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銃・病原菌・鉄
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【この小説が収録されている参考書籍】
銃・病原菌・鉄の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.05pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全465件 321~340 17/24ページ
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中身は問題なく良かったですが、少し表紙が汚かったです。 消しゴムで消して頂くと気持ちよかったです。 | ||||
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人類の歴史は、分かっているようで、分かっていないことがたくさんある訳です。 近世の多くの歴史はよく言われるように戦争に勝った、勝者からみた歴史であるわけです。 古代の歴史は、考古学や、物理学などを駆使して想像したり、仮説を立てたりする部分が多いので、この点は近世、特に文字による資料がある場合とはまったく異なることになります。 どれが本当で、どこまでが真実なのか不明なところも多いのですが、それだけ、想像力をふくらませ読むことができまし。 (まだ上巻の半分ほどしか読んでいませんが・・・GWに読み終えるつもりです。 ) | ||||
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1997年、アメリカで出版。 1998年、ピューリッツァー賞・一般ノンフィクション部門を受賞。 2000年、邦訳。 2010年、朝日新聞が選ぶ「ゼロ年代の50冊」という企画で1位に選出。 2012年、文庫化。 今も平積みにしている書店があるぐらい売れている。 本書は「なぜ民族によって文明格差があるのか?」という疑問に対して科学的な調査と歴史的な考察から 「人種や民族に優劣は無い。地理的な条件だけがが民族格差を作ったのだ。」と結論する。 人類学の素人向け教科書みたいなものだ。 一通り読んだ限りでは幅広い資料を駆使した説得力ある本に思えた。 最初はアメリカ白人特有の思い上がりが少ない本に思えたからだ。 しかし、、読み返しているうちに事実とは全く違っている政治的内容だったのでがっかりしている。 人類史における文字の発明と発展に関してジャレド・ダイアモンド博士は不必要なまでに朝鮮人のハングル文字を絶賛し、また、間違った理解によって日本人をこき下ろしている。 ●「日本人が、効率の良いアルファベットやカナ文字でなく、書くのがたいへんな漢字を優先して使うのも、漢字の社会的ステータスが高いからである。」 文庫版 下巻72ページ ●「日本は、日本語の話し言葉を表すには問題がある中国発祥の文字の使用をいまだにやめようとしていない。」 文庫版 下巻230ページ 当たり前だが日本人が漢字を使っているのは社会的ステータスのためなんかじゃない。単に便利だからだ。 また、漢字の発祥が中国なのは確かだが日本語を完璧に表現するために漢字から平仮名・片仮名を作り出して「漢字・仮名混じり文」を発展させたのは日本民族自身である。 「日本人の作った漢字」=国字というものも多数ある。 博士の言う「日本語の話し言葉を表すには問題がある」文字というのは漢字・仮名混じり文のどこを指しているのだろうか? ●「たとえば、十五世紀の朝鮮国王、世宗大王は西暦一四四六年にハングル文字の起源「訓民正音」を編みだしているが、このとき彼は、中国語からヒントを得て部首の使用を思いついている。」 文庫版 下巻40ページ ●「朝鮮半島において、扱いにくい中国伝来の文字にかわって、独自の素晴らしいハングル文字が使われるようになったのは、最近の話である。」 文庫版 下巻230ページ どちらも嘘とは言えないが世宗大王の発明が「愚民文字」として蔑まれた経緯(これこそ社会的ステータスが問題だったのだが)と、その後400年以上も無視されていた事実に全く言及が無い。 日韓併合期に日本政府が朝鮮半島に多数の学校を建てて、日本人が漢字・仮名混じり文を模した「漢字・ハングル混じり文」を発明し、朝鮮人に教えた事実にも言及なし(“最近の話である”ことの最大の理由なのだが・・・)。 P音とB音の区別がつかないとか、同音異義語を書き分けられない欠陥のある文字体系を「独自の素晴らしいハングル文字」などと絶賛している理由も理解し難い。 また、現在の朝鮮人が漢字教育を廃止した事によって過去の文献から何も学べなくなっているという学者や歴史家にとっての重要事も書かれていない。 (参考:Uー1速報 『韓国欠陥教育で50年前の資料読解が不可能な大学教授が激増中』 抽象的語彙の消滅で論理的思考が不可能に) ★ここまで引用した4つの文章から読み取れることは 1)漢字は扱いにくいのに日本人は見栄っ張りだから使っている。 2)漢字は日本語に合わない。日本人は漢字の使用をやめろ。 3)ハングル文字は朝鮮人だけで発明した素晴らしい独自文化。日本は無関係。 ダイアモンド博士は韓国政府に洗脳でもされているのだろうか? しかし、たとえ誰かに嘘を吹き込まれても自分で学問書を出版するなら自身の調査によって情報の真偽を確かめるのが責任というものだろう。 博士には基本的な情報精査能力が欠けている。 どこかおかしい部分があれば他にもおかしい所があると考えるのが自然であろう。 日本民族と朝鮮民族に関するデタラメの数々が示唆しているのは、他の人種・民族・国家・歴史に関する記述にもこういった酷い誤解が多々あるという事である。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 本書を買う前にまず以下を検索して下さい。 《 ジャレド・ダイアモンド 「日本人とは何者だろう?」 》 英語版原書2005年版から追加された新章が山形浩生氏の丁寧な翻訳で読めます。 これは後から書かれた完全に独立した1章であり、本書の先に読んでも差しさわりはありません。 日本の読者にとって極めて重要なのに、この日本版では一文も触れてもいないのは不思議としか言いようがない。 この日本人論は日本民族に対する軽蔑的視線と捏造の数々に呆れかえる文章である。 これは全くのトンデモ本であり、新章だけでも「と学会」に査定して欲しいと思う。 なぜか本書はアマゾンのレビュー欄でも、朝日新聞社と同様に絶賛している人が多い。 彼らレビュアー達は日本人と漢字に関するデタラメには全く気が付かなかったというのだろうか? 本書を誉めている人は科学的な歴史書だと思い込んでいるが、ハッキリ言って到底そんなものではない。 むしろ科学の名を騙る悪質な政治プロパガンダと言ったほうが正しい。 ・アメリカ先住民の絶滅は病原菌のせいだから白人は悪くない ⇒ 実際には病原菌さえ利用した計画的な虐殺 先住民族への絶滅政策は現在も進行中である!! ・日本と韓国は兄弟だから仲良くしろ = アメリカ政府が面倒臭くなるから喧嘩すんな ・「格差は地理的要因だけに拠るもので人種・民族の違いは無関係」という結論優先の論文 = 人種差・民族差は口にするのもダメな風潮を作り出している米メディアの規制と同じ紳士協定 ダイアモンド博士の主張は気持ち悪くなるほどアメリカ政府の姿勢にそっくりなのだ。 彼の著書はアメリカのリベラル派白人(民主党支持者)のポジショントークだと思って読んだほうが良い。 問題はこの本が世界的に高く評価され21世紀の人類学の権威に成っているという現状だ。 こんな間違った日本人観を世界に広めてしまう本書は危険な悪書である。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 《追記》 割にどうでもいいことかもしれないが本書の邦訳には読点が多過ぎる。 引用した4つの文を読めば分かるが、あれらの読点はほぼ不要なものだ。 山形浩生氏によると倉骨彰氏の翻訳能力はかなり酷いものらしい。 (以下を検索) A Brief History of Hackerdom: Japanes 「わたくし、倉骨訳『オープンソース・ソフトウェア』(オライリー)の翻訳に深い憂慮を抱くものでございます。」 | ||||
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「あなたが白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人には自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜだろうか?」 上記の質問をニューギニアの現地人ガイドから聞かされたことが本書の執筆の切っ掛けだそうだが・・・ 私を含めこの本を読む多くの人は歴史や考古学や遺伝子といった分野での素人であろう・・・ だから専門家から見れば、批判すべき点は大いにあるだろうことも理解できるが・・ ただ素人の私からすればこの本は説明はスットンと自分の中に落ちていった・・・ もちろん近代資本主義は、プロテスタントティズムが必要不可欠であろうが、それを生み出したもっと先の話を理解することができた 南アメリカが少人数のスペイン人でいとも簡単に征服された歴史についてもそうだ・・・ この本が批判されるべき本であるなら、もっと別な視点からの良書を読みたい・・・ そういった本が今は出版されているのだろうか??? | ||||
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上巻での論述では、文明の発達の程度や速さは、その地域の栽培化可能野生品種の質や数、家畜化可能動物種の質や数、大陸の形状や気候分布(文明間の交流の容易さ)などの地理的理由が主な原因で、優生思想に基づくものではないとしている。 下巻では、その論述の検証をオセアニア、南北アメリカ大陸、アフリカ大陸を例に行っている。 | ||||
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翻訳本のlせいか 回りくどい表現が少々多い 尚、同本(下)はいつ発売ですか? | ||||
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単純に面白かった。 世間的には「今日と欧米が主導する世界においての差は、人種的な差ではなく、単に地理的な要因が大きい」とする説を客観的な証拠の積み重ねによってピューリッツァー賞を取った人と言う印象である。 もちろんそうなのだが、私的に感じたのは別に これは上下巻を通じた感想だが、 「文字や文化の発達には”いかにして農業化社会に入れたか否かが必要条件だが絶対条件ではない”(例えば農業化社会の中には文字を持たない文化もあった。また文字が出現してから消えている文化もあったなど)」と言うことであったり、 中国のように必要条件が整いすぎている(一定の広さ、農業用地、移動)国ではなく中規模の条件だったヨーロッパでこそ産業革命が発展した 「イタリア人のコロンブスは4ヶ国目で初めて望む王様に出会えた=仮に欧州が中国のように1カ国に統一されていれば大航海時代は無かったかもしれない」と言う点は非常に興味深かった。 また「あなたが1500年以前の人間なら欧州が世界の覇権を取るなど思いもしなかったはずだ。当時もっとも進んでいたのは中東と中国である」と言う記述。 これはIT化が進んだ現在や、大国のアメリカ、次世代の大国、中国と言う現実社会においても痛感できるメッセージにもなっていると感じる。 「数百人のスペイン人に数万人の兵士を持つインカ・アステカが負けて滅ぼされてしまったこと」についても 「武器(道具)の重要性」や「情報(スペイン側は事前の相手側の情報と戦略があったが、インカ・アステカ側には鉄製品や馬の知識、銃の強さや使い方を知らなかった)の重要性」を再三再四、痛感した。 また 日本などの近年の東アジアの復興が欧米と同じように農耕化社会とそれによる文字の発達、常駐兵士を持っていることが基盤になっていることを、対比として今後しばらくそういうモノを持たないアボリジニなどが世界の覇権を取る可能性が少ないことと関連して述べている。 著者は親は医師であり、ハーバードで生物学を習得したインテリの白人(ユダヤ系)ではあるが20年以上もニューギニアにフィールドワークをしているなど、非常にアジア寄りの人だとも言える。 そういった方が「なるべく中立を保つように慎重に」書かれた本として、興味深い。 | ||||
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本書が結論づける、各地域の文明進化の度合いに差異をもたらした根源的要因は次の三つ。 ・在地の野生動植物が栽培飼育化に向いていたか不向きだったか ・栽培植物や家畜が伝播可能な方向にいたか(緯度が同じ東西なら容易で南北なら困難) ・周辺から孤立してしまいがちな環境にいたか否か(海や砂漠や大山脈などにより) さるグローバル・ヒストリー学者からは「超唯物的な書物」と揶揄される所以でもあるが、 個人的には10〜15世紀頃時点までに関しては、大きな流れとしてなら相応の納得感がある。 ディテール(特に有史以降)については専門領域でないせいかやや粗略な点もあるようで、 歴史学者からの批判を何冊かの本で目にしたことがある。 ただ、細部がダメだから本書全体が無価値だというのは早計な話であろうし、 一般に新たな視座を提供したことは、やはり評価されてしかるべきであろう一冊だと思う。 作者はニューギニアに深く関与したことのある経歴の持ち主だが、その寄与は大きそうだ。 語族は別になるが、オーストロネシア語族研究者のピーター・ベルウッドがやや近似した 人類史を書き上げていることが思い起こされる。 議論をシンプル化できる民族の研究から人類全体に話を拡げる手法は有効なのだろう。 | ||||
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人類の文明が何故その場所に、その時代に興ったのか、様々な分野の研究を網羅的にまとめて、優性思想に基づかない文明史観を展開している。科学的に妥当かどうかは議論になったり、根拠に乏しいことや、明らかな著者の思い違いがありますが、下記の主論点については興味深く読ませてもらいました。仮説としても面白い考え方だと思う。 上巻の主な論点は、 1:食料生産(農耕)の発達は、栽培技術の革新でなく、有用な特性の野生植物の取捨選択とそれらの偶然の遺伝特性の変化の蓄積によるものである。従って、その地域に栽培化に適した特性を持つ野生植物がどれだけ多く存在するかが重要でることを論じている。また家畜についても同様に、その地域での家畜化の成功は、家畜化に適した野生動物の存在の如何による確率的必然であると論じており、比較的丁寧に野生植物や野生動物の特性を栽培化や家畜化の点から説明している。 2:文明の伝播の特徴について、農耕の広がりを例に、地球の大陸の形態や気候特性から説明している。 3:疫病が文明の盛衰に重要で、コルテスやピサロの新大陸征服等における伝染病の役割を説明した後、文明への影響を論じている。医学的に破綻のない蓋然性の高い議論だと思った。 | ||||
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文明の衝突と相克について書かれた部分は結構凡庸で、「知ってた」の域を出ないところもありました。たぶん、本書の核心はNative Americanやニューギニアの農業畜産史を、フィールドワークを含めて掘り下げているところでしょう。ただ、人肉食も畜産の一種ということになっちゃうところが凄惨ではあります。作物の起源から文明の型を規定していく筆遣いはどことなく中尾佐助の「照葉樹林文化圏」を彷彿とさせたりしました。特にアメリカの読者から見ると、アメリカ大陸のコロンブス以前の文明がわかったりして、お得感が倍増されている気配です。印象深かったのは、植物の種を拾ってきたり、そこらの動物を拾ってきたりして、飼っちゃう人間の「園芸飼育の趣味」の性を農業や畜産の起源とシームレスでつないじゃうところで、そのあたりは、「人間」という種のユニークネスを浮き彫りにしていると思いました。 | ||||
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感激!!!最近読んだ本で、最高です!! 目から鱗!!の本です。 私の歴史観が再構築されました。 | ||||
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感激!!かなり多くの本を読んでいますが、こんな歴史書は初めて読みました。 最高です。 | ||||
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歴史書はこれ一冊で十分と言われてるくらいの好評具合でしたので 期待して上巻を読み始めましたが、日本語がまどろっこしいです。 私の読解力の低さもあります。 しかし翻訳物は概して読んでいて 苦しい。 内容は大陸によって生物の進化、人間の文明などの速度 はマチマチですと述べています。 その主たる原因は病原菌などに よる感染がかなりの割合を占めているらしいとのこと。 非常に読みづらいです。 | ||||
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なぜピサロがペルーにやってきて、インカ皇帝アタワルパを捕虜にしたのか、なぜアタワルパがスペインにやってきて、カール一世を捕虜にすることにはならなかったのか・・・。 西洋が世界を圧していた時代には、「彼らは遅れていて蒙昧だったので、先進国の民が啓蒙したのだ」と考えていれば良かった。遅れていたのは事実だとして、その差が何故発生したのか、環境要因か、そもそもの民族の資質の差なのか、の問いに答える一冊。相当に読み応えがある。 1億3千万年前の氷河期の終り、現生人類は世界の五大陸に達した。その時点では同じだった、と筆者は強調する。そこからコルテスとアステカ人が出会うまでの永い時間の流れはどう違ったのか。まず、西ユーラシアに文明の灯をもたらしたメソポタミアには育てやすい一年草の小麦が自生していた。その後長く人間のパートナーになる牛や豚の祖先も住んでいた。しかしメキシコには、栽培化の難しかったトウモロコシしか生えていなかった・・・ こうして人類の文明化への永い旅が始まった。病原菌の話も面白かったし、下巻には文字とか鉄が登場するのだろう。楽しみ。 | ||||
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やっと上巻を読み終えました。これは本当に深い本ですね。じっくり読める本ですし、じっくり読めば読むほど、面白いです。1度読み終えた後に序章を再度読むと、理解がぐっと深まります。 本書の特色は著者が自分の説に対してこれでもかというくらい質問をぶつけていることです。AとBという現象がみられる。ではその背景にある理由は何か?可能性としてはDとEがあり、どちらが正しそうかということで1つずつ可能性をつぶしていくという作業が延々続きます。 21世紀は情報世紀と呼ばれるくらいですから、ある国が画期的な武器を開発しても、世界のほかの国々もそれをまねするのにさほど時間はかかりませんが、これが15世紀くらいの世界ではまだまだ情報格差があった。そして農業生産や武器生産、病原菌への免疫などで数千年の先をいっていたのが欧州大国であった訳です。「なぜ〜だったのか?」という質問に対する著者の検証作業は非常に引き込まれました。下巻も楽しみです。 | ||||
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仮にヨーロッパ人の祖先がオーストラリアに産まれ、アボリジニの祖先がヨーロッパに産まれていたとしても、やはりヨーロッパに産まれた側がオーストラリアへと侵略しただろう。 下巻では筆者はヨーロッパに蹂躙された側の歴史を語っていく。ニューギニアとかオーストラリアについてはさすがに専門だけあって詳しい。進化生物学、考古学、民俗学の成果を縦横に動員した語りはやはり面白いのだけど、これだけ大胆に語れば論考が弱いところも出てくる。中国を中心とする東アジア史は専門外みたいだし、インドについてはほとんど語られない。 人類史の大きな分水嶺を植物の栽培化と動物の家畜化に求める筆者の発想は私は良いと思うが、歴史の全ての動力源を銃と病原菌と鉄に求めるのは無理があろう。鳥類学者が人間の歴史の何を語るか、と批判する向きもあるかもしれない。しかし西側世界に根強く残ってた人種優位論を環境決定論で葬り去った筆者の功績は認められてしかるべきと思う。 | ||||
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単行本、文庫共に賞賛のレビューが多いが、正直そこまでの名著とは思えなかった。 「名著」「ベストセラー」「ピューリッツア賞受賞」「ゼロ年代の本ベスト1」などの評判や権威と言ったハロー効果に惑わされて本書とダイアモンドを妄信し過ぎているのではないだろうか。 まずタイトルと中身が乖離していて、銃、病原菌、鉄というのは中心的な内容ではなく、西欧の優勢は環境と地理が原因であるという内容となっている。 ダイアモンド自身は本書の方法は科学的なものだとプロローグで述べているが、「私の解釈では」「と思われる」「〜以外考えられない」などの根拠の薄い直感的な推論や独断的な点が散見される。 例えば古代の遺物というものは残っても、古代の歴史そのものは形に残らないため、測定された科学知識の正しさと、それを基にしたダイアモンドの推論が正しいか・科学的であるかは別問題である。 統計もデータも割合で書かれている事が多くいまいち信憑性が薄い(この傾向は次回作の『文明崩壊』でかなり酷くなっている。レビューを書かせてもらったので気になればそちらも参考にしていただきたい。) 広範囲にわたりいろいろな事例を引っぱってくるのだが、ほかの方も述べているように、日本に関する記述は稚拙といわざるを得ない所があり、なおかつ件の英語版に加筆された、日本人についてのでたらめな追加章である。 もしも他の部分もこの程度の資料査読と解釈なのだとしたら全体としての本書の信憑性と主張は疑わしい。 英語版のウィキペディアにも本書の項目があり、その決定論的な主張に非難が起こったとも書いてある。 ダイアモンド自身に対しても、一介の鳥類学者に過ぎない人物が、専門外の著作で非常に幅広く壮大な著述を行っている事に対する疑問もあるようだ。 マイケル・ガザニガの『人間らしさとは何か』の中では「でしゃばりの鳥類学者」と名前こそ出ていないがダイアモンド(の事だろうと思う)が皮肉られていた。 それに原著の初版は1997年で、既に15年以上の時が過ぎていて情報が古くなっていたり、批判を受けたりしていることも知っておくべきだろう。 例えば最近の本だが、アセモグル=ロビンソンの「国家はなぜ衰退するのか?」の中では本書とダイアモンドの地理説を「やくにたたない理論」として反駁している。 地理と環境因に全てを置くダイアモンドの説では、利用できる資源や家畜、機械が増えた現代社会での格差を説明できないし、資源や動物の分布、歴史の事象も本書の主張とは合致しない事が多々あるという。 確かに産業革命や、国家形態、イデオロギーなの歴史上の重要な事象自体をあまり考えず、単なる自然環境の違いが、銃、病原菌、鉄を含む、西欧の優勢を形作ったという主張自体がいささか表面的、短絡的ではないかと思う。 究極的に言えば歴史とは多くのことが相互に絡み合って起こる複雑系の領域で、可逆的に検証不可能なものなのだし、いまある資料や直感だけでここまで推論を下していいともあまり思えない。 ある程度批判的思考(クリティカルシンキング)で読んだほうがいいし、 結論もあくまで一鳥類学者の立てた見解・仮説、として捕らえるのがが妥当だろう。 伝染病に関する記述でも、少し考えてみればわかるが、伝染病が猛威を振るったのはアメリカ大陸でだけというわけではない。 原産国のアフリカやヨーロッパなどでも耐性のできる前の人間を大量に死に至らしめている。 日本でも黒死病は猛威を奮い沢山の人が死んだ記録が残っている。だが白人も黒人も、日本人も絶滅寸前という訳ではない。 現在、南米や中米では原住民の血を引く人間が大部分を占める国家が多数あるが、アメリカやカナダは人口比で見る先住民は数%から1%以下である。 インディアン滅亡は伝染病が一因ではあるが、本質的な原因はアメリカ大陸に入植した白人が、先住民であるインディアンを数百年に渡り虐殺し続けて来たという事にある。 黒人を奴隷として輸入しだしたのも、まずインディアンを奴隷として酷使していたらみんな死んでしまって労働力が足りなくなってしまったからである。 例えばリンカーンなどはインディアンに対しては、この世から絶滅しても人類が困ることは無いと、人間扱いせず害獣として積極的に駆除していた。 奴隷とし、銃を与え部族間で殺し合いをさせ、後に知恵を付けて白人に逆らうようになると害獣扱い。 このような事はほとんど取り上げず、あたかも伝染病がインディアンを根絶させたかのような記述を延々と続けミスリードを誘うと言うのは欺瞞でしかないと思う。 この伝染病による死滅説はアメリカ人が信じたがるエピソードで、よく色々な書籍に登場するが、かなり盛られていると思われるので話半分で聞いたほうがいいだろう。 この本の種本のマクニールの「疫病と世界史」ではマクニール本人も科学的な証拠も少ないがやや強引な推論を展開している事を断っているが、そのことを書かずにあたかも真実であるかのようにまとめているのはいただけない。 そして日本に関する追加章では。朝鮮半島からやってきた現代日本人の祖先が本来の日本の先住民であるアイヌ人を、アメリカ人がインディアンを殺したのと同じように虐殺して日本を侵略したような記述をしている。 日本の古代史については様々な説があり、未だに研究の途中であり確かなことは判っていないのに、このような極端にセンセーショナルな説だけをあたかも日本人が認めたがらない事実のように記述するのはいかがなものか. 本書の中では執筆当時未だに論争中の事だったり、詳しいことは分っていないことにずばずばと結論を出しているが、他の所もこのように耳目を引く事を大げさに語っているのだとしたら信憑性が疑われる。 そこで日本語と漢字についての記述をちょっととりあげてみよう。 ダイアモンドは音節表記のアルファベットを持ち上げ、表意文字などはこきおろしている。彼の主張するようなアルファベット至上主義はアルファベット圏では昔から割とポピュラーな俗説らしい。 しかしMRIなどを使った最近の研究では、例えば表音文字の英語や、表意文字の中国語、その両方を使う日本語では、文字認識の際に脳内の賦活する部位が違い、それぞれ違う方法で文字を認識している事がわかってきた。 その結果、単純に文字が少ないアルファベットが効率的であるとか、字の多い漢字が非効率的であるとかいう俗説は一概にそうとは言えない事が分かっている。(ちなみに日本人は日本語を認識する脳内回路を使って英語を認識しているらしいよ) そもそも日本語の文字については既に明治維新の頃から字の習得に関する事で似たような議論や実験的な事が繰り返されてきた。 戦後のGHQによる統治の際にも、文字が多すぎて識字率が低いことが日本の発展を妨げているということで漢字や仮名を廃止してローマ字にするという案もあったが、実際調べてみると識字率がほぼ100%に近かったので取りやめとなった。 実際に、日本語の文章が全部ローマ字や仮名文字だけになったら読みづらいことは誰でもわかるだろう。 ダイアモンドはそのような事をまったく知らないため以下のような記述をしている。 "二つめの要因は、経済性より社会的ステータスが重要視され、それが受容性に影響することである。たとえば、ブランドもののジーンズを買うために、品質はまったく同じノンブランド品の二倍の値段を払う人は何百万人もいる。 ブランドものの社会的ステータスが、金銭以上のものをもたらしてくれるからである。日本人が、効率のよいアルファベットやカナ文字でなく、書くのがたいへんな漢字を優先して使うのも、漢字の社会的ステータスが高いからである。" 外国人による日本文化の理解は難しいとは思うがいくらなんでもこのようなことを平気で書くのはどうかと思う。 しかしほかの箇所では日本人は識字率が高いのを誇りとしている、と皮肉っている。識字率が高いのが分っているなら、単純に文字の習得には字数の効率性以外のものもあるということが分りそうなものであるが、偏見から物事を見ているために気づかなかったのだろうか。 文字の習得に関しては、単に字数だけが効率性を決めるのではなく、発音と綴りに複雑な法則のあるものや、書いた文字をそのまま読むようなのでも違うし、イメージングの能力を使って覚えるものでもまったく違うのだ。 このアルファベットの部分に関してはダイアモンドは偏見から直感的に物を言って、科学的にも間違っているので、日本語と漢字の関係が効率の悪いという主張に悲観したりすることもないだろう。 しかしこれらのような説がベストセラーになって世界に撒き散らされていくと思うと暗雲立ち込める思いである。 ダイアモンドは本書に限らず人種による差異を否定し、差別や偏見を戒めているが、それとは裏腹に人種差別的な悪趣味な皮肉や嫌味、白人優越主義的な記述が頻出し、彼自身が差別や偏見から脱することができていない気がする。 次著の『文明崩壊』の中ではダイアモンドに対する反論があったことに対して「差別主義者から攻撃された」などの記述をしている所を見ると、むしろ「人種は平等である」という否定することが色々な意味で難しいテーゼを自説に紛れ込ませる事によって反論を防ぐために方便として利用しているような感すらある。 全体的ににわか知識で表面的に物事を見るような独断的な記述が多くいまいち信憑性にかけ、あまり中身の無いような断片的な知識の披露に過ぎない部分も多い。 評判先行で過大評価されすぎの本と言ったところだろう。 | ||||
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重厚な内容だったがとても楽しめた。 物事を分析する上での設問の徹底具合なども参考になる。 しつこいくらい、なぜ、なぜを繰り返して積み上げていく過程は圧巻である。 現在の持てるものと持たざるものの格差は決して民族間の生物学的差異によるものではない、ということを明確に謳っていることにも注目したい。 | ||||
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歴史を科学的にとらえようとした本で、ユニークです。 地理学的、生物学的、生態学的観点からの歴史の必然性を見出だそうとした本です。 前評判の高い本だったので、読みましたが、長いのと、それほど面白くなかったので、少し読んでいていて、がっかりはしました。 | ||||
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重厚な内容だったがとても楽しめた。 物事を分析する上での設問の徹底具合なども参考になる。 しつこいくらい、なぜ、なぜを繰り返して積み上げていく過程は圧巻である。 現在の持てるものと持たざるものの格差は決して民族間の生物学的差異によるものではない、ということを明確に謳っていることにも注目したい。 | ||||
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