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火星年代記
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火星年代記の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.49pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全80件 1~20 1/4ページ
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レイ・ブラッドベリ(1920~2012年)は、米イリノイ州生まれ、高校卒業後に新聞の販売をしていたときに書いた作品(共作)でプロ作家となったが、1950年の『火星年代記』で名声を得、1953年に代表作『華氏451度』を発表した。作品にはファンタジックな雰囲気の短編集が多く、幻想作家として不動の地位を築いた。 『火星年代記』は、米国のSF関連雑誌「ウィアード・テイルズ」等に発表された短編群に、書き下ろし作品を加えた、26の独立した短編を連ねて一つの長編とした作品である。年代記の題名の通り、1950年出版のものは、個々の短編に1999年1月から2026年10月までの年月が付され、その順の構成になっていたが、1997年に発表された改訂版では、前書きを新たに書き下ろし、いくつかの短編を入れ替えた上で、全ての短編を31年遅らせて2030年1月から2057年10月の年月が付されている。 大まかなストーリーは以下である。 火星には既に火星人が文明を築いており、地球から派遣された当初の調査隊は全滅させられてしまうが、第4次調査隊が到着したときには、火星人は地球人が持ち込んだ感染症で絶滅していた。その後、地球人は続々と移住していくが、彼らは過去の火星人の文明には全く関心を示さず、地球・アメリカと同じ街を作り、同じ生活を送った。一方、地球では核戦争が勃発し、それを火星から眺めていた人々は、大半が地球に戻り、ほんの一部が火星に残ったが、地球は滅亡し、火星に残った人々も消滅する。そうした中で、僅か二つの家族だけが地球を脱出することに成功し、誰もいなくなった火星で、新たな火星人としての一歩を踏み出す。 私は最近まで、いわゆるSF(&ファンタジー)はほとんど読まなかったが(ディストピア小説でもある『華氏451度』は随分前に読んだ)、最近、有名な作品はひと通り触れておこうと思い立ち、『星を継ぐもの』、『渚にて』、『火星の人』、『あなたの人生の物語』等を読み、本書もその流れで手に取った。 それらを次々に読んでみてわかるのは(今さらだが)、一口にSFと言っても様々な作風があることだが、本書は、科学的根拠を重視するハードSFとは一線を画す、メッセージ性が強い寓話的な作品である。 ストーリー全体を、地球を旧世界(ヨーロッパのような)に、火星を新世界(アメリカのような)に置き換えて読めば、人類(主として西洋人)の歴史と現状を強烈に風刺しており、更に、我々の未来に強い警鐘を鳴らしていることは明らかなのだ。 本書が書かれたのは第二次世界大戦直後で、それから既に70年以上が過ぎている。しかし、今読んでも古さは感じられないのだが、それは、裏を返せば、70年を経てなお人間も社会も文明も大きくは変わっておらず、本書のメッセージが引き続き有効だということなのだ。我々は滅亡・消滅を免れることができるのか(或いは、我々が「新たな火星人」になることができるのか)、今一度考えるきっかけにしたい作品と思う。 (2024年6月了) | ||||
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中学3年生以来ですが、けっこう細部を記憶していました。 思春期に読んだ本は刷り込まれているようです。 それにしても、小笠原豊樹さんの訳文の素晴らしさ。 ブラッドベリの文章は詩だというけれど、 小笠原さんの訳文はもはや音楽です。 中村融さんには申し訳ないけれど、 足元にも及びません。 | ||||
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新版で再読。旧版では年代が1999~2026年だったのが、31年スライドして2030~2057年になっている。むかし読んだ時に感じた、SFなのに懐かしい感覚、既知感と未知感の綯い交ぜがよみがえる。 新版の前書きで、ブラッドベリは一種の「種明かし」もしている。12歳の時から、週1作のショートストーリーのノルマを自分に課していたというのは有名な話(see SFマガジン1965年5月号インタビュー)。しかし、これだとなかなか長編には至らない。24歳の時に、シャーウッド・アンダーソンの掌篇集『ワインズバーグ、オハイオ』に出会い、これだと思ったという。オハイオを火星に変えて、掌篇たちを年代順に並べる。すると、アメリカ中西部のエピソードの集合が火星の植民・開拓・消滅のクロニクルになる! さあ、あとは持ち前のイマジネーションと詩的感性の発揮のしどころ。 でも、火星人とはいったいだれのことなのか。それが読者の宿題として残される。 | ||||
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旧訳で読みたかった | ||||
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人類は救われたかもしれないけど火星は救われなかった。 あいつらが火星人であるものか。 あの地球人どもはは百万年ピクニックの後今度こそ火星をめちゃくちゃにしてしまうだろう。 | ||||
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レビューを読んで期待し過ぎていたせいか、少し物足りなかった。宗教と科学に対して、火星人と地球人を対比させるシーンは面白かったが、その視点ではカール・セーガンのコスモスとかの方が、(やや軸足が異なるものの)読み応えあった。 | ||||
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1950年に単行本が出版されているSF小説の古典。 (本書はこの1950年版ではなく、1997年の改訂版) タイトルを忘れてしまったけれど、何かのSF小説のあとがきだったか解説だったか・・ 「いったい今までに火星を舞台にしたSF小説がどれくらい書かれてきたのだろう、 今までも、そしてこれからも火星は我々にとって特別な星であり続ける」 みたいな事が書いてあって、古くは ウェルズの『宇宙戦争』とかバローズの『火星のプリンセス』とか 日本でも海野十三の『火星兵団』とか川又千秋の『火星甲殻団』とか神林長平の火星三部作とか ホントにいくらでも作品を挙げることができるのだけれども・・ この作品はSF小説と言うジャンルの枠を超えて いつまでも読み継がれて欲しい作品だと思います。 詩的で抒情的、翻訳もとても良いと思います。 | ||||
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最初の数編を読んで、これは何かに似ている……星新一だ。と思ったのはその逆で、星新一が『火星年代記(火星人記録)』を読んで感銘を受けた、とのことです。それにしてもこれは火星の話ではなく、地球人(アメリカ人)の話ですね。 | ||||
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子どものころ家にあった一冊。いつの間にかどこかへ行ってしまって、もう一度読みたくなり『新版』で購入。 ……素晴らしい。正直子どものころは「面白いね」くらいの感想で、まさかこんなに重く、繊細で、美しい物語だとは思わなかった。本棚に永住決定、の一冊。 ブラッドベリは『オハイオ州ワインズバーグ物語』という本を読んで「こんなにすばらしくなくてもいい、これの半分だけすばらしい本でいいから、舞台をオハイオ州ではなくて火星に変えて、ぼくが書けたとしたら、どんなにすてきだろう!」と思ったらしい。 正直自分も趣味でファンタジー小話を書くので「舞台を火星ではなくて異世界に変えて……」なんて馬鹿なことを考えてニヤついていたが、完読してとてもそんなこと言えなくなってしまった。地元の丘に登った後に、いきなりエベレスト目指すようなものだった。完全ノックアウトである。 でも宝物は手に入った。本棚に一生住んでもらう一冊、かけがえのない宝物が……。 | ||||
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沈黙の町と靴店が、お気に入りの話しです。 短編なので一つの話しがすぐ読めるけど わかりづらいところも少しあった。 | ||||
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今回はプレゼントしています。 主観的にしか書き込めませんが、本当に素晴らしい作品で、まずもって、読んで欲しいSF作品です。 私とこの作品との出会いは、45年くらい前のこと。テレビで映画を観てい感動したのですが、ずっとずーっと題名もわからないままでした。 印象的なシーンは。火星を植民地みたいにした地球人と、荒野に光の玉で降り立ち、スケスケな感じの火星人が、ここは豊かと、目の前の光景が両者の間で全く違い、これは時空を超えているんだ!と、意識した瞬間を、この作品が与えてくれれました。なので、ドラえもんの四次元ポケットも、どこでもドアも納得しましたし、この空間に、過去も今も未来も全てがあるんだと感動しました。 しかしながら、ずっと、それが何か分からず、つい数ヶ月にこの作品とわかり、一日中、読んで、はぁと、ため息が出ました。 なんて素晴らしいのだろうと。 私の記憶なのか、その映画のストーリーがそうなのか、まだ、よくわからないのですが、結果、短編のいくつかが、記憶に焼き付いてたようです。 先の火星人と地球人の会話は、「夜の邂逅」にありました。そして「百万年ピクニック」の締めの部分は、それはそれは感激です。もう感無量になりました。文章が素晴らしく、リズミカルで、どんどん読めます。 あとにすぐ『スは宇宙のス』の短編集を読みましたが、どれも秀悦で、訳も素晴らしく、あまりに素敵なので、訳者の一ノ瀬直二さんを調べましたら、詩人の加島祥造さんと知りました。 幻想作家、ブラッドペリというけれど、決して幻想ではないなぁと思ってしまいます。美しい文章、後に引くストーリー。 本当に読めて良かったと思います。 | ||||
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ファンタジーのようにも見えますがルールもあるようで、登場人物たちの見えているものから世界を想像していく。 あまり好みではないですが、こういう表現もあるのかと勉強になりました。 | ||||
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2030年2月、舞台は火星。K夫人は水晶の壁に実る金色の果物を食べ、磁力砂で家の掃除をするという。 K夫妻は火星の死んだ海のほとりに住んで20年。2人は真性の火星人である。K夫人ことイラは最近、夢を見る。第三惑星から来た人間の夢のようだ。彼はイラと話をし、あなたは美しいと言い、自分の惑星に連れて帰りたいと述べる。夢では、次の日の午後、「緑の谷」に宇宙船が到着することになっている。そこに行こうとするイラだったが、夫のイルが止める。そしてイルは特殊な銃を持って狩りに出かける。イルが狩った動物は……。 その年の8月。ツツツ夫人が家のドアを開けると、地球人の探検隊がそこにいた。火星人はテレパシーで話すので、地球人とも話ができたのだった。体長は地球から来たことを話すが、誰も歓迎したり、驚いたりしてくれない。火星人とのやり取りは滑稽である。ツツツ夫人の次に話したのがアアア氏、次がイイイ氏、そしてウウウ氏。名前からしてシリアスな話ではない。 最終的に探検隊は精神病院に入れられる。視覚的幻覚や聴覚的幻想を持っていると考えられたのだ。そして、3人は地球に帰ることはできなかった。 それでも、2031年4月には第3探検隊が到着する。そこには、アメリカによく似た町が存在した。住人に聞くと、そこはイリノイ州のグリーン・ブラフという町で、今は1956年だという。そこで隊員の1人、ラスティグは思いがけない知人に出会う。果たして、その結末はどのようなものか。 長編小説というより、短いオムニバス短編をつなげて一つの物語にしたという感じだ。ハードSFではなく、どちらかといえば筒井康隆、星新一のような匂いがする。意外な展開や、メッセージ性の強い章があったりして、なかなか楽しめる。最近SFはあまり読まなかったのだが、この作品は読みやすくて気に入った。一部の登場人物のセリフの不自然さが気になったが、それを除けばよくできた小説だった。 | ||||
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昭和20年代に書かれたとは 驚き | ||||
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地球上の争いを避けて新天地を火星に求めた探検隊だが、結局は火星人との間でそれを再現したに過ぎず、自らも滅ぶ。ネイティブ・アメリカン文化を滅ぼした欧州人が核を弄ぶ“いま”を描く壮大な皮肉。 | ||||
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レイ・ブラッドベリの真骨頂はやはり、短編集にありきと感じさせる一冊である。それはポーの【アッシャー家の崩壊】のオマージュとして、【第二のアッシャー邸】を著す事からも伺える。個人的には、社会風刺の効いた【地球の人々】がいいです。なんといってもパンチが効いていて面白い。格調の高さから、【火の玉】も良い、究極の火星人の選択として感動的だ。『火星年代記』はレイ・ブラッドベリの記念碑的作品である。 | ||||
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言わずと知れた名作。火星版ワインズバーグオハイオだとありましたが、それよりずっと面白いです。映像化された作品もすばらしいのでぜひ見ることをお勧めします。150円でしたが新品同様で、本屋で新品を買わなくて良かったです。 | ||||
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...レイ・ブラッドベリ「火星年代記」は、ぎょっとしたり、心臓が止まりそうになるような展開がある。 本人が記しているとおり、未知のテクノロジーが頻繁に出てくるようないわゆるSFとは違う。むしろ人間的なストーリーのほうに重点がある。 火星に到着した隊員が、そこで地球となんら変わらぬ風景と出会い、隊員の死んだ家族に扮した火星人が彼らをおびき寄せて地球人を抹殺する「第三探検隊」などは、レムの「ソラリス」にもどこか通じる、未知に対する恐怖や他者の異質性という要素が見いだせる。 ときたま、これは著者自身の思想をそのまま表していると思えるような箇所もある。 私が気に入いった箇所としては、「月は今でも明るいが」の、火星の文化に感銘を受け、火星で死ぬことを志した隊員が、典型的な地球人の思考を持った隊長に語る以下のシーンだ。 「わたしたちは、ダーウィンや、ハクスレーや、フロイトを歓迎しました。それから、ダーウィンとわたしたちの宗教がまじりあわないことに気がついた。(略)で、わたしたちは馬鹿者だから、宗教を打ち壊そうとしたのです。その試みは大成功でした。わたしたちは信仰を失い、人生とはなんだろうという疑問を抱き始めました。芸術が単なる挫折した欲望の装飾に過ぎず、宗教が自己欺瞞にすぎないとするならば、人生になんの価値があるのでしょう。(略)わたしたちは迷える民であったし、今でもそうなのです。」 「それで火星人たちは迷わぬ民なのかね。」 「そうです、彼らは科学と宗教をむすびつけるすべを知っていましたので、両者は平行して発展していきました」 むろん、哲学的で角ばった内容ばかりでなく、吹き出してしまいそうなシーンもあるし、むしろ文体はユーモアに溢れている。 ぜひ、一読を。 | ||||
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駄文が多く理解しにくい。 例えばイラの2段落「k夫妻が死んだ海のほとりに住み始めてから、もう二十年になる」 最初の数ページでこういうのにぶつかると、もう読む気失せる。 | ||||
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ハヤカワSFシリーズポケット判は1970から購入しています。現在、100冊近く持っています。火星年代記は同じ本が実は3冊ありますが、私が丁寧に保管している本より劣化が全然なく期待以上の美本でした。買ってよかったです。 | ||||
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