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ムーンナイト・ダイバー
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ムーンナイト・ダイバーの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.31pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全21件 1~20 1/2ページ
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天童荒太らしさが随所に出た作品。心に響きます。 | ||||
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舟作が子ども達に宝を求めて冒険する海賊の話をするシーンに涙しました。 震災で海に流された人々を悼むとともに残された人々は幸せに生きること事こそ、失われた命への誠実な祈りになるというあとがきも素敵でした。 | ||||
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何年か前に新刊で出てすぐ買ったが、今まで手が伸びなかった。 読むと重いことが分かっているからだ。 何人かそういう作家が居る。 高村薫と天童荒太の二人、もう一人付け加えるならば桐野夏生も。 なのに必ず長編の新刊が出ると買ってしまう。 で、読み始めるまでに時間がかかってしまう。 本作も重いテーマだ。 東日本大震災の津波で海に引き込まれてしまった遺品を、頼まれて潜水して探すダイバーの話である。 いろいろと制約があり、取り決めもある。 その中で、鬱屈したものが性的衝動へとつながっていく描写には説得力もある。 ただ、天童荒太にしては、読後感はそれほど重くはなかった。 それがよかったような、物足りないような・・・。 複雑なのであったw | ||||
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愛しい家族を失うことはつらい。予期できない突然の別れなら、どんなものであっても、 生前持っていた物質的証拠を得たくなるという心情は理解できる。 物語は、東日本大震災後が背景になっている。家族を海に奪われた人々が遺品を求める秘密の会合。 その遺品を探して、違法に汚染地帯の海へもぐるダイバーが主人公。 著者の代表作「悼む人」にも通ずる独特な雰囲気が根底に流れていて、とても厳かな気分になる。 遺体や物質にこだわるのは、魂を重んじる西洋のキリスト教的な世界観からすれば、異質であると聞いたことがある。 しかし、その人が持っていたものを手にしたい、という心情は理屈抜きだと思う。 | ||||
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生きるとは、生かされていること。何かの誰かの為に生かされ、育むものであることを感じさせてくれる本です。さすがの内容で、ラストはドキドキしました。 | ||||
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人目につかぬよう月に照らされた夜の海に潜り、東日本大地震で行方が知らなくなった人々の遺品を持ち帰る・・・ あらすじは承知していたが、波のように、海中の砂塵のように、人の心は揺れ、衝動が身体を動かし、物語は輪郭の定まらぬ茫とした時空を動いていき、論理では収まりがつかなく漂流する。運命、悲劇、命、過去と現在と未来をどう考え、対応すればよいのか。あらかじめの答え、唯一の答えなどない。 素晴らしい小説だ。 | ||||
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あやしく神秘的な夜の海の底には、あの震災で流された人々の思い出の詰まった品々が沈んでいて、 その宝物を探しだすために危険を承知しながらも立ち入り禁止の月夜の海へ潜るダイバーのお話。 震災をテーマにした作品に対してこの感想は不謹慎かもしれないけど、とにかく「美しい」の一言に尽きます。 自然の力はあまりに大きく、ちっぽけな人間がどうにかできるものではない。 だからこそ潜って、自然の力をその体に感じるたびに、舟作はまるで「生」を確認するかのように「性」におぼれる・・・・。 その衝動の生々しさはまさに生きることへの渇望なのだと思います。 どちらかというと「生き残った方へのメッセージ」とか「震災の現実を語り継がなければ・・・」というよりは、 「死者へ送るメッセージ」的な意味合いのある作品という印象です。 | ||||
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本当にこういう活動が行われているのではないか、と思えてならない内容だった。 幾つもの夫婦の愛の形、家族の愛の形を見せてくれる作品であった。 震災という大きな悲劇によって突然もたらされた喪失。物的な喪失はもちろんだが、故郷という獏としていながら大きな存在の喪失。そして取り返しのつかない人間的な喪失。そんなやりきれなさの中で、密かな仕事に前向きに取り組む主人公が海の中で何を感じ、どう変わっていったかという独白シーンが読んでいて一番のめり込んだ。仕事を依頼する側の二人の隙のない精緻さや、感情を押さえた言動が、実は慟哭と紙一重という感じもひしひしと伝わった。 主人公は親兄弟を失いはしたが妻子を守れていることに感謝している、しかし主人公の行動は贖罪に基づいているように思えてならない。そう、この作家の抱える永遠のテーマと思える「贖罪」だ。生き残ってしまったことへの贖罪が彼を今日も海に潜らせるのだろう。 | ||||
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優れた小説の条件とは、個別的な話を語りながら、いかに広い普遍性を持つかということなのだろう。 本作は、津波での行方不明者の遺品を立ち入り禁止海域に違法に潜水して回収するダイバーと、行方不明者の家族との間の交流を描いている。 交流とは言え、遺品回収の違法性と、行方不明者家族とダイバーとの間の接触禁止ルールの存在という、二重の禁忌に制約された境遇の下で、密かに行われるさまざまな思い(悔恨、愛情、罪悪感)のぶつかり合いやこすれ合いであり、全編を通じて震災の悲しみが通底した中で言葉が語られる。 個人的な好みを言わせてもらうと、凛々しさと気品をたたえる本作の文体も好ましいと感じた。 | ||||
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なかなか評価が難しい作品になってしまっているな。という感想が第一に浮かんできました。 津波や原発の災害への喪失に対するアプローチとしてのダイビングでの遺品収集が 主人公や登場人物が想い入れているほどには僕には必然性が響いてこないところに どうも原因があるようです。 物語性という観点で見てしまえば遺品を求めて月夜の海にダイビングするというシーンは それだけで美しく、かつドラマチックで惹かれる設定です。 ですが、その素晴らしい舞台に 対して登場し役を演じ、想いを告げなければならない人物たちは、もっともっと濃く、強烈で ある必要があるのではないでしょうか? 地震に関連して何作ものルポルタージュや写真、或いは漫画やドラマといった創作物を 読ませていただきましたが、玉石混交のそれらの作品の中で、胸を打つ作品に共通して いるものは、日常の安寧さを揺り動かすようなナニモノカであるような気がします。 いたづらにセンセーショナルなものやお涙頂戴劇でなくても、 魂の深海を冷たい潮流でなであげるような、静かではあっても強い波動を持つもの。。。 なにかこの物語を通じて、別の物語を自分では読んでしまっていて、その存在していない物語に 深く感動している。。。 それは海の底で超自然な救済が現れSF的な結末を持つ物語であったり 遺された人々が愛憎に翻弄されつつも激しく出会ったり別れたりする人間ドラマであったり するのかもしれません。 むしろ震災というものに対する表現の形式とすると具体的なストーリーを綴らねばならない小説 というものは結構不利で、文章であれば詩や歌詞、絵画や彫刻、といった抽象性を許容しながら 深く人間の感情をノックする芸術形態のほうが適しているのではないか? そんな考察さえ想起するような読書体験でした。 20160727 | ||||
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主人公は、瀬奈舟作。 サーフショップで働く。 また、ダイバーのインストラクターの資格を持つ。 彼は依頼を受けて、3.11の被災後の海へ潜る。 依頼者たちの家族の品を持ち帰るために・・。 彼自身が、父と兄を震災で亡くしている。 彼は、「なぜ潜るのか」という自問自答を 繰り返しながら潜る。 舟作は、海へ潜り、圧倒的な自然の力と 死に支配される世界を垣間見ながら、 生への執着を強くする。 残された者たちの心の傷は、決して癒えることはない。 しかし、生者は亡き者たちを思いながらも、 生きるしかない。 舟作を通し、被災地の方々が直面する 辛い現実と葛藤に胸が詰まる思いだった。 | ||||
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『神などいない!』舟作は、吐き捨てる。 俺も同感だ。 神などいない…2011年3月11日。この日、この世の全ての人間の頭を過った言葉だ。 津波と放射能汚染に、全てを根こそぎ蹂躙された東北の港町が舞台だ。 生活の糧、生きる希望、愛する者、全てを海の底に引きずり込まれ、封印された。 何とか、前を向いて生きよう。残された者だけでも生き抜こう。 それでも、やはり、幸せだった昨日を取り戻したい。明日を生きる為に昨日が欲しい。 違法と知りながら、海の底で蓋をされた昨日を取り戻すため、、 海底から、遺品を引き上げようと結成された有志の会。 その有志の会の実行役として、放射能で汚染された海中深くに潜るダイバー。 物語の主人公は、ダイバーの舟作。有志の会の透子が中心。 有志の会の禁を破り、共に家族がありながら惹かれ合う舟作と透子。 透子の意外な依頼に戸惑う舟作。 二人は昨日を取り戻し、明日を進めるのか。神に合えたのか。 生々しい描写で、人間の本能を揺さぶる逸品!是非!頁を進めてください。 男女の官能的な演出にも浸ってください。 | ||||
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熊本・大分の大地震が起きてしまい、被災者は大変難儀をされていることと存じます。 この本を購入した時点ではまだ熊本・大分地震が起きていなかったので、福島を小説の題材にすることに感心して読み始めた。福島の海に潜るという衝撃的な設定と、表紙とタイトルとで、大きな期待を持って読んだ。ストーリーは、しかし下世話な方向に流れかける。あれあれ、と思って読んだが、やはりラストで納得。そして、むしろこういう下世話さが日常であり、フクシマは我々の日常の一部なんだと再認識した。フクシマをファンタジーにして、日常から切り離すことは許されない。 | ||||
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月夜の潜行、それには訳が有る。誰にも知られてはいけない潜行、入水禁止区域に入り、東北震災にて不幸にも亡くなった方の遺品を探し持ち帰る。 あの時、自分がああしなければ、こうならなければと生き残った者は、毎日煩悶しながら生きる。その辛さ、文章に滲んでます。 読むのが辛かったですね。 久々に読んだ天童さん、やはり色んな意味で旨いなと思いましたね。 | ||||
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“おすすめ本”としてメディアで取り上げられていたため購入した。 5年がたった今も行方不明者が2,500人以上いることに驚かされる。 フィクションであるものの実際の大災害を基にした作品であるため、読者は、当時から現在までの実際の報道や自身の記憶や体験も重なり合わせ、ストーリーを感じることができる。 それは、著者が読者に委ねたものの一つかもしれない。 自分は、生き残ることができたのか、生き残ってしまったのか、あるいは、生かされたのか。 まだ会えぬ彼らが居るであろう海に潜り、彼らに近づくことで、主人公は、震災に対する「区切り」を見つけようとしているように思えた。 主人公を含めた登場人物のすべてが、「苦しみ」を抱え、闘い続けている。 「区切り」は、まだ、はるか遠くであることを思い知らされる。 実際に起こった出来事で、現在進行形でもある非常にデリケートな題材に果敢に挑んだ著者に頭が下がる。 それゆえに、著者の実力をもってすれば、もう少し、じっくり読ませるタイプの作品にできたのではないかと感じた。 | ||||
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少し期待が大きかったのかもしれない。 物語の設定は面白いのだが、こうした秘密契約が果たして成り立つのだろうか?と、そればかり感じながら読み終えた。 月夜の暗い海の中に潜るのは主人公ただ一人。そこで見たもの、拾い上げたものは、彼にしか分からない。 なのに彼を信じ、お金を払って託し、結果に感謝する。 ましてや、敢えて探さないで欲しいものを告げるなんて…。 私は人間の好奇心や秘密を守る意志の固さをここまで好意的に信じないので、その辺の設定に根本的な無理がある気がしてならなかった。 この物語の中に、もっと人間らしい泥臭いやり取りや葛藤が展開されていれば、もっともっとスリリングで面白い作品になったのではないかと思い、星一つ落とさせてもらった。 | ||||
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震災小説、しかも著者が天童荒太さんということで ちょっと期待しすぎてしまいました。 震災から明日で5年。 しかし日本の小説も映画も まだ黙したままという気がします。 あまりにも起こった事実が重すぎなのでしょう。 それでも震災だけでなく 深く深く原発事故への怒りを描いている点で 星をひとつ増やしました。 私は今回の福島の原発事故に関しては あまりに「政府」と「電力業界」「原発機器業界」からの圧力なのか? いまだに「小説」を読んだことがありません。 勇気ある1冊です。 | ||||
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書評とかを滅多に書かないように思える友人がFacebookに推薦文を書いていて、それがなんだかただならぬことのような気がして読んでみた。 「ムーンナイト・ダイバー」 「光のエリア」と仮称される建屋周辺の「あの日」がそのまま残された汚染域の海底から見知らぬ人たちの思い出をサルベージするダイビングインストラクターの男性。 具体的な名称は一切書かれていない。 描かれていたのは 巨大な喪失感 だと思う。 「荒れた海は怒った神様のようで恐ろしいけれど、嫌いと思ったことはない、好き嫌いではなく、存在しているものだから」 小説内に登場する或る女性の海についての感慨。 敢えて書いてしまうと、 私達の儚い世界は、好き嫌いではなく存在してしまっている「巨大さ」の側にいつでも引き摺り込まれ消滅してしまう。 これまで私は、震災後の福島について描かれた創作の多くが、 臆してなかなか読めなかったし、観ていられなかった。 現実が突きつけられるからというより、 むしろ 現実が煙に巻かれて わけがわからなくなってしまう。 悲しみが描かれるとき、それがドラマであるが故に何らかの結末が用意される。 何らかの「感動」が結末として用意される。 安直な寄り添いのような感動。 かたや「原発」に反対する側からは明らかなデマも聞こえてくる。 いたずらに恐怖を煽り面白がる悪意。 ますますわけがわからなくなる。 インターネットという大海原のような回路に組み込まれてしまった私たちの議論は、すべてが相対化されてしまい、すべてが水掛け論になってしまう。 そうした混乱困惑は、 当事者である被災地の人たちにとってはなおのことではないだろうか?。こうして被災地とそれ以外の地域は分断されてしまった。 この小説「ムーンナイト・ダイバー」はそのようなおぞましい言説の濁流の水面に小舟を浮かべ、 確実に錨を打ち込んでいると思う。 暫し停止して深く沈降していると思う。 その様子はかつて「祈り」と呼ばれた人間の行為にとてもよく似ている。 ーーーーーーーーーーーーーーーー この小説の終盤を読んでいて、アッバス・キアロスタミ監督が日本で撮り上げたLike Someone in Loveという短編映画を思い出した。 往年のポップスから取られたらしいタイトルは「まるで恋人みたいに」と訳されているが、 そのちょっと滑稽な悲喜劇を観ていると「恋のようなもの」と古典落語風に訳してみたくなる。 小説・ムーンナイト・ダイバーの中にも終盤「恋のようなもの」が現れる。 けれどもそこに滑稽さは皆無で、巨大な喪失の渦中においての人びとの悲愴なまでの呻きが立ち上がり、 「恋のようなもの」が、 かつて人間が「信仰」と呼んでいたものに似て見えてくるのは著者の見事な力量であり、 そのことによってこの物語は小説として成立しているのではないだろうか?。 | ||||
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注文から届くまでがとても迅速で有難かったです。 本の内容は、東日本震災後の被災者の方々の思いをあらためて考えました。 誰かの為に命をかけてやりぬく人に崇高ささえ感じました。 | ||||
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三度命拾いしている私は、たまに自信過剰になりますが、 本作によって、遺族としての苦しみの部分が感謝に変わりました。 蛇足ですが、共有に必要なのは体験ではなく、 思いやる心ではないでしょうか? | ||||
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