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明日の記憶
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明日の記憶の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.55pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全175件 101~120 6/9ページ
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今まで「アルツハイマー」という病気は自分には無関係の病気だと思っていた。 けどこの「明日の記憶」をよんで考えが変わった。 アルツハイマーという病気はとても身近にあるということを。 誰にでもおこりうるということを。 記憶が無い生活は人間の「死」と同じ、ということを・・・ アルツハイマーになりながらも懸命に、もがきながら生きた主人公に涙が。 | ||||
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私も早速”発芽玄米茶”を飲もう!と思った。 淡々とした主人公の語り口が、逆にリアルで怖い。 今まで介護側からの視点での小説は読んだが、壊れていく本人自身の語りで書かれた本は初めて読んだ。 多分本人の壊れていく過程での心の葛藤はこんな感じなんだろうとリアルに思う。 頭の中でコードが切れたような音がして、少しずつ人格が破壊されていくのだ。 私の父親もアルツハイマー型認知症と診断されて4年がたつ。 今では一人で衣服の着脱、排泄の処理などは出来なくなった。味覚、寒い、熱い、時間の感覚は全くなくなり、幻覚、妄想、暴言もかなりある。 でも、未だ家族の顔は忘れてはいない。 それだけでも救われているのかも。。 父親の人格崩壊の過程をつぶさに見ているだけに、どの情景も目に浮かぶようなリアリティーがあり、本書は本当に怖かった。 ラストは切ないが、美しい。 しかし!現実はこんなに甘く美しいものではないということを皆さん認識して下さい。 毎日が汚物まみれ、罵倒の連続、家族崩壊寸前!認知症は本人もさることながら、家族には地獄の日々になる病気であるということを。 (この病気はある程度遺伝するというようなくだりあったけど、父の主治医はまず最初に、”これは遺伝する病気ではありませんのでご心配なく”と言っていたが?ますます怖いぞ。。) | ||||
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50歳という働き盛りの年に、病院で告げられた病。それは若年性アレツハイマー。 主人公佐伯は結婚を間近に控えた娘をもつ広告代理店部長である。 彼の日常を通してアレツハイマーという病気の残酷さが鮮明に描かれている。有名俳優の名前を忘れ、同僚の名前を忘れ、家族との記憶も・・。アレツハイマーはただ記憶を欠損していく病というだけではなくて、記憶の欠落によって人格もが崩れていき、やがては自分が自分でなくなってしまうという、ある意味死ぬことよりも深刻で恐ろしい事に思える。 作品後半部では、現実世界と空想世界が織り交ぜられながら描かれている。 その中でも特に、「記憶が消えても、私がすごしてきた日々が消えるわけじゃない。私が失った記憶は、私と同じ日々を過ごしてきた人たちの中に残っている。」という主人公が最後の最後でみせた言葉が印象的だった。 | ||||
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「記憶を失うということは、人格を失うことでもある」という主人公の悲痛な叫びが、心に響きます。「記憶は自分だけのものじゃない。人と分かち合ったり、確かめ合ったりするものでもあり、生きていくうえでの大切な約束ごとでもある」ということを思い知らされて、今更のように戦慄します。正直なところ、最近、物忘れがひどいのは、40歳を過ぎた年齢のせいだけなのか、ふと我が身を振り返って空恐ろしくなるほどに、アルツハイマーは所詮は他人事と思っている人にも、病を手元まで手繰り寄せ、我が事のように考えさせることに、どんなドキュメンタリーよりも成功しています。決して肩に力が入っているわけではなく、むしろ淡々とした語り口の中に、小説のもつパワーを感じさせられた作品でした。 | ||||
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若年性アルツハイマーに罹患した主人公の認知機能が徐々に崩壊していく様子を書いたものだが、医師である私の目からみても細かい描写がリアルであった。 例えば、大学病院で長谷川式知能スケールを、主人公におこなう医者の描写。医者ならああいった風にやっていくなというのがよく分かる。診断にいたる過程も納得。初期の段階では診断も難しいはずで、そういったところもうまく表現されている。 また、主人公の書く日記の描写が良い。人格の崩壊が進行していく様子が、微妙に表現されている。 「私の言葉に凝わしげだが・・・」と誤字をさりげなく入れていたり、同じ日に同じ文章を繰り返しているところなぞ、気をつけていないと読み飛ばしてしまいそうである。 筆者は、本書を執筆前にかなりの取材をしたと聞く。神は細部に宿るではないが、こういった細部をきちんと書いていることで、リアリティと、感動を生んでいるのだと思う。 | ||||
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「神様からひと言」や「明日にドライブ」といった軽快な作品から受ける印象とは 全く異なっており、荻原浩さんってこういう作品も書ける人なんだ、と正直驚いた。 恥ずかしながら、アルツハイマーが死に至る病気だということをいうことを初めて 知った。本作品は記憶が失われていくまでの部分を描いているが、本人や家族が 本当に大変なのは、そこからなのだろう。 自分が自分として生きることが出来なくなるとはどういうことなのか、家族として どのように関わっていけばいいのか、など考えさせられた。 先日、茂木健一郎のテレビ番組でアルツハイマー治療の特集をしていたのを観た。 将来的には治療が可能になるかもしれないとのこと。 最先端の医療で、なんとか治療できるようになって欲しい。 本作品を読み終えた後、映画も観た。樋口可南子の演技が素晴らしかった。 | ||||
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読みやすかったです。 アルツハイマーという病気がどういったものか、 そしてその患者さん、周りの家族の心理などもとてもよく わかり、共感を深めました。 今40歳の私にとって他人事には思えない感じを 強く持ちました。 とても共感ができるのですが なんというのか、物語として もうちょっと何かできなかったものかと 感じるところはありました。 アルツハイマーの紹介の解説、闘病記とは 違うわけで もちろん安易なハッピーエンドを望んでいる わけではないのですが 物語としてもう少し何とかならないのかと。 予定通りに症状が進んでいって 患者さんの手記ではないのですから 物語として何かを作って欲しかったなあと 感じました。 症状の進行、物語の進行が とても淡々としているように感じました。 | ||||
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文章がうまい。場面転換やストーリーの展開もうまく、小説として秀逸である。 でも、同世代に近い者としては怖くて読み進めない。俳優の名前が出てこない、 身近な街が突然異郷の地のような気がしてくるなどというのは年をとるにつれて 誰もが経験していくことだ。 いろんな周囲の人々とのかかわり、長年連れ添った妻との感情の機微。 最後のページは映像を見るように美しい描写だ。 終盤の展開がまとめすぎているようではある。 | ||||
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著者は本書執筆のための予備取材を通じて、 アルツハイマー病は死に至る病だという事を知って、 愕然としたらしい。 人は、認知能力を失うと死ぬのだ。 日常生活を行う上で、我々は細かい判断を常に行い、 適切かつ安全に、しかも無意識に行動している。 認知症が強くなると、この部分に難を来す。 本書で突き付けられる診断は残酷だ。 本人や家族がいかにあがいても、段々と社会的信用を失ってゆく。 この事は、死ぬより辛い、拷問の様なものだ。 本書は、物語なので、少し出来すぎている部分も感じない訳ではないが、 若年性アルツハイマー病のもたらす悲劇を語ってくれる。 しかし、仕事上で、若年性アルツハイマー病に接する立場である私にとって、 読後に複雑な思いが残るという事を、特に強調したい。 | ||||
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荻原浩氏の著作はざっと読んでいました。この人は「あの日にドライブ」などに結実しているような、良く言えば軽妙洒脱、悪く言えば『文章が笑っている』書き口が持ち味なのですね。だからこの作品が良かった。 このテーマだからこそ、眉間に皺を寄せないことが大切です。だって現実そのものには善し悪しも重い軽いもないのですから。我々がそれを価値判断するときに、それぞれの色にテーマが染められていきます。だから、殊更に悲惨さを嘆く必要はありません。 ラストは美しいです。住んだ空気と紅の空の中、主人公が歩いている。場面は違っていても、何か南木佳士の「ダイヤモンドダスト」の清冽さに通ずるものを私は見ました。 | ||||
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アルツハイマーという病気について、周囲から見た病気の症状や、家族の大変さ等の視点ではなく、病になった本人側の視点から考えさせられたのは、私は、この本がはじめてだった。 きっと、この病のよく聞かれる壮絶な戦いの部分(家族の看病の苦労とか、病気のひどい症状)というのは、この本の最後から長くはじまっていくはずで、この本はそこにたどりつく病気の前半戦が描かれているはずなのに、読んでいて切なかった・・・。 きっと当人にとっては、記憶が失われていくこの時期が、もっともつらく、せつなく、悩むときなんだろう。自分という一番信じてよかった部分が信じられなくなる、大切な思い出が失われていく、周囲の目が変わる、何が正しいのかわからない・・・。本当にせつない。 この病の本当の怖さって、この時期にあるのかもしれない。 ラストシーン。 ある意味ひとつ突き抜けた彼に、すがすがしさを感じる反面、その後のことを思うとどうにもやりきれない気持ちになった。人間が人間であること、家族といられること、社会に関わっていられること、自分が自分でいられること。こういったことって、すごくあたり前にあるようだけど、すごくもろいものの上に成り立っているんだなあ。それはこの病気になる、ならないに関わらず。 早く、この病気を治療する方法が見つかるといいと心から思う。 | ||||
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愛する人のことを忘れてしまうまで がうまくかかれていると思う。 まだ若いのに まだまだ仕事もできるはずなのに と思っているのに どんどん記憶を失っていく。 そのもどかしさがとてもよくあらわされていて 読んでいて苦しくなった。 ただ最後あたりが小説だから当たり前なんだろうけど きれいに書きすぎてる気がした。 そこがちょっと残念。 | ||||
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記憶を失うことのおそれが、ありありと伝わる。胸に迫る自分への別れを描いている。しかし、その場に直面したときに、主人公の如くポジティブに取り組めるだろうか。日記に残し、何事もメモをし、陶芸作品を残し。そして、渡辺謙さんが演ずる前に読みたかった。彼のイメージが入り込みすぎてしまった。 | ||||
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広告代理店に勤める主人公佐伯が、若年性アルツハイマー病と告知され、病状が進んでいくという話。 社会的にも家族的にも何不自由なく過ごしてきた50歳の男性に降りかかる恐怖がじわりじわりと伝わってきてリアル。 映画化されたので、渡辺謙と樋口可南子を想像しつつ読んだ。 妻の枝実子がとても似合っていると思った。 久しぶりに一気に読めた一冊。 読み終わってから、色色なことを考え感慨深い思いを味わうこととなる。 | ||||
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映画に、本に、話題作となった「明日の記憶」。話題作とあって、内容も、奥が深い。 誰もが日常的に経験する「物忘れ」から、若年性アルツハイマーと言う病気の違いも、的確に捉えてあり、しかし、専門的な方でなくても、十分理解できるないようであろう・・・読み進めるうちに、同年代の方は、ある種の怖さを感じるのではないか。しかし、認知症の方の、内面の苦悩は計り知れない。自己の存在を保つ為に、メモをとり続ける主人公の姿。生きる為に、大切なことは何であるのかを考えさせられる。そして、妻の温かい愛。薄れゆく記憶の中で、主人公も、「妻」をどれほど大切に思っているのかも伝わってくる。ストーリーは、どの場面も、自分に置き換えたり、本の世界に引き込まれそうな内容で、感動。そして、感動の一言だけでは語りきれない。ぜひ、一読したい内容だ。作業療法士の妻の感想は、感動作であるからこそ、認知症の、しかも、働き盛りを襲う家族の苦悩、葛藤は、語りつくせるものではないだろう。だからこそ、家族の苦悩の果てに生まれた真の愛をもっと表現できていれば、もっとよかったのでは・・・ということであった。 | ||||
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怖すぎて、涙も出ませんでした。読んでいて自分が主人公に同化してしまって、読み終わったあと、一瞬自分がどこにいるのかわからなくなりそうでした。ほんとに怖くて呆然としてしまいました。でも一読の価値ありだと思います。 主人公の立場で描いているのでより引き込まれるのですが、同様に主人公の目線で描いたもので、老人性痴呆症を扱っている短編「靄の中の終章」(清水義範著)もかなりショックを受けたことを思い出しました。 どちらも他人事のように思えず、単純に感動したとか、あるいは冷静に分析するということもできなくて。 | ||||
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静かに、静かに進んでいく物語なのに、途中で退屈を感じることなく読み進めることができました。そして、いつの間にか、年齢も性別も職業も自分とはまったく異なる主人公に気持ちを重ね、共に「記憶を失っていく」「日常が非日常になっていく」恐怖を味わっている自分がいました。 ある日突然、目の前の人物が誰なのか思い出せなくなる。自分がどこに立っているのかわからなくなる。日々、自分の中に残っている記憶の断片を拾い集めながら生きていく。 主人公は病名を告知された時からそういう未来を想像し、不安や恐怖と闘いながら「あたり前の日常」を守り抜こうとしますが、病魔は少しずつそんな彼から記憶という形の「あたり前の日常」を奪っていきます。その様子は出来事の描写からだけでなく、誤字やくり返しが増え、漢字が減っていく主人公の日記からもリアルに読み取ることができます。 一見悲しい物語ではありますが、読みながら、涼しい秋風が横を心地よく吹き抜けていくような感覚に陥りました。本の中で起こっていることはこんなにも重いのに、なぜか読後感はすがすがしく、希望すら感じさせる。それがこの作品の魅力でしょうか。 人生は結局1日1日の積み重ねだから、目の前に転がっている日常を大切にしていこう。そう思いました。 | ||||
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国際的俳優といっても言い過ぎではない渡辺謙さんがこの本を読み、自らが著者とコンタクトをとり映画化するまでいれこんだということで、読んでみる気になった。 軽い物忘れというのは、40代50代の人に取っては日常茶飯事の事で、私自身も度々ある。その都度、「あ〜年だな〜」と笑い飛ばしていたのだが、この本を読んでいるうちに「笑っている場合じゃないかも・・」と恐怖した。それにしても、自分がアルツハイマー患者でもないのに、主人公の感じる緊迫感や、切なさ、だか、それだけではない安らぎなどを、読む側に訴えかけてくる著者の描写力には脱帽だ。 | ||||
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50代に入ったばかりのところで、若年性アルツハイマーにかかってしまった中堅広告代理店勤務の男性が主人公の話。 病気の発覚前から発覚後、病状が徐々に進行していき、ついにあのラストを迎えるまでの主人公の心情が、細かく繊細なエピソード共に巧みにつづられている。(主人公は記憶を失っていくので、主人公のメモ書きに平仮名が増えたり、誤字が出てきたりする) 主人公が会社を辞めざるを得なくなったときの無念さはいかばかりか。結婚を控えた娘のために、自分の病名を娘にひた隠し、どうか結婚式まで自分の記憶が持ってくれ!と心のうちで叫ぶ執念にも似た主人公の願い・・・。 主人公と一体化して読み進めていくうちに、「記憶を失うとは、こういうことなのか・・・」と思わされる。周りに愛する人たちがいればいるほど、記憶を失うということは激しい痛みを伴うものになっていくのだ。 ラストは悲しくも美しい情景だったが、その後の彼等の人生に思いをはせると、美しいだけでは終わらないと嘆息してしまった。 | ||||
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この世代の人は読んで怖くなると思う。 若い自分でも読んでて怖くなった。 ただ若すぎるからか感動はするけど現実的じゃぁない。 文章の読みやすさも手伝って気づいたらもう後半。 あららちょっと拍子抜けやな〜 と思ったら最後2P 涙で文章が読めない(';Å;`)ブワッ | ||||
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