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流
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流の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.76pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全158件 41~60 3/8ページ
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昔の写真がヒントになって、謎が解けるおちは、ヨハンテリオンですね | ||||
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私にはピンと来なかった作品です。あくまで自分の感性との相性ですが。 | ||||
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なかなか時代背景を深く知らない時代の台湾の話でしたが、主人公のキャラクターに一貫性がないように感じました。 不良高校でワルをねじ伏せるかと思えば、ウジウジ。繊細でごく普通な青年にしか見えないのに、いらないエピソードが多いように感じました。 あんまり、ドラマ性もなく、スリルもなく、細かな心理描写もないので、淡々としていました。 ま、でも一気読みしたいとは全く思いませんでしたが、仕事の昼休みにちょっとずつ読むには良かったです。 | ||||
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多分タイトルだけ見ると、なんだか虚無的で辛気くさそうな印象を受けるが、実態は痛快かつ血と汗の臭いのする痛快青春小説。 東山さんの他の小説も読みたくなる。 | ||||
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台湾の話をメインに、主人公が祖父を殺した男を探しながら、青春を過ごし大人になっていく話です。 話の展開が読めず、先が気になり読んでいたら、あっという間に読み終わりました。 始めはどうなることかと思いましたが、読み進めると思ったより面白かったし、所々に中々心に残るエピソードもありました。 興味のある方は一読をオススメします。 | ||||
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単なる小説、物語としてあるのならば、なぜこんなに涙が流れるのだろうか。一文一文けっして長くない文章の中に実に巧妙に情景や心象を言い表されて妙である。ミステリー仕立て、更にラブストーリーと怪奇仕込みの青春ものと単にいうのは容易いがそれだけではない。祖父の歴史を孫が背負い、台湾に住む人々の確執と大陸への思い、戦後国民党と共産党の内戦、日本占領下の歴史での混沌と苦悩と歴史がリアルに描き出され、戦争をしてはいけないという思いを起こさせるものでした。なんでこんな小説を描けるんだろう。想像だけじゃないよね | ||||
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直木賞受賞作とは知っていたが、台湾を舞台にした馳星周氏の「不夜城」的な作品を イメージしていたが、全く違っていた。 台湾の70~80年台を舞台にした青春群像の小説であり、当然の如く、大陸中国と 共産党、台湾、国民党の激闘が描かれている。その中で翻弄される青年が、なんと 祖父の死の真相を探るため、中国に渡るのは、驚きの展開ではあったが、、、、、。 少し前の台湾の青年たちの日常を感じる事が出来て面白かった。 ある意味、リアルな台湾を感じる点がこの作品を秀作としていると思う。 | ||||
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80年代の何年であったろうか社用で台北、台中、で数日過ごしたことがある。店に入れば社長、社長、と呼ばわれる。日本人客には社長と呼びかけておけば気を悪くする人はまずいないなんて鷹揚に迎えられるとつい気を許したものである。朝夕のラッシュ時はバイク軍団が渦を巻くように走っていたあのエネルギーをこの物語を通じて懐かしく思い出した。この話は台湾の戦後復興、経済成長期の中での青春物語である。日本語表現は野性的と言うか粗野と言うか決して美しいものではないけれどビビッドな青春表現としてまあ許されるか?と言うところである。それにしても日中戦争、抗日戦争、は歴史認識として事あるたびに持ち出されるが国民党と共産党の国共内戦による膨大な犠牲者はどう総括されているのだろうか?この物語で改めて気付かされる点である。 | ||||
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文章が難しかったです。特に人の名前や土地の名前が馴染みがないからかも。 | ||||
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登場人物が魅力的で文章力が高く、最後まで一気読みでした。 タイトルも本当に素敵! | ||||
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エンターテイメント作品として凄かったです。 個人的に、個を許さない先輩・後輩の上下関係に見られる、日本のような縦社会は嫌いですが、小説『流』は日本とはまた違ったアジア人を知る上で凄く良い作品だと思います。 もう、芥川賞や直木賞といったカテゴリー分けするような賞はいらないんじゃないでしょうか。 小説『流』は、賞さえも意味がないものだと思わせてくれるくらい圧倒的に凄い作品でした! アジアを代表する作品です。 | ||||
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エンディングの言葉は「あのころ、女の子のために駆けずりまわるのは、わたしたちの誇りだった」・・・(おい作者)嘘つけ、そんなかっこいいもんじゃねえだろう!(笑) いま日本で生きていると、平等で自由で自分の意志で何でも選択できるように感じている(そうあるべきと教えられている)けれど、実はそれは頭の中だけの妄想の産物で、地に足のつかない自我を必死に守りながら生きていることを自覚させられる時があります。 この小説を読み、我々ははみな血の通った肉体を持つ人間で、その精神も単独で生きているのではなく、血縁や地縁など様々な繋がりの中で生かされているのだということを、あらためて認識させられました。 ひとりひとりの人生はもちろんのこと世界の歴史も、その様に血の通った肉体と精神を持つ人々から切り離されては、決して存在し得ないのでしょう。 | ||||
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葉秋生は高等中学校2年生の17歳。戦争を生き延びた祖父は、今は布屋を営んでいた。蔣介石が死んだその年、祖父の布屋は2回にわたり泥棒に入られる。ある晩、祖父は狐火を見たと大騒ぎし店番のため家を飛び出したきり帰宅せず、翌日得意先から苦情の電話が入る。様子を見に行った葉秋生は、店で祖父が殺されているのを発見する。 1975年から約10年間、主に台湾を舞台とした一人の青年の物語。当時の混沌とした台湾の社会や熱気ある人々の生活の様子も臨場感たっぷりに書かれています。祖父の事件を追うミステリーであり、苦く甘酸っぱい恋愛ものでもあり、戦争後の悲劇にも触れられた社会派小説でもあります。根底はそれらを通じた自分探しのテーマが根底にあると思います。もう少しスリム化でもいいかと思いましたが、その分筆者の想いが詰まっている気がしました。 | ||||
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第十一章までは、読むのが辛かった。☆1つの評価の方の意見に肯き、途中で止めようと思っていた。映画「stand by me」の台湾版&長期間版で、全く☆1つの評価の方の意見の通りです・・参照して下さい。 しかし、終わりの100ページ、第十二章以降の展開は秀逸です。第十一章までの凡庸な長さは、終わりを引き立てるための意図的なものだったのでしょうか? 直木賞選考委員は、それを見通して第十一章までを読んでいたのでしょうか? 第十一章までをせめて、この6割くらいの長さにしてくれたら、時間が節約出来たのに・・ | ||||
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この作品は、この作家にしか書けない❗ 長編にも関わらず、一気に読破してしまった。それほど、ぐいぐい引き込まれる、物凄い圧倒する力があった。 | ||||
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「二十年に一度の傑作」という私の敬愛する北方謙三氏の帯コメントを見た。しかし、それを鵜呑みにするほどに、既に私はピュアではない。それはたいていは次の言葉ほどの意味であろう。「久々の傑作。例えば、30年前に私が日本推理作家協会賞を獲った時ぐらいの」。もちろん面白かった。宮部みゆきや桐野夏生や東野圭吾などの選考委員の全員一致という評価に見合う、ドキドキして、ニヤニヤして、ウンウンと唸る作品ではあった。 台湾専門用語が多いので、読み始めて興に乗るまで暫く掛かるというレビューを幾つか見た。私の場合は違う。ちょうどこの数年間に2回台湾旅行を敢行して、ここに出てくる萬華も、西門町も、迪化街も、廣州街も、植物園も、私が歩き通した処だ。今はかなり綺麗になってはいるが、未だ至る所に個人経営の廟が営まれ、子供しか走れないような路地が闇の奥まで続いているのを知っている。小説舞台の雰囲気は、捜せばまだ充分存在している。しかし、今だに此処に描かれたような家族の血の絆と生活の汚物や涙が残っているのかは、知らない。 冒頭が中国大陸から始まったので、話の半分は戦争の話かと思いきや、9割型なんと葉秋生のハードボイルド青春物語だった。そういう意味で今年25年ぶりに公開された楊徳昌(エドワード・ヤン)監督の「クーリン街少年殺人事件」と、造り方の構造さえ似ている気がする。1945年以降急速に平和泰平の世になった日本と違い、台湾は80年代に突入するこの時代、未だ戒厳令下にあり、監視社会で、しかも暴力は生きるために必要だったのである。 それでも、この時代はイーグルスを流し、ディスコソングを流すだろう。確かにハードボイルドだが、そこに青春時代特有なのか、東南アジア特有なのか、湿っぽさが加わる。私には、悪い感じはしなかった。 私が食べたのは、綺麗な小店のドンブリ一杯のスイーツらしからぬ豆花だったけど、今でもあの廣州街辺りでは、以下のような豆花売りが歩いているのに違いないと思う。 その口ぶりで、彼は祖父が他界したことを知っているのだとわかった。それどころか、おそらく死因も知っているだろう。廣州街には早起きで口さがない年寄りがわんさかいる。わたしが豆花を買っている間にも、植物園の方からは年寄りたちの社交ダンスの音楽が聴こえ、日課の早朝太極拳のためにきびきび歩いてゆく郭爺爺を見かけた。 「でも腐っちゃいけないよ」と、豆花売りはつづけた。「人間本来叫苦境(人の世はもとより苦しいもの)、快醒快悟免傷心(早く悟れば傷つかずに済む)。おれだって子供を亡くしているんだから。残ったのはちょっとおむつの弱い末っ子だけさ。それでもどうにか生きていかにゃならない。こうやって豆花を一杯一杯売ってね。たいした稼ぎもないが、まあ、食ってはいける。それが大事なんだ、そうでしょ?今生の苦しみから逃げてちゃ、あの世で清らかな幽霊になれないからね」(171p) 2017年10月読了 | ||||
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国民党による恐怖支配、大陸渡来の外省人と土着の本省人の確執、台湾の闇社会。1970年代の中華民国を舞台に、秋生の青春が流れてゆく。 殺害された祖父。殴り合いと刀定規を交わす喧嘩、親友のファイアーバード、そして文化人類学的多様性という観点から見ても括目に値する(p130)A片(笑)。序盤は、不思議な「狐火」を交えた物語にぐいぐいと引き込まれる。 ・二十年前の切符……(p164)。『彼女なりのメッセージ』の章がおもしろ哀しく、秀逸だ。 ・『恋も二度目なら』の「じゃ、あたし、お嫁にいっちゃうね」 毛毛の言葉の深い意味。そのニュアンスを本当に理解した瞬間の、秋生の咆哮には泣けた(p402)。 ・意を決しての大陸行。国民党と共産党の内戦の歴史と絡まりあいながら、砂の地で一族と「兄弟分」の運命を、そして祖父殺害の真相を秋生は知るのだ 時代は流れる。大地は動く。魂は躍動せねばならない。エピローグの「わたしの心は、そうやって慰められる」(p486)の件には、ああ、人のありかたを思わずにはいられない。 重いテーマをユーモアとペーソスで煮詰めた傑作。直木賞受賞もさもありなん。 | ||||
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ストーリーは仁義なき戦いの劣化版。 ただ文章でそのストーリーや世界観を描かれていて、読み応えあった。 | ||||
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冒頭の場面は唐突だ。荒涼たる中国大陸・山東省で、読者にとっては一体誰だか分からない主人公が、強烈な便意をもよおして中国のいわゆる「ニーハオトイレ」でしゃがみ込む。描かれる大陸的風景と人物、そして清潔とは対極の描写。作者の強烈な宣言が聞こえるようだ。これは、きれいな話なんかじゃない。人間がぶつかり合い、せめぎ合い、汗も血もにおいも伴う物語なんだと。ついてくる気がないのならば、最初からお断りだ、と。 物語の中心は、50年代後半生まれの主人公が過ごす台北だ。祖父の死を探る、というミステリーが軸にはあるものの、それは全体の舞台回しに過ぎない。まだアジアがずっとずっと熱かった時代、人々が理性や情報の洪水よりも、もっと身近な人たちとのぶつかり合いの中に生きていた人生を、青春を、恋を描く大河小説が展開される。主人公は替え玉受験の替え玉役になったことがバレて進学校を退学になり、レールから外れる。幼なじみはやくざの舎弟になり、家族はそれぞれに欠点や秘密を抱える。今風に言えばみんな負け組なのかも知れないが、その一刻一刻を真剣に生きる感情は本物だ。 台湾出身の作者は5歳で日本へ渡ったというから、自伝的小説ではないのだろう。だが、それでもこの青春から大人になるまでの台湾と時代とを描き出す丁寧さ、虚実が入り交じる世界なのに圧倒的なリアルさを描き出す筆致は、自らの経験もふんだんに託した「生涯一度きりの作品」という思いが伝わってくる。 台湾、あるいは中国に触れたことのある人は、ある趣の郷愁を抱くかも知れない。本書から吹き出てくる熱さは、もう今日となっては現地からですら失われながらも、一方でその名残を現地の人たちが今も語りたがる世界だからだ。中でも、色濃く残るのは国民党と共産党、そして日本軍が戦っていたあの戦争の記憶だ。祖父の死にからむミステリーも戦争に行き着くのだが、老人たちはその憎しみをもちろん抱きつつも、「あの戦争はガキの喧嘩みたいだった」と付き合う「大人のすべ」も身につけている。 本書は2015年の直木賞を受賞した。日本社会がほとんど忘れかけていた時代の台湾を描いた小説が、こんにち選考委員の圧倒的な支持を受けたという事実。それは、熱い時代のことなど忘れたこの近隣地域の指導者たちが幼稚とも思える態度でいがみ合うばからしさに、フィクションであるはずの本書がむしろ真実性をつきつけたからでは、とも思える。文庫版の帯は「20年に1度の傑作」と北方謙三氏の評をひいた。人を選ぶけれど、その言葉に恥じない本だ。 | ||||
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台湾が舞台となる青春小説で、中国で無法な生き方をしていた祖父の非業の死を底辺に据えながら、主人公の賑やかでほろ苦い青春の日々が描かれる。登場人物の名前が憶えられずに最初は苦労したが、文庫には登場人物を一覧できる紙片が付いていたのでなんとか読み進めることができ、途中からは読めない漢字名が気にならなくなった。本書で描かれている台湾の人たちの、乱暴だが愛情深い日常生活は、勿論体験したことは無いが、何か懐かしい感じを受けた。騒々しく、エネルギーにあふれ、心に残る小説である。 | ||||
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