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峠越え
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峠越えの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.89pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全23件 1~20 1/2ページ
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本能寺の変の、作者の考察が読んでいて、真に迫ってきました。 | ||||
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松本潤さんのファンなので大河前に徳川家康ものを色々読みたいと思い購入しました。 なるほど、そうくるか、と思うような内容でとても面白かったです | ||||
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家康のまた、臣下のボヤキが、思い出すたび仕事中もにやけてしまいました。是非、知人にも薦めたい一冊の本です。 | ||||
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伊東潤さんの本です。 いやぁ、面白かったですねぇ。 徳川家康ネタで、短編ぽいのですが、それぞれ微妙に繋がっている、という感じの本でした。 「持たざる者」「獅子身中の虫」「まな板の鯉」「窮鼠の賭け」の四編です。 「持たざる者」は、浅井朝倉の姉川の戦いと、桶狭間の戦いがメイン。 「獅子身中の虫」は、三方ヶ原の戦いと、長篠の戦いがメイン。 「まな板の鯉」は、家康の長男信康の処分がメインですが、信長がどうやら家康を殺そうとしているらしい、というのが明らかになってくる話もあります。 「窮鼠の賭け」では、家康暗殺を察知し、家康は信長を殺すように、明智光秀を騙す、という話と、あと本能寺の変の後、家康の伊賀越えがメインです。 過去を回想しつつ、現在の信長の怖さを家康が感じる、というような構成で、 それぞれの短編は本能寺の変の前のあたりで、穴山梅雪との絡みもあります。 また、桶狭間と、本能寺の変は、実は家康がキーパーソンであるということが、この本のおもしろいところで、 こういう小説仕立てだと、「そういうことも、ありかも…」と思えなくはないです。 また、信長の頭の良さというか、計算高さもうまく描かれています。 特に白眉なのは、家康の性格と、家臣たちの遠慮のなさが、うまく描かれているところです。 家康の性格は、凡庸、むしろ、少しバカなの?という感じで、 家臣たちは、みんな遠慮なく「テメー、バカか!」と家康を罵倒したり、 また家臣たち同士で反目しあってたり、 でも、そういう姿が、いかにも三河武士っぽいよなぁ、という気がしました。とても面白い視点です。 さらに、家康の人格形成において、太原雪斎の教えが重かった、というのは、なるほどと思いました。 できたら、続編も書いて欲しいですね。面白かったです。 | ||||
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やられた!! そうきたか!! 各章ごとに毎回そう思わされる。本格歴史小説でありながら、これではまるで質の良いミステリーを読んでいるみたいだ。 徳川家康を描いた小説でタイトルが『峠越え』とくれば、誰もが本能寺の変の後の伊賀越えを想像する。 しかし、物語は桶狭間の戦い、三方ヶ原の戦い、金ヶ崎崩れ、長篠の戦いなど、かつて家康を襲った数々の危機をフラッシュバックさせる。 桶狭間の戦いの真相など、「さすがにそれはないだろう」というほどの大トリックを示されるが、それでもむしろこれこそが史実だと納得してしまいそうになるのは、著者の筆のうまさによるものだろう。中山義秀文学賞受賞作品というのもうなずける。 家康が人生の切所(難関)に立ち向かうというより、切り抜けていく姿を読み、「峠を一つひとつ越えていく」というタイトルの意味が深く胸に突き刺さった。 まさに読むべき名著です。 | ||||
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本能寺の変の前夜、徳川家康は、なぜか重臣たち共々、安土城に招かれていた。織田信長の強い意思で、嫡男信康に詰め腹を切らされたばかりの徳川からしてみれば、いつ殺されるか、気の休まることのない招きである。 本能寺で信長が没したあと、無政府状態に陥った畿内から、家康一行は決死の脱出を試みる。東海道は通れない。伊賀の山中の道亡き道なき道を落武者狩りに怯えながら抜けるのである。 私は三重県在住で、土地勘がある。伊賀から関にかけての深い山を抜けたあと、ひらけた伊勢平野に出て、かの大黒屋光太夫も船出した、鈴鹿市の白子の浜が目の前に開けたら、家康はどんな気持ちがしただろう。それを思って読んだ。 人生は、重き荷をおいて坂を行くごとしと晩年に述べた家康が、個性的な家来たちと山道坂道を越える描写は、作者の真骨頂だ。 本能寺の変に興味のある方は、次の連休にどうぞ。 | ||||
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伊東潤先生の作品が好きで,本書も手にした.期待を裏切られることなく面白かった. 「峠越え」というタイトルから,本能寺の変の際の「伊賀越え」を描いた作品だと思った.しかしながら,読んでみると,作者の意図はだいぶ違うところにあるようだった.もちろん伊賀越えが書かれているのだが,それだけではなかった.そういう意味において,良い感じに裏切られた.伊賀越えをここまで詳細に描いた小説を読んだのも初めてで,いろいろな観点から楽しめた. また次の伊東潤作品を読みたくなりました. | ||||
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家康の伊賀越えまでの内容でした。家康と光秀は繋がっておらず、穴山梅雪は家康に殺されるという、通説を外した内容で面白かったです。 本能寺の変前後について、後世のボクらはダイナミックな裏話を期待してしまいますが、本当の歴史は、本書のように、その場その場の判断の積み重ねでしかないのだとも感じました。 もっと悪どい家康像があっても良いと思うし、そう意味では、現代に通ずる通説や家康像を綿密に作り上げた徳川幕府はすごいとも感じました。 | ||||
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家康の峠越えというので、てっきり伊賀越え道中記かと最初は思っていた。 話は武田を滅ぼし帰還する信長を饗応するところから始まる。 途中、今川時代や、桶狭間、姉川、長篠など織田徳川同盟時代の回想シーンが差し込まれる。 ところが小説の半ばに差し掛かっても、なかなか伊賀越えに入らない。 あれよあれよという間に最終章。 まだ堺にいる。 せっかく伊賀越えを堪能できるかと思っていただけに、がっかりしたものの、 ここにきて「峠」とは何なのか、著者の種明かしが始まる。 なるほどの納得感と、伊東氏に一杯食わされた感。 でもこういうのは楽しい。 近年、本能寺の変について様々な説が浮上しているが、そのうちの一つ、 なぜ少数で本能寺に信長がいたのかというのが話の核となっており、 そういう意味で、なぜあれだけしつこく回想シーンがあったのかが伏線になっている。 とても説得力のある展開で、もしかしたらと思わせる。 また三河武士団の濃いキャラも、家康という人物にまた新たな興味を起こさせる。 久々に読んで楽しい一冊に出会えた。 | ||||
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神君家康の伊賀越えと言うと最近の映像化では真田丸でコメディカルに扱われていましたが、この作品では本能寺の変直前までを家康の回想と師である雪斎禅師の説話を混じり合わせ、最大の難関の伊賀越えでどのような心境に至ったのかを扱ってます。 今川、武田、織田という大きな漬物石が次から次へと圧し掛かりますが、最初の内は愚痴を言っていた家康も後半の信長排除の為の行動を起こす頃には腹が座ってきて、主君として成長します。 一冊で収めるためにやや駆け足気味に物語は進行しますがそれでも読み終わってスカッとしました。 個人的にはこの作品の映像化したら観てみたくなります。 | ||||
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楽しめました! 斬新な解釈、ストーリーの構成、家康とそれを取り巻く人たちのキャラクター性、どれもが素晴らしかったです。 一気読み必至の作品でした。 | ||||
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弱者としての家康を中心にして、家康の回想という形で物語はすすむ。 長篠の合戦における裏切り行為など新解釈が盛り込まれていて、非常に面白く斬新。 個人的には最後の急展開にいたる決断がやや唐突すぎる感じがするのと、大切な狂言回しでもある穴山梅雪の人物描写がやや物足りない気がする。徳川家臣団は、少ない会話ながらも人物描写がよくできていると感じるのは、いままでとは違う設定だからだろうか。 一気に読める伊藤作品としては、エンターテインメントを感じる作品だと思う。 | ||||
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今川・武田・織田の脅威にさらされた、徳川家康の生き様の物語でした。 伊東 潤先生 の作品は、初めてでしたが、歴史についてあまり詳しくはない私でも、 十分楽しめましたし、軽くしかしらないこそ楽しめたといっていいのかもしれません。 徳川家康が天下人という印象が強い為、勝手に誇大なイメージがあった為、 まるでいじられキャラ的に描かれている為 徳川家康の感じ方が変わる一冊となりました。 鳴かぬなら…鳴くまで待とうホトトギスと徳川家康を表す比喩がありますが、 鳴かぬなら…自ら鳴こうホトトギスと改めたいです。 あくまで、この作品上ですが… 長いものに巻かれて、鳴いてやるっる!!ってやけになって意地になって イジられてたいじめれられっこ徳川家康のちょっとした反撃、 読んでいない方 楽しんでください。 | ||||
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とても楽しめました。伊賀越えの最中に前半生を振り返る構成というのが独特の視点で、興味深く読めました。家康は一般的にも忍耐強い努力家のイメージが既に定着していますが、何故そうならなくてはならなかったのかが説得力を持って描かれていたように思えます。峠越えというタイトルがとても印象的です。 | ||||
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家康の伊賀越えという下手すればありがちな、また地味な話になりそうな・・・と思って購入を躊躇っていましたが、氏だから良い意味で裏切ってくれるだろうと購入しました。あちこちで取り上げられている伊東氏ですが、この作品もハズレじゃなかったです。最後まで一気に読めました。とにかく、面白かった。 | ||||
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といっては失礼なくらい有名な方なのかもしれないが、とにかく楽しめた。 家康と信長については、山岡版「家康」のイメージが強すぎて、幼馴染が協力し合ったと受け取っていたが、確かにそんな甘ったれた関係なわけがない。利用価値を見出しているから同盟していたに過ぎず、狡兎死して走狗煮らるる、はこの世の理なのだ。 ただ家康が邪魔になっても信長の勝手に同盟者処分はできない。大義名分もなく処分すれば、為政者として失格であると世間がみるからだ。そのあたりバカではない信長の骨折りと、自らの立ち位置を把握している家康が必死で追い込みを回避していく様が非常にスリリングだった。 またキレものといわれた明智が本能寺に際して無様な立ち振る舞いに終始したのも、ノイローゼのためと説明されてもかなり違和感を残すが、これならわかる、という内幕だった。 しかしこの小説の魅力は舞台装置だけではない。家康の口を通して語られる、ヒトに対する筆者の洞察が素晴らしいのだ。 「殿は小心でおられるによって…」とズケズケ直言する三河家臣団と、それを憮然として聞き流すよりない家康の渋面が浮かび、思わず笑ってしまう。 「このような少人数でワシを守れるわけがないであろう。」「殿、勘違い召されるな。殿が腹を切る時間を稼ぐためでござる」「…」 神君伊賀越えで三河主従が必死に死地を切り開くあたりも怒涛の展開で、見事だった。 歴史小説家に欠かせない堅牢な思想と、サラリーマン小説に欠かせない人間描写を兼備した、再読したくなる小説家を知った思いである。 | ||||
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伊藤潤氏の長編は短編ほどの切れがない印象であったが、本書は面白かった。ストーリーは本能寺の変が起きた時に堺に滞在していた徳川家康が三河まで必死の逃避行を繰り広げるというものだが、本書では家康を徹底的に凡庸な武将として描いているところが面白く、最後まで楽しめた。 序盤は姉川の戦いや武田信玄を迎え撃った三方ケ原の戦いなどで家康が男気を見せたとされる戦いが実はそうではなく、ことごとく信長の手のひらで動かされただけであったということが示され、このような解釈もあるのかと感心した。 後半は逃避行が描かれるが、凡庸を自覚する家康が、凡庸であることを自覚した上で腹を括った姿を見せたところに成長が感じられ、そこに非凡なものを感じた。 | ||||
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読んでいて、こちらの胃が痛くなってきました。 一難去ってまた一難・・・・ 信長には無理難題を押し付けられてうんざりしてるところに 選択肢はないのに家臣には非難されるし散々です。 そんな事は百も承知だ。 否と言えればどれほど楽か(言ったら破滅ですが) この経験が晩年の家康を作ったのでしょうか それにしてもいつの世も弱肉強食ですね | ||||
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桶狭間・姉川・三方ヶ原・長篠といった生き残りを賭けた激しい戦闘や、妻子の処断を求められた信康事件などにおいて、生殺与奪の権利を握っている信長の鋭利で非情な知略に家康は何度となく翻弄されながらも、どうにか薄氷を踏む思いで生き残ってきた。 しかし武田が滅び信長にとっての緩衝地帯としての意義を失った家康は、少数の家臣と共に信長に呼び出され安土から京、堺へと連れ回されるうちに信長の真意に気づき始めるのであった…。 本能寺の変の成り行きに著者なりの新たな推理が加わった作品。「峠越え」とは本書の最後の伊賀越えだけではなく、家康の前半生の苦しい「切所」(=難所)の連続を指している。それを乗り越えられたのは家康に才能があったからでは無く、己の凡庸さを自覚していたからこそと著者は強調している。本能寺の変前後の推理構成にはやや無理を感じるが、それ以外の場面の史実を重ねたリアリティ溢れる心理描写が緻密で、登場人物の実像がまざまざと浮かび上がってくる。 | ||||
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本書は、徳川家康の生涯屈指の正念場と云える伊賀越え(本能寺の変で混乱する畿内から三河本国への脱出行)をクライマックスに置きながら、桶狭間、姉川、三方ケ原、長篠などの過去の戦を振り返る場面を挟んで、家康の前半生を描き出している。家康本では後半生がメインとなることが多い中で、家康の人生観や人物像がこうした前半生において構築されたという解釈でのストーリー展開は正攻法な人物伝として完成度が高い。 家康の人生と云えば「重荷を負いて遠き道を行くが如し」が広く知られており、明らかにそこを狙った「峠越え」という題名は何度も台詞としても登場することから、著者の真剣勝負な気持ちが伝わってくるものであり、かつその意気込みに恥じぬ出来映えと高く評価したい。前半では、よく似た意味合いで「漬物石」という言葉が登場する。今川、織田、武田と常に列強の圧力で人生どころか自分や家族の命も侭ならぬことを嘆く家康というのは、家康本の中でもかなりネガティブシンキングで面白い。そのネガ家康が、いつしか「峠」という言葉に言い換えを始めていく。そう、峠は越えれば次の展開があるし、自身の足で越えていけるのだ!弱い凡人という自分像をいつしかポジティブに捉え、峠だらけの遠き道を歩み出す家康の生き方は、現代の読者にリアリティを以って伝わるものがある。(山岡版でのキーワードとも云える欣求浄土は本書では登場しない。平和を求め忍苦を重ねる家康は戦後日本の終身雇用モーレツサラリーマンの共感を得たのとは好対照) そうした真っ当な家康の前半生を描きつつも、著者の面目躍如なところで実に面白いストーリーをかましている。正直ラストの仕掛けはリアリティを欠く気もするが、家康@ネガシンから見た信長という描写はとても面白かった。この信長像は、彼の家臣達を主人公とした短編集「王になろうとした男」にも通底するところであり、本書に大きく厚みを与えているところでもある。 そして、いつもながら、著者は脇役の描写が上手い。雪斎師の使い方しかり、家康に主君とも思わぬ言葉遣いをしながらも三河武士らしい忠義を尽くす家臣達のキャラ立ちがあってこそのラストの伊賀越えのスリリングな展開だろう(この辺は、案外と山岡版を踏まえていたりするのが意外だが面白い)ほとんど登場しない秀吉と合わせ、ポスト本能寺から小牧長久手、更には関ヶ原へと続く遠き道を更に描いて行って欲しいと期待させられる出来栄えだ。 | ||||
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