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フォルトゥナの瞳
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フォルトゥナの瞳の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.31pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全186件 181~186 10/10ページ
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相変わらず百田さんの小説の終わり方はせつない…プリズムと同じパターンだ。わかっちゃいるけどやめられないのが百田尚樹さんの本だ。泣けるしせつなくなるし、惹きつけられる、一気に読破してしまいました。 | ||||
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百田さんの作品は、すべて読むほどよ大ファンです。それを、前提に結論は、今回はダメでした。相変わらずの読み安さと、次が気になる展開、素晴らしい。ですが、最後が頂けない。主人公が思い悩む純粋さが肝になるのですが、その悩みに共感ができないまま、読了する人は少なくないと思います。主人公には、幸せになって欲しかった…。百田さんの作品には自己犠牲の美学が多く物語られてますが、今回の犠牲の対象の構成に問題があるのだと思います。また、ヒロインが悪いやつだという印象がどうエピローグの種明かしで強くなります。なので、今までの百田作品と同じ読了後の余韻はありませんでした。 | ||||
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百田ファンですがいつもながらの安定感のある出来栄えでした。 文体、校正はほぼ完璧ですがストーリー性は及第点というところかな。 好き勝手に書ける側としては難しいテーマに挑戦したのは承知の上ですが、 もう少しだけ広げて前後2巻程度の物語だったらどうだろうかなんて考えちゃいました。 ある特殊な能力に気づいた主人公がその事で悩みながらも出会った彼女。 心情的には彼を応援する立場で読み終えました。 その彼女が・・・。 何となく結論は予測出来たのですが読後の余韻という部分が星一つ分だけ減らした理由です。 総合的には良い作品だと思います。 百田氏の作家としての能力は主人公以上の物を感じるのが正直なところです。 既に超一流の作家として押しも押されもしない円熟の境地に至った感のある彼の今後をさらに期待します。 | ||||
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「永遠のゼロ」「海賊とよばれた男」に続き、私にとっては三冊目の百田作品。 期待し過ぎたせいか、失望も大きかった。 ネタバレにご注意ください。 「他人の死の予兆」が見えてしまうという特殊能力を持つ主人公に違和感を覚え、なかなかページを捲る手も進まなかったが、物語の中盤、黒川の登場でようやくエンジンがかかり、葵との出会いで加速がつき、一気に読了。 人は、未来がわからないからこそ、生きていける。 今日が幸せでなくても、明日はわからない。だから、生きていけるんだなぁ……なんて、当たり前のことを考えた。 しかし、葵の考えって、どうなのっ?! 幸せな結末にしてほしかった。 | ||||
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百田さんの作品は、一行目から物語に入るスイッチが入ります。それが解っていたので、今回はゆっくり読める環境になるまで読まない!と決め、週末早速読み始め、ご飯も食べるのを忘れて一気に読了しました。 自分の天命を全うする主人公。 目の前にある自分の確かな幸せや未来より、自分の生命と引き換えに、多くの生命を救う道を選んだ主人公。 現代に生きる人々には欠ける、人間の美しさを感じました。 先日、『責任を感じることに、人間の素晴らしさがある。』と哲学を専攻する学生さんから教わったばかりという事もあり、自分の特殊能力を持つ者として天命を全うする姿がこの言葉と重なり、泣きました。逃げようと思えれば逃げれたはず、目を背けようと思ったら絶対に出来た。彼女も出来て仕事も絶好調!なのに、何故?今の私にもし同じ能力あったとしたら、特殊能力を持つ者の責任の取る形で生命を差し出せるだろうか。 『自分の人生や生命を、何処に使うのか。』 この部分は百田さんの作品全てに通じることではありますが、今回も強烈にその言葉が頭から離れなくなりました。 はぁ〜、良かった。 …さぁ、もう一回読み返そう。 | ||||
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人の「余命」が見える、不思議な能力を持った主人公の葛藤を描いた物語。 人の「余命」の「見え方」は、こうだ。 「余命」が短い人間を見ると、その人間が透き通って見える。 「余命」が短くなるに連れて、透明度が増し、「余命幾許もない」人間は、最早、その人間が身につけている衣服しか見えなくなる。 そして、その人間が絶命し、生命のない、亡骸になった時点で、亡骸が目視可能となる。 この能力には「発動条件」があり、写真や、鏡に映った人間の姿を見ても、能力が発動せず、「直」に見た場合にのみ、発動するのだ。 故に自分自身の「余命」は、見通すことができない。 では、透き通って見える人間の「運命」は、変えようのない出来事なのか? 本作品においては、主人公と、透き通って見える人間とが、 行動を共にすることによって、「運命」を改変でき、透き通って見えていた人間が、普通に見えるようになる。 しかし、人の身でありながら、他人の「運命」を改変した、その「代償」を、主人公が支払わなければならないのだ。 「代償」の具体的内容は、ここには書かないが、 なぜそれほどの「代償」を支払ってまで、他人の「運命」にわざわざ介入するのか、到底理解できない、と言いたくなるほどの内容なのだ。 本作品の主人公が、まだ幼い頃、両親と妹を火災で失っており、火災の直前に、幼い妹が透き通って見えていたのに、 結果として、「俺は妹を見殺しにした」という「炎の記憶」が、大切な人を失った喪失感が、主人公を突き動かしているのだ。 そして主人公に訪れる、「究極の選択」。 もうね、「頁をめくるのが怖い」なんて経験、スティーヴン・キングの「デッド・ゾーン」を読んで以来だよ。おっさん涙目だよ。 | ||||
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