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(短編集)
道化師の蝶
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道化師の蝶の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.30pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全32件 21~32 2/2ページ
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道化師の蝶だけでのレビューになりますが、個人的にはこの作品は神話=言葉が 生成される、その偶然性をひたすらに扱ったような小説だと思いました。 もちろんここで言う生成とは、 完成など無くてひたすらその過程の中にいるというような作中の台詞が指すように、 素材の集まりやコードの置換、変換、人称性の薄れ、音の連なりや意味の消失など 様々な事象が幾度となくほつれたり、 また再び縫いあげられたりという終わりの無いうねりのことだと思います。 ラストの方に挿入されたいくつもの蝶が粉々にされるシーンは、 そうした偶然性が人為によってすり減り、 輝きを失ってしまうような瞬間を示唆しているようにも思えました。 この本についてボルヘス的という意見を何度か見ましたが、 この本を読んだときにはやはり現代思想的、もっと言えば記号論的に作られ、 寓話化された世界観という印象を受けました。 そういう意味では幻想小説に近いのだろうかと思いますが、 わたし自身SFは恥ずかしながらあまり読まないので、 著者がSF畑の人だと言われても正直この作品だけではよくわかりませんでした。 また、数学的という言葉については、私自身全くに暗い分野ですので、 この小説が、そうした考え方で成り立っているのかどうかは全く判断がつきません。 そうした点はともかくとして、個人的には芥川賞にふさわしい小説だと思いますが、 個人的には同じ論考をするならばアサッテの人のように、 内面に入りこむような小説の方が好きなので私の嗜好とは少し合いませんでした。 | ||||
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第146回芥川賞である表題作を含む、2編を収録した本書。 「オブ・ザ・ベースボール」「これはペンです」に続く3冊目として読みましたが、冒頭の奇妙な一文からして、「お、この著者らしい不可思議な世界が展開していくぞ」と、楽しみながらページを繰ってしまうのは、著者の魅力に強く惹かれているためでしょうか。 【道化師の蝶】 「着想を捉える網」を巡る「言葉」をテーマにした本作品は、「これはペンです」の発展系であるとともに、「A・A・エイブラムス」なる人物が登場してくるところは、「オブ・ザ・ベースボール」収録の【つぎの著者につづく】の登場人物「リチャード・ジェイムス」を思わせるところもあり、興味深く読みました。 この作品の奇妙で、面白いところは、いろいろな「わたし」が登場してくるところです。 ある特定の「わたし」ではなく、章が切り替わるところで、別人格に転化しているようにも感じられます。 これが、私には、作品のテーマのひとつである「網で捉えることの出来る着想」を描いているようにも思われ、「着想」が花々を飛び回る蝶のように、様々な人格を飛び回っているのかも知れません。 【松ノ枝の記】 著者の作品は初めて、という方にはこちらがオススメ。 主人公である「わたし」が、「松ノ枝」と名付けた人物の著書を翻訳、すると、彼が、「わたし」の著書を翻訳してくれる。 お互いが翻訳者であるという不思議な関係にある二人に不協和音が生じ、「わたし」が「松ノ枝」を訪ねていくと。 というように、割とストーリーが分かりやすいものとなっているからです。 著者の手にかかると、「言葉」が、「太古の人類史」に結びついてしまう。 本当に、奇妙で面白い作品の書き手だと感じています。 (※「コメント欄」に本筋とは外れるあることを記載しました) | ||||
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なるほど、文学とは言葉遊びであることを、自分はだけど、忘れていた。 命令と応答の規則、文学に伝統を押し固めそこに規則。 自由と平等の現代は案外息苦しい。 収録二編はともに何かを求める話で、道化師の蝶はさまざまな人物が何かを求めながら、絡み合うように関係していく話。 松の枝の記は登場人物が共通の過去と未来を求める話。 そこに何かあるのか、とも思ったんだけど、作者の読み取って欲しい意図が案外古臭くも、普遍で変え難いテーマがあるような気がして、達筆で斬新な文章共々中々上質な読み物にも思えました。 | ||||
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難解という意見も多いですが、自分なりの解釈を書きます。本文からの引用あります。 これは友幸友幸とエージェントが二人編みをしているように紡ぎ出す物語だと思います。 1章:友幸友幸が書いた文章・わたし=友幸友幸' 2章:1章の謝辞・わたし=エージェント 3章:友幸友幸の人生・わたし= 友幸友幸 4章:エージェントが書いたレポート・わたし=エージェント 5章:(蝶が宿った)友幸友幸が蝶になり、1章に還る。わたし=友幸友幸 4章最後で友幸友幸がエージェントに会い、5章でそのレポートを読んだ時に気持ちが交わり、次の蝶を産む。 全体イメージ 「繰り返し語られ直すエピソードが、互いに食い違いを見せるたび、文法の方が変化していく言語」 ≒「裏と表で模様の違う刺繍。ただ変えるだけではなく、何か微妙な拘束がある。」 友幸友幸やエイブラムス氏等、登場人物の性別変化は次の文がヒントだと思います。 「友幸友幸の文章においては・・性別や年齢が変わることも多くある」 | ||||
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練りに練られた構成とシンプルで無駄のない文体 確かな表現力と豊かな想像力,意表を突くアイデア 話の筋は一見すると荒唐無稽に感じるかもしれません 「真実はただ一つ」的な視点で一生懸命に読もうとすると, 確かに難解でしょう その網をかいくぐろうとするのが著者の作戦でもあり, ことばというものと書くという行為そのものが作品のテーマだからです 書くことをめぐる考察は執拗でさえあります まるで要約や解説を拒むかのように, あらかじめ作品のなかで作品自身を解説してしまう ぜひ文庫化されて余計な尾鰭がついてしまう前に, 2作を通読されることをお勧めします 一回読んで分からなければ何度も読めばいい 短いですし,それに耐えうる文章力を持った作品だと思います | ||||
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『あなたは蝶を捕まえてなどいないのですよ。蝶に勝手についてきただけだ』87頁11項 ※ 学校では、自分の考えを訳をいれて話すことをもとめます。「訳」それは特に低学年の児童には大事な思考の網なのです。様々な経験を表現したり理解したりするために、学校の国語教育では経験をすくいとる網(語彙や規律)をたくさん用意しています。「いつ、どこで、だれが、どうした」「どうしてかというと」「□□とくらべると分かることは」云々。 こうして網(語彙や規律)を習得することで人は形作られ、成長していくのです。網の数こそ、学識であり、知恵であり、行動力そのもの。たくさんの網をもち自分の力で生き抜いていってほしいと願うばかりです。 でも、網を使えば使うほどに気づかされるのは、一つの言葉のすくいとれる意味の曖昧さ。「やさしい」この言葉の網がすくいとる意味は、どれだけ多いことか。「やさしい」を使う人の数はたくさんおり、その人それぞれに経験想起される内容は多岐にわたり、付随される意味も含めると無数に意味は広がります。 一つの言葉ですら非常に曖昧さを伴うのです。 この物語で描かれる、作家『友幸友幸』も数多の網を習得。20もの言語を使うことができる人物であるならなおさら、使い分けるのは困難をともなう。 我々教員が、子どもに伝えていること。 一つの言葉で人を生かしもし、一つの言葉で人を殺すこともできるよ。 ああ、大博打を打って、人は言葉を使っているのだなぁ。ああそんなことに気を遣うんだったらば、唯一の意味しかない言葉があったら、どれだけ便利だろう。でも、唯一の意味しかない言葉があったら、どれだけつまらないだろう。意味と言葉の間にひらひら舞う蝶のように、人の言葉も美しさを垣間見る作品でした。 | ||||
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芥川賞受賞作かぁ〜ということで何となく手に取り、初めて著者の作品を読みました。 結果、期待以上でした。 私はこれを、円城氏の人間の思考の限界への挑戦であると感じました。 今までにない新しい小説と言われているのも耳にしましたが、本作品に関して言えばむしろ、古代ギリシアから今日に至るまで、様々な人々感じ紡いできた書き手として王道を行く作品だと思います。 カントとかヘーゲルとかを読んで、思惟することを好む人は結構楽しめるのではと思います。。 地球上にあるいかなる人間の言語おいても、話者は数、時、場所など表すことができるようになっているし、同じような思考をもっていたりします。 これはつまり人間が言葉でとらえる前の何か、この小説でいうところの「蝶」が存在しているのです。 そんな蝶をひたすら人間の作り出した「虫取り網」で追いかける人々の姿は、円城氏でもあるでしょうし、その他の書き手でもあるし、また潜在的にすべての人間である。なんて幻想的な形而上学でしょう。 彼のほかの作品も是非読んでみたくなりました。 | ||||
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円城塔の「道化師の蝶」を読了。一言でいって読者を限定する作品です。好きな人というか、本作を理解できる人と全く理解できない人の2種類しかいない、自分も理解できませんでした。でも理解したい気持ちでいっぱいです。本作はこれまでの小説のフォーマットと違う造りで構成されています。いうなれば「構成を楽しむ作品」でもあります。具体的には、章ごとに「わたし」が出てきますが、全て違う「わたし」なのです。一読しただけですが、全ての章が関係性を持っているように感じますが、本当かどうかはっきりしません。不思議な作品です。 でも日本人はこれまで様々な構成を愛してきました。様式美ともいうのでしょうか。型の美しさ、を感じる能力を持っています。本作は小説からの「型の美しさ」への挑戦であると思います。その挑戦に対して我々読者は感じるものがあるはずです。でも駄目なときは駄目でいいのです。きっとそういう作品なのです。 祝芥川賞。 | ||||
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これは、私の直観でしかないが(まず、間違ってはいないと思う)作者は安部公房と云うよりも、確実にボルヘス、アゴタ・クリストフ、村上春樹らの影響下にある気がする。 芥川賞の選評では、高樹のぶ子氏が”メタフィクション”、島田雅彦氏の”言語論”、”フィクション論”と指摘していたが、彼らは表層を指摘しただけであって、実は何も語っていない。石原氏にいたっては、新しい文学をみる目の無い「節穴ぶり」を露呈している。 本作の語彙は、時に借り物で、こなれてない感じが散見するが、彼自身は、一つの才能である。同時受賞の田中氏が、まぎれもなく中上健次への先祖返りでしかないのに対して、円城氏のこの作品は、ある意味エポックメイキングであり、新しい世界文学の幕開けを予感させる。 平野啓一郎が芥川賞を受賞するなら、円城氏も獲って良いはずである。デビュー時の村上春樹の訳の解らなさよりは、遥かに万民に開けている作品であるし、あと20年後、どんな変身を遂げているか、楽しみな作家である。 ただ「受賞の言葉」の文章の稚拙感は、どうしたものだろうか(時間がなかったの?)? | ||||
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道化師の蝶: 題名の通り、ひらひら飛んでいく蝶のようなテクストのダンス。捕まえようと網を持って、単語と一文に集中しようとするとふわりと、某大リーグボールのように逃げていく。これはストーリーではなくテクストの円環と羽ばたきを楽しむお話。 松ノ枝の記: こちらは打って変わってどんどん深みに高みに乱高下するメタ・メタ小説とでもよふべきお話。テクストが自ら勝手にテクストを生むような小説を書きたいのだろう、始まりのテクストのみが人間、いやいま書かれている人間はまさにテクストか、など考えさせながら人間とテクストの同一視と入れ替えに視点を頻繁な変更していると、やがて違いが曖昧になっていく。 どちらも、現代美術におけるインスタレーションのような小説でした。 | ||||
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作者の作品としては、「Boy's Surface」、「Self-Reference ENGINE」に続いて本作を手に取った。作者の作品の一番の特徴は「読んでも理解出来ない」点にあると思う。その上で、「作品を産み出すチューリング・マシンは作者ではなく、読者の想像力の方」という独創的哲学の下で執筆している姿勢が伝わって来る。 本作も難解である。どうやら、作家の一番の道具である"言葉"を題材にして、言葉を集め、組み合わせる事によってテンプレート作品を創り出すという作者自身が抱える悩みをユーモアを交えて自虐的に描いた物らしい。広く捉えれば、追い求める物は容易には捕まらないとのメタファーとも取れる。また、旅する手芸家と言う設定も作者のポスドク体験を想起させて面白い。視点や時間軸が目まぐるしく変化する構成は、作者自身の言葉を借りれば、位相幾何学的構成と言って良いのではないか。作者自身の投影である主人公が、作中のどのような時空間に存在しても同一点である様なトポロジーを想定しているのであろう。作中に出て来る表裏同一の幾何学模様を持った織物がそうしたイメージを膨らませる。 作者の作品としては色彩感に溢れているのも珍しい。理解しようとすると挫折する恐れがあるので、作者(あるいは作家一般)の苦衷を"想像"しながら楽な気分で読み進めるのが相応しい異色作だと思った。 | ||||
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恥ずかしながら、一度読了した程度では理解できませんでした。 はたしてこの作品は純文学なのか。 メフィスト賞に出しても違和感ないと思ったほどの非現実感。 場面の転回と、語彙と知識の豊富さで読んでいて頭が痛くなるような、いかにもスノビストが喜びそうな風味。 読者を振り回さんとするシュールレアリズム作品なのか、はたまた内容を追いかけることを無為とするダダイズム作品なのか。 自分は人よりは読解力があるだろうと思っていたが、勢い良く鼻を折られた。 ひょっとしてこの本は「逆立ちする二分間に読む本」なのだろうか? | ||||
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