■スポンサードリンク
しろいろの街の、その骨の体温の
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
しろいろの街の、その骨の体温のの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.16pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全61件 1~20 1/4ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公の結佳の成長がとても大切に書かれている。社会の価値観で生きる人と、自分の価値観で生きる人。 自分に正直に生きるってこういうことだよなぁと考えさせられた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
開発途上のしろいろの街を舞台に、少女の成長を描く作品。その中で語られる最も重大なポイントとして私が思いますのは、どのように自分らしく生きるか? という最も根源的で、少女の頭の中を常に悩ませている、誰にとっても難しい問題です。 作品は客観的にも主題が繰り返し登場するという美しい構成になっており、ひしひしと張り詰める、主人公およびその周りの人物を囲む環境が、主観的な心情にも非常な没入感を与えてくれ、私は途中で何度も読む手を休めながら、そして時に考えながら、偶然ではなく自然によって問題の増幅する世界を、大変面白く味わいました。 小説は仮のケースにおける心理実験のように思いますが、この作品は学生時代苦い経験をした人にとって、(あくまで私の感想ですが)希望の持てる軌道へと次元的に乗せてくれるような物語であると思います。 また箴言も多く、人間が何を考えているのかという洞察も与えてくれます。 このお話の進む先が本当に正しいのか、そもそも正しいとはなんなのかと考えれば、きっと人によるだろうし、正解はないのかもしれない、と思います。 ですがこの世の中、それと相似の結佳の体験する抑圧的で陰惨な世界で、それでも私たちが生きなければならないとなったとき、どんな思いを抱えるのか、何を見つけ出すことができるのか…、これから読まれる方のためにそこは曖昧にさせていただきますが、私は読んでよかったなとつよく思える作品でした。 人生のうちでも特に好きなお話の一つになりました。 あの日々から得たものであるから、それは強靭な、世界へさえも振り向けることのできる光になったのだと、もう少し先の未来でも感じているに違いありません。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
とても丁寧に丁寧に文章が書かれている。 読んだ後の余韻が楽しめたのも良かった。 是非、何度も読み返したくなる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
考えさせられた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
死んだニュータウンで繰り返される、誰もが通る中学校の世界。誰かが上で、誰かは下で、目に見えない人間関係にしばられていく。 群れから離れないようという女の子のdnaに従いながらも、違和感はずっとある。上の者からの命令は絶対で、守らなければ今度は自分が標的となる。 同じ毎日、ずっと同じ風景。季節だけが流れていく。どこにも出口はないように見える。 でも、結佳は自分の中に希望を見いだす。落とされたことにより、価値観の転換、視線の放棄、あらゆる呪縛の解放が起きて、ただ自分の愛する人に想いを伝えることだけから逃げなくなる。 本当に大事なことをしない人たちは、まだあの教室で生徒ごっこを延々と続けている。私はそこにはもういない。 そして、希望はある。私の隣にいる人の手をもう離さない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
かつて大嫌いな場所で、ありのままの自分でいられない10代の日々を過ごしたことがある人なら、主人公の姿に自分を重ねて、その頃の自分を記憶の墓場から掘り出して、熱く抱き寄せたり平手打ちしたりしたあと、もう一度受け止めることができるようになれる、そんなきっかけをくれる本だと思います。すっきり浄化される読後感でした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
少女が成長する過程にある感情や、その子を取り巻く環境。学校ものは過去の経験が思い出されちょっと読めませんでした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
Eテレでの紹介ドラマが熱演で購入しました。 スクールカーストは、生徒に価格がつけられた閉鎖社会です。親がPTA会長、車はレクサス、運動ができる、イケメンである、そんなタグ(値札)がつけられた法治外の社会です。 小説で、女子中学生は香水をつけたり、リップを塗ったりして自らの価格を高めようとします。上位カーストの怒りを買って、カーストを降格させられることもあります。まるで動物のドキュメンタリー番組ですね。 この白くて乾いた人口の街の中で、主人公由佳は辛酸を味わいます。そして、どのカーストとも溶け込めるまれな存在伊吹とのセックスを通して、ついに自らの視座を獲得します。Le ClezioのLullabyを思わせるBildungsromanです。伊吹は由佳から繰り返し性的な執着を受けます。男子中学生ですから、深沢七郎の喜びの表現のように、ザーメンがザァーザァー流れたことでしょう。 ところでフランスを旅すると皆、地味な服を着ているのに驚きます。個人が自分に自信を持ってるからだそうです。服などに頼る必要はない、逆に頼ると子ども扱いされるそうです。日本とは真逆です。由佳が伊吹を通して獲得した視座はこのような考えであるのかもしれません。 私はITの仕事をします。機械学習など学ぶと資料はxml/jsonにしちゃえ、パワポ禁止と、Jeff Bezosのようなことを考えます。タグ付けされた社会はアニメ、東のエデンのように便利かもしれません。しかし、価値(value)を1個の平均値に落とし込むのではなく、分散や特異な評価も見れるテクノロジーでないと困りますね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
大人社会は、きらいきらいは嫌いでしかなく、素直さは知性の足りなさ、正しさは悪ともなりかねません。その昔の発情が懐かしく恋しくもあります。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公は谷沢結佳。小学4年と中学2年の頃のエピソード、二部構成。思春期の混乱や葛藤を主観的に描いている。 正直、主人公へはなかなか好感が持てなかった。異性への好意の示し方は乱暴だし、同性に対するまなざしも厳しい。それは自分自身に対しても同様に。 素直になれないお年頃であっても、自分や周りの子達を心の中でズタズタに切り裂いていたら身がもたないよーと、読んでいて苦しかったし、切なかった。 でも振り返れば、私だって10代の心と体の変化には、混乱と恐怖と淡い期待がごちゃ混ぜで苦しかった。そしてそれを表面的には見せないようにやり過ごしてきたじゃないか…。 私も結佳のように、恋心に気づく前に性愛が溢れ出てきてしまったら、訳もわからず行動を起こしたり、苦しんだりしたかもしれない…。 そんな風に、共感の難しい主人公と自分とを重ねてみたり、時に応援したりしながら、1日であっと言う間に読み終えた。 よくもまぁこんなにも思春期の頃の体験をありありと思い起こし、この時代特有の複雑な感情を言語化できたものだと、心の底から感心した。性描写も生々しくて、大人な私でもドキドキしてしまった。少女の性体験は、はじめての事わからない事のオンパレード。だけどわかってる風に背伸びしてしまう、そんな心の揺らぎも繊細に描かれていた。 実際には思春期真っ只中の当事者がここまで自分の思いを言葉にするのは難しい。 でもだからこそ、この作品は素晴らしい! 思春期の心に時計の針を戻してくれる、そんな読書体験だった。 読み手を選ぶ作品である事は間違いない。 でも私はこの小説に出会えて良かった。 なぜなら、自分の思春期を相対化して見る経験が出来たからだ。そんな力のある作品には、そう簡単には出会えない。 他の作品も読んでみたくなった。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
主人公である女子中学生の、その世代にしか感じられない街、人間関係、感情変化を描く。 自分の住まい、地域、友人、恋に、悩みながら、振り回されながら、それでも必死に向き合い、傷つきながら、自分なりの価値観に気づく物語。 大人が読むのと、中学生世代が読むのとでは、きっと感じ取り方は異なるのだろう。 大人になって、忘れかけていた思春期の悩み、世界を思い出させてくれる。 住んでいる地域、通っている学校、教室にいる人間が世界のすべてだった。 その先に広い世界があり、知らない人がいて、教室なんて無視できるほど小さな空間であることに気づけたのは、社会人になって働き出してからだろうか。 その先にある広い世界、自分なりの見方。 あまりに人目を気にさせるこの世の中で、たくましく、泥臭く、生きていく。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
とっつきやすい設定で最初は楽しく読めていたが、どうしても主人公を好きになれず、読み終わって嫌悪感だけが残った。 主人公と関係を持つ息吹くんにはとてもじゃないが現実味がなく、主人公の夢の中の存在なんじゃないかという疑いを最後まで持ちながら読んでいた。 仮にこれが現実だったとしても、やっていることは判断能力のない子供をレイプしているのと全く変わらず、主人公の行いはただただ気持ちが悪い。 自分を卑下する描写も、途中からはしつこく感じてしまい、飛ばし読みした。 唯一の救いは最後に主人公が自分自身の判断基準を持てたことだが、最後に息吹くんと結ばれる設定になっていて、またまた白けた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
まず、こういうタイトルを付けようとする、神経の普通じゃないところに着目して欲しい。 仲間内たちから、“クレイジー沙耶香”と呼ばれているのは、流石、伊達じゃない。 大江健三郎は自らの文学的課題を、“日本語の可能性を突き詰める実験”と称したが、それに近いものがありそうと書けば、褒め過ぎだろうけど。 大手デヴェロッパーが開発を手懸けて癌細胞のように増殖、ある通過点から嘘みたいに停滞する新興住宅地を舞台とし、社会的動物である人間の子供たちがお互いに探り合うような過酷なマウンティングを行う。 無機的な街と有機的なヒト族の成長と頭打ち、街の基調色彩“シロ”が巨大な外骨格動物の“ホネ”のようであり、その中に寄生して暮らし、常に外から侵入して来る微生物のような移住者たちを警戒しながら共存する住民、その複雑で捻じくれた関係が、少女の性と変調を通して不気味に描かれるという、まさに表題を反映した内容。 餓鬼大将及び幹部数名と家来たちが男子小中学生のシンプルなヒエラルキーなら、それと似て実は微妙に異なる少女同士の陰険、かつ凄まじくどろどろした確執と権謀術数、天真爛漫で無害な“幸せさん”男の子を自分の玩具にする設定なんか辟易させらるが、居心地の悪さを突き付けて退屈な日常に罅を入れる、何かを深く考えさせる純文学の役割を果たそうとする意気込みとも受け取れる。 村田さんの中では良質な部類であると思えるものの、問題作『変半身』は未だに首を捻らざるを得ず、こちら側の読み込みが足りないんだろうなあ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
人間というのは心底気持ちの悪い生き物だ。 「他人のため」と言いつつも、結局は全ては自分のための行為、オナニーに過ぎない。 だけど、その気持ち悪さから逃げて、知らない振りをしてやり過ごすことは、もっと気持ちの悪いものだと思う。 「私」はその気持ち悪さから逃げずに、しっかり向き合い、そして言葉でその気持ち悪さに輪郭を描いた。 美しい、と思った。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
素晴らしい小説だった。小学生から中学生の間での女子の身体・精神的な成長を、思春期を通してきわめて内省的に描いている成長物語。彼女は、彼女が住む街の発展に並行して成長し、その内容は彼女の個性的な視点のみで描いていて、体内と外の環境の変化に対する敏感さを豊かな比喩で表現している。こうして、読み手は彼女のことを少しずつ知りつつ物語がゆっくり進んでいく。 主人公の女の子の思春期に伴う違和感や悩みには、習字教室が一緒の伊吹くんと仲良くなってからは、歪んだ「愛」の気持ちが加わる。村田さんの圧倒的な筆力に驚いて、2人の色んなシーンはほとんどシュールに感じた。 スクールカーストの描写もあり、登場人物たちの心情を生々しく描いていて、それを読むのが時々辛かったものの、パワフルに描いたに違いない。現代でも同じようなことに苦しみを抱いている子たちがたくさんいることを思い出させた作品。 私たち人間が作った「社会的価値観」と、それらに従っている私たちのこと(知らないうちに従っているときもある)についても、本書では触れる。この小説の場合は、それを「教室内のヒエラルキー」という舞台で描写している。同じ作家による「コンビニ人間」でも似たような話題には触れたが、「しろいろの街」の方が登場人物たちが持つそれぞれの価値観や心情を上手に描写していると思う。なぜなら「しろいろの街」は、ビビッドに描いた登場人物たちの過去や友情関係をベースに描いているし、主人公の女の子の心理も丹念に描いているからだと思う。 逆に本の好きじゃなかったところと言えば、主人公はもう少しだけ前向きになったらいいな、と思った。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
私は友人のおすすめで村田沙耶香先生の本を読み始め、最初に手に取った作品が『しろいろの街の、その体温の』でした。主人公が自分の幼さ故に想い人に対して暴走してしまう事を生々しくそれでいて美しく描写されています。 これより先はネタバレ注意! 物語は主人公の小学生と中学生の時を対比して進んでゆき、年齢が上がるにつれて発生するヒエラルキーにどのように接していくか模索していく主人公には多くの人が感じた事があるものがあると思います。 数々の苦悩や経験を超えた先に自分の自分だけしか感じることのできない本当の価値観を見つけ出す物語です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
いろんなこと思い出して悲しくなったと同時に、この表現力のスゴさをおもいしりました。風景も心情もあっさりと映像で思い浮かべられる感じというか… あんまりいい気分になれなかったのでこの評価てすが、このエグるチカラは凄まじい。思春期って、やっぱりろくでもないわ | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
堪能した~!面白かった~!! 一文字一文字、 ぜんぶに夢中になって読みました。 もう、本当に最高です!! 現時点で、村田沙耶香作品ハズレなしです。 この物語は簡単に言うと、 1つの個性が幼生からサナギになり、 羽化するまでを描いた物語です。 ただこれだけだと棒みたいに、 ただ時間を、 まっすぐ縦に表しただけになっちゃうので、 横に幅をもたせて表すならば、 『純愛』を知った少女の苦悩の物語です。 ぼくは性愛こそが最も純粋な恋愛だと、 ずっと前から思っていたので、 この作品の描く〝純愛〟には痺れました。 『プラトニック・ラブ』という言葉には、 昔からずっと違和感があったんですよ。 まるで愛する人の肉を求める心が、 悪くて不潔みたいな考え方。 なーんてキモチワルイ清潔感でしょうか。 プラトニックって、 ようはセックスレスでしょ? どこが愛じゃ。 糞じゃ、そんな飾り物の〝愛もどき〟は。 心と肉は一体です。 心を愛するのと同じように、 身体も愛さないと満たされない。 レスを食らったほうは自信を喪失する。 だからこの物語の主人公も苦しんだ。 愛とは互いに相手を求めること、 心だけじゃなく肉の、 体温、体臭、体液を求めることで初めて、 言葉による愛情表現が真実になる。 その対極にあるのが作中でもよく言われる、 『キモチワルイ』という蔑みです。 外見、外面、人格、趣味、思想、 すべてを否定する最悪の言葉。 主人公がじっとうつむいて、 それに耐える場面がまたよくて、 それを自覚していると錯覚してしまう。 違うんです。 誰にも、とくに好きな人に認められないから、 蔑視の嵐が過ぎるのをじっと待つんです。 雌伏の時代をサナギのように内側にこもり、 たまに暴発を繰り返してきたユカちゃんは、 覚醒した後、ヒーローのように爽快に、 骨の街を走り抜けていました。 思い出は、もう闇のなかにはない。 光のなかに、ちゃんと形をもって現れている。 それは、認められたから。 心なんて態度か言葉でしか表せないんだから、 肉を求めてくれて初めてそれは実体になる。 彼女は無敵です。素晴らしい。 『コンビニ人間』を軽い気持ちで読み、 衝撃をうけて、 『ギンイロノウタ』を期待と不安で買い求め、 その天才的な変態性に心の底から惚れて、 村田先生の作品で、 文庫になっているものは全部買いました。 3冊目として体験した、 この『白色の街の、その骨の体温の』は、 まず、これは毎回のことなのですが、 タイトルがまったく意味不明で、 中身が予想できず、 ふわっと読み始めました。 読み進めて、ああ、なるほど、 白を基調としたニュータウンが舞台なのねと、 そして、成長期に骨がのびるように、 街もバキバキと成長し、 大きく立派に育つのを期待していると、 なんか中途半端に成長が止まるという、 思春期の心と身体にかけてるのねと。 成長が勝手に止まってしまったとしても、 街には人がもう住んでるわけで。 それも、街の発展を期待しながら。 そして同じように、 少女の骨が身体の成長を止めたとしても、 その心はイロイロ求めているままなわけで。 大きくなったら女性らしい体型になって、 化粧の似合う顔になって、 でも、自分だけが気に入っていた異性は、 いつまでも自分だけのもののままで、 自分の掌の中に隠しておきたくて。 でも、でも、理想どおりにはいかなくて、 不満で不安で、何もかも嫌いで、 他人にも自分にも辛い点数をつけちゃう。 ゲスだなと、他人に向けた気持ちは、 自分にも向いていて。 女の子たちの矢印もまた、 残酷なまでに一部の男子に集中していて。 だからこそ、眼中にもない男子にまで、 見下されるという理不尽を感じるわけで。 ままならないことを、 ままならないのだと、 少しずつジワジワと刷り込まれていく、 拷問のような青春時代。あったあった。 中学校の教室の雰囲気が、 すごく伝わってきて、 ああ、自意識過剰で苦しんだな、ぼくもと。 なつかしくなりました。 でも、ぼくの時代にはまだ不良がいたので、 あんな風に調子にのって女をからかうアホは、 集団リンチで粛清されたと思います。 そらもう、ボッコボコに。 便所で水浸しにされて、 校舎裏で人間バレーボールですよ。 あんな野郎は。 自分に自信のある、男を挑発する女王蜂も、 あんまり調子にのってると、 昔ならエライめにあったと思います。 でも、暴力という権力が淘汰され、 不良たちが絶滅種となっても、 やはり支配層はいるんですね。 いじめも、昔からありました。 無視とか、心ない言葉とか、 学生時代って、残酷で容赦ないですよね。 この作品の中学生は、 最近のネット社会を利用したイジメと、 昔の不良が支配していた時代の、 ちょうど中間の時代のようです。 だからどちらの世代にも、 受け入れやすいのではないでしょうか。 登場人物の描写がすごくリアルで、 信子ちゃんと伊吹の声は、 本当に聴こえてくるような気がしました。 (小学生時代の伊吹の声は、 ぼくのなかではトトロのあの、 『ん!』て傘を渡す少年の声で、 信子ちゃんは、 サザエさんのハナザワさんの声でした笑) ぼくの記憶のなかにも 小川さんみたいなの、何人もいます。 いるいる、こーゆー女王蜂みたいなのと、 体温まで伝わってきました。 キャラクターが生きているので、 本を閉じて、また翌日開くと、 止まってた時間が進んだように錯覚します。 あとがきの解説を読むと、 そのリアルさゆえに感情移入型の人は、 目を背けたくなるところもあるようですね。 ぼくは単純に、ずっと楽しめましたが、 スクールカーストとイジメみたいのは、 文字表現のフィクションでも、 ツラくなる人は、ツラいかもしれません。 でも、多少ツラくても、 最後まで読むとそのツラさが利いてきます。 ぼくは、すごく解放感を覚えました。 その苦しみは、 一人の個性的な少女の、 無敵とも言える自我が覚醒するまでの、 ほんの数ヵ月の成長痛です。 んー……、だめだ! どんなに頑張っても、 この作品の素晴らしさが伝えられない! アホな自分の脳が恨めしい!恥ずかしい! 変態的天才、村田沙耶香様の本は、 今まで短めの作品しか読んでませんでしたが、 これは少し長めなので、 ガッツリ、タップリと楽しめます。 でもぼくは、まだ満腹にはなってません。 もっと、もっと村田さんの本が読みたいです。 と、そうだ。 うちに山ほど買ってあるんだった。 ぐへへ。嬉しいな。 おっと。 村田さんの本を読むと、 自分の中の変態性が目を覚ますので、 漏れ出ないように気を付けなければ。 ぐへへ。おっと。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
コンビニ・消滅世界に続けて読まされてしまった。 村田さんの世界観は凄い。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
昔立ち読みして、読みたくなったので中古を買った 汚れていたけど、内容は変わらんので | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!