■スポンサードリンク
上弦の月を喰べる獅子
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
上弦の月を喰べる獅子の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全28件 21~28 2/2ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
もう10年位前に図書館でハードカバー版に出会い、かなりの厚さだったにもかかわらず徹夜で読みきってしまいました。 最近たまたま文庫本を見かけ再び読んでみたけれどやはりすばらしい。 どういう作品なのか説明をするのは非常に難しいのですが、読むと不思議な気分になります。神秘的というか。 インド仏教的な感じもするのですが、宗教チックでもなく、理系の自分にもすんなりと受け入れられる宇宙感といいますか・・・。 こんなものすごい作品を書ける夢枕獏という作家はほかの作品もすごいに違いない、と思い夢枕さんのほかの本もかなり読みましたが、物語の厚さというか格がまったく違うのです。ほかの作品のファンの方には申し訳ないですが、本当に同一人物が書いたとは思えない。 何か神が降りて夢枕さんに書かせたとしか思えないほど他の作品を超越したものがあります。 ご本人もあとがきで書かれていますけれど。 結局文庫本ではもの足らず、愛蔵用にハードカバーも買うほど個人的には年をとっても何度も手にとって読むだろうというほど好きな作品ですが、決して人には勧めません。 好きすぎて否定されるのが恐ろしいのです。刹那的な文学や、逆に純文学過ぎるものを好まれる方には受け入れられないかもしれないです。 けれどこの作品は読み手を選んでいい。むしろ分かる人だけ分かってくれるだけでいい。 そう思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「座右の銘」となった一冊。 「これは 天 についての物語である」 ・・・これは著者の あとがき から の抜粋である。 確かに 「科学」 「宇宙」 「仏」 を 活字にし、 更にそれに成功した稀な作品であると思う。 これは只の “ SF ” じゃない。 そして只の “ 文学 ” でもない。 これまで、〔夢枕獏〕を倦厭してきた人達にもぜひ読んでもらいたい。 私はこの著者の著作はこの作品が初めての出逢いだったし 実は“伝奇バイオレンス”と呼ばれてるモノは読んでない。 どちらかと言うと〔宮沢賢治〕のファンである。 しかし、本を購入して家で表紙を捲るまで 賢治 が絡んでいるとは思わなかった。(凄い廻り合わせだ) 浸って欲しい 『 天 / sora 』 を | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
本書は読みやすい。スラスラ読める。 内容は、仏教、宮沢賢治、螺旋、生命、進化が、主なテーマ。 科学が仏教に近付きつつある、と言うのは、どこかで読んだ。 それを、なんとなくこの本でかんじた。 抽象的、幻想的な内容で、何が起きてもおかしくない状況が続くので、 少し恐怖も感じつつ読んだ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この本は、一度読むのを辞めようと思った。なんともいえない気持ち悪さがあるからだ。 読んだこともない本だが、体のどこかに残っている記憶というか、 海への憧れ、母への想いというか、そんな感じが、この本の中に、あるような感じがした。 著者が目的とした、数式を使わずして、宇宙を表現する、ということは、達成していると思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
下巻は一気に読まて貰った。舞台は蘇迷楼(スメール)、生物の進化を辿っていった先の人間世界である。さすがに人間世界の話は分かりやすい。大きな問いを畳んでいった先に二つの問いが残る。 双人としての主人公の一人の属性は今や隠す事無き宮沢賢治である。冒頭「銀河鉄道の夜」のサソリの話が出てくる。この物語は修羅の道をたどってきた賢治に決着を付けさせるという一面を持つ。夢枕獏は最後の問いを逃げない事をこの物語を書くときの条件にしたと言っている。なるほど問いには逃げなかった。しかしせっかく「とし子」を登場させたのにあの扱いはどうなのだ。私には「逃げた」ように感じた。 「正しい問いのなかには、すでに答が含まれている」という言葉には私は全面的に「肯」という。しかし、この物語は正しく問うているのだろうか。私には問うていないように思えたのだが、それは私の中に「答」がないからなのだろうか。 こういう物語があってもいいと思う。しかし私にはせっかく賢治に姦淫と(生物を殺すという意味での)殺生を犯さして更には再びとし子に逢わせるという体験をさせたにもかかわらず、いっこうに決着が付いていないように思えた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
密林でアメリカ兵に遭遇し、現地の男の子と女の子が討たれる瞬間を写真におさめようとして米兵に撃たれ、海馬に石片を残したままになった写真家が高層ビルの「螺旋」階段に吸い込まれ、岩手の詩人は北上高地の斜面に巨大なオーム貝の化石の「螺旋」に飲み込まれた。 彼らは一人でありながら二人、二人でありながら一人の、混沌の中で二人分の修羅を持つ人間となって、見知らぬ世界に海から上がってくるところから物語が始まる。「縁(えん)であり、業(ごう)」である「アシュヴィン」という名の人間として。 アシュヴィンははるか上を、須弥山を目指す。仏教的な世界観でこの物語は進行していく。色は空であり、空は色であると。問いの中に答はあると。 陰陽師などから夢枕獏を知った人には、夢枕獏!にこのような一面があったとは、と驚くでしょう。獏自身、書き上げるのに10年かかったと言っている。それだけの本です。 うまくレビューが書けなくて申し訳ありません。 アシュヴィンの修羅は昇華するのか?人は幸せになれるのか? まだ、下巻があります。消化するのが大変な本ですが、続けて下巻を読んで下さい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
タイトル以上、言うことはほとんどありませんが、少しだけ書きます。 アシュヴィンは、---胃にしこりを持つ螺旋収集家と肺を患ったイーハトーブの詩人の、二人の魂を持つ双人は、二つの問いを出すという獅子宮にまでたどり着く。 「問いは答であり、第一の問いと第二の問いは同じ答であり、しかし第一の問いの答と第二の問いの答は異なる答である」と。 アシュヴィン(縁)はカルマ(業)-「修羅であり、因果であるもの」を連れ、獅子宮に足を踏み入れる。問いは何か?そして答は? 参考文献に、宮沢賢治が信仰していた法華経について、岩波文庫の「法華経」(上)(中)(下)がいいと思います。他にも岩波文庫の「般若心経・金剛般若経」(字の大きいワイド版もあります)か、講談社学術文庫の!「般若心経」が、原典を変にいじらないでいいんじゃないかと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
何でこんな小説が書けるんでしょうね・・・ 文章によって編まれた曼陀羅とでもいうのでしょうか? 「悟り」とは?「仏」とは?「人」とは? といったことを一度でも考えたことのある人は必読です。 もちろんそれ以外の人にもおすすめします。(単純に小説として読んでも,もちろん面白いので) | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!