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友達・棒になった男
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友達・棒になった男の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.40pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全10件 1~10 1/1ページ
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〇 一度では何を言いたいのか把めなかったので3回読んだ。それでもわかった気はしない。それにも関わらず、もしこの劇がどこかで上演されるとしたら、何千円か払ってきっと観に行くだろうと思う。してみれば、結構気に入っているのだ。 〇 3作に共通して感じたことは、劇という形式はこんなに軽々と現実を越えることができるのか、こんなに非現実的な世界をこんなにリアリティーをもって提示できるのか、ということ。小説だとこんは行かないような気がする。人が棒に変わったり、古カバンになったり、家族がそろって突然他人の家に上がり込んだり、それらが不自然に見えないのが不自然なほど不思議だ。 〇「友達」は一番わかりやすい。善意という外皮を被った悪意の始末のわるさ、個人をとりまく世界がちょっとした行き違いであっけなく壊れてしまう不気味さ。だれでも思い当たることだから、気持ち悪いけれどもおかしい。 〇「棒になった男」は短い3つの劇からなる(オムニバスというのかな?)。寓意がつかみきれないのだが、たぶん幸せの頂点から不幸にむかって坂を転がり落ちる人の姿を描いているのだろう。観客に向かって「あんたたちも、こんな下り坂の平凡人なんだよ」と毒づきたいのだろうか。少なくともひとつ感じたのは、短いから観るに耐えるのではないかということ。これを長々とやられたらたまらないな。 〇「榎本武揚」は動きがあって観るにはいちばん楽しい劇だと思う。作者の意図は何だろうなどと探るのではなく、おもしろく観ればそれでよいような気がする。 | ||||
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友達ってのは評価が高いらしいが、個人的には不条理さに不快感が。舞台を鑑賞すれば違うのだろうか。 | ||||
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覇権国が開発途上国に行っていることと似てなくもない。ただし”友達”の場合はもう少しグロテスクです。寄生虫に近いかな。安倍公房の名作中の名作でしかも分かりやすい文章。古さを感じません。 | ||||
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20世紀の昭和が舞台ですが、21世紀の令和に読んでも遜色ありません。面白くて怖い戯曲集でした。 | ||||
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大江と同格だったのが嘘のように、忘れられている。 ほとんどの作品を読んでたんだが、死んでからは一切読んでない。 それだけの作家だったのかな?分からん。 「友達」はすっきりしてるし短いから、小話的に読むには丁度良いんじゃないですかね。 | ||||
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こんなに早く届けていただき有り難いです! 「友達」演劇に娘が、出演決定になりました。 今から楽しみにしています。 | ||||
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氏の作品を少しでも読んだ事がある方なら 話の不条理さと何ともいえない奇妙なストーリー展開が魅力では無いかと思います。 本書は戯曲集3編を収録したものでざっと内容を書きますと 友達:ある男のうちに全く面識の無い家族が突然上がり込み 彼の家に住み込み居座る話 棒になった男:全3景となるお話の3番目の話が棒になった男。 突然棒になってしまった男を地獄の女と男が調査する話 榎本武揚:実在人物の榎本武揚をベースにしたノンフィクションぽさを残すフィクションな話 友達と棒になった男は難なく読めましたが 3番目の榎本武揚に至ってはこの人物が歴史上何をしたか予備知識が無いと難しかったです。 何度読むのを放棄しようとしたことか、、、 新撰組の浅井十三郎という人物が作中出て来ますがこの人は実在人物?何処迄が本当のモデルを 拝借しているのか解らず読み辛く、、話も解りにくく、、解説読んだりウイキペディアで調べてようやく理解できました。 歴史に詳しい方は楽しくスッと読めるかもしれません。 その為評価は良くわからないので★3とさせていただきます | ||||
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「友達」はわりとわかりやすい。主体が道理なのか、他人や周囲が道理なのか。その関係がひっくり返りうるという、歴史的とも言える社会の動きを描いたとも言える。 「棒になった男」も、自分とみんなの関係を含めた、古めかしく言えば「疎外」の戯曲である。カバンに詰まった男という居心地悪さ、それに対する女性二人の居心地悪さ、ボクサーという職に悩む居心地悪さ、棒になるしかないという人間の居心地悪さである。 戯曲版「榎本武揚」も、専制も共和制も信じられない人間の疎外を描く。この作品は特にいいセリフが多い。 「蝦夷地に行ったら、みんな、自分が自分の殿様なんだぞ。」 「だから、この次は、あの浅井君が、自分で自分を裏切る番なのかもしれないね・・・」 「向こうが殿様の幽霊なら、こっちは共和国の幽霊さ。どうやら、本物よりも、幽霊の方が、ずっと恐ろしいものらしいからな。」 みんな一緒に見る人と人のつながりの夢が儚いと、安部はよくわかっていたのだろう。 | ||||
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いったい『男』はこの世の中で望んだのは孤独なのだろうか?それとも家族愛だろうか? 人々がこの世の中で強く生きるには一人でも生きられるように孤独に対応しなくてはいけないのだろうか? この本の『友達』を読むと家族とは何か考えさせられる。できればこの本を中学生、高校生の人たちに読んで貰いたい。たいていの人はこの年代になると友達の繋がりが家族の繋がりより大切になり家族の存在がウザイと思うようになる。そんなときこの本を読めば『友達』と『家族』の正しいバランス。ともに必要で人はその二つを求める生き物であるという事に気づくのではないでしょうか。 人は強がって孤独を好むよう見せるが、誰だって愛に飢えれば愛を求める。そういう生き物ではないでそうか。 | ||||
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見知らぬ家族がひとりの男の家に闖入してくる「友達」は、集団と個の吸収過程を黒いユーモアを交えてえがく傑作。登場人物が個性的で愉快、彼ら一家と青年の会話も軽やかでおもしろい。しかし油断は禁物、実はこの一家はとてつもなく恐ろしい友達なのです。 | ||||
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