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明日の記憶
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明日の記憶の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.55pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全175件 81~100 5/9ページ
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ずいぶん前に、映画?を見て、 うわぁっ、怖いと思ったのですが、 やはり、活字になるともっと怖い。 どんどんと記憶が失われていく様子が、 主人公の書く日記の様子(誤字とか、漢字がひらかなになったりとか)から伺え、 道がわからなくなったり、名前がでてこなくなったりと。 なんか、アルコールで日々脳みそが破壊されている私には思い当たることばかりで。 記憶を失うということは、自分を失うということなのだろうか・・・ ある程度、年老いてからならとにかく、 主人公のように若年性のアルツハイマーは、あまりに影響が大きいです。 発芽玄米・・・飲もうかしら(笑 | ||||
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先にDVDを見て感動し、その後に本書を読みました。感動するねぇ。泣いた泣いた! | ||||
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受賞→即映画化。悲劇。 自分にとっては鬼門の二つが重なってるので、羊を数える代わりにでもなればと思って買ったのですが、とんでもない。大当たりでした。 肩の力が良い意味で抜けた五十絡みの主人公は広告代理店の営業部長を肩書きにもつ、「周囲から慕われる」人格者。物語のテーマが重いわりに読後感が爽やかなのは、この主人公の性格に拠る所が大きいと思います。自分の悪い所は素直に認め、また病魔に囚われた自分を利用して利益を得ようとする輩にも、必要以上の抗議を行わない。 悪いのは自分か?Xか?病気か? ここでついついXを選択してしまい、例えば離婚や、家庭内暴力の道へ進む話なんて、現実世界に掃いて捨てるほどあります。 彼を心から愛し、献身的に「伴走」する妻の助力もありますが、主人公はしっかり「悪いのは病気」であると認識した上で、大切な記憶を守るため、また、プライドを守るため。そして、彼が人生の集大成であると自ら決めた「娘の結婚式」まで、自分らしい自分──スーツをカッチリと着て会社へと毎朝出掛ける父(夫)──を保とうと必死に頑張ります。 その頑張りは空転したり、時には逆回転していたりするのですが、見ているこっちが思わず涙してしまうほど一生懸命です。 そして感動のラスト。 若年性アルツハイマーという、夢も希望の無いはずの病気を主題に据えた作品である本作にとって、もっともあり得るラストなのですが、どこか爽やかで、ほんの一握りほどではありますが、明るい希望が感じられます。これからの彼を、過去の彼が得てきた様々なものが支えて行くのだろう、という未来を予感させ、あたたかな涙が流れてきます。 幸いにして周囲にアルツハイマーに罹った大切な人は居ませんが、もし今後そういう局面に立ったら、もう一度読んでみようと思った作品です。 自分が罹ったら、周りに勧めます。 文句なしの五つ星です。 未読の方はぜひ購入して読んでみてください。 | ||||
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50歳で若年アルツハイマー発症ですから、状況だけ言ったらとてつも無く悲惨な状況 なのですが、主人公の必死に生きていこうとする姿勢から、悲壮感と言うより、応援 したくなります。 個人的に、一番心に染みたのは、娘の結婚式が終わるまでは、現役でいたいと閑職に 飛ばされても職場にしがみつき、頑張り続けること。これは同じ親を持つものとして 非常に良くわかります。 妻と、お互いがこのような状況になったら、相手が自分の事を忘れてしまったら、 どうなってしまうか話をしました。家族の関係を見直す意味でも本当に良い話です。 | ||||
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若年性アルツハイマー病に冒された主人公が,奥さんと奮闘しながらも自らの「死」に向かっていく過程を描いた作品。ここで言う「死」とは,心臓死でも脳死でもない,精神の死。ぷつり,ぷつりと音を立てて記憶の糸が切られる過程が,主人公の文章や行動に現れます。 主人公が日記を書くという展開は「アルジャーノンに花束を」にも通じるんだけど,あれほど急速に知的レベルが上下する訳ではないだけに,かえって現実味が伝わってきます。そして「死」を迎えるラストシーンがもう,悲しい限り。 自我が崩壊していく夫(妻)を見て,妻(夫)はこのように寄り添えるのか。「健やかなる時も病めるときも・・・」とはこういう事も含むのかと思うと,その誓いの言葉の重さを感じずにはいられないのです。 | ||||
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「第2回本屋大賞」で302点を獲得して、大賞の『夜のピクニック』(374点)に次いで2位になった作品。 また「第18回山本周五郎賞」受賞作でもある。 「若年性アルツハイマー」がテーマの物語。 50歳の主人公佐伯の視点での一人称で語られ、本人の煩悶や、家族など周りの介護者の苦悩といった心理描写はあまり中心におかれず、本人の自覚が無いまま静かに淡々と、しかし着実に病気が進行してゆく様子が切々と綴られてゆく。 それが、かえってなんとも言えず切なくて、「自分の頭の中身をほじくり返すようにして書いた」という萩原浩の筆力に感動を覚える。 | ||||
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広告代理店の営業部長が50歳で若年性アルツハイマーに罹患するという話。だんだん記憶が抜け落ちていき,行き慣れた得意先の場所が分からず迷子になったりと,徐々にあり得ない間違いが増え,壊れていく。 アルツハイマーを扱う話は,介護者等周囲の者の視点で書かれるのが普通ではないかと思うが, この小説は,アルツハイマー患者本人の視点でつづられているのが特徴である。 読者は,主人公が病状の進行に恐怖するのを追体験し, 同時に,「アルジャーノンに花束を」のようにだんだんレベルが低下する主人公の日記や, 主人公が気づいていない病的な記憶の欠落を,第三者の視点からも眺めることになる。 中盤までは,どこまで落ちていくのか怖くて,着地点が見えるまで読むのをやめられない といった心境。 しかし,終盤の描き方,まとめ方は,なかなか美しい。 現実はこうはいかないだろうし,きれい過ぎる気もするが, アルツハイマー患者も,何も分からないわけではないし,感情をなくしたわけでもない, という視点の据え方は,患者とどう向き合うかとか,人間の尊厳とは何かといったことを 改めて考えさせられる。 | ||||
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アルツハイマーの病により、記憶を失っていく主人公。それはどんなに努力しても確実に彼の大切な記憶を奪っていく…。 この物語に、救いはあるのだろうか…。 私はアルツハイマーという病を全く知らなかったので、この病気は本当に恐ろしいものだと思いました。文章がずっと主人公の視点で進んでいくので彼の自分が奪われていく恐怖、悲しみが物凄く伝わってきます。 なんとか病を食い止めようと努力している姿に所々泣いてしまいました。それを支える妻の姿にも泣けます。 記憶を失うことは自分を失うこと。途中までこの物語に救いなんてないと思っていました。しかし、失った記憶の行く先や主人公の持つ強さを読者は知ることになります。 最後はもう涙で視界がぼやけていました。そして、この文庫の表紙が一体どの場面の風景なのかを知って、更に泣いてしまいました。決して明るい話ではありませんが、暗い話でもありません。むしろ人の持つ強さを思い知らされます。 色んな方に読んで欲しい作品だと思います。個人的にこの本を読むときは、自分の部屋で読むことをお勧めします。泣いてしまいますから。 | ||||
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内容についてある程度の予備知識はあったので読むのが怖かったのだが、 センセーショナルに恐怖を煽るような描き方ではなかったのでホッとした。 いや、むしろ老いよりも速やかに、淡々と日常に忍び寄ってくる怖さは上か。 いずれにしろ物忘れを意識する年齢になるとドキッとする箇所は多い。 しかし、終盤からラストにかけてはみごとだった。 ラストこそ本当の戦いへのスタートに過ぎないのだが、それでもしみじみと 温かいものが流れる。 記憶という、個人にとって最大にして唯一の人生の証を失くそうというとき、 それでもどうしても残したいものとは何だろう。 | ||||
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文庫化してたんで速攻買って、ほんと今更ですけど読みました。 「神様から一言」で萩原浩に触れた俺としては圧倒される思いです。 合わせて「メリーゴーランド」も買って読んだんですが、 軸がブレてない。そう思います。 正直まったく別次元の話なのに芯は同じというか… 主人公に力があります。 自分を哀れんだりした作品の書き方をしてない、 主人公が悲劇のヒーローを演じてない。 言い方が悪いかもしれませんが、 自分の体が腐って土に返っていくのを客観的に見つめた。 というような描き方、そこに事故憐憫はない。 そこがまたこの作品をすごいものにしてると思う。 読者を泣かせるためにあえて泣かせるような描き方をしてない そんな作品なのにもかかわらず、 電車ん中でラストまで読んだ俺は涙をこらえるの必死でした。 すごい | ||||
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認知症やらアルツハイマーは遠い世界の出来事だと思っていたが、この本を読むと若干危機感がわいてくる。 たぶん、認知症・アルツハイマーに対して必要なのは、周囲の理解だとか支えなのだろう。必要なことをきちんとやる枝美子さんは素敵なのだろう。 | ||||
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物語のラストシーンに特に心を打たれ、涙が溢れてしばらく止まらなかった。駅へと向かう奥多摩の山道の情景なのだが、『黄昏がこんなに美しいものだとは思わなかった。風に舞う山桜の花びらのひとつひとつまで黄金に変えていた。』という印象は、『夕日は刻々と色を変える。ついいましがたまでの黄金の光が茜色になり、あたりの風景は急速に色を失っていった。』と変化する。そして最後は、『太陽の最後の光が照らす道に、私と隣の女性、ふたつの影が寄り添って伸びていた。』で結ばれる。 荻原浩はただのユーモア作家ではないとは考えていたものの、こんなにも素晴らしい作品を手にして少し驚いている。ストーリーの潤滑油であった「笑い」の助けを借りずに、敢えて困難な心理描写のみで描ききった力量を評価したい。50歳を迎えたばかりの佐伯部長よりも年上の私にとって、この物語はある意味「スリラー」でさえあった。最近物忘れがひどくなってきているが、さほど大げさに考えることはなかった。いかに鈍い私でも今回ばかりは動揺してしまい、読み進むのが怖くなったことが幾度もあったほどだ。 レーガン夫人がアルツハイマー病で亡くなった夫の闘病の日々について、『長い長いお別れを言っているようでした。』と語ったそうだ。徐々に自分を失っていくことは本人にとって耐え難い恐怖であろうが、それを周りで眺め受け入れなくてはならない家族にとっても厳しい現実が待っている。佐伯部長が私にとってのアルジャーノンとならないことを、心から祈るばかりである。最後に、これからはもう少し家族に優しくしよう。 | ||||
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単行本が出て、映画化されてずっと気になっていたのですが ようやく文庫化されました。 あっという間に読み終えましたが、正直胸をかきむしりたくなる ような思いです。三浦 綾子さんの「塩狩峠」以来です。 ラストは、あまりにも悲しくあり、おだやかでもあり。 愛する人がアルツハイマーになってしまたという立場になるか 自分がそうなってしまったという立場になるかで思いは180度 変わるでしょう。 萩原浩さんがこの本で本当に伝えたいのは何かを、じっくりと 考えてみてはいかがでしょうか。 | ||||
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50歳を前にした働き盛りのサラリーマンに突如襲った若年性アルツハイマー病。平穏な日々から一点、心と身体がアンバランスになっていく中で病に立ち向い家族と共に奮闘していく感動作。 テーマは重いですが、家族愛や夫婦の絆の大切さも触れて説いているのだと思います。 | ||||
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2005年本屋大賞2位 知り合いに勧めたくなるような素晴らしい作品である。 若年性アルツハイマーにかかった主人公が徐々に記憶を失っていく様子を描いた作品。 作品は一人称と三人称をうまく書き分け、たとえば主人公がつける日記の感じを徐々に減らす、誤字を書くなど、記憶が失われていく「時間軸」をうまく表現している。日常の些細なことや仕事上のことなど、「記憶を失う恐怖」を実感することができた。 一方で、単なる病気の怖さを取り上げるだけではなく、本人を含め周囲の人間がとまどいながらも病気と向き合っていく姿が感動的であった。 特にラストシーンは、美しい情景が目の前に浮かぶようで、久しぶりに素晴らしい小説を読んだと実感することができた。 個人的には同年の本屋大賞1位の「夜のピクニック」より面白かった。 余談であるが、この作品を読んだ渡辺謙が感銘をうけ、みずから映画化の企画を映画会社に持ち込んだそうである。 | ||||
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記憶がなくなるってこういうことか と改めて恐ろしくなった。 私自信うつ病しながら仕事してたとき、 さっきやってたことが5分後にはなくなってた。 とにかく、やってることをめもってて、 ノートが1冊なくなった。 書いて、書いて、書いても、 仕事はすべてやりこなせなかった。 みなさんに迷惑かけた。なので、現在は休職中。 主人公は私のように、休んでも記憶はもどらない。 読んでいて、すごく切なくなった。 もし、夫がこんな状態になって、 主人公の妻のように、できるだろうか。 記憶ってとても大事。 今あるちっぽけなことも、すべて大事なもの。 そんな気持ちになった。 | ||||
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でも、少しずつ消えていく記憶を萩原浩さんは優しく書いているのだと思いました。そして、早くこの病気の原因と治療法が解明されれば、いいなと思いました。今まで現役で頑張っていた人が突然こんな形で解雇というのも悲しい。定年まで、たいした事はできなくても、元気で働きあげて、みんなに惜しまれながら退職して、老後は、大好きな人と少しずつ体力の衰えやしみやしわの数を数えながら、静かに生きられたら、それだけで幸せな人生なのだろうなとこの本を読んで少しだけ優しい人間になれる様な気がしました。 | ||||
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日常生活とはかけ離れていない舞台設定のなかで、若年性アルツハイマーという誰におきるか分からない不治の病に徐々に蝕まれていく主人公の恐怖と、会社内での冷遇、妻の気遣いがリンクして感情移入せざるを得ない筆力でせまってくる。 実際の病が、どの程度の日数と共に重くなるのか私は知らないが、読んでいて人の名前や地名、漢字、約束した事などを忘れていく主人公を、とても他人事とは思えなくなった。 途中クライアントの名前が思い出せない場面で、私も同様に前頁をめくらねばならなかったからだ。 介護で本当に大変な思いを本人も周囲もがする時からが、病の本番なのだが、小説としてはその手前で切った本書の書き方でよかったと思う。 | ||||
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若年性アルツハイマーを患い始めた主人公 佐伯の目を通して一人称で展開します。 普段の生活で、物忘れはよくあることで、それほど困った事にもならず、気にもしない。きっとそれは、自分にとって大事なことを忘れた訳ではないからで、主人公のように事の大小にかかわらず記憶が無くなっていってしまうという恐怖を感じていないからだと思います。 当たり前が、当たり前でなくなる恐怖、平凡な日常が、どれだけありがたく幸せなことかを実感せずにはいられません。 ポケットをメモでいっぱいにして、アルコールを断ち、食生活にも細心の注意を注ぎ、必死に病気の進行を止めようとする主人公の足掻きがあまりにも哀しい。 重苦しいテーマにも関わらず、ユーモアに時々救われるのはこの筆者の特徴かな。 | ||||
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働き盛りの40代後半の人間がアルツハイマーになってしまったら・・・。職場では、外出先では、家庭では、親戚とのつき合いでは・・・。 症状がどんどん進行する様子を、この作品はずっと「私は・・・。」と一人称で書かれている。記憶がなくなるので、必死でメモをする様子や、得意先の会社に向かう道に迷ってしまう場面など、読んでいて恐くなった。まるで、自分自身の中でアルツハイマーの症状が進行していくような錯覚に陥る。 一貫した妻の愛情が美しく切ない。 | ||||
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