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けものみち
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【この小説が収録されている参考書籍】
けものみちの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.29pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全42件 1~20 1/3ページ
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清張は数々の名作を生みながらも、一方でその作品には淡々と始まって淡々と展開して淡々と終わるものも多く、俺にとっては読んでいて眠くなるのが常であった。愛読者の人、ごめんなさい。 しかしこの物語に関しては例外で、今回は久々の再読だったにも関わらず(もう二十年以上経つかな)、内容への吸引力も相変わらず十分なもので、最初から最後まで全く集中を切らすことなく読めた。 加えて内容もよく覚えていたからサラサラ読了できたが、今回言いたいのは物語に関してではなく原作とドラマの違いについてだ。1982年の、名取裕子が主演を務めたドラマでは大筋に違いはないがエンディングがかなり変更されている。原作では小滝は冷血な悪漢として民子を殺害するが、ドラマでは民子を愛したが故に鬼頭のもとから二人で逃亡するという形になっている(鬼頭に毒を盛ったのは民子で、鬼頭も生存)。 どっちがいいかと言えば、お茶の間で鑑賞する実写ドラマとしてはそっちの方が良かったのかなあと俺は感じた。原作で冷静沈着に描かれている小滝が、最後あんな派手なやり方で民子と黒谷を殺害するかなあという違和感もあったし。清張自身は表からはうかがい知れない小滝の心中に潜む冷酷さを露骨に描くことに快感を得たのかもしれないが、そこは真夜中に誰もいない場所で静かに刺殺あたりが妥当だったかなと思った。その部分は悪い意味で作者の性癖が出てしまったかなと。ドラマの最終部分が原作と同じだったら、余計にちぐはぐな印象が拭えなかっただろうし。 だが大事なのはドラマがちゃんと原作を尊重し、それに寄り添った形で作られていたということだ。清張も改変されたとはいえ、それはドラマの方向性として納得したのではないかと判断した。明らかにいい意味での改変だった。 それで近頃のマンガを原作としたテレビドラマ事件についても思うが、そもそも原作の方にそれだけの力があったのかなと。原作の無料分を読んでみたが、ストーリーもキャラクターも、どう見ても既存のものをただなぞっているだけの、ただ大衆受けを狙ったありきたりなマンガとしか感じられなかった。要はあの原作は改変されたからといって大騒ぎするようなものではないね。別に低能極まるテレビ局なんぞを弁護する気はないが、それを相手にした以上、改変が嫌なら作者はマンガの世界だけで満足すべきだった。あの事件の顛末はどっちもどっちだろうという見方が正しい。 比較するのもバカバカしいのかもしれんが、けもの道はそういう意味で原作とドラマとの理想的な関係をよく示していたと思う。 最近この作品を再読して、ふとそんなことを思った。 | ||||
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松本清張の真価は短編にあるが、むろん長編にもいいものが多数。なかでも今作はベストを狙える傑作。長丁場だが全く飽きさせない。 | ||||
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松本清張の真価は短編にあるとはおもうが、むろん長編にもいいものが多数。なかでも今作はベストを狙える傑作。長丁場だが全く飽きさせない。 | ||||
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ありがとうございました | ||||
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原作があるドラマは大抵原作のほうが良いものですが、これはドラマの方が圧倒的に良いですね。 似ているのは序盤のみ、その序盤の上手な設定を活かしてあとはほぼ、原作を無視してドラマは作られている。 原作ではマスカレードも存在しないし、民子がジュエリーデザイナーという設定すらない。 サワコ先生も木崎もいないので非常に地味。 また、原作では久恒が準主役となっており、存在感がある。 ラストも小滝が元大阪地検特捜部だったという設定が原作では存在しないので、最後に踏み込んでくるのは東京地検特捜部ではなく、警察になっている。 ドラマでは東京地検特捜部が踏み込んでくるため、米国の情報機関が日本の黒幕である鬼頭を潰し、利権を乗っ取ろうとしたという、見る人が見れば唸る設定であった展開であったことと比べるとかなり見劣りする。 | ||||
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読みたいと思っているうちに即配達され良かったです | ||||
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サラリーマン時代に、清張の作品を20冊ばかり読み、ストレス解消していた頃を思い出しました。 あれから30年経ち残りの作品を読み始めています。これは昭和30年代の作品ですが、現代社会にも充分に 通じる表現力が満ちていて、人間の原点はみな似たような生き様をさらしていることが証明されています。 | ||||
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1963年刊。難病にかかり自暴自棄の夫に嫌気を覚えていた民子は、ホテルの支配人の小滝に見初められ、唆されて自宅に放火して夫を焼殺。弁護士の秦野の仲介で財界の黒幕である鬼頭の愛人におさまります。病床の老人に女性の肉欲を刺激されどんどん大胆なる民子。世話人として仕える元愛人の米子から屋敷の主導権を奪い、次第に態度も尊大に。一方、一旦迷宮入りした夫殺しの証拠を拾い集め、民子が犯人であると突き止める刑事の久恒。職業人としてだけでなく個人的な関心をもって民子に取引を持ちかけるところが後半への広がりを期待させます。 | ||||
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面白くて、集中して読めた | ||||
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下巻では政財界の権力の理不尽と重たさが不気味に迫ります。刑事の久恒は民子にちょっかいを出した一件が鬼頭の知るところとなり警察官をクビになり、復讐に執念を燃やし真相に近づいたたところで消されてしまいます。民子のライバルであった米子は対抗勢力とされる代議士のスパイに取り込まれていたことが露見し殺害。 後半は展開が速くなり、鬼頭はあっけなく病死し、盟友の秦野も暴力団に殺害。自分を見初めてくれた小滝を求める民子が迎える結末はやや意外。『わるいやつら』と同様、標題の『けものみち』は登場人物をことごとく指すことが感じられるものでした。 | ||||
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綺麗な状態で、満足しています | ||||
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清張先生の真骨頂は政権への鋭いまなざしと庶民への温かい目だが、その一方で女性への深い愛情と、不信がある。 本作は、その二つが最高度に昇華しつつ危ういバランスの上で成り立つ傑作である。 終末の作中人物の哄笑が、いつまでも鳴りやまない。 | ||||
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時代は、昭和38年に書かれた小説ですが、現代の政治に置き換えても、全く変わるが、ありませんね。警察が、普段は、偉そうに威勢を張っていますが、お金も持っていないし、狭い借家に住んでいる人物が多いのも、同じです。 今の時代にも、中央官庁の天下り先で、〇〇公団総裁に似通った名前がありますが、黒幕がいるのではないでしょうか? 森友問題で、大阪航空局の課長補佐が謎の自殺死をしたのも、きっとヒットマンがいるはず。 結婚した相手が悪く、貧乏の上、中風で寝込んでいる。何もしなかったら、生活保護の道しかないゆえに、水商売の道に入った民子。 これだけの女性が、なぜ結婚前に、相手の人と為りを見抜けなかったのだろうか?旅館の客との出会いで、暴力団の組織の秘書になるが、世話をする相手も又、中風。 異常な性欲があり、金銭的には豊かになっても、生き甲斐が感じられない民子。 殺人者として、証拠を掴んでいる警察が、惚れる女性だから、並みではない。 清張は、久松巡査を描くことによって、日本の権力中枢の異常さや、筋が通らない行政機関を描きたかったのではないでしょうか? | ||||
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2~3日で、全て読み終えました。話しの展開、推理小説としての完成度、怖さを想像できるか?全てにおいて、清張の最高傑作ですね。 今の政治や、公務員と結びつくのか?を考えながら、行間を読んでいましたが、この小説が連載された昭和37年と、今の政治システムが全く変わっていないことがわかり、改めて、清張の時代を捉える目の鋭さが実感できました。 主人公の民子は、大きな遺産の山分けを狙っていました。最後は、暴力団に殺されるのでないかと想像していましたが、全く想像していない展開になり、最後まで、油断がならない小説でした。 清張先生、誰にも書けないような最高傑作を残して頂いて、ありがとうございました。 | ||||
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ほんとにみんな獣、ケモノ、けものばっかり。 戦後三十年代って、こんな世の中だったのかなぁ | ||||
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どうしても、米倉涼子のイメージで読んでしまうけど。原作はちょっと違うような気が、、 | ||||
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≪けものみち≫ カモシカやイノシシなどの通行で山中につけられた小径のことをいう。山を歩く者が道と錯覚することがある。 旅館「芳仙閣」の女中民子は、ある夜そこに宿泊したニュー・ローヤル・ホテルの支配人の小滝と知り合う。後日女将から言われ彼のホテルのバーに向かうが、小滝から秦野という六十前位の男を紹介される。秦野は小柄な老人だったが、訪れてきた宝石商にスーツケースにびっしりつまった札束を見せびらかすのだった。 後日小滝が再び民子を訪れ、彼女にしばらく「道具」になって欲しいという。利用されるふりをして利用するという手もあるさ、と続ける彼の言葉で民子は心を決める。すると小滝は自分の手で「係累」をなくせという。 一週間に一度帰る中野の自宅には、ホステス時代に一緒になり、もう長いこと脳軟化症で寝たきりの夫・寛次がいる。帰宅するたびに彼の妄想で作り上げた民子の男関係に激しく嫉妬し、執拗に体を求める。民子は家事に見せかけた放火によって寛次を殺す。 警察と消防の聞き取りをどうにかやり抜けた民子は、秦野に麻布にある屋敷に連れて行かれる。そこの主人が民子の一生を面倒見てくれるという。部屋に連れて行かれるが、そこにいたのは脳軟化症で布団に寝ている老人だった。既に男でなくなった、この老人の回春のための愉しみと実益のために民子は雇われたのだ。その部屋での老人のテストに合格した民子は、専用の女中として働くことになる。 一方で、警察の中で唯一人民子に疑念を抱いた男がいた。刑事の久恒だ。久恒は執拗に民子の当日の行動を調査し、聞き込みと証拠の採収に動いていた。 民子は新しい自分の小径を歩み出した。しかしその道は老人たちや小滝が歩んできたけものみちだった。 この鬼頭洪太のモデルになっているのは、児玉誉志夫だといわれる。 | ||||
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もうね、小料理屋なんかじゃいやなの、将来は大きな割烹の一軒くらいもらわなきゃね、と民子はいってみたりするが、鬼頭老人は「フフフ」と笑い、「まあ、まかせておけ」というだけだ。 ニューローヤル・ホテルでスリップ一枚の若い女の宿泊客が殺された。民子が小滝の浮気相手だと思っていた女だ。翌日、先日理事の岡橋が自殺したばかりの総合高速路面公団の香川理事長の辞任が新聞の一面を飾った。新しい理事長がその日、二人の政治家を連れて来て寝床から半身を起こしただけの鬼頭老人のもとに、土下座して大仰な表現でお礼をいう姿を民子は見る。 女中頭だった米子の死体が神奈川で見つかる。執拗に民子を追っていた久恒刑事は、ある日突如解雇される。 巨大な裏の権力をもつ者の世界。広くもなければ深くもなく、人の心の触れ合いもない浅ましい世界。 小説家としてのデビューが遅かった清張だが、名声を決定づけた作品、例えば「砂の器」等と比べてもと人物を描く力が格段にすごい。 推理小説の新しい形を世間に確立できた後の本領の発揮なのだろうか。圧倒的におもしろい。 蛇の道は蛇。けものみちに迷い込んだ者は、けっしてもとの道には戻れない。 | ||||
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時代を代表するamorousな女優さんたちが演じてきた民子。映像と原作では、また違った味わいがありました。映像では、自分の能力不足から読み取れなかった細かい心理等が、活字を通してよく理解できました。 | ||||
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100年後に読んでも、楽しめる重厚な話であった。なぜ、時代を超えても楽しめるのか。それは、著者が、時を経ても変わらない人間のvileな側面を鋭く描いているからだと思う。 | ||||
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