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異邦人



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【この小説が収録されている参考書籍】
異邦人 (新潮文庫)
異邦人THE STRANGER (金原瑞人MY FAVORITES)

異邦人の評価: 4.43/5点 レビュー 223件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.43pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全196件 41~60 3/10ページ
No.156:
(4pt)

コロナ騒動下の異邦人

自分の母親の死に何の感情の変化もない主人公にのっけからもの凄い違和感を抱かせられた。ただその母親の死を悲しまなかったということが、面識も何もないアラビア人を、”太陽のせいで”殺したことによる死刑の主たる理由になっているらしいことには大きな不条理を感じる。まあ人間社会とはとかく不条理なものだということをカミュは言いたかったんだろう(浅はかな理解でスマン)が、自分と自分の嫁さんのせいで人の命が一人失われたのにまったく罪悪感のかけらもない首相、そして、多くの人がコロナウイルス騒動で苦しんでいるのに能天気にミュージシャンとコラボしている首相、の姿を見る時、まさに異邦人とはこの方のことではないかと思ったりする。
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017
No.155:
(5pt)

主人公は独立独歩の人間である

いつの間にか筆者は、この小説の大まかな要約を、もう何十年も次のように理解していた。殺人を犯した主人公が「俺がそうしたのは、ただ太陽が眩しかったからだ」と主張し、それ以上は何も語らず、その結果死刑に処される物語かな、と。しかし、その要約は違っていた。内容は、予想していたよりもずっと複雑で、かつ難解であった。そして小説のテーマを具体化した箇所がいろいろなところに見られた。ゆえに明確にまとめるには私の手に余りそうなので、①今まで考えていた内容との食い違い ②新たに感じたこと を中心に書いてみたい。
1 「それは太陽のせいだ(=自分が殺人を犯したのは太陽が眩しかったせいだ)」という動機は、ムルソー自身があまりにまとめ過ぎた結論であり、理性的にそう考えたのではない。ムルソーにはムルソーなりの思いが重なっており(さまざまな伏線が書かれているように感じた)、自分の複雑な(言葉にまとめにくい)思いをいちいち分析するのも厄介で(私見では、誰だって自分の複雑な思いをまとめて、それらから明快な結論を引き出すことはできないだろう)、投げ出すように発した言葉であった。
 いったい人が何か重い行動をした場合、その動機を短く正しく説明できるだろうか。たとえば、なぜあなたは今の職業を選びましたか、と聞かれて、正確に答えようと思ったら、それまでの全人生を語らなければならないような気がする。
2 第二部の裁判において登場する、弁護士、検事、司祭いずれもムルソーの心中を正確に理解していない、それどころか、理解しようともしていない。これではムルソーがあまりに気の毒だ。ムルソーが、一応は社会の代表者である彼ら(弁護士・検事・司祭)に不信感を持つのも当然である。筆者には、彼らはその名に値しないとさえ思う。著者カミユの怒りももっともである――カミユがムルソーの怒りを代弁しようとう意図があるのなら。
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4102114017
No.154:
(5pt)

本来人間が最も注視すべきは人間か?

社会が複雑化するほど人間は形式化され、また感受性も乏しくなる。オルテガを読んでざっくりした感想だけど。
人間の関心が社会ばかりにいき人間に向かわなければ、自然そがい感を覚える人間もいるだろう。だから、ペシミスティックに社会を捉える主人公に、一現代人の僕は共感する。本作の主人公はカミュの生い立ちとも密接なカミュの消極的な主張を表現していると僕は解釈する。やはりカミュの真意は本作でも垣間見える、次作ペストの「連帯」なのだろう。
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4102114017
No.153:
(5pt)

ムルソーが放った「6発目の銃弾」

彼が撃った5発の銃弾。一発目はあるいは理由のあることかもしれない。しかし間を置いた後の4発はなぜ発射されたか。一発目から2発目の「間」は、何が君にそうさせたのか。判事・弁護士・陪審員などは、彼らにとっての正当な「罪の動機」を推測し、作りだし、聞き出そうとうとし、そして押し付けようとする。

母を養老院に預け、その死にあって悲しむ様子もなく涙も流さなかった。死んだ日に女と戯れていた。何よりも彼は神を信じていない。それが4発の銃弾の「間」の原因であり「罪の動機」である。

社会は何かの事件が起こると、当事者の写真、国籍、生い立ち、学歴、生活、家族・友人・同僚・隣人の評判など、人物像とともに「罪の動機」を形作る。
結婚には愛がなければならいのか。そんなのものは誰かがこしらえたものだ。死に囲われた中で、なぜママンは「許嫁」を持ったのか。死が近づく中で、ママンは解放を感じ生き返ったのだ。なん人もママンの事を泣く権利はない。

本人とは関係なく「罪の動機」はそのなかで自己増殖し、原因→結果の連鎖が形作られる。貧困であれば貧困が、富めるものは富が、地位あるものは地位が「罪の動機」となる。どうあろうとそのこと自体が既に「罪」である。この作られた「罪の動機」は同時に「善の動機」ともなってヒーローも造り出すが、人はこの矛盾に眼を向けようとしない。

正義は罪を造り裁こうとするが、正義自身は「神の名」を振りかざして、自己を裁くことをしない。正義が「納得」したものが、罪であり、裁きであり、罰である。正義はその背に罪と罰を背負っているが、振り返ることはしない。正義とは一つの共同幻想であり捏造なのだ。

カミュが、ムルソーに「太陽」だと言わせたのは、自己の存在根拠はどこまでも自己であり、その故の自己に介入しようとする捏造された正義の「悔い改め」に対する拒絶であったからだが、これはムルソーが司祭に投げつけた叫びとして描かれる。
お前は俺に悔い改めよというのか、何に対して悔いるのか。自分の宿命である一回限りの人生に、懺悔を強いることなどできはしない。誰もが特権を持っているのだ。俺の人生をお前の正義で塗りつぶすことなどできはしない。お前の正義など女の髪の毛一本の値打ちもない。それは張り付けられたものに過ぎない。お前の正義もいずれ悪として裁かれる日が来るだろう。

「こうであった」かも知れないが、「ああであった」かも知れない。「これか」「あれか」の分かれ目が「太陽」であれ何であれ、その結果が「俺の今の存在」なのだ。それは俺のものであって、お前たちのものではない。なぜ悔い改める必要があるか。俺に別の人生があるとすれば、今の人生を思い出す人生を希望するだろう。
自分の処刑を見るために集まった観衆が、自分に向けた憎悪の叫びこそが自分への賛歌なのだ。それによって世界は俺を受け入れるのだ。

この最後の叫びがこの小説のテーマだが、「作られた自己」に対する「本来の自己」の叫びは確かに強烈である。それはムルソーが僕たちに放った「6発目の銃弾」でもあるのだが、その銃弾は新たな問題を突き付けることになる。

「太陽」を認めるなら、人は何を基準として自己を選択するのか。人が「各自の太陽」を持てば「万人に対する戦い」となるだろう。人はサイコロを振って生きていく訳にはいかないのだ。
人はその困難を避けるために神にサイコロを振らせたのだが、神のサイコロを信じないとすれば何に頼ればよいのか? 放たれた「六発目の銃弾」はブーメランとなって射手のもとに返ってくることになる。

ここでの「太陽」は「罪の動機」として描かれるが、ではその「太陽」が、危険を省みず人命を救助した人の動機であった場合はどうなのであろうか。
この後に書かれた「ペスト」は、カミュがこの問いに答えようとしたものだと思うのだが、それは「ペスト」のところで書いてみることにします。
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4102114017
No.152:
(4pt)

クィーンの名曲ボヘミアンラプソディ

イギリスのロックバンドクィーンの名曲ボヘミアンラプソディ、その歌詞の冒頭部分に「母さん、いまさっき人を殺してしまったよ…」という一節があり、この小説の一場面に由来しているそうだ。今回の読書でこれを再確認することができた。
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4102114017
No.151:
(4pt)

主人公と言うより周りの人間がおかしい印象を持った

友人に勧められて読んだ。

本の裏側によくできた要約があり、それを読んだ感じではサイコパスがただ異常行動をとって死刑になる話かと思っていたが、実際に読んだ感じはむしろその逆で周りの人間が異常なのではないかという印象を受けた。

主人公は確かに感受性に乏しく、母の死に対して無関心さがあったりするものの、その後の事件においては受動的に運命に翻弄されているといった印象で、不条理さはむしろその運命にこそあると思った。
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4102114017
No.150:
(5pt)

本当にその考えは正しいのか?

「共感できない」というキラーワードで「つまらない」と決めつけると、読書本来のおもしろさが半減する、とピースの又吉直樹は著書『夜を乗り越える』に書いている。
また、小説『火花』では「共感至上主義ってどうなの?」と疑問を投げかける。

「異邦人」を読了して、「共感」をテーマに書こうと思った時、又吉のこの言葉を思い出して『夜を乗り越える』を久しぶりに本棚から引っ張り出してきて読んで驚いた。上記共感の件の隣のページに、まさに『異邦人』についての記述があるではないか。

殺人に共感する必要はないが、「どういうことなんだろう?」と考える、それが醍醐味なのだと。

共感というテーマと『異邦人』は切っても切れない関係ということか。確かに、この異邦人の主人公は実社会において凡そ共感する事のできない、むしろ共感する事を忌避されるとも云うべき思想を持つ人物として描かれる。

ママンが死んだ翌日に海水浴に行って女と遊び、喜劇映画を観て笑いころげ、もちろん夜は部屋に連れ込んでお楽しみ。「太陽が眩しかったから」殺人を犯し、「健康な人は誰でも、愛する者の死を期待する」と言って弁護士を仰天させる。

共感できます、と言ったら自分まで人格を疑われかねない。それはわかる。
でも、
共感なのかまだよくわからないのだが、

「人を殺した理由が太陽が眩しかったっておかしいでしょ(笑)」
「母親が死んだ翌日に海水浴に行ったらダメでしょ」
「母親が死んだら泣くのが普通でしょ?」
「神を信じない⁈はぁ?あり得ない!」
極め付けは、

「あんたさ、私らと考え方違うんだよね、はい、今日からあんた異邦人ね」

という多くの登場人物に、

何これ?
イジメの原理じゃない?はぁ?何様?

って思った事実。
こいうい考えに真っ向から立ち向かい、否定する主人公にエールを送ったという事実。
最後の神父に対する叫びに、私も一緒に興奮し、拳を握りしめたという事実。

「自分の正義はあの人にとっても正義か?」
「本当にその考えは正しいのか?」

そう、問いかけられている気がした。

人は、自分のものさしでしか世界を測れないが、想像力というものを与えられた動物だ。
自分とは異なる選択をした他者の、その心境を想像する努力を、理解不能の他者を「異邦人」として切り捨てず、自分の中にその他者を見出せるのか思い巡らす勇気を、常に持っていたいと強く思う。

最後に。
小説の文脈に於いて「母さん」でもなく「おふくろ」でもなく「ママン」と訳す事にした窪田啓作氏。
そこに訳者の主人公ムルソーに対する愛情、そしてムルソーの母親に対する愛情が込められていると、私は信じている。
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4102114017
No.149:
(4pt)

内容は難しいかったが楽しく読ませてもらった。

今回は大学の課題のためカミュの代表作品である異邦人を読ませてもらいました。
初めて読む文章ともあって内容は中々難しく理解が難しかったが代表的作品をこの機会に読めたことが嬉しかった。
もう一度理解できるまで読みたいと思う。
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4102114017
No.148:
(4pt)

アルベール・カミュの代表作

ニヒリスティック(虚無的)でどこまでも冷めた主人公ムルソーの、ある意味この世の真理を突いた生き方を描写した作品。
「人生は生きるに値しない」と平気で殺人まで犯してしまうわけですが、そこが逆に現実を生きる世の中の人々に対する問題提起を表しているのでしょう。
とはいえ、(小説の最後にあるように)人生の不条理さを直視したとしても、そう簡単に人間はカミュのようには開き直れないかなぁと思いました、これがこの小説を読んだ私の第一印象です。
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4102114017
No.147:
(4pt)

44歳でノーベル文学賞を受賞し、46歳で交通事故のために死亡した作家

フランス領だったアルジェリアに、フランスからの移民の子孫として生まれたCamus。父は戦死し、母は聴力がほとんどなく、父の死後、一緒に住むことになった祖母も、障碍者だった叔父も、母を含めて3人の文盲に囲まれて育った。大学時代に最初の結婚をするが、2年ほどして離婚した。その後、25歳で再婚し、26歳で離婚するのだが、同じ年に同じ女性と再婚し、やがて双子をもうけた。この「異邦人」は、Camusの分身のようなムルソーなる人物が主人公である。

『きょう、ママンが死んだ。……』を知らない人は、この本の題名を知る人だったら、それほど多くないだろう。ママンの葬儀の翌日、マリイと海で泳ぎ、交渉を持つ。確かに当時の常識では、なかなか理解ができないかもしれない。やがてマリイは、ムルソーに結婚を申し込む。そして友人の友人を訪れ、太陽がギラギラと照る場所で、匕首を持ったアラビア人をピストルで複数回撃ち、殺してしまう。これも、有名なところだろう。結局、ムルソーには死刑が言い渡されるのだが、大勢の人が集まって、憎悪の叫ぶことを望む、と言うところで本編は終わる。

たった100ページほどの小説なのだが、多くのことが語られて、一口では言い表わせないような幅広さがある。
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4102114017
No.146:
(5pt)

ラストの心の悲鳴を聞いて欲しい

はっきり言って自分はカミュは苦手ですが、この小説だけは大好きです。
人付き合いが苦手で、うまく他人と対話出来ないキャラクターはいくらでもいるでしょうが、人を殺したのは「太陽のせい」と言ってしまうこの主人公を理解するのは一見難しそうですが、意外と理解できてしまう。それまでは口数が少なかったのに、ラストでせきを切ったかのように喋りまくるが、心の悲鳴のようで泣けました。
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4102114017
No.145:
(4pt)

なんでそんなことしたの?ちゃんと説明できる?

「なんでそんなことしたの?/考えたの?」という問いに対し、「なんとなく」としか答えられないことは珍しくない。というか、実は全部そうとしか答えられないのではないか?何か強い動機に基づいて発した言動があっても、「じゃあなぜそんな強い動機を抱くに至ったの?」と根掘り葉掘り問いを重ねれば、行き着く先は「なんとなく」でしかないのかもしれない。

私たちはみ~んな実は得体の知れない何かによって「なんとなく」の意志決定を下しているのではないかという気がしてくる。そうすると、ムッシュムルソー以外の登場人物も、ひいては私たちも、本質的には何も変らないんじゃないかと疑われた。

本作の読後、「なんでそんなことしたの?」の問いに対して「なんとなく」と答えるくらいなら、ぜひ「太陽のせい」と答えましょう。
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4102114017
No.144:
(5pt)

もっとムカつく作品と思っていたが、想像していたのとは真逆。全然不条理じゃない

不条理小説の代表的な作品の一つと学校で習っていたので読んでみた。

もっとムカつく作品と思っていたが、想像していたのとは真逆。全然不条理じゃない。虚無あるいは冷めた目で現実を見ている主人公には意外と好感が持てる。

短いがなかなか悪くない小説だった。
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4102114017
No.143:
(5pt)

芸術作品として

短い簡潔な文章を畳み込むように続けていく本作品は、読んでいて面白かった。内容に関しては賛否両論があるかもしれないが、芸術作品としてみた場合、評価できるのではないかと感じた。いずれにしろ、この様な小品で、大きなインパクトを世界に与えたカミュの才能に敬意を表したい。
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4102114017
No.142:
(4pt)

意外と普通の人

自分の文章力の理解のなさなのかもしれないですが、思っていたよりも主人公が狂気じみてなかった気がしました。無宗教が多い日本人にとってはなかなか面白い作品だと思います!
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4102114017
No.141:
(5pt)

幸福で孤独とは無縁な結末

この小説は、主人公・ムルソーの母親が死ぬところから始まります。ムルソーは母親が死んだ日付や母親の正確な年齢を覚えておらず、母親の死に対して動揺しません。ムルソーは葬儀の翌日にマリイという女性に再会しますが、マリイに対して性欲を覚えるものの愛してはいません。レエモンはムルソーのことを仲間だと思っていますが、ムルソーはレエモンとの関係をどうでもいいと思っています。ムルソーは神を信じず、野心や結婚に意味を見出だしません。ムルソーは、冷淡で無関心な人間として描かれています。

「(中略)私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた。これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。すべてが終わって、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった」(pp.156-157)という格調高い文章で、この小説は幕を閉じます。

ムルソーは、他人や世間一般の価値観に対して無関心な人生を送りました。ムルソーは独房の中で、「無関心な人間である自分」と「自分に対して無関心な世界」が両方とも「無関心である」という点で近しいことに気付くのです。ムルソーは無関心な人間であるからこそ、自分に対して無関心な世界に対して親密な思いを抱くことができたのです。このことは、ムルソーに幸福をもたらしました。
そしてムルソーは、「世界の優しい無関心」だけでなく「人々の憎悪に満ちた関心」すらも得ようと欲します。ムルソーは殺人を犯したことにより、人々の関心や憎悪を集めうる立場になりました。ムルソーは世界と人々、優しさと憎悪、無関心と関心を一身に集めることができる特権を得たのです。ムルソーは特異な人間ですが、すべてを一身に集めることができたので、断じて孤独な人間ではなかったのです。
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No.140:
(5pt)

読み継がれるべき名作

恋人に愛しているか、結婚したいかと問われ、主人公ムルソー「どちらでも良いことだが、おそらく愛していない」「何の重要性もないが、望むのなら結婚しても良い」。では、他の人から求婚されたらどうすると聞かれ、「おそらく結婚する」。上司にはパリへの転勤を打診されて、「どこで生活していても変わらないし、現状に満足している」と答える。鼻白んだ上司は「君の話はいつも傍にそれる。野心がない」と不本意な表情で呟く。ここまで極端ではないが、思いも寄らない事を言ってくる人は結構身の周りにもいる。今だったらコミュニケーション障害とレッテルを貼られるかもしれない。多様な個性に価値があるとされる現代だが、こういう人が生きづらいのは確かだろう。周囲に同調する事なく存在の孤独からも救われるために、ムルソーは公衆の憎悪の目に晒されながら死刑執行に向かう事を夢想する。鮮やかな情景描写、端的で秀麗な文章スタイル、ずっしりと心に残るストーリー、今後も読み継がれるべき名作だと思う。
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4102114017
No.139:
(5pt)

いいね

わ~ん、ママソが氏んじゃったよ~でも何も感じないやw。仕事休めてラッキー。そーだ、ついでだからワイに好意を持ってるまん様がいるから海でも誘って口説いちゃおう~っと。ママソが氏んだって言えば母性本能出して甘えさせてくれるやろw。こんな感じの冒頭から始まり、すったもんだありゴタゴタに巻き込まれ上級国民だったら無罪になるが、下級国民だったがゆえに厳罰に処されてしまった人間の矛盾、不条理をついた物語です。
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4102114017
No.138:
(5pt)

深すぎる小説です。

人間の矛盾、不条理を突いた作品になっています。
最初見た時は何言ってんだこいつ状態でしたが、段々考えていくうちにとても深い小説である事に気付きました。

人を殺すのは悪とされているが、その人を殺せば何千もの生物の命が助かります。だが人間はそれをしようとはしない。それは人間であるから。

主人公以外の全ての登場人物は人間です。

主人公は側からみれば狂人であるが、彼の行動はいたって正常である。

人は理性や常識の正しさに囚われ、思考や行動をしている。

しかしその理性や常識は果たして本当に正しいのか、人間はどうしても一貫した正しさ認める事ができない生き物なのだなと思いました。
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4102114017
No.137:
(4pt)

「自由」としての「異邦人」

本作はフランスの小説家で哲学者であるアルベール・カミュが1942年、一躍世に知られる口火を切った出世作である。
本編は第一部と第二部とに分かれ、世評としては人物の交錯入り乱れる第二部に多くの解釈が寄せられている。
主人公のムルソーは俗に言う感情的な人物とは程遠い存在である。母の死を知るも、動じることはなく、習慣的日常を生き、しばらくすれば恋人とバカンスへと赴く。そんな彼が一人のアラビア人を銃殺してから場面は戯曲的たたみかけへと進んでいく。

タイトルでもある「異邦人」が意味するところのものは、‘自由’である。もちろんそれは精神の‘自由’である。
「異邦人」とは単に社会的マイノリティーであることを意味しないのだ。
第一部とは対照的に、第二部で逮捕されたあとムルソーは名も明かされない弁護士や判事、検事、司祭たちと対峙する。これは特定の登場人物ではない、社会的構成員との対峙である。
社会という不条理、自己を束縛する道徳、それら精神への楔に対する反抗的自由意志の中に、‘エトランジェ(無縁)’の意味が含まれている。(ムルソーはそれを「優しい無関心」と表現する。)
最終盤、憤慨するムルソーはまるで『シーシュポスの神話』で掲げられた標榜である「今ある現実を意識して見つめ続け、それに反抗し続けよ」を実行するかのようである。

自由意志を根源に添える作品は数あるが、本作が世に出た当時から今に至るまでこれほどまでに反響を呼び起こした作品は多くない。
そこには、本作が持つアメリカ文学的な事実描写への徹底、これが、想像以上に作用していると思われる。
(ベルナール・パンゴーは『カミュの「異邦人」』の中で「カミュはこの技法をどこで学んだのであろうか?おそらく、ヘミングウェイからである」という指摘をしている。)
『シーシュポスの神話』で、カミュは「描写すること、これが不条理思想の最終的野心である」と述べている。
芸術作品としての『異邦人』に求められた側面は、あえてムルソーの内面を主張しないことにあった。
ただただ客観的事実を描き、大仰な形容詞は避け、小刻みにされた文が並んでいる。
その描写は決定的な文脈や背景を持たず、いくつもの解釈を可能にさせている。
カミュは客観性の中に「意味の欠落」を見出していたのである。
意味を持たない世界、それこそがムルソーが対峙することになる社会であり、えぐり出されたリアリティーの立役者だった。
意味を描くのではなく、意味を描かないことで、‘自由’の意味を浮き上がらせたかったのだろう。

しかし一方で、本作には‘自由’とは異なる別の価値を、カミュは盛り込んでいる。
「人間は全く不幸になることはない、とママンはよくいっていた。空が色づいてくるときや、暁のひかりが私の独房に忍び込んでくるとき、ママンの言葉はほんとうだと思った。」
「田園のざわめきが私のところまで上って来た。夜と大地と塩のにおいが、こめかみをさわやかにした。」
カミュにとって大いなる自然こそが、真に生きる幸福を与えてくれるものだった。
また、反抗の動機とは、生きる意味を抑圧する市民社会から、自身の精神を守るためでもあった。
この根本精神は、後年の『追放と王国』でつまびらかに綴られていくものであり、本書ではその兆しが垣間見える。
異邦人 (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:異邦人 (新潮文庫)より
4102114017

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