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ブラック・ダリア
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ブラック・ダリアの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.04pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全21件 1~20 1/2ページ
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妄執に囚われていく刑事を始めとした男女。「黒衣の~」で語られるような絶世の美女でない所に未解決の真実味がある。 | ||||
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がっかりすること。 ザール、グラツィアーノ、ラモッタ、セアダン。 → トニー ゼール、ロッキー グラジアノ、ジェイク ラモッタ、マルセル セルダン。 ボクシングの資料も見ながら訳そう。 ボクシングは、重要なファクターだからね、この本。 原音表記だ、と言うかもしれん。じゃあ聞くが、マアセル プルーストとカタカナ表記するのか? エディット ピアフの話や、デニーロ、ポール ニューマンの映画の話も知らんの? と、がっかりする事から書いたが、なかなか良かった。 | ||||
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ジェームス・エルロイの処女作『レクイエム』を読んだのは80年代後半だったが、7年ほど前に再読した記憶である。 その後、エルロイの作品を読んだことがないので代表作の『ブラック・ダリア』を入手して読むことにした。 この小説をエルロイが刊行したのは1987年であるが、翻訳版第一冊の刊行は1994年3月と奥付に記してあった。 戦後まもない1947年(昭和22年)に、ロサンゼルスで本当に起きた事件を題材にしてエルロイはこの小説を書いている。 事件のアウトラインは事実にそっているが、本書に登場する主人公ロス市警セントラル署巡査バッキーの一人称で語っている物語はエルロイの作り上げたフィクションである。 戦後のアメリカの好況を描きながら登場する人物たちそれぞれをエルロイは丁寧に性格描写している。 登場する映画俳優やジャズ奏者などは、映画好き、それにジャズ好きの爺さん婆さんでないと理解できないなぁ、と思いながら読ませてくれた。 バッキーが車を走らせながらラジオをかけると、デクスター・ゴードン・カルテットのビパップに痺れてうきうきしてしていたら・・・(P200)とか、バッキーとケイの結婚披露パーティを庭で賑やかにしているとき、通りかかったエロール・フリンが参加してきた・・・(P420)とか、ハリウッドならではのエピソードを読みながら、つい「ニヤリ」としてしまった。 デクスター・ゴードン?、エロール・フリン?、これって誰?と、読む読者にはこのエピソードの面白いところはわからないだろう。 このエルロイの書いたブラック・ダリア事件は、犯人を明かしながら表面的には迷宮入りに上手く仕上げている。 が、このブラック・ダリア事件は、迷宮入りのままで戦後最初の大事件として犯罪史の一ページとして記憶されているのです。 本書『ブラック・ダリア』は、エルロイの力作&労作であると思いながら読み終えました。 <蛇足の追記> 警察小説好きの読者は、エルロイの生い立ちが、ハリー・ボッシュと似ていることに気が付くと思いますよ! | ||||
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これを四部作の一番目として読むのは間違っている。以降の三作は完璧に計算され、デザインされ尽くしている。 「ダリア」に憑りつかれたエルロイは、自動書記のように暗い情念を綴り続けた。 これは呪いであり、祈りである。 シビレル。 | ||||
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男女3人の稀有な切ない友情をテーマにした暗黒小説を飄々と書くエルロイ。この美しい奇跡を目撃するため、きみもこの書物と出会わなければならぬ。 …暗黒小説と評されながらも、この小説には良いものがたくさん描きこまれている。そのことがじんわりくるような感銘を生み出す。思うにエルロイは、人殺しに負けたくなかったのだ。 いま、第二部まで読んだ。生涯の一冊に出会ってしまったと、感じた。愛すべきバッキー(主人公の一人、語り手)よ、君の人生にもサチ多からんことを!!! | ||||
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エルロイの作品はこの『ブラック・ダリア』がはじめてでした。エルロイは、私にとって「どす黒い犯罪小説の書き手」というイメージがあり、これまで敬遠していました。 しかし、この作家は凄いの一言に尽きます。ストーリーは改めて説明するまでもなく、ブラック・ダリア事件をモチーフにして、事実とフィクションをミックスさせた小説ですが、主人公のバッキーをはじめ、登場する男達、女達の狂気、怒り、哀しみ、欲望、そして愛といった人間心理の描写が見事で、その一種病的とも思える程の作者のエネルギーに終始圧倒されました。事件のくだりは生々しさがあるものの、読後感も決して悪くありません。これから暗黒のLA四部作と言われるシリーズをゆっくりと読んでいこうと思っています(新品で手に入るのは『ホワイト・ジャズ』だけですが)。 本書を読んでブラック・ダリア事件に興味を持たれた方は、『ブラック・ダリアの真実』を手に取ってはいかがでしょうか。 | ||||
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DVDを見た後で本を読みましたが、展開の早いDVDでは十分フォローできなかったストーリーが良く分かりました。お勧め!です。原作も読みたくなりましたが、内容がかなりどぎついので、多分読まないと思う・・・。ある意味では、「ドラゴン・タトゥーの女」的だったが、もともとのストーリーが現実の犯罪に基づくところが興味深かったです。 | ||||
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この小説の刑事ふたりをとうして、いつの時代おいても 金、暴力、で世の中は成り立っていると痛感させられた。 そしてハニートラップ!注意。 ゴタゴタ感はあるが、読む人を深く感情移入させ、内省的 気分にさせてくれる普遍的面白さに満ちた本です。 | ||||
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重苦しく、暗く、さほど疾走感も感じられないが、 “熱い”気持ちは伝わってくる。 | ||||
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彼の作品を知ったのは映画「L.A.コンフィデンシャル」を観てからです。 ラッセル・クロウが主演という単純な動機が最初でした。 この作家の作品を読んでみたい。 LA四部作、 アンダーワールドUSA三部作 読破しました。 このブラックダリアも映画化されましたが、夜、一人で観るのは恐いですね。 どの作品もただただ衝撃の一言です。 余談ですが「WHITE JAZZ」アマゾンのBOOK OFFで購入しましたら送られてきましたのは英文でした。 和訳も買いました。 対比しながら読んでいます。 これもまた面白いです。 ジョン・グリシャムも好きな作家ですがエルロイもいい。 狂気とも言える彼の作品は生い立ちも影響してるのでしょうか。 「俺は日本のエルロイだ」となりきっている友人がいます。 彼もはまった一人でしょうね。 | ||||
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この本はエルロイのLA4部作の第1作だ。エルロイは甘えのない文章でぐいぐい読者を引っ張ってゆく。とにかくカッコイイね。事件のラストでは衝撃を受けるだろう。ここには祈りがあり真実がある。エルロイは全部読んでるけどまずはブラックダリアが出発点だね。ここから4部作を一気に読んで欲しいね。人生は戦争だと考えるとエルロイのように甘えと妥協のない文章に接するとリアリティと迫力を感じ心が震えるね。スカスカ本が多い中でこのエルロイのパワーとハートには脱帽だ。この人は天才だよ。 | ||||
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本作を読んだのは5年以上前の事。これ程の話題作になるとは思わなかった。想像するに話題の原因は本作がLA暗黒4部作の第1作とされ暗黒面が(出版社によって?)強調されている事、物語が実際にロス空港の近くの空き地で起きた猟奇殺人(被害者の呼称がブラック・ダリア)をモデルにしている事、作者の母親が殺人の被害者になり、それが作品に反映されていると想像される事、デ・パルマ監督による映画化がされる事あたりか。 しかし、本作は「東電OL殺人事件」、「世田谷一家殺人事件」のように作品中でモデルとなった事件の核心に迫ろうとする意図はなく、主人公の黒人刑事を中心とした当時のロスの雰囲気を描こうとしたものである。実際、事件は未解決のまま終る。作者に猟奇趣味はない。戦勝後のロスの自由ではあるが退廃的なムードは良く描かれているし、人種差別やドラッグ等も当然のように描かれる。そうした雰囲気をダークと感じる人にはそれで良いと思うが、暗黒面だけがエルロイの持ち味ではない。 主人公の黒人刑事は、人種差別の壁もあって屈折した行動を取るが、次第に事件にのめり込んで行く。本作は主人公のある種の精神的成長物語とも取れる。その他の人物・背景に関する書き込みも多いので、色々な受け止め方ができると思う。ブラック・ダリアをモチーフに、当時のロスの人間模様を描いた秀作。 | ||||
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トラウマを抱えた者たちが互いに引かれあい、暗黒の彼方へと誘われていく。身も心も切り刻んでいく行為だとわかりつつも、そこにしか活路を見出しえない人間の群像劇。暗黒小説を定義するとしたらこんな感じだろうか。戦後の好景気と帰還兵で沸く47年のロサンゼルス、更地から大量消費社会―文化をつくりあげ繁栄を謳歌するロサンゼルス。この作品ではそうした貌は一切出ない。あるのは暗黒。地縁血縁ではなく平面的で無機質な空間のなかで、人種的民族的思想的性的憎悪が浮き彫りにされ、倫理や正義感ではなくひたすら欲望だけが事態を前へ前へと進めていく。ある者の誰かに対して「良からん」とする作為が、悪意と裏切りの連鎖を構築していく。すべての愛憎が「ダリア」につながること、もうひとつは主人公が「安定」していること、この二つを軸に、「参加者」たちのトラウマが暴かれ碾き臼にかけられるように粉々にされていく。 エルロイはコンサバティブであり(かなり変わってはいるが)、本書は特に人種問題について「配慮」がなく描写があけすけである。だがその分、人や社会の劣情を臓物に手をいれるようにして引き摺り出してさらけだす。いわゆるリベラルの「きれいごと」に陥らない一方で、「悪」をも併呑するはずの保守の側ももてあましてしまうような、稀有の魅力がある。 | ||||
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常に現代ミステリー・ハードボイルドのジャンルの中で高評価を得てきた作品であり、終に映画化までされエルロイが再評価されてきている事を嬉しく思い且つ今後もあらたなる読者層が本作によって広がる事を願います。4部作中、3作目と4作目こそ人物・事件性こそ連鎖してはいるが、本作はLA4部作の第一作目であり、且つ独立した作品として完結もしているので安心して本作から入り込んでいいと思います。 文体もエルロイ未読の方にも一番入り込み易く且つシンプルな筋立てになっています。 しかし、ハードボイルドにカテゴライズされるとはいえ、チャンドラー、マクドナルドとは全く作風は違いどちらかと言えばR・スタークを更に暴力的にした作品です。 本作に毒された方は、以降の「ビック・ノー〜」「LAコンフィ〜」「ホワイト〜」を順次手に取って頂きたいし、何より「アメリカンタブロイド」を読んで頂きたい。 また、過去の「レクイエム」「血まみれの月」も佳作なので是非。 | ||||
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私の友人に推理小説評論も手がける文筆家がいます。その彼が「あなたの好みにぴったりなのはこの人だ」と薦めてくれたのがJ.エルロイです。それ以来長大な彼の作品群をコツコツと読み進めて幾年、「もの凄いもの」を常に求めている私の好みにやっぱり合っていたのは、流石に我が友人は慧眼でした。 J.エルロイ作品は過剰・強烈な筆致、ねじ曲がって混濁に満ちたプロット、妄執とある種の諦念に支配された人物達、といった特徴がありますが、不思議なことにいずれも読後感が爽やかなのです。もしくは哀切な情感が吹き荒ぶとでもいいましょうか、比定するならペキンパー映画の傑作群の感触に近いものがあります。暴力もセックスも空虚な心を満たしてはくれない。しかし瞬間的な歓喜に自らをごまかすかのように、やはり暴力やセックスに手を染めるしかない、その虚しさ、哀しさ。ただしハードボイルドのようにドライではありません。情念がほとばしっています。 表題の“ブラック・ダリア”は『ハリウッド・バビロン2』でも有名になった猟奇死体の当事者についていたニックネームです。いまだ未解決なこの事件ですが、全貌が『ブラックダリアの真実』で明らかにされようとしています。他の識者の方も指摘している通り、この事件は事実の方がもの凄いです。しかしそれは我々に根源的な驚異を与えてはくれますが、エモーショナルなものは稀薄です。母の惨殺に懊悩し、そしていつしか母と“ブラック・ダリア”を同一視していたJ.エルロイの業の深さを追体験し、悪徳と強欲蠢く精神的荒野の中で生きていくカタルシスにも似た感慨をこの傑作から受け取ってください。 肝心の本編の紹介が出来ませんでしたが、まあそれは読んでみて。今週末、いよいよデ・パルマ監督による映画が公開ですね。どんな味付けをしている事やら。40年代ノワールの名作を意識した構成で、映画ファンを狂喜させてくれることを期待しています。 | ||||
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今回、デ・パルマ映画でこの小説の映画が 公開されることを知り、映画の前に読もうと思って本書をとりました。 読後、正直、めんくらいましたね。この膨大な分量のお話。 とにかく、書き込む、書き込む。これでもか、と言わんばかりの書き込み。 コアとなるストーリーは、何度も見失いそうになりました。 でも、コアなプロット以上に、詳細な描写、心理描写、登場人物の 個性など、これでもか、といわんばかりの書き込みで、面くらいました。 情景描写が、淡々とした、ハードボイルド調なので、けっこう、話の節目 がそっけないですが、しかし、複雑な話の行く末の結末はかなり楽しめました。 | ||||
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確かにこの本は、クライム小説として非常に面白いと思います。それは数年前に読んだ時も同じでした。複雑に絡み合う人間関係、謎が謎を呼び、いつになったら真実に近づけるのかと、読み手をあざ笑うかのような巧みなストーリー。 しかし、前回にあって今回薄れてしまったものがあります。それは、<暗黒のLA四部作>と言われる「暗黒」の部分です。最初にこの本を読んだ時は、その名に値する小説だと思いました。ところが、「ブラック・ダリアの真実」を読んだ後では、それも色あせて見えます。ノン・フィクションの方が、フィクションよりも更に「暗黒」であるということは、驚くべきことです。この本を読んでいると、小悪党ばかり登場し、上層部の「暗黒」ぶりは登場していません。「L.A.コンフィデンシャル」では、ある程度上層部まで描いているのにという気がします。 でも、小説は面白いです。エルロイ自身の母親が、ブラック・ダリアと同じように殺されていることが、大きく影響しているのかも知れません。 この小説を、サスペンスの巨匠ブライアン・デ・パルマがどう映像化してくれるか、楽しみです。 | ||||
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1947年、LAで実際に起こった未解決の殺人事件を題材にしている。被害者の女性は、胴体を真っ二つに裂かれ、××が○○で△△が□□という凄惨な状況であった。(このあたりは実際に読んだ方がよい)。 全編にわたり、犯罪と暴力と、狡猾さと残忍さと、不信と裏切りが描かれているのだが、心に残るのは作品の中ごろで主人公の警官の上司ミラードが放つ一言である。 「おれは、残忍さにおれの人生を支配させない」("I will not let brutality rule my life.") 多分、LAみたいなところにいると、「残忍さ」に限らず、セックスとかドラッグとかロックンロール(当時はないけど)とか酒とか金とか映画とか出世欲とかに人生を支配されそうになるのだと思うし、実際に小説の登場人物はそんな人々ばかりなのである。「まあ、お金で解決すればいいよね」とか「取りあえずぶっとばしてしゃべらせりゃいいさ」みたいな、短絡的な人物ばかりであるる。50年前から人間はあまり変わっていないようで。 その中でこんなせりふを吐くミラードは、まさに多勢に無勢という感じなんだけど、最後までミラードが単なる理想主義的なばかに見えないのは、作者の、意外とまじめなメッセージがこの一言にこめられているからかもしれない。 近々映画もやるらしい。素材としては最高だと思う。 | ||||
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著者の代表作ことLA四部作の第一作。1947年のLA。ボクサーとして名を馳せる冷静な刑事“ミスター・アイス”ことバッキー・ブライチャードと、同様にボクサーとして名高い直情径行型の刑事“ミスター・ファイア”ことリー・ブランチャードは、仕事でのいざこざの始末を兼ねたボクシングの試合を経て、互いを認め合い、タッグを組むようになる。順調に進む仕事、リーの結婚、幸せな生活と友情の深まり。どん底の過去から明るい未来を歩みだした二人だったが、ある日猟奇的な娼婦惨殺事件の捜査を担当することになった。そこから全ての歯車は狂いだした…。 バッキーを主人公兼狂言回しにして、1940年代後半のLAの裏社会の凄惨な様子がこれでもかというくらいに語られる。暴力的な描写がとても多いが、読中読後感の感想は切ないの一言につきる。人一倍平和と平穏な生活に飢えているはずなのに、最前線の危険な捜査や退廃的な享楽にしか安らぎを見出せない主人公たちの歪んだ熱意に哀れみを感じさせる。そして特徴的なのは、途中から主人公たちが被害者の娼婦に、恋人のように愛情を乞い、聖母のような救済を求めるようになるところだ。普通ならここで、キャラクター同士や作者の視点が混ぜこぜになった雑な小説になるのだが、それが逆に幼少期に路上で母を殺された著者自身が、この作品の中で暗く燃える積年の情念を昇華させ、自分の魂の浄化を遂げようという脅威の筆力と迫真性を生んでいる。描写は残酷だが、その根底には人一倍悪を憎み、弱者への憐れみに満ちた気持ちが伝わってくる、切なく熱い小説である。のちの作品よりも政府や巨大組織の陰謀といった要素が薄く、わりとさくさく読めるのも入門としていいと思う。 映画化は単純に嬉しい。が、「LAコンフィデンシャル」で素のようにあのアクの強い連中を演じていたラッセル・クロウとガイ・ピアースのコンビで作った本作を観てみたかったなあ、と思ったりもする。 | ||||
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あらすじは主人公のいわくつきの警官で元ボクサー、“ミスター・アイス”バッキー・ブライチャートが二転、三転、四転とどこまでも展開していく事件の容疑者をことごとく追い詰めながら“ブラック・ダリア”エリザベス・ショート殺人事件の全貌をパズルを組み上げていくように明らかにしていく。ブライチャートの同僚であらゆる面で対照的な同じく元ボクサーで“ミスター・ファイア”リー・ブランチャード。ひょんなことで彼との間に芽生えた奇妙な友情の意外な顛末もこの物語の柱といえる。少しずつ明らかにされる彼の素顔、仕組まれた罠、隠されていた真実。真実の糸を手繰るほど、裏切りと欲望に巻きこまれて、やがて猜疑心から常軌を逸した行動を取り始めるブライチャート。スキャンダルにまみれた地元の名主の屋敷を訪れ、歴史的に価値の高い調度品をブライチャートの45口径が全て打ち砕いていく。粉々になった名画、名品の欠片を見渡す彼の脳裏に去来するものは何だったのか、栄光をかなぐり捨ててまで真実を追い求めた男の目の前に付きつけられた最後の選択肢はあまりにも残酷だった。どうやら、この作品は来るべき1950年代をエルロイが語り始めるその導入部のようなものらしい。そして、導入部でありながら冒頭で記してある通り、亡き母ジニーヴァ・ヒリカー・エルロイに捧げられてもいる。この母の虐殺事件がエルロイに物語を書き始める大きな動機であったと一般的に紹介されている。真偽の程はともかく、作中におけるブライチャート巡査の苦悩ぶりや暴力シーンの描写、またこれが事件の真相だと思われる証拠を掴むとそれがまた新たな容疑者に繋がるいたちごっこ、そこから導き出されてくる意外な人物、それがまた残酷な事件への真相へと繋がっていく、という現実世界で起こる事件が焙り出す偶然性や人間の裏表も見事に描き切る作者のおそろしいまでの集中力が否応も無く感じられた。 | ||||
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