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わたしたちが孤児だったころ



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わたしたちが孤児だったころの評価: 3.99/5点 レビュー 77件。 Eランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点3.99pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全59件 41~59 3/3ページ
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No.19:
(4pt)

他の読者と感想を交換したくなる作品でした。

カズオ・イシグロの作品は数冊読んだ程度ですが、不思議と主人公に魅力を感じず、読後他の登場人物のことばかりを考えていることがあります。主人公は他の人を際立たせるための存在なのかと思えるほど。この作品もそうでした。主人公は設定では優秀で名声のある探偵ということになっているのですが、描写からはとても平凡で鈍い印象すらあります。それよりも、自ら思う正義のために戦い敗れた人、耐え難い屈辱を生きた人、時代に愛に翻弄された周囲の人々が実に人間くさく、印象に残るのです。さまざまな詳細を秘めたままにしてしまうイシグロ氏の作品ですから、周囲の人物の心についてあまり紙幅は割かれていません。読後に考えるという楽しみを残してくれます。書かれていなかったあれやこれやについて他の人はどう思ったのだろう、と感想を交換したくなる作品でした。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.18:
(5pt)

幻想的な余韻

何年も前に誘拐された両親を探しだす、しかも間には戦争が勃発。
ただでさえ、混沌とした当時の上海で、見つけ出すなんて、何を非常識な。と思いながら読んでいたのだが、ましてや、スラムと化した戦地の空き家に今も両親が拉致されているって考える、主人公。登場人物もそれに疑問をもつことなく、捜査をはじめるので、感覚がおかしいのは自分の方かと思った。ここでかなりの困惑を読者に持たせることが狙い?
そしてあんなに見つけ出すことに執着して、責任を持って命を救うとアキラに約束したのに、あっさり、引渡し、何もなかったように、アキラについてその後言及しない。
読み終わった後は、不思議な余韻に包まれた、そもそも本当にアキラだったのか怪しい。極限状態の二人には正常な判断ができない?
ましてや、なんだかそもそも本当にそんな危ない地域を二人で進んだとういうそんなシーン事体、あったのか?幻覚をみせられたのは、読者である私の方だったのか?
なんとも不思議な感覚を読書後に覚えました。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.17:
(5pt)

ブッカー賞作家、カズオ・イシグロが綴る「追想」の冒険譚

英語圏で最高の権威を誇る文学賞「ブッカー賞」を『日の名残り』で’89年度に受賞した、現代英国文学界を代表するカズオ・イシグロの’00年発表の第5長編。

おもな舞台は不安定な中国情勢・国際情勢の中での上海の外国人特別区“租界”。‘わたし’ ことクリストファー・バンクスは10才の時、父母が共に謎の失踪を遂げて孤児になった。長じて父母を捜すために探偵となり、数々の難事件に関って名を成し、社交界にデビューする。

本書は、全部で7つの章から成り立っていて、それぞれ1930年、1931年、1937年、1958年と、異なる時点から過去を振り返る‘わたし’の「追想」小説である。少年時代の父母の思い出、隣家の日本人少年アキラとのいたずらなどの遊びの思い出、名を成してからのサラ・ヘミングスとの淡い恋、養女ジェニファーとの関係などが抒情的・自省的に綴られてゆくが、常に‘わたし’の心にあったのは父母を探し出し、救出することだった。第6章の1937年時の追想は日本軍と中国共産軍、蒋介石の国民軍が入り乱れる上海の戦闘区域で、負傷した日本軍兵士であるアキラと再会して父母を救出するべく執念の探索行が描かれている。このくだりは圧巻であり、リーダビリティーにあふれている。そしてついに明かされる衝撃の真相と、それを知ったのちの‘わたし’のなんとも名状しがたい心の動き。

本書を探偵小説と見るむきもあるが、私は‘わたし’の記憶と過去をめぐる切ない青春小説であり、「追想」の冒険譚であるように思った。
ところでタイトルの『わたしたちが孤児だったころ』であるが、なぜ「わたしが・・」ではなく、「わたしたちが・・」なのだろうか。ここに、読者を物語に巻き込むイシグロの意図がうかがえるような気がする。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
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No.16:
(4pt)

ミステリーという垣根を越えて。ともかく前向きな生き方が素敵!

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワ・ノヴェルズ)
1900年代の初め、
上海で両親と共に豊かに暮らしていたイギリス人の少年クリストファーは、
立て続けに両親が失踪するという奇妙な事件に遭遇する。

以来、イギリスに帰国し、
名門大学を出て、順調に探偵となり、
社交界にデビューする一方で
養女を養うほど
知性と富と慈悲にあふれた人柄を備え、
人生を歩み始めている。
(欠点は女性が苦手なところ。)

そんな彼が自分の不確かな記憶と探偵としての資質を武器に
両親の失踪の秘密を探り、
彼らを捜し出そうと再び(日中戦争が勃発しようとしている)上海を訪れる。

荒削りだけれど、自分の成し遂げようとする事柄に、
後先考えずに真正面から向かっていく主人公が、
なんだかほほえましく
ミステリーという垣根を越えて、
楽しく文字を追いました。

さらにエンディングの
探し出した母と母の環境に理解を示し、
養女の提案を曖昧に享受していく箇所は物語の終点にふさわしく穏やかで素敵。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
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No.15:
(5pt)

ミステリアス

日本生まれのイギリス文学者カズオ・イシグロの作品。1930年から1940年代。ロンドンと上海を舞台にしている。イギリスの植民地支配時代の空気を出しています。途中までは、抑制のきいた深い物語進行ですが、途中から急転直下の話の進行に頭がついていけなくなります。ミステリーの謎とき張りの進行です。途中までは、カズオ・イシグロの「日の名残り」のような作品らしいのですが、後半はついていけませんでした。私は作品としては、「日の名残り」の方がおさまり良く、ジーンと胸にしみて、好きでした。好きな作家の作品の一つとして読みました。随所にその良さを見つけることはできました。カズオ・イシグロには、今後も期待しています。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
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No.14:
(5pt)

再読に堪えうる作品

「日の名残り」「浮世の画家」に続き、私にとってイシグロ氏3作目の小説ですが一番面白く読みました(前記2作品も好きですが)。主人公の独白を基本とし、各章の小見出しだけを追えば時間の流れに沿いつつ、途中回想や過去のエピソードをふんだんに交えることでその世界に引き込まれる点は3作品とも共通していました。しかし本作品はスケールの大きさで過去2作品の比でなく、そこに大きな魅力を感じました(まあ、この点は評価の分かれる点でしょうけど)。前記2作品では「あの人はその後どうなったんだろう、あの事はどういう意味があったんだろう、もう少し詳しく解説(謎解き?)してほしい」と思ったものでしたがこの作品を読むことで、「書き過ぎない」ことがイシグロ氏のスタイルではないかと考えるようになりました。つまり「タネ証し」と「読者の想像力を刺激し続ける」こととのバランスの取り方がこの人の真骨頂なのではないでしょうか。再読すれば、1回目では読み取れなかった“仕掛け”の発見や違った読み方ができそうなので、少し時間をおいて挑戦しようと思っています。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.13:
(5pt)

不思議な読後感

非常に不思議な読後感を味わえる小説。
主人公が成長して探偵として活躍する現在と、幼少のころの両親や幼馴染たちとの思い出がイギリスと上海を舞台に語られる。そこには旧友の、両親の、そして現在の恋人の、という具合に様々な人々との個人的体験が重層的にちりばめられていて、極短い短編小説がいくつもいくつも連なっているという風に読むことができた。むしろ通常の小説であれば物語の肉付けとも言えるそれらの「短編」的エピソードが醸し出す雰囲気こそ、この小説の骨格となっているような感覚さえ覚える。
そして何より不思議に感ずるのは、物語の後半、上海に戻った主人公が体験する幼馴染と邂逅する場面。重い現実感のある夢のような描写で、エンターテイメントを期待する読者を全く別の地平へと連れ去ってくれる。
こんな小説には滅多に出会うことが出来ないと思う。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.12:
(4pt)

傑作と呼ぶには何かが足りない。

本書の主人公バンクスは、上海育ちの英国人であり、
彼が10歳の時に両親が相次いで失踪した結果、
英国に送られて教育を受けたという、かすかにイシグロ本人の
経歴を思わせるような人物設定になっている。

内容のほうも、これまでの純文学路線とは違い、
探偵小説のパロディめいたエンタメ寄りのもので、
前半では、上海での少年時代の回想を差し挟みつつ、
バンクスが英国のスノビッシュな社交界の中で、
探偵としての名声を築いていく過程が描かれ、
後半はいよいよ、第二次上海事変から日中全面戦争へと至る
渦中の「魔都」上海へと、バンクスが乗り込むことになる。

こう書くと、傑作たることはほとんど約束されているようにも思えるが、
読み終わって、そう呼ぶには何かが欠けていると感じた。
ひとつには、バンクスの養女となる孤児のジェニファーが、
物語の流れにうまく組み込まれていないように思えることが
挙げられるかもしれない。彼女が登場する場面は、主要な筋からは
半ば独立しているため、単に孤児をもうひとり登場させる必要上、
都合よく導入された人物ではないかという気がしてしまうのだ。

また、舞台が上海に移った途端、急速に現実感が乏しくなり
なぜか皆がバンクス一人に事態の解決を要求するという、
「セカイ系」の展開に突入していくのだが、ここでの上海の描き方が
むしろ類型的なものに留められていることにも、
(イシグロ本人によれば意図的なものらしいが)
微妙な物足りなさを覚えた。名探偵であるはずのバンクスが、
現実にはあり得ない仮定を信じ込むに至る経緯が、
いささか簡単に描かれ過ぎているようでもあるし、
結末近くで明かされる真相の重さとも、
もうひとつうまく釣り合っていないような気がする。

最後に、これは翻訳の問題になるが、
原文でアキラが話す英語は、be動詞や3単現のsが
ほぼ完全に省略された舌足らずのものであり、
邦訳はそこを流暢に訳し過ぎていると思う。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
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No.11:
(4pt)

名探偵小説への批評的アプローチ

上海とロンドンを舞台に、中国とイギリスと日本の文化を巧みに描き分けている。 アキラとの交流、サラとの運命、ジェニファーとの関係と、いずれも背景に描かれきらない広がりを感じさせる。  そして、名探偵小説を批評的に解釈したようなストーリー展開が斬新。 アヘンをめぐる醜い力関係が、最後の謎に深くかかわってくる。 真実は、いつも光を伴ってくるとは限らない。 だが、人はそれでも真実を知りたい。 クリストファーが探偵だというのは、皮肉な設定である。  日中戦争の生々しい情景を描き、その後の世界大戦をスルーし、「筆舌に尽くしがたい」という形容を、書かずして表現している。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347
No.10:
(5pt)

ああ、レベルが違う

エンターテイメントよりの純文学といった様相でしょうか。主人公は二十世紀の探偵。探偵小説の技法を用いた小説、という意味ではポール・オースターみたいに思えてしまうかもしれないが、その内実は全然違う。

 探偵小説というのは基本的に虚構を前提とした小説であるが、その探偵を日中戦争の中へ放り込むことで徹底的に相対化、世界と戦う探偵という意味では、セカイ系作品としても読める。

 後半から主人公の行動に「?」と思うでしょう。自分も何か読み違いをしているのかと不安になったが、それも手の内。信用ならざる語り手の手法を違い、リアリズムの中の妄想(?)を生み出し、しかも、その妄想もリアリズムにのっとっているという、技巧をこらしまくった傑作。
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4151200347
No.9:
(4pt)

筆致が丁寧

幼い頃に上海で両親が失踪したイギリス人男性の主人公が、大人になって探偵として社会的に成功し、孤児を引き取り、両親の失踪事件を解決すべく、上海へと戻る。

前半は、緻密な追憶の描写がゆっくりと続き、なんとも地味な物語だと思いきや、後半から一気に展開が早くなる。

長年微妙な関係を続けてきたサラから駆け落ちを持ち掛けられたり、両親が幽閉されていると思われる家の情報をつかみ、日中戦争の前線に飛び込み、負傷した日本兵と逃げ回ったり、とスリリングな場面が展開される。

最終章。

両親が失踪した本当の理由を、かつて信頼しきっていた人物から聞かされる。最初はずいぶんとお堅い上品な語り口からのスタートだっただけに、このショッキングな顛末は大変意外で、驚いた。

高貴な小説「日の名残り」の印象が強いイシグロ氏も、しょせんは一介の男性に過ぎず、また彼がひそかに抱く、白人への劣等感を垣間見てしまったような気がした。
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No.8:
(5pt)

冒険

ポールオースターの「鍵のかかった部屋」がそうであるように、また村上春樹の「羊をめぐる冒険」がそうであるように、この作品もまた冒険小説なんだなと思う。 ただしそれはあくまでカズオイシグロ的なものに変貌している。 これまでの彼の作品は小綺麗で優雅な作品が続いたがこの作品で彼は自身の創作自体においても「冒険」をした。 この作品における著者の筆運びは勇ましく挑戦的で多少荒削りなやり方を試しているが、やはり同時に優雅でもある。 そしてそれがどうにもこうにも心地よい。 物語はある一つの点に向けて探偵小説的な要素を含みながら展開する。 一瞬めまいさえしそうな鮮烈で優美な文章の応酬が我々を襲う。
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No.7:
(5pt)

事実と真実

事実と真実は別の場所にあるものだ。 イシグロの構成力が、幻想的なまでのズレを見事にかさねあげ、世界を立体にしている。 リアリズム、というのとはちょっと外れる確固たる世界。 明かされない謎と明かされない命題の間を読者は滑らされる。 とても面白かった。
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4151200347
No.6:
(5pt)

イシグロ的な世界

舞台は上海。 最初に父が消え、次に母がいなくなった。 そして少年は孤児になった。 少年は成長し、イギリスで高名な探偵になる。 彼は再び上海を訪れ、両親を探し始める。 探偵小説の形式を得て、信頼できない語り手というイシグロ十八番の手法がさえまくる。 この小説はトリッキーで美しく、強烈なカタストロフを読者に与えてくれる。 はっきりって、傑作だ。
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4151200347
No.5:
(4pt)

喪失感と希望

「日の名残り」にしても本書にしても、イシグロの作品を読むと、「喪失感」という言葉が浮かんできます。私達は生きている間にいろいろなものを失っていく。時にはかけがえのない大切なものを、自分がそうとは知らぬ間になくしていき、後から振り返ってそれに気づくのだが、そのときはもう全てが終わっている。本書を読むとそんなメッセージが伝わるように思います。
物語の前半は比較的ゆっくりと登場人物のあり方が描かれているのに対して、後半は下手すると荒唐無稽な展開が繰り広げられ、驚きと不安を読者に持たせ、一気に切ない大団円を迎えます。
喪失そのものは哀しく切ないのですが、しかし読後感は決して悲愴感だけではありません。失うことを現実としてあるがまま受け入れ、はじめてそこから何かが始められる、そんなそこはかとない希望を持たせてくれる、素敵な小説でした。
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No.4:
(5pt)

租界で暮らして味わったのは何。

劇中に日本人が現れる小説でもあり、読むにつれて次第に、日本人であるが故に読み取ることの可能な感傷や描写によって、我々は何かしらの特権的な優越感に浸る。カズオ・イシグロの小説の読者の多くは英国の、恐らく白人である。彼らが支持するイシグロの小説が我々の国の歴史と伝統に基づく敬虔な姿勢を示していることで、作品にとてつもなく敬意と幸福感を覚える。
事実と期待とのはざまで、秀でた才能を持つ探偵が見たもの、体験したものは何だったのか。それは個人的なもの、大きな歴史のうねりの中に見出したもの、そして人間そのものに見出したもの。探偵であることにより失い、見つけ得たもの。
読み終えたとき、幅の広い小説であった、という感想を得られる。それは、面白かった、と同じ意味だということである。
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No.3:
(4pt)

独白の恣意的な歪みを

「英国」作家カズオ・イシグロ五番目の長編である。
今までのイシグロの作品と同じく、語り手の独白に近い「語り」により
ストーリーが淡々と語られていく。
しかし気を付けなければならない点は、
イシグロの語り手は決して真実を語っていないということだ。
起きたこと、台詞、そして語り手の心情でさえも
語り手の恣意によって歪められ、都合の良いように隠匿される。
つまりイシグロの小説世界は寄る辺無い世界なのだ。
足許が安定していないだけに、読み手の位置も、
他の登場人物との距離感も判然とはしない。
普通の小説に慣れた感覚で読み進めると、かなり気分の悪い思いをするはずだ。
本書の舞台は上海租界。
中国大陸にありながら、中国でも欧米でもない魔都を舞台に選んだということは
ありきたりではあるが、そのイシグロの小説に流れる浮遊感覚
を表現するには最適な舞台なのだろう。
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No.2:
(4pt)

トラウマと否認

主人公は、表面的には、両親の失踪という自らのトラウマを解きほぐすために、探偵を志す。しかし、真のトラウマに対しては、語りの中で何度も接近しながら、自己に開示されることはない。そのため、語りは、イシグロの小説の主人公が常にそうであるように、時に不自然に蛇行し、もつれ、最後には破綻していく。
人はトラウマを心の底に持ち、否認しながら自らのストーリーを紡いでいくものであり、その意味でこの小説には普遍的な力がある。特に家族をめぐるトラウマとして私はこの小説を読み、心を揺さぶられた。『日の名残り』に比べると、帝国主義英国の黄昏というもう一つのトラウマへの書き込みはちょっと弱いかな、とも思った。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
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No.1:
(4pt)

人間が生きていく力を考えさせられた

上品で繊細な文章(翻訳者の力量にも敬意)、興味深いストーリーそのものに惹きこまれる好作品ながら、読後感は非常に奇妙なものでした。本作品には強烈なメッセージがあると感じたせいだと思います。訳者あとがきによると著者はあるインタビューで「話し手の言うことをすべて信じないように。語られていない部分、言葉の裏にある部分を読取ってほしい」と語ったそうです。
主人公が世界、社会の悪のカラクリを直視した後、彼に残った大切なものは、悪と闘い、社会を守るという夢ではなく、惜しみない愛を注いできた養女と「故郷」でした。 人間が生きていく上で、夢や希望はエネルギーの源となっていると思います。しかし、その夢や希望の源流は、幼少期の美しい思い出や故郷といった「愛された思い出」であり、人生の最後に残されるものは「愛し、愛された思い出」である、というのが著者から私に送られたメッセージの様に思います。 探偵小説としての楽しみもあるので、内容に詳しく触れることは控えますが、寂しくもあり、しかし、日常において大切なものを考えさせてくれる人間愛が描かれた好作品です。
わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)Amazon書評・レビュー:わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)より
4151200347

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