■スポンサードリンク
箱男
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
箱男の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.22pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全56件 41~56 3/3ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
どうして安部公房が忘れ去られてしまうのでしょうか? カフカを思わせるような文体は今でも新しい。大江健三郎などよりもよほどノーベル賞に値したように思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
箱男――頭かすっぽりと箱をかぶった男。 社会の枠組みには収まりきらず、それでいて社会に溶け込んでいる奇怪な存在。 単なる浮浪者のようで異なる存在。 誰もがその存在を認めているのに、決して話題にはしない。 やっぱり”箱男”は”箱男”以外の何者でもないのです。 この本は、そんな箱男と看護婦と偽の箱男をめぐる話です。 少し昔に書かれた作品ですが、今でも十分新鮮に感じる作品ですよ。 現代にも十分通じるものがあると思います。 世にも奇妙な物語などが好きな方は、きっと気に入ると思います。 ただし! 作者の作り上げる作品世界は好き嫌いが分かれる世界だと思います。 画家にたとえるなら、ダリのような。 好きな人には、とても楽しめる作品。でも、そうでない人にとっては理解に苦しむ・生理的に受け付けない世界だと思います。 一応長編なので、「長編はちょっと……」という方は、短編集から手にとって見るのも良いかもしれませんね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
段ボールを頭からかぶった男。その姿を想像するだけでなんともいえないゾクゾクした感じがするし、私たちが普段目にしている段ボールにももしや人が入っているのではとつい思いその秘密感がなんともいい。本作の日記という形式が小学校のとき女の子と日記交換をしているような感覚を思い起こさせる。もちろんいつものように他にもあらゆる方法で読者を引きつける種を巧妙にまいているわけだけども、この箱男はなんと言ってもイメージがすごく生きている。優劣をつけるわけにはいかないけれど、さわやかな感じがなんども読み返したいそんな本です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「あなたにとって安部公房作品のベストは?」という問いは、私にとっては答のない「百の知恵の輪をつなぎ合せたような迷路」(下記引用文参照)のようなものだ。ちょうど、安部氏の全ての作品の一つひとつが織り成す作品世界のように。つまり、安部氏の作品世界は、そのすべてがクラインの壷のようなトポロジー空間において互いにつながりあっているのだ。したがって、その作品のすべてが「ベスト」とならざるを得ない。ところで、この作品「箱男」だが、「ダンボールを頭からすっぽりとかぶ」った主人公は、その箱にうがたれた覗き穴の内側からその外を覗くことによってのみ、一度失ったはずの他者=世界を再び手に入れる。言い換えれば、男は、「覗き」という行為を通じてのみ、一人の女という他者=世界の獲得へと向かうことができた。男は女を獲得し、やがて始まった女との生活が続くかに見えた。しかしそれもまた当然のように、この他者=世界は、男の意識がいつか途絶えたその意識の空隙、ある種の生存の空白=「落書きのための余白」(p.211.)において、いつしか消え去っている。箱男が消えた「彼女」を追う作品のラストはこうだ。 「- --余白はいつだってじゅうぶんに決まっている。いくら落書にはげんでみたところで、余白を埋めつくしたり出来っこない。いつも驚くことだが、ある種の落書は余白そのものなのだ。すくなくも自分の署名に必要な空白だけは、いつまでも残っていてくれる。しかし、それだって君が信じたくなければ、信じなくてもいっこうに構わない。 じっさい箱というやつは、見掛けはまったく単純なただの直方体にすぎないが、いったん内側から眺めると、百の知恵の輪をつなぎ合せたような迷路なのだ(中略) 現に姿を消した彼女だって、この迷路の何処かにひそんでいることだけは確かなのだ。べつに逃げ去ったわけではなく、ぼくの居場所を見つけ出せずにいるだけのことだろう。ぼくは少しも後悔なんかしていない。手掛りが多ければ、真相もその手掛りの数だけ存在していていいわけだ。 救急車のサイレンが聞こえてきた」 ちなみに、「密会」はこの救急車のサイレンの音から始まる。「密会」の解説から引用すると、「「密会」という作品自体がこの救急車のサイレンの音から着想されたらしい」 この余白があるからこそ、そしてそれが抹消不可能だからこそ、作品の創造が再び可能になる。我々の生存にぽっかりと空いた無気味な穴がなければ、我々が安部氏の世界に遭遇することもない。主人公の生存の空白から、無限の迷路を通過して、それぞれの作品が創造されていくことになる。だから私たち読者は、安部氏のそれぞれの作品世界の中で主人公たちとともに「我を失い」ながら、そのつど生まれる新たな作品世界を呆然と眺めることになるのだ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
安部公房の諸作は今も古びていない。おもしろいものが(例えば『燃えつきた地図』など)多いが、なんと言っても『箱男』。もう何回か読んだが……読むたびに新鮮。ベリー・ベスト・オブ・ベスト。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
~昔好きだったこの作品、今読むと「都市の匿名性」「媒介によってのみ成立する関係」といった時代的な主題をシュールなイメージでミスティフィケーションする手法、と解析しきれてしまう気が。複雑な叙述も単に「匿名性」の隠喩に過ぎないという。ちと否定的に書きましたが、でも「箱」のイメージは強烈だし、フェティッシュでやるせない恋愛小説としての側面~~もいいし、やっぱり面白いです。~ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本作品中ではホームレスと箱男との違いを強調していたが、客観的に見たらあまり違いは無いと思う。 箱男を軽蔑していた男がふとした出来事で箱男へと堕落していってしまうという話。確かに現実離れしている話ではあるが、ありえない話でもないと思う。 人間の興味とは嫌悪から来るものなのではないだろうか。 私はこの本を通じて、物事を客観的に見る術を学んだ気がする。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
不条理小説の醍醐味とは何だろう。密度の濃い暗闇にぽおーんと放り投げこまれてしまう、リスキーな快感ではないだろうか。前進しているのか後退しているのか。落下しているのか上昇しているのか。理性や常識という名のフックが見当たらないので不安定の連鎖現象が起こる。箱の中にいる「ぼく」は誰なのか? 作中人物なのか筆者なのか全く見知らぬ者なのか。「ぼく」が話しかける「君」は箱の外にいる人、箱の中にいるもうひとりの自分、読者・・・。箱の中には何があるのだろう。箱の外には何が広がっているのか、あるいは窄まっているのか。そもそもこの文章を書いている「ぼく」は誰なんだろう? フランツ・カフカの諸作品同様にどの時代をも超越した不条理小説の佳作である。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この本は近い将来にひきこもり、ストーカーが増えるのではないかと危惧した一冊ではないでしょうか。 人という生き物が誰かを観賞したり、誰からも観賞されない世界にいきたいというのを望む事はそれなりの年を生きていれば経験から知るところである。そして、その事にいち早く気づいた安部公房が独自の手法、ユーモラスを交えて書き記したのだと思う。 「人の本質」が分かる安部公房の著作の中でも一押しです。是非一度読んでみてはどうでしょうか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
何といっても、着想の奇抜さ、イメージの斬新さは、安部公房ならではのもので、僕はこの作品が安部公房の中で一番好きです。作品の構成もまた、これまでにないもので、「箱の製法」という出だしから始まります。この小説の醍醐味は、誰がこの小説を書いているかが途中で明確ではなくなってくる、つまり誰が箱男か分からない!という、からくりにあります。安部公房の実験の中でも、もっとも陰鬱で、細部までつきつめられていると思います。この作品の中には何枚かの写真が載っていますが、それらは「笑う月」という、安部公房のエッセイ集の中で解説されています。 ”見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある” ”小さなものを見つめていると、生きていてもいいと思う。 雨のしずく……濡れてちぢんだ革の手袋…… 大きすぎるものを眺めていると、死んでしまいたくなる。 国会議事堂だとか、世界地図だとか……” 陰鬱な刹那感が、読む者の心を打ちます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
『見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある。見られる痛みに耐えようとして、人は歯をむくのだ―』 見られる側が見返せば、たちどころに見ていた者が見られる側にたってしまう。『見ること』と『見られること』という、この視線の弁証法ともいうべきものこそが、自分が自分(一人の人間)であるということの証しなのです。 つまり箱男は、自分が箱男になることで『見られる』ことを拒否する。そう…彼はこの社会で確かに存在していながら、箱という『存在の不在証明』を手に入れたのでした。 そして覗見症者である倒錯した箱男の行為は、『見たいという欲望』と『見られるという不安』との混交を現す。 対象(彼女)を見ることによって彼女の存在を『所有』し、そして対象(彼女)に向け!られた箱男の視線は、相手を物体として犯すことに…。 看護婦との絶望的な愛、めくるめく官能的イメージの連鎖。ほとばしる銃声。そして贋箱男の出現…。一体誰が箱男ではなく、誰が箱男になりそこなったのか? 箱に深入りしてはいけません。『君が君をやめるなんてできっこない』…この実験的前衛官能小説の迷路にあなたも迷い込む?? | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
冒頭部分で箱男が教える「箱の製法」、そして、箱男に見せられ、ついに箱男の仲間入りしてしまう「たとえばAの場合」。最初の部分だけでも悪夢のよう。悪夢のようでありながら、箱男は常に正気で、自分自身を覗いている…。「燃えつきた地図」に似て、自らの意思で、”社会”から離れ、遠くから”社会”を見つめる箱男の心理。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
冒頭にあるように、箱男が箱男のことを書いたお話です。 箱の中と外が、ぐちゃぐちゃとなり、頭の中もぐちゃぐちゃになって、 安部公房作品らしい、不条理なメマイを感じさせられます。 ただ、いきなり、この作品を、読むのは、インパクトが大きいかも、 しれないので、もう少し、無難なところから入りたい方には、 燃え尽きた地図辺りを、オススメさせて頂きます。 逆に、この本を読み、はまりそうな気分になったら、 人間そっくりとか、有名な、砂の女辺りに、手を延ばしてみる、 というのは、どうでしょうか。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
社会にいながらにして社会を眺めるだけのお客さんに なりたいという願望を持つ男、それが箱男である。 この願望は一見すると異常なもののように思えるが テレビや映画を眺める人間のまなざしは箱男が社会を 眺めるまなざしと一脈通じるところがあるのでは ないだろうか? | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
段ボールの箱をまとった男の手記(?)。 読みすすむにつれ、誰が箱男なのか、箱男とはなんなのかがわからなくなってくる。現実の実在感も希薄に感じてしまう不思議な読後感を味わえます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ダンボール箱を頭からすっぽりと被った男が主人公という、いかにも安部公房らしい奇抜な状況設定です。箱男に憧れる男とのダンボール箱の売買、偽箱男の出現など奇想天外なストーリーです。とにかく面白いので読んでみて下さい。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!