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冬の光
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冬の光の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.19pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全25件 1~20 1/2ページ
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60年代の学園世代も大学を卒業すると、卒業すると大多数が企業戦士として世に出る。この小説は そのような企業戦士が家族をつくり、家族との葛藤、不倫などを経て、退職し、東日本大震災後のボランティア活動を経てこれまでの人生を振り返るために、四国遍路をしてその帰路、船から転落し、死亡する事故が起きた。そこに至るまでの経緯を妻、長女、次女、不倫相手(学園紛争時の友人)の目を通じて描いた物語で、最後に意外な真相が明らかにされる。読み始めたら止められないいつもの篠田節子による物語である。 | ||||
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登場人物が長い時空の中で寄り添ったり離れたりして、解けた糸が再び絡み合っていく素晴らしい人生を描いた秀作でした。 | ||||
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知りもしない時代の学生運動の頃の空気感がなんとなく漂い、仲間と熱く語らうも仕事に就かなくては生活ができない。 そんなジレンマを当時の方々は持っていたのか、それとも少々過激なサークル活動の体験だったのか。 当時の高ぶった経験を共有する相方と付かず離れずが続き、奥様を裏切る結果となるも、大震災の復旧作業で自らのモヤモヤは浄化され、被災者供養なのか永年の相方の供養なのか巡礼へ。 変に悟ったような巡礼になるが最後は落命。 昔の思い出は昔の出来事でしかなく、懐かしんでいるのは誰しもあること。 でも家族を裏切ってしまってはね。 でも面白い話でした。 | ||||
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主人公の二人には全く感情移入できなかった、が、物語は秀逸で、巧みな心理描写(人の心の到底表現できない と思われる内面を言語化している)と、家族どうしにある(いかにも本当にある!)現実的な感情のやり取り 、そしてお遍路といったビジュアル的に映えそうな場面転換。 震災の描写、組織内の崩すことができない序列、差別、フランスでの風俗描写。 ほかにも見どころ(読みどころ)は沢山あります。 感情移入できない二人ではありましたが、二人のやり取りを夢中で読み、ところどころであるが「あるある」 とうなずいてしまいました。 本当に篠田さんの本に外れはないです。 | ||||
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今回の森会長の女性への問題発言を予期していたのかと思うほど、この小説は日本が昭和の時代から引きずる社会問題も鮮やかに描き出していて、昭和的な男の無意識の価値観だめじゃんと思いつつ、読み始めからストーリーにグイグイと引き込まれ面白かったです。でもその面白さが逆に、人生本人としては山あり谷ありでいろいろな意味付けができるのだろうけれども、結局それは自己満足でしかなく、大した意味もないのだとこの小説を読むと思い知らされます。しかしその気付きは私としては決して不快なものではなく、それぞれの生きてきた人生は自分にとっては波乱万丈かもしれないけど、大文字の「人生」としてはよくある話で大した意味を持っている訳ではない、でもそれはそれで楽しめば良くて囚われる必要はない、と著者が囁く吹っ切れた感覚が私の感性にフィットします。人生に大した意味はない(特に昭和の男は自分の行動や発言に無自覚で勝手だ)けれど、それでも(そこを自覚した上でなら)自分の人生も結構楽しめるものだと感じさせてくれる小説でした。 | ||||
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購入時の確実な品質と予定通りの配送に満足。 | ||||
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核家族の長年サラリーマンとして家族を支えてきた父親が自殺。 父親の人生の足跡を次女碧が辿り真実がわかっていく。 お遍路行った事がある方は情景を思い浮かべられて懐かしむ事ができます。 | ||||
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久しぶりに篠田節子さんを読みました。両親が死んだときいろんな方が父の思い出を語ってくださいました。そのたびに親子でいても父のこと何も知らなかったことに驚かされました。これはそんな話。昔の恋人との再会。ちゃんと妻に話せていたら二人の心がこんなにも離れることはなかったのに、男のロマン?勝手な見栄が結局事故死さえも自殺と扱われ・・・。誰にも理解されないまま終わった一生。あの時なぜ?どんな気持ちで?なんて周りが推し量っても真実には遠くて。人のことなんて本当は全然理解できないものなのかも。まして自分のことも分かってもらえてるなんて思わない方が良いのかも。一生のうちのほんの一握りのかけらだけが共有できるのでしょうね。 | ||||
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リアルにありそうなことがらで、いろんな意味で、共感できる。 夫婦間の微妙なすれ違いや、愛憎が表現されていて、何回も読み返した。 | ||||
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よかったという印象はあるがだいぶ前に読んだので忘れた。もう一度読みたいと思っている。 | ||||
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団塊の世代で、かつてバリケードの中に居た男と女。 男は一流の重工メーカーに就職し、世間にもまれていく。 女は生硬な生き方を崩さず、大学に残る。 二人の行き方が何度も何度も交錯する。 そして女は東日本大震災の際に孤独に死に、男は震災救援ボランティアに参加した後、四国のお遍路に出て帰りのフェリーから転落死する。 なぜ男は死んだのか、自殺か事故死か。 男の次女が、それを知ろうと遍路に旅立つ。 その死の謎を通して、男と女と、さらには男の妻の人生を浮き彫りする。 味わい深い。 そして上質のミステリーに、殺人事件は不可欠ではない。 そんなことを痛感する作品である。 | ||||
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ストーリーの組み立てや人物配置がおもしろい。物語がじわじわと心に染みてきます。 | ||||
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父親の事故を知るために、父の旅を検証する娘側からのストーリーと、真実がどうであったのか父親側のストーリーとが重なって、最終的にいろいろなことがわかるという展開。最後が切なくて、家族とはこんなものなのかなと、考えさせられた。 | ||||
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家族のこと、両親のこと、姉弟のこと、友人のこと、知っているようで本質は知らない! | ||||
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描かれている時代は、学生運動の激しかった昭和40年代から東日本大震災直後まで。62歳の父親が人生の最後に通った四国のお遍路の道を次女がたどる。章ごとに、父親の視点から書かれているものと、娘の視点から書かれている章があり、最後の最後に二つの視点が、冬の光に到達する。家族、恋愛、男女共同参画、災害、老い、宗教、精神疾患等々、多くの現代社会の問題が絡む。昭和の後半から平成という時代の変遷をたどりながら、特に家族とは何かを問う。平成の終わりに、読んでおきたい一冊。 | ||||
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それぞれの淋しさ 康弘と三人の女たち、妻美枝子、恋人紘子、行きずりの遍路梨緒、それぞれとの関わりを通して人の淋しさがにじみ出ている。 美枝子は家庭の主婦として申し分ない。が、一方では、康弘に、紘子に別れを告げる電話を自分と娘の目の前でかけるよう強要する。その場面には美枝子の持つ毒々しさが溢れている。自分の決めた範囲の中で夫を「所有」しようとする美枝子は、範囲外の夫を許せない。所有物でなくなった夫は価値のない者なのだろう。 紘子は結婚を否定して、誰も所有しないし、誰からも所有されないという信念を持っている。その信念と康弘への思いの間の隔たりに傷ついていく。紘子の信念は自分自身を覆う殻になり、その殻を破り自分を解き放つことが、結局はできなかった。 最後の女、梨緒はどうか?育った家庭環境から精神を病んでしまったと思われる梨緒。康弘にしがみついていく姿は無垢な子供のようにも思える。梨緒の中で我を忘れようとした康弘は哀れで弱々しい姿をさらす。梨緒の悲しみを少しも癒すことができないまま、梨緒を手放す。梨緒にも応えられなかった痛みが伝わってくる。 康弘は東日本大震災の被災地に入り、その後四国の巡礼の旅に出る。ここで作者のテーマの一つである宗教が、康弘と関わってくる場面は興味深い。特に何を信仰するわけでもない康弘が巡礼の旅に出たのは、そこに帰着点を見つけたいという淡い願望があったからなのだと思う。だが世俗の社会に順応し成功している宗教は、康弘の心を素通りしていく。ここでの宗教の描かれ方と、「弥勒」や「仮想儀礼」で示されている宗教を対比させてみると、作者の宗教に対する思いが伝わってくるのではないか。後者では、世俗的な成功を収めた宗教が崩壊し、何もかも失ってから他者のために生きることを選んだ者を宗教的な光をあてて描いている。康弘のはこの光は届くことはなく、梨緒との関係も何も生むことはない。 帰りのフェリーから見た冬の光に康弘は何を見たのだろう? もう二度とかつての家族の幸せはもどることはないと、冬の光は告げていたのだろう。 登場人物四人のそれぞれが抱える淋しさが冬の光にかすんで見える、心に残る結末だった。 | ||||
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篠田節子による400ページ超の長編です。団塊世代の一組の男女の人生に焦点をあて、その意義を問う作品です。『銀婚式』と同じテーマですが、今回は昔同級生だった女性の人生も濃密に問われます。 篠田作品の構造は通常: 1)事件(事実)の顕在化、その常識的・表面的(観察)記述 2)事実を探求すると、先入観や見かけとは異なった深い複雑構造が見えてくる 3)主人公が宗教的・芸術的・冒険的契機でその複雑構造に突入すると化学変化が起きて異次元世界へ突入する 4)たいていはハッピーエンド、上記の異次元体験は常識からも説明がつく場合が多い この4)がなければ、エンターテイメントではなくカフカ的世界になってしまいますね。 この作品の場合は、 1)四国遍路の帰路、徳島発のフェリーから冬の海に消え、水死体となった父。その父は20年以上も家族を裏切り続けていた。家庭にも恵まれ企業人としても一定の地位を得た父は、なぜ外に愛人を持ったのか。主に次女の視点から、家族とくに「裏切られてきた」と感じる妻の絶望が語られます。 2)父親の視点でその「愛人」との関係が単なる男女関係を超えたソウルメイトだったことが分かる。 3)父親は、東日本大震災と女性の死に遭遇し自らの小市民的人生(と成功)に対して根源的実存的疑念を抱く。四国へ遍路に旅立つ。宗教的体験ともう一人の女性との遭遇。 4)主人公の死の真相が明らかになる。 という構造で篠田作品の典型を踏襲しています 3)が理知的記述に終始しており、他の作品のように超常的・驚嘆的ではないのがやや不満です。しかし、主人公の心の動きは、お遍路衣装を脱ぎ捨て、「刃物研ぎ」に注力する所など、よく記述されています。なによりも団塊世代男女の人生を切迫感を持って剔りとる作品で、その筆力は相変わらず素晴らしいです。その男女の生き様において、本人の意図と周りの理解がすれ違うところの描写は、人間のステレオタイプ理解からよほど自立していないと書き切れないと思います。返す刀で伝統的な日本的家族そのものの虚構性も切ってしまうところもみごとです。一気に読んでしまいましたが、どうやって人生の終わりを迎えるかの心構えについて、身につまされる作品でもあり、読後しばらく考え込んでしまいました。 | ||||
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人生って、一体何だろう? 生きるって、どういうことだろう? 働く意味は何だろう? 読後、そういう疑問が湧いてきました。 篠田作品には、ホラーや衝撃的な作品が多かったが、この本はそれらとは趣を異にしている。 ひたひたと心に染み入る、静謐な思いを抱かせる、味わい深い一冊です。 もっともっとこういう作品を、著者には書いてほしい。 | ||||
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小説は、《面白かった、つまらなかった》という類いの感想を差し置いて、その解析を要求する。それに全力で応えてみたい。 富岡康宏、2011年12月24日死去、享年62歳、従って生年は1949年になる。この頃に生まれた人は「遅れてきた世代」と呼ばれる。大学では学園闘争の高揚期は過ぎ、「内ゲバ」消耗戦ばかり。就職直後のオイルショックで高度成長時代は幕を閉じ、80年代の土地転がしの狂乱も91年のバブル崩壊で惨めに終わり、「失われた20年」が現在も続く。物語はこの半世紀を丹念に追っている。「盛り込み過ぎだ」との批判もあるが、同世代のサラリーマン読者なら自分の来し方と重ね合わせて読めるだろう。 明示されないが、本筋に一貫して流れるテーマは「家族」である。一人っ子の康宏の生い立ちに母が不在だ。多分幼少の頃に死別か離別したのだろう。従って彼の最大の願望には、「仲睦まじい夫婦と良く出来た子」から成る家庭を作る、というステレオタイプが埋め込まれていると読める。そういう康宏にとって、笹岡紘子との結婚はあり得ない。 学生時代はラジカリズムに傾倒した康宏だが、就職後は典型的な会社人間に変容してゆく。節操がないとは言えないだろう、100人200人の同期大卒間で出世競争を競うことはそれ自体が目的化して楽しいし、またそうさせて会社に忠誠を誓う人間を育成して行くのは、企業存続の要でもある。 康宏は同じ階層に属する、短大出の「中瓶の魅力」的な娘と結婚する。財布は預けるが、夫の日常に口を挟まず、世間一般のロールモデルに沿って、バックグラウンドで、子供を育て家庭を守ってくれれば良い。 そんな康宏にとって、紘子はファム・ファタール(運命の女)である。通常の小説ならばファム・ファタールは男を自滅させて終わるが、この物語はそう単純ではない。紘子はむしろ康宏の「超自我」の現身として見ることが相応しいと考えられる。康宏・紘子と、<ひろ>が重なっているではないか。 大学に残った紘子は、康宏を軍需産業に働く「死の商人」となじり、「高貴な非常識を身につけ」た、理念的な闘いや奔放な私生活を見せつけることで、思想を忘れてしまった彼を問いただす。康宏も、君はそうして「一生一人で生きていたのか」と、「家族をもち、順調な人生を歩んできた優越感」を込めて対抗するが、何とか彼女の力になろうと努めざるを得ない。彼女が傷付けばともに苦しむ。彼の超自我だかだ。 実際、結婚後の康宏が、紘子との長い付き合いのなか性交渉に及んだのは、明示される限りではたったの2回である。2回とも彼の「超自我の君」がひどく落ち込んでいて、それ以外に慰めようがなかった。その他の物語の過程でも多くの交渉があったとは考えにくい。その2回ともが妻にばれる。 康宏の浮気に対して妻子はロールモデル通りの反応を示す。彼がそれを願ったのだから、仕方ない。康宏の裏切りを満腔の敵意を込めて非難する女性読者は、自分自身の「中瓶度」に気づくべきだろう。 紘子は自分の死をも「制御」したのではないか、と想定させる叙述が続く。彼女の死で康宏は、「恋人でも友人でも運命の女でもなく、人生の一部を失った」ような喪失感を味わう。だがこれは彼自身が本来持っていた自我の「回復」を意味するのではないか。康宏の四国八十八カ所巡りが素晴らしい。ここで彼は彼の人生に取り憑いてきたステレオタイプを棄却する。通常の「札所巡りのステレオタイプ」は、巡礼装束に身を固めて経を唱えスタンプを集めて、自分が浄化したように感ずる手垢の付いた離脱観念である。康宏が衣装も杖も捨て去って、行く先々での刃物研ぎにいそしむのは、彼の「垢」を研ぎ落とす象徴的な意味合いを表している。 札所巡りの途中で出会う秋宮梨緒は、笹岡紘子の分身であると読める。康宏は梨緒のなかに、紘子と同じ上層階級の育ちで、その誇り故に傷ついている、紘子が康宏には決して見せたことがなかった「弱さ」を発見する。紘子のものも、妻のものも、「こんな形で凝視したことがな」かった性器の奥を、梨緒を通して覗き、女性に共通する「深淵」、私の解釈では歴史を通じて女に押しつけられてきた「悲しみ」といったもの、を知る。妻の美枝子との和解も可能だろう。この卑猥な叙述が意味することは重大だ。だから「死んじゃえばいいんじゃない」という梨緒の言葉に従わず、彼女を家に送り帰そうとするのである。 そんな康宏の帰る場所は決まっている。決して自殺などはしないだろう。本物語は、途中に家族の最良の思い出である静岡でのクリスマスの情景を挟んで、写真で始まり写真で終わる枠組みを取っている。62歳の死は余りに早すぎた、と思うのである。 | ||||
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帰宅途中のフェリーから富岡康宏は転落死した。 事故か自殺か!? 残された家族は、彼の長年にわたる不倫がもとで家庭が崩壊した ことから自殺ではないかと疑い、次女の碧は残された日記を頼りに 父がたどった四国八十八ヶ所のお遍路を訪ね、その死の真実を探ろうと する。 富岡康宏の視点からまた碧の視点から解き明かされる、悲しい男の心の 遍歴。 自ら招いたことではあるが不倫をきっかけに妻は孫の世話を言い訳に 娘の家に行き、ひとり残された男は定年を過ぎ仕事もなく孤独と喪失感に さいなまれる、という図式は珍しくもないが、そこに学生時代からの ほろ苦い恋が彩を添え、また少し酸味も利かせて、大人の味を出している。 残念なのは、最終ページの対向面がいきなり奥付けになっていること。 ページ立ての問題はあるのだろうが、味気ない。 | ||||
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