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死霊



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死霊の評価: 4.24/5点 レビュー 72件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.24pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全72件 21~40 2/4ページ
No.52:
(4pt)

大幅な削除。

この事に触れられている方が殆どまたは全くいないように思うので書きますが、初めこの本を読んだとき(ハードカバーの重い本で)おかしな感じがしたのですが物語の繋がりがおかしいというかそういうことを思ったのですがじつは連載時のほぼ一回分ほどがまるまるカットされている。図書館で読んだのですが死靈 1945~95 (埴谷雄高全集)のほうには載っていて矢場徹吾をさがしに三輪と黒川がサーカス団を訪ねるエピソードがまるまるカットされているために話の繋がりがよくわからなくなっている。たぶん表現というより内容が差別的内容に当たるということなのだろうがこれでは小説として理解しにくいのでカットされているならカットされているということをどこかに明記するべきだと思う。
死霊(1) (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:死霊(1) (講談社文芸文庫)より
4061983210
No.51:
(5pt)

黙狂の宇宙者・華厳世界

正直に言えば、もはやこの最終巻における矢場徹吾の「自己と自己の対話」は難解極まるものであり、「食物連鎖」に事寄せてイエスや釈迦をも断罪するがごとき精神は私には理解不能な領域に足を踏み込んだようで、「わけがわからない」
或いは、私はこの「死霊」という作品を第2巻で読むのを止めておけば良かったのかも知れない。
少なめに見積もっても、私の力量ではこの「精神の無限大を突き詰めた」死霊を読みこなすに、あとさらに二十年の沈黙と思索、瞑想が必要だ。
ぷふい、あっは!!
なお、蛇足ながら付言するなら、この作品の沈黙の無限大の宇宙世界には、「明らかに」
「華厳の哲学」が内包されている。
死霊(3) (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:死霊(3) (講談社文芸文庫)より
4061983288
No.50:
(5pt)

読後走り書きメモ

三輪の兄貴に現れたる、夢魔の正体。
それは、一言で言えば「想像を絶した、(全宇宙)への形而上的反逆。
喩えるなら、阿弥陀に救済される事を拒否した、みずから阿弥陀となりて、超宇宙的浄土建立を企む、極限の忍耐に基づいた「飽くことなき強靭な意思そのもの」
そしてそれは、「俺一人で実行されねばならない」過剰な重力の重さに耐え得る精神。
「全宇宙における全生命体のレーベンを己がすべて体験する宿命」
嗚呼!人はそんな「重さ」に果たして耐え得るのか?
ふむ、してみるとやはりこれは仏教小説か?
しかし、軽率な判断は危険大だ。
言葉による、幾重ものトラップがこの作品には仕掛けられている?
三輪は、ゴータマブッダ?それとも?
死霊(2) (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:死霊(2) (講談社文芸文庫)より
4061983253
No.49:
(5pt)

日本文学における最大問題作

私のすでに亡くなった祖父が異様な情熱を傾けて読んでいたのがこの「死霊」である。
読む前から、ある程度覚悟していたが、やはり難解な作品である。
この深遠なドラマは三輪与志(みわよし)の風癲病院来訪から始まる。
その設定そのものからして異様な雰囲気が漂っている。
どこまでも暗い灰色の世界である。
三輪与志の述べる「虚体」とは何か?
それは、仏教哲学における「空」の論理か?
埴谷雄高氏のもうひとつのペンネームが般若雄高であることに思いをいたすと、何か得体の知れない宗教的形而上文学のような感じがする。
今のところ第1巻を読了したばかりである。
今後の展開に胸踊らせる思いをしている。
この「死霊」は文体が難解であるが、読んでいるうちに慣れてくるので、ぐんぐんと埴谷ワールドに引き込まれる。
難しいのは最初だけなのでまだこの作品を読んだ事の無い読者の方々はリラックスして本書に挑戦して欲しいものです。
それにしても・・・
「睨みの悪魔」たる、首猛夫のいつ果てるともなき饒舌ぶり、その鉄面皮ぶりは読者の笑いを誘うに充分過ぎる。
或いはやはりこの作品はドストエフスキーのパロディなのか?
それとももっと深刻なテーマを啓示しているのかは神のみぞ知るである。
なにはともあれ、インド哲学の芳香がプンプン漂う作品である。
死霊(1) (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:死霊(1) (講談社文芸文庫)より
4061983210
No.48:
(5pt)

戦後文学の謎、闇、形而上学 暗喩、あらゆる抽象性への憧れ、言葉を駆使することの面白さ。

無論、作者は明確、明晰にこの小説のテーマを理解しているが、読者が作者と同等の読解力で立ち向かうことは無理だろう。無限大、存在、宇宙、虚體、自同律の不快 あっは ぷふい などこの作品に定着しているこの作者自身の強靭な意思的言語は激しい作者の分析理解力によるものである。読者は明確に分からずともよいのである。この世界に漂うことが出来さえすれば。戦後日本文学が生んだ金字塔的名作である。しかし僕はNHKの埴谷雄高・独白「死霊」の世界で得た作者自身の解説の方に圧倒的に引きこまれた。
村上春樹よ、これが文学者の文学だ。
死霊(1) (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:死霊(1) (講談社文芸文庫)より
4061983210
No.47:
(5pt)

見るということと疎外、そして運命

この小説に登場する人物は傍から見ると、皆頭がおかしいです。しかし、本当にそうなのでしょうか。私たちは本当に物事を正しく見ることができているのでしょうか。私はできていないと思います。なぜなら、あまりに深淵に関わることは恐ろしすぎて人は見ることをしないからです。

ここに登場する人物は皆、深淵を見ようとする人ばかりです。当然、皆が恐ろしい深淵に見つめられているため、恐ろしい運命にまきこまれ、社会から疎外されます。

しかし、そのような不幸にあってもなお、運命に身を委ね、疎外を恐れず突き進む主人公たちに僕は大いなる魅力を感じました。
死霊(1) (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:死霊(1) (講談社文芸文庫)より
4061983210
No.46:
(5pt)

霊魂との対話

第二巻においては夢魔の世界という世界において三輪与志の兄、三輪高志は霊魂との対話を始める。霊魂の世界では我々の世界と異なり、時間と空間の概念が崩壊する。すなわち、我々の想念は霊魂の世界にどっぷりつかることで初めて、0と無限、すなわち宇宙の問題について語ることができるのである。この小説では宇宙の変転の原動力を自同律の不快と解釈し、我々の自己破壊欲求がこの宇宙の無限膨張のダイナミズムと直結していることを伺わせる。

しかし、無限に膨張する宇宙は錯誤の宇宙史を展開する。すなわち、常なる未出現があるのだ。その未出現を我々人間は創造しうるか。これが三輪与志の虚体論の挑戦であり、この問題を考えることが人間の尊厳を追求したかつての先達への現代人の責任なのだと私は考える。

死んでしまった人間は何もかたることはできない。しかし、それ故にこそ我々は彼らに対して有らん限りの想像力をもって報いねばならないのだ。
死霊(2) (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:死霊(2) (講談社文芸文庫)より
4061983253
No.45:
(5pt)

満たされざる魂、そして未来へ

この小説の第九章を書いた二年後に埴谷雄高氏は亡くなっている。そして、この小説は未完のまま、三輪与志の虚体の追及は未来の人間、すなわち、我々に託されることになった。

この小説は全体的に論点が曖昧に見えるが、それも致し方ないことと言えよう。というのもこれは三輪与志の求める虚体というものが人間が宇宙に刻むべき未出現といえるものであり、それを語ることは宇宙に生きる我々にとって本質的に不可能なことだと思われるからである。

しかし、我々には宇宙と同じように「満たされざる魂」というものを持っている。その始動の原理である自同律の不快は我々に諦めという安寧を許してはくれない。それ故に我々は不可能な「虚体」の追及をしなければならないのである。

その不可能性ゆえにこの文学が未完であることは必然であるかもしれない。しかし、我々はその不可能性のゆえにこそこの文学を完成させる責任があるのかもしれない。それが埴谷雄高氏を含めた死霊に対する責任なのである。
死霊(3) (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:死霊(3) (講談社文芸文庫)より
4061983288
No.44:
(3pt)

純粋革命とは、人類の死滅に際しておこなわれる革命なり(本文より)

ぷふい、この「死霊」は埴谷雄高の代表作。著者はドストエフスキーから多大な影響を受けてこの作品を書いている。いわゆる著者のいう思索実験小説である。一般には哲学小説、形而上学小説とも称されている。書かれた内容は難解といわれ、はっは、読了者より挫折者のほうが多いのではないだろうか。
ふむ、しかし第七章のいかれっぷりは凄いものがあります。ほほう、著者曰く「意識=存在」というのだから著者にとっては実在する宇宙なのだろう。あっは、この巻は前巻よりも読みやすい文章ではなかろうか。この小説は全三巻で各巻には三章分が収録されている。

第七章は、李奉洋の印刷工場にて。津田夫人と娘の津田安寿子、岸博士、三輪与志、黒川健吉、首猛夫、痴呆少女「神様」。津田夫人と岸博士ら三輪与志の口論、黙狂の矢場徹吾のこと、宇宙者、岸博士と首猛夫の口論。首猛夫による三輪家の暗い秘密の暴露……、

首猛夫による三輪家の暗い秘密の暴露とは……、

行方不明の矢場徹吾の消息は如何に……、

矢場徹吾が語る最後の言葉とは……、

第八章は、首猛夫と別れた六人(津田夫人と娘の津田安寿子、岸博士、三輪与志、黒川健吉、痴呆少女「神様」)は矢場徹吾を探す為に津田夫人を残して印刷工場の暗黒の地下室へ……、李奉洋との対話、黒川健吉によって津田安寿子に三輪与志の虚体論と「無限大の道」が語られる。そして、津田安寿子と尾木恒子の対話、人類の死滅、虚体、虚在、夢幻劇ふうな風景……、

第九章は、津田安寿子の誕生祝い、ここでも語られるのは虚体論、宇宙者、岸博士と首猛夫の口論……、果て知れぬ巨大なのっぺらぼうの顔を果て知れぬ巨大な掌が撫でるとどうなるのか? 

ふむ、私の読後感は、「最後の審判」はカラマーゾフの劣化版という感じで、いまひとつパンチが無い。単に食物連鎖上での食されるプランクトンや魚らの食すものたちへの「生物殺し」という嘆きや怨みの呪詛で終わっている。「死霊」の登場人物はどれも似たようなタイプの人物ばかりでそれぞれの個性が書き分けられていないように思う。津田安寿子には色気も感じることはできなかった。ほほう、P282に「虚体」とカントのいう「物自体」なのだろうか、その違いが語られるのだが、ちょっ!、私には「物自体」を突き飛ばして「虚体」がその場に居座っただけのようにしか思えないのだが……、肉体的老化は思想的老化にも影響するものなのか、もう少し早く、「死霊」を書き上げていれば内容ももう少し違ったものになったのだろうか?……、ぷふい

おお、亡者たちよ。
存在の約束のすべてからまったく離れてしまった亡霊たちよ。
おまえたちはもはや裏切られることも、
裁かれることもまたもはやない。
死霊(3) (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:死霊(3) (講談社文芸文庫)より
4061983288
No.43:
(3pt)

読者泣かせの前世紀の名著

ぷふい、この「死霊」は埴谷雄高の代表作。著者はドストエフスキーから多大な影響を受けてこの作品を書いている。いわゆる著者のいう思索実験小説である。一般には哲学小説、形而上学小説とも称されている。書かれた内容は難解といわれ、はっは、読了者より挫折者のほうが多いのではないだろうか。
ふむ、私の読後感は、難解とは書かれた内容が難解なのではなく、文章が読者泣かせな不親切な文章でわかりにくいと思った。まず時間系列がメチャクチャなのである。ぷふい、そして状況描写が下手糞で、著者は読みやすいように配慮してくれていない不親切な文章といえる。これまで、まともに読まれていない小説なのではないだろうか。私は、この小説の矛盾さに、ちょっ!、ちょっ!、ちょっ!、の連続だったのだから……、

この小説は全三巻で各巻には三章分が収録されている。
第一章の冒頭は、三輪与志が瘋癲病院を訪れるシーンからはじまる。この冒頭はなにやら「罪と罰」に似てなくもないように思えるのだが。三輪与志は親友の矢場徹吾のことで瘋癲病院を訪れる。そのあとに三輪与志と矢場徹吾との関係と過去の回想が描かれ、矢場徹吾の謎の失踪、三輪与志と兄・三輪高志との関係、祖母の死、瘋癲病院での三輪与志と矢場徹吾の再会、若い医師岸博士、痴呆の姉妹の少女、時計台、永久運動、幽霊屋敷、論文の観念、現実、自殺、虚体、人間は何をなし得るか、自己証明、創造、神、老守衛の登場ののち、三輪与志と矢場徹吾との再会が描かれる。
私は、最初に矢場徹吾が狂人で首猛夫と名乗っているのかと誤読したのだが、津田安寿子の登場もいつ病院に来ていたのかわかりにくい。津田安寿子は首猛夫の婚約者か、痴呆の姉妹の少女たちのあだ名「神様」「ねんね」もどちらがどれか、よく注意しないとほんとにわかりにくいのである。
第二章の冒頭は、三輪家と津田家の関係、三輪与志と津田安寿子の婚約、三輪与志と津田安寿子の動物園へデート、アシカを一時間見て終わりというデートに安寿子の母親が激怒し、津田夫婦の喧嘩から、津田夫人は深夜に三輪宅へ行き、玄関での口論が描かれる。私は第一章の過去が書かれているのかと読んでいたら、いつの間にか第一章ののちの話になっているのはビックリしたのであるが、津田康造と首猛夫の出会い、人類の運命、首猛夫が津田夫人に三輪与志とは精神病院で出会ったことを話すので現代の話になっている。話は、津田康造と津田夫人の問答、津田夫人の三輪与志への不満、首猛夫の囚人生活、悪魔はいるか問答から中世の話、首猛夫の謎かけ、津田夫人の墓参、墓地での津田老人と或る男の話、津田夫人と安寿子の幽霊の話など。
第三章の冒頭は、「この屋根裏部屋へ黒川健吉が移ってきてから、既に数年たった。」とあり、いつから、数年なのか? ほんとに不親切な文章であるが、黒川健吉の部屋の様子と生活状況が描かれる。朝鮮人から黒川健吉の部屋に鬼が出ると聞かされた、或る夏の夕方、何かの気配を感じた黒川健吉の頬はひきつった……ぷふい、出たーっ、ちょっ!、ちょっ!……、何が出たかは本を読んでのお楽しみである。
あっは、そのあとに黒川健吉の部屋に首猛夫が訪ねて来て、二人の問答がはじまる、はっは、それから宗教の話、目的の変更、新たな形而上学が可能、宇宙の破壊予言、三輪与志の虚体論の話、妄想の話、そして首猛夫が去り三輪与志が黒川健吉の部屋に訪ねて来て、矢場徹吾の話になる。ちょっ!、ちょっ!、ちょっ!、痴呆少女「ねんね」が淫売婦だと……、ぷふい。

あっは、さて読者は各章の時間系列がわかっただろうか。ふむ、私の読みだと、第二章の前半→第一章の過去回想→第一章の前半と後半→第二章の後半に、第三章は第一章の過去回想の数年後の話で黒川健吉の部屋に首猛夫や三輪与志が訪ねて来るので第一章の前半と後半ののち、第二章の後半の前後の話ということになるのだろうか。

はっは、とまあ読者泣かせの小説ではある。ぷふい。

誤記?
P244 医しがたい習性→癒しがたい習性
P248 神はいまさなかった→神はいなさらなかった
死霊(1) (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:死霊(1) (講談社文芸文庫)より
4061983210
No.42:
(3pt)

埴谷雄高の妄想的宇宙論の大爆発!

ぷふい、この「死霊」は埴谷雄高の代表作。著者はドストエフスキーから多大な影響を受けてこの作品を書いている。いわゆる著者のいう思索実験小説である。一般には哲学小説、形而上学小説とも称されている。書かれた内容は難解といわれ、はっは、読了者より挫折者のほうが多いのではないだろうか。
ふむ、しかし第五章のいかれっぷりは凄いものがあります。ほほう、著者曰く「意識=存在」というのだから著者にとっては実在する宇宙なのだろう。あっは、著者は読みやすいように配慮してくれていないので、まあまあまあ、ひたすらに読む以外に、この小説の読了の術(すべ)はないのだろう……、

第四章は、第三章のあとの三輪与志が黒川健吉と別れての霧のかかった夜の散歩のなかで首猛夫と津田康造の幻聴を聴き、二つの影と三輪与志は革命についての問答をする。そのあと影は消え、三輪与志は深い霧の中でいろいろな不思議な光景を幻視する。三輪与志は或る部屋に入るとそこには二十一二の少女がいる。二十一二を少女というか疑問であるが、二人は知り合いで死んだ祖母や兄のことについて会話する。少女は保母をしていて話は仕事、隣人、彼女の死んだ姉、そして与志の兄高志のことになる。少女、尾木恒子の姉と高志は過去に深い仲であったことが語られる……、

第五章は、三輪与志の真夜中の帰宅、不眠症で夜中じゅう起きている高志、魔の扉を開けると首猛夫の登場、幽霊の世界の話、高志との自由意志における自殺、子供の生産、革命、真の革命家とは?、生と宇宙、意識と存在、遍在する光の王国、三つの存在の窮極の秘密、意識=存在、自同律の不快、自分自身、のっぺらぼう……、高志の長い物語が語られる……、

第六章は、寝台の三輪与志、夢魔の登場、来客の岸博士、盗まれた矢場徹吾探し。黒川健吉と痴呆少女「神様」とのボート乗り、首猛夫の登場、矢場徹吾の居所、宇宙史、津田夫人と娘の津田安寿子の登場、5人を乗せたボートは××橋へ。愁い王、非在の王、宇宙のはじめ、夢見る宇宙、沈むボート、巨大な白いセイウチのような女王の津田夫人、5人は印刷工場へ。印刷工場の李奉洋、矢場徹吾を探して印刷工場へ駆けつける三輪与志と岸博士……、

ちょっ!、ちょっ!、ちょっ!、行方不明の矢場徹吾の消息は如何に……、ぷふい
死霊(2) (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:死霊(2) (講談社文芸文庫)より
4061983253
No.41:
(5pt)

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死霊(1) (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:死霊(1) (講談社文芸文庫)より
4061983210
No.40:
(5pt)

存在の革命とは何だったのか?

どなたかがレビューで書いておられた通り、5章までとそれ以降の完成度が違い過ぎます。時間をかけて推敲すれば良いものができるという訳ではない、と後進に身をもって教えて下さったのでしょう。
主人公の目的は存在の革命、だったようです。存在したくなかったのに存在させられた、そのように存在するありかたを拒否する権限は一切与えられず、気に入らなければ存在者は存在しなくなること=自死するしかない、これは不当ではないのかー存在したくない、否、未存在したい…自分で書いていてクラクラしますが、このように散漫で冗長な仕方でしか表現できないのが作者の希望した事態だったのではないでしょうか。
正直に言って、この作品が存在の革命を成し遂げたとは思えませんが、何というか心が励まされる作品です。ヴィトゲンシュタインが語った「不可能に挑戦する人間への敬意」 というのはこういうことだったのではないでしょうか。
死霊(3) (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:死霊(3) (講談社文芸文庫)より
4061983288
No.39:
(1pt)

ついに中断

埴谷雄高、死霊I/II巻をやっと66日間で読了。

勿論、未完ではあるが第III巻まで出されているのは承知だが、もうとても読み進める意欲も興味もなくなった。鶴見俊輔の解説を読めば、それでも何故これが文学史上の名作かが少しは分かるが、己には全く理解不可能な世界。強いて言えば、風景描写の諸処に水彩画でも見るような美しさは何とか感じることは出来たが。

3年前に初めて読み始めて中断したのがどこか悔しくて再挑戦したわけだが、もうこれで埴谷雄高には別れを告げることとした。何事も高望みをしないのが我が人生で、読書の面でも然り。かつて、高級フランス料理を食べてから、ひどい腹痛、下痢になって以来、決して食べなくなったことに似たりか。
死霊(2) (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:死霊(2) (講談社文芸文庫)より
4061983253
No.38:
(3pt)

たまには

普段あまり読まないタイプの本なので買いました。評価しづらい。
死霊(2) (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:死霊(2) (講談社文芸文庫)より
4061983253
No.37:
(3pt)

たまには

たまには普段読まないタイプの本も読もうと読みました。評価しづらいです。
死霊(3) (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:死霊(3) (講談社文芸文庫)より
4061983288
No.36:
(5pt)

実は面白い

難解な小説だと思われているようだが、「首猛夫です。首ったけ、と覚えてください」と言うなど奇妙な登場人物が次々と現れて、奇妙なことを言う、何か奇妙で面白い小説である。ドストエフスキーより埴谷のほうが偉いと言う人もいるくらいである。野間宏なんぞよりずっと面白い。ご賞味あれ。
死霊(1) (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:死霊(1) (講談社文芸文庫)より
4061983210
No.35:
(3pt)

文庫化してくれた講談社に心から感謝しております。

言語に対する偏愛的執着、ドストエフスキー好き、観念好き、独善性、これらの傾向はみな詩人の資質であり、それとロシア革命前期の白手袋にシルクハットのナロードニキの混合が埴谷雄高氏の文学的イメージである。わたしは氏を称えているのではない。胡散臭いといっているのだ。
明治生まれには案外とこの型の作家が多い。空回りの大家という意味だが、代表は西の横綱が稲垣足穂氏であり、東はこの埴谷雄高氏であろう。前頭筆頭は云わずと知れた三島由紀夫氏である。だからけっして埴谷氏はマジメにうけとるべき作家ではなく、たのしく読めばそれでいいのだ。じっさいわたしは約四十年間、時々取り出してはたのしくこの小説を読ませて頂いている。昔はハードカバーしかなく重たくて苦労したものである。今はこの文庫があるから寝っ転って読める。文庫化してくれた講談社に心から感謝しております。

似たような小説に松永 延造氏の「夢を喰う人」 というのがある。大正期だがたいへんブリリアントな作品である。「死霊」が好きなひとにはぜひ一読をお勧めしたい。
死霊(1) (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:死霊(1) (講談社文芸文庫)より
4061983210
No.34:
(2pt)

長い執筆期間のあいだに自己崩壊した小説

共産党をやってた父親が、なぜか急に路線変更して埴谷雄高にはまった。5章まで合冊した本を買ってきたので、借りて読んだのが最初である。
 その後雑誌『群像』に続きの章が発表されたが、完成してから読もうとしばらく放っておいた。いつのまにか続きが出なくなってしまった。気がついたら作者は90過ぎのよぼよぼのおじいちゃん。NHKのインタビュー番組で怪気炎を上げていたが、ほとんど執筆はしていない様子。これはもう「死霊」は完成しないなと思った。
 案の定、9章で未完。作者は「紅楼夢」のように誰かに乗り移ってでも書くといっていたが、その後本作を書き継ごうという作家は現れない。
 で、何年か前、あらためて1章から通読したのだが、6章から8章までがむごい出来栄え。登場人物たちの乗った船が意味もなく転覆したりで、どたばた喜劇。数億の精子のうちで卵子に受精できるのはたったの1個、だから人間は数億の兄弟たちを殺して生まれてきたのだ、などという教説が突然現れるが、いまさら存在の遇有性をこんな説話で表現されてもさっぱりありがたくないし、そこからどう展開できるか道筋が見えない。だいいち文章がだらけていてしまりがない。
 この人は耄碌した、というのが率直な感想だった。
 9章は推理小説の謎解きよろしく、登場人物が一堂に会してそれぞれの思想を語りだす。余分な遊びがなくなって、しまった文章にはなったけれど、もはや文体に力はなく、長い哲学書の序文にもどったようだった。ふりだしに戻っただけでは意味がない。
 執筆があまりにも長期間にわたったので、作家自身ストーリー展開が見つからなくなって、そのうちに執筆動機もわからなくなってしまった作品なのだと思う。
 ハードカバーの3巻本を買ったが、すぐ売ってしまった。手元には父親が買った72年版の5章合冊本が残っている。私にとっては「死霊」はこの5章までで、あとの4章は書かれなかったものと思いたい。共産党のスパイリンチ事件に取材した5章は戦後文学の白眉である。

 付けたしをいえば、作者はドストエフスキーに造詣が深く、本作品も「カラマーゾフ」をまねた面があるが、この作家の小説作法はむしろポオを見習ったものであり、ゴシック小説の枠組みで読まれるべきではないかと思う。
死霊(3) (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:死霊(3) (講談社文芸文庫)より
4061983288
No.33:
(5pt)

想像力の果てを駆ける埴谷節

第七章「最後の審判」は、最初はそんなに難しくなさそうだけど論が進むにつれて相当難解になっていく。「夢の王の王冠」の話のあたりからだ。存在と宇宙のあり方についての話が、結構抽象的だったりたとえようもなかったりして分かりにくい。第三巻まで来て、なかなか読み進められないところにぶつかる。
 だが、物語の舞台がそもそも抽象的だったことが、ここでは存分に役割を果たしているとも言える。
 ある人は、この物語の終盤は光に満ちていると書いていた。確かに、光あふれて人間らしい描写が終盤には特徴的である。作者はこの作品を書き続けることができて幸せだったのではないだろうか。あるいは、一般的な、気まぐれで本書を手に取った読者にしてもそうなのかもしれない。
死霊(3) (講談社文芸文庫)Amazon書評・レビュー:死霊(3) (講談社文芸文庫)より
4061983288

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