をくれた人』の放題で2017年に日本でも公開されました。 | ||||
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