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ブラック・ダリア
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ブラック・ダリアの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.04pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全26件 21~26 2/2ページ
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確かにこの本は、クライム小説として非常に面白いと思います。それは数年前に読んだ時も同じでした。複雑に絡み合う人間関係、謎が謎を呼び、いつになったら真実に近づけるのかと、読み手をあざ笑うかのような巧みなストーリー。 しかし、前回にあって今回薄れてしまったものがあります。それは、<暗黒のLA四部作>と言われる「暗黒」の部分です。最初にこの本を読んだ時は、その名に値する小説だと思いました。ところが、「ブラック・ダリアの真実」を読んだ後では、それも色あせて見えます。ノン・フィクションの方が、フィクションよりも更に「暗黒」であるということは、驚くべきことです。この本を読んでいると、小悪党ばかり登場し、上層部の「暗黒」ぶりは登場していません。「L.A.コンフィデンシャル」では、ある程度上層部まで描いているのにという気がします。 でも、小説は面白いです。エルロイ自身の母親が、ブラック・ダリアと同じように殺されていることが、大きく影響しているのかも知れません。 この小説を、サスペンスの巨匠ブライアン・デ・パルマがどう映像化してくれるか、楽しみです。 | ||||
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1947年、LAで実際に起こった未解決の殺人事件を題材にしている。被害者の女性は、胴体を真っ二つに裂かれ、××が○○で△△が□□という凄惨な状況であった。(このあたりは実際に読んだ方がよい)。 全編にわたり、犯罪と暴力と、狡猾さと残忍さと、不信と裏切りが描かれているのだが、心に残るのは作品の中ごろで主人公の警官の上司ミラードが放つ一言である。 「おれは、残忍さにおれの人生を支配させない」("I will not let brutality rule my life.") 多分、LAみたいなところにいると、「残忍さ」に限らず、セックスとかドラッグとかロックンロール(当時はないけど)とか酒とか金とか映画とか出世欲とかに人生を支配されそうになるのだと思うし、実際に小説の登場人物はそんな人々ばかりなのである。「まあ、お金で解決すればいいよね」とか「取りあえずぶっとばしてしゃべらせりゃいいさ」みたいな、短絡的な人物ばかりであるる。50年前から人間はあまり変わっていないようで。 その中でこんなせりふを吐くミラードは、まさに多勢に無勢という感じなんだけど、最後までミラードが単なる理想主義的なばかに見えないのは、作者の、意外とまじめなメッセージがこの一言にこめられているからかもしれない。 近々映画もやるらしい。素材としては最高だと思う。 | ||||
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著者の代表作ことLA四部作の第一作。1947年のLA。ボクサーとして名を馳せる冷静な刑事“ミスター・アイス”ことバッキー・ブライチャードと、同様にボクサーとして名高い直情径行型の刑事“ミスター・ファイア”ことリー・ブランチャードは、仕事でのいざこざの始末を兼ねたボクシングの試合を経て、互いを認め合い、タッグを組むようになる。順調に進む仕事、リーの結婚、幸せな生活と友情の深まり。どん底の過去から明るい未来を歩みだした二人だったが、ある日猟奇的な娼婦惨殺事件の捜査を担当することになった。そこから全ての歯車は狂いだした…。 バッキーを主人公兼狂言回しにして、1940年代後半のLAの裏社会の凄惨な様子がこれでもかというくらいに語られる。暴力的な描写がとても多いが、読中読後感の感想は切ないの一言につきる。人一倍平和と平穏な生活に飢えているはずなのに、最前線の危険な捜査や退廃的な享楽にしか安らぎを見出せない主人公たちの歪んだ熱意に哀れみを感じさせる。そして特徴的なのは、途中から主人公たちが被害者の娼婦に、恋人のように愛情を乞い、聖母のような救済を求めるようになるところだ。普通ならここで、キャラクター同士や作者の視点が混ぜこぜになった雑な小説になるのだが、それが逆に幼少期に路上で母を殺された著者自身が、この作品の中で暗く燃える積年の情念を昇華させ、自分の魂の浄化を遂げようという脅威の筆力と迫真性を生んでいる。描写は残酷だが、その根底には人一倍悪を憎み、弱者への憐れみに満ちた気持ちが伝わってくる、切なく熱い小説である。のちの作品よりも政府や巨大組織の陰謀といった要素が薄く、わりとさくさく読めるのも入門としていいと思う。 映画化は単純に嬉しい。が、「LAコンフィデンシャル」で素のようにあのアクの強い連中を演じていたラッセル・クロウとガイ・ピアースのコンビで作った本作を観てみたかったなあ、と思ったりもする。 | ||||
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あらすじは主人公のいわくつきの警官で元ボクサー、“ミスター・アイス”バッキー・ブライチャートが二転、三転、四転とどこまでも展開していく事件の容疑者をことごとく追い詰めながら“ブラック・ダリア”エリザベス・ショート殺人事件の全貌をパズルを組み上げていくように明らかにしていく。ブライチャートの同僚であらゆる面で対照的な同じく元ボクサーで“ミスター・ファイア”リー・ブランチャード。ひょんなことで彼との間に芽生えた奇妙な友情の意外な顛末もこの物語の柱といえる。少しずつ明らかにされる彼の素顔、仕組まれた罠、隠されていた真実。真実の糸を手繰るほど、裏切りと欲望に巻きこまれて、やがて猜疑心から常軌を逸した行動を取り始めるブライチャート。スキャンダルにまみれた地元の名主の屋敷を訪れ、歴史的に価値の高い調度品をブライチャートの45口径が全て打ち砕いていく。粉々になった名画、名品の欠片を見渡す彼の脳裏に去来するものは何だったのか、栄光をかなぐり捨ててまで真実を追い求めた男の目の前に付きつけられた最後の選択肢はあまりにも残酷だった。どうやら、この作品は来るべき1950年代をエルロイが語り始めるその導入部のようなものらしい。そして、導入部でありながら冒頭で記してある通り、亡き母ジニーヴァ・ヒリカー・エルロイに捧げられてもいる。この母の虐殺事件がエルロイに物語を書き始める大きな動機であったと一般的に紹介されている。真偽の程はともかく、作中におけるブライチャート巡査の苦悩ぶりや暴力シーンの描写、またこれが事件の真相だと思われる証拠を掴むとそれがまた新たな容疑者に繋がるいたちごっこ、そこから導き出されてくる意外な人物、それがまた残酷な事件への真相へと繋がっていく、という現実世界で起こる事件が焙り出す偶然性や人間の裏表も見事に描き切る作者のおそろしいまでの集中力が否応も無く感じられた。 | ||||
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分厚いプロローグから始まり、互いに何の関係もなさそうな人物や事件が、やがて大きなひとつの流れに編みあがっていくのが、エルロイの手法である。一見本筋とは関係のなさそうな、エピソードや台詞も、全てはある一点、結末の核へ向かっての、「必然的な複線」なのだ。エルロイのすさまじい暴力描写は、ためにするものではなく、ドラマのカタルシスに大きく役立っている。悪党が、あるいは主人公が、痛めつけられる様はリアルで、それに続く信念や愛の表現を、より際立たせる。読み始めに心配になる読後感は、決して悪くはない。むしろさわやかなものである。 | ||||
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L.A.四部作の中では一番好きじゃないです。実際に起こった事件に対するエルロイの狂気にも似た創造力には驚嘆しますが・・・。僕としては次作『ビッグ・ノーウェア』からの三作と切り離して読むことをオススメします。 | ||||
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