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モナドの領域
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モナドの領域の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全44件 21~40 2/3ページ
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「本書を凌駕する傑作を著者は過去に幾つも執筆していると思う」という一般的感想もわかるが、筒井作品の最高傑作はいくつもある。 『モナドの領域』は、黒澤映画でいうと晩年の『乱』、しかし決して冗長でなく引き締まっているのは流石。 黒澤監督自身が最高傑作と言った到達点『乱』は公開当時よりも監督逝去後の方が評価が高く、理解されるのに時間が掛かった。 思えば筒井作品過去の新境地『虚人たち』も『虚航船団』も発表当時みんな面食らい、評価に時間が掛かったではないか。 僕自身、最初『モナドの領域』の異化効果など作劇面はわかっても、最高傑作というのがわからなかったが、再読してわかった。 先に引き合いに出した『乱』の他に『夢』も内包し、ある意味ドストエフスキーをも越えた境地。 著者は『虚航船団』で過去を考え直し、『聖痕』で現在を見直し、『モナドの領域』で未来を予見している。 あらゆる評価や賞を拒否してまで現実世界を憂い、全人類に対して挑戦した最高傑作。 なぜ最高傑作なのか、いつの日か皆その意味がわかった時…その日が来なければこの世は平和なのだけれど…今はまだわかる人にしかわからない。 | ||||
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題名は、ライプニッツが言ったらしい「モナド」から。文学とは、著者による一つの世界。それを読んでしまえば、著者といえども記憶から消すことはできなくなります。ラストを『時をかける少女』にしたのは不可解です。 また、日本を無宗教の国とし、自然感謝を推奨している著者の意見には、不賛成です。クウキ任せの情けない日本は、この原始宗教から来ているかと思いますので。 聖トーマス・アクィナスを多用しているのは、わからないでもないです。ただ、著者が言いたいことを言いっ放しにしているような、この小説。やはり、新潮社レベルでした...。 | ||||
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メタなネタを入れてますが、 神さまがなんで現れたのかはアニメ等などでおなじみのわかりやすい理由のSFです。 便宜上、GODと言わせてますが、モーガン・フリーマンが演じそうな神さまです。 この作者なので、笑いは的確にとっていきます。 確かに、綺麗なオチ。 静かに、以前よりちょっと幸せ。この神さまはやっぱりとても優しい。 God's in his heaven,all's right with the world. | ||||
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前半はまたなんだか難しげな話になりそうな予感がしましたが、後半GODが裁判所とTVで戦争、政治、宗教、哲学、多元宇宙などありとあらゆることに饒舌に答えるシーンは往年の筒井康隆が戻ってきたようで、うれしかったです。 | ||||
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良くも悪くも筒井康隆の小説です。作者の小説に興味を持っている方にお勧めします。 ストーリー展開は陳腐なので、そこを期待してはいけません。 無名の作家がこれを出したら話題にされることはないでしょう。 | ||||
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神は人間には計り知れないと言っておきながら人間に憑依した神に語らせるから話す内容が薄っぺら。感動もしないし娯楽作品としてもどうなのでしょう。 | ||||
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筒井氏曰く「最後の長編」らしい。 筒井氏曰く「最高傑作」でもあるという。 本作は全四章形式となっており、河川敷と公園で女性の片腕と片脚が発見されるという事件を濫觴とする「ベーカリー」、全知全能となった結野教授の奇蹟を描破する「公園」、全知全能の結野教授、畢竟、《GOD》の裁判を叙述する「大法廷」、《GOD》のTV出演と後日談からなる「神の数学」である。重要なのは第四章「神の数学」であり、就中、TV出演場面の後半にて、《多元宇宙論》の話題におよんだ爾時、《GOD》は小説としては致命的なる発言をして本作が《メタフィクション》――作中では《読者参加型のメタフィクション》である《パラフィクション》とされているが――であることを標榜する。登場人物のひとりは「それ言うたら、おしまいとちゃうんけ」とまでいう。一見悪ふざけのような場面だが、全体的に上記の発言が本作の――ついでにミステリー部分の――主題となる構成になっている。 《宇宙はひとつではなく、なんらかのかたちで複数存在する》という多元宇宙論といえば、宇宙物理学の古典的理論であり、基本的にステージⅠからステージⅣまでのパターンがある。曩時は《すべての宇宙はおなじ物理法則にのっとっている》とされていたが、輓近は《巨億の宇宙のなかには、我我の宇宙とは相違する法則に支配される宇宙もありえる》とされる。其処で《GOD》は、《小説の世界はすべて可能な宇宙であり、いずれかの宇宙で実際に存在している》というように論述してゆく。 此処において、《GOD》と《世界》の関係が《筒井康隆》と《作品群》のメタファーであることが闡明されてゆく。最終的に《GOD》が秘書役の登場人物美禰子に物語る《あの台詞》が感動的だと話題になったが、この台詞はネタバレしないのが暗黙の諒解のようなので引用はしない。ただ、《GOD》が《被造物》をあのようにおもっている、ということは、《筒井康隆》が《自作の登場人物たち》をそのようにおもっている、という構造は明白だろう。ゆえに、《あの台詞》は、小説という可能宇宙においての《神》である《筒井康隆》から、『虚人たち』の主人公へ、『パプリカ』の千葉敦子へ、『富豪刑事』の神戸大助へ、『家族八景』の火田七瀬へ、「時をかける少女」の芳山和子へ、『霊長類南へ』のブライアン・ジョー・バラードへ――、というように、《すべての登場人物》たちへのメッセージであるともうけとれる。最終的には、一九六〇年発表のデビュー作「お助け」において、絶望的なる状況で「神様、お助けを!」と咆吼した宇宙航空士訓練生への《お助け》になったともいえる。五十余年の時間を閲して、筒井文學すべてがひとつの円環をなすことになったのである。 雑誌『新潮』掲載爾時から、《感動的》とまで絶賛された本作だが、個人的には《あの台詞》に落涙はしたものの《感動的》とまではおもわなかったし、筒井氏の《最高傑作》とまでもおもえなかった。「夢の検閲官」や「アイス・クリーム」のような短篇のほうが感動的だし、エンターテインメントならば『パプリカ』、純文学ならば『虚人たち』あたりのほうが筒井氏の最高傑作と鑽仰するに相応しいとおもわれた。と雖も、前述のとおり、本作をもって筒井康隆文學をウロボロス的に総括した神業的実験には万雷の拍手がおくられるべきだし、SF作家、純文学作家として五十余年にわたり第一線を驀進してきた筒井康隆氏の諸作の《総決算》としての文學的価値はあきらかであり、星五つとするだけの重要性は充分にあるとおもわれる。 | ||||
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こんなこと書くと怒られると思うのだが著作なり表現作品というものは表現という形を採る以上は受け手にどれだけのものが伝わったか?が評価の基準だと思うのです。 作品自体の深淵さや高尚さの絶対値が如何に大きかろうが受け手の読者にそれが十分の一しか届かないのであればその作品は胸に刺さる他の大衆的な娯楽作品に比べて評価できないと思いました。 書評や広告、著者の自薦を確かめると御大の最終長篇で集大成、と書かれています。 住宅地で見つかった女性の片腕に端を発し、ベーカリーでその腕そっくりのパンを焼く芸大生が表れ、そして神様らしきものが憑依した芸大教授が徐々に住民を巻き込んで裁判やテレビ出演で何かを伝え始める。。。という物語です。 GODというちょっと活けてないネーミングを自称した神様が後半で法廷や放送で哲学的な存在論を延々と語る展開になって行きます。 この神を語るという遠大なモチーフに対して筒井先生がなるべく平易なことばで解説しようと心掛けてくれているのですが残念ながらちっともワクワクドキドキしてきません。 わしがこんなに勉強してこの境地に達したことを読者諸氏に分かりやすく説法してあげよう。みたいな面白くない感が離れないのです。 う~~んん。もう少しこれを面白がれる知性があればなあ、と残念至極でした。 この分野ですとSFのハインラインの異星の客という分厚い傑作があったけども、そっちの方が感銘受けたなあ、などと30年前の読書を思い出したりしました。 | ||||
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ちょっと正当に評価しきれない。筒井御大のこれまでの経歴や地位がありきの作品に思えてしまって。 筒井康隆作品でしか味わえないセンス・オブ・ワンダーの跳躍力を感じられず、わりとおとなしいん だなという印象を受けました。 だけど筒井作品がこの世界に与えてきた影響は、恩寵にも等しいものなので、これはこれでありかと。 最後の長編と言っているのだから、読まなくてはならないでしょう。 | ||||
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文学部唯野教授と同じようなメタ・メタな説話もの。 小説と言えるかどうかも判らない。 こういうアプローチで書かれている世界観、思弁が すんなり わかる人いるのかな? 田中小実昌さんの著作「モナドは窓がない」を 読んだ時の 判らなさの方が自分の性分には 合っている。 | ||||
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初出は、文芸誌『新潮』(2015年10月号)に一挙掲載された、御大の意欲作。 河川敷で発見された女性の腕、公園で見つかった脚、バイト先で腕、脚そっくりのパンを焼いた美大生。 SF出身の著者が、嫌っていた推理小説(結末は詭弁、だそうだ)の手法をも取り入れ、幅を拡げたのは、いつ頃からだったろう。 しかし、そこからSF、実験、『文学部唯野教授』を想起させる思弁を重ね、数学、哲学、宗教、宇宙論(美術、音楽にはほぼ触れず)を踏まえ、教養小説、全体小説(野間宏のものとは、意味合いが異なる)、汎用性の高い入れ子構造のあるメタ小説へと飛躍してゆく。 近代小説へのオマージュか、小説内に著者の注釈を挿入したり、逆に、新しい切り口で、小説の枠組みを毀そうとする試みを模索していたり。 思えば、明治期の近代小説も、行き詰ったかと思える現代小説も、模索、試行錯誤、実験の連続。 人称の統一、視点の統一、展開しながら持続性や一貫性を保つべきとされる物語構造など、文壇権力者たちにより出来てしまった小説のタブーに違和を感じ、成功したかどうかは別にして、挑み続けてきたのが、筒井康隆だ。 本音を言えば、ノーベル文学賞候補に上ってきた日本の歴代作家と同等くらいに、あるいは、それ以上に、世界レヴェルで認知されてもおかしくはないのではないかと書けば、アゲ過ぎになってしまうだろうか。 個人的には、文壇の主流から蔑まれつつ、大江健三郎に匹敵するとも思われる、ポピュラー音楽におけるパンク、ニュー・ウェイヴの役割を担ってきた(だから、パンク歌手の町田康を評価?)著者の、過激かつ優れたスラップスティックを量産していた1970年代までが、好みだが、『虚人たち』(1981年)で明白になる、若かりし頃からの心理学やSFからの影響に加え、トマス・ピンチョン等の北米、フリオ・コルタサル等の南米、ウルリカ・カリンティ等の東欧の前衛文学を丹念に読み、刺戟を素直に受け、困惑し、悩みつつ、今に至るプロセスは、成熟以外の何物でもない、と、つい、偉そうに言ってみたくなってしまう。 御歳81歳、まだまだ走り続けて欲しいけれど、スぺキュラティヴ(思索的、問題提起)な作品と並行し、今の10代を大笑いさせてしまうものも、書いてもらいたいと、思う今日この頃。 | ||||
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気付かないうちに、読み終えていた。 ストーリーは、単純だと思える。 また、極めて日常的でもある。 気になるのは、物語を語るルールに反しているとも思える点である。 物語を語る者が、自身を物語のなかで語るのである。 語る者と語られる者とが区別できなくなるような、物語のフレームを揺さぶる印象を与える。 物語の話者が、作者のことを語る。 しかし、話者のことを語っているのは、作者である。 その作者について、話者が語るのである。 ただし、この作者のファンなら、喜んでいい。 さらに、この作者の過去の作品を、これから読もうと思う読者にもいいだろう。 新たなファンも、増えるだろう。 それでも、先述のような語る者の重なりは、気になる。 全体を語ろうとしたのであろう。 物語を語るとともに、そうする自身も、それが本となってが出版され読まれる世界も、あるいはそうではない世界についても語りたいのではないか。 換言すれば、この世界すべてを視野に入れ、そのすべてを語ろうとした、と言えよう。 しかし、それは1つの試みとしてしか成立しないのではないか。 それでも、その試みがモナドなのだろう。 最後に、問いたい。 モナドは、わたしたちに、どのような影響を与えるのか。 望ましい一定の影響が認められるなら、それを緩やかな真理として受け止めたい。 望ましい影響は、必ずしも具体的な利益でなくてもいい。 また、ささやかであってもいい。 ほんの少しの、ものの見方や価値観、習慣が変わるような影響を求めたい。 | ||||
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数多い傑作を有する筒井作品の中では、最高だとは思わないが、それでも超一流に面白い^_^ 頭の体操にもなった。 | ||||
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筒井 康隆さんの著書なので買いました さすが作者さん自身が最高傑作というだけありますよね 素晴らしい内容と感じました | ||||
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筒井氏の著作は昔から、哲学的な内容を含んでいるものが多いのですが、今回はついに神の概念を展開する作品でした。 神の発言を描くということ自体、作家としては最難関へのチャレンジと言ってもよいのではないでしょうか。 なおかつ、リアリティがあり、読者がついていけないといけない。 レビューによっては哲学と違うなどと見当はずれの批判がありますが、作品としてはストーリー上、哲学を利用しているのであって別に哲学の説明書ではありません。 神について語る時に、既存の哲学書もきちんとさらっているというに過ぎません。 いきなり人の腕が茂みに落ちているという始まりを、どう回収するのか想像もつきませんでしたが、読後、「なるほど、やられたぁ」というすっきりした感じもありました。 読み始めたら時を忘れ、用事を放り出し、筒井氏が長年培ってきた小説を読む楽しさの円熟の技を十分に楽しみました。 ありがとう、筒井康隆。 | ||||
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このたび著者の作品を初めて読破しました。 なかなかのもので感動しました。 | ||||
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適切な表現かどうかは分かりませんが、ミステリーを一つの題材にした宗教小説、或いは神学論との印象です。第三章まではスイスイと読み進めていけますが、最終章でちょっと足踏みしてしまいました。もっとも作者にしてみれば、かなり分かり易く書かれたとは思いますので、読み手の力不足ではあるのですが、広義のミステリーかなと期待した読者にはやや読みづらいかもしれません。古いですが「ロートレック荘事件」のインパクトに勝手に引きずられました。 また、本書を読んで、作者の言うとおり、もっと考えることをやらなくてはいけない、と思いました。純粋なエンターテインメントではないかもしれませんが、それでもミステリーの枠組みはありますし、それなりの答えも出てます。 文体も軽妙で洒脱だと思いますし、日本を代表するSF作家の小説の世界観に浸れます。ラストも哀愁たっぷりで余韻が残り、またGODに会いたいと思います。 | ||||
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記述が類型的、漫画的、哲学的議論も軽薄、モナド理解も本当か疑いたくなる。 期待して読んだのに残念。 だいたいSTORYが単調で面白くない。 筒井さんの情熱が上滑りしている。 文体にSPEED感がない。 | ||||
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河川敷で発見された人間の片腕、引き続き片足も見つかった…。 一方で、犯人しか知りえないはずの腕の形や大きさ、そのままのパンが 近くのパン屋で売り出され、やけにリアルだと人気になっている。 捜査にあたる上代真一警部がそのパン屋を訪ねると、妙に視線の 落ち着かない美大教授、結野に出会い、物語は不思議な方向に展開 してゆく。 宗教と神、人間を結ぶ繋がりとは一体どうあるべきか? 現代のイスラムテロなどの事件を底辺におきつつ、神と人間との 関係をトマス・アクィナスなどを引きながらストーリーを展開、 キリスト教国やイスラム教国と違う日本の宗教観とのギャップも 正直に示しながら、熟練の筆が走る。 | ||||
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昼に読み出して夕方に読了。 「いただきます。 ごちそうさま。 自然に感謝・・・」「原発の後始末は捨てたら終わりじゃダメ・・・」に共感。 支配・制御型社会から共生型社会へ変わる時期に出るべくして出てきた作品かな。 | ||||
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