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光圀伝
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光圀伝の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.29pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全55件 21~40 2/3ページ
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あらすじ 小説家・冲方丁による、水戸光圀の一代記。激流の中を確固たる決意と類まれなる行動力で突き抜けた、 徳川家随一の天才の生涯を渾身の筆致で描いた超大作。 この作品は光圀が、長年にわたって徳川家に仕えてきた重臣を自らの手で殺める場面から始まります。 肺に穴を開け血で満たし生命を絶つという手法は、若き日の光圀が、剣豪・宮本武蔵から伝授されたものでした。 宮本武蔵と光圀とが相対する場面は、今でも鮮烈かつ克明に記憶しています。 バガボンド愛読者の私は、思わず後ずさりしてしまいました。そして後ずさりした後、ゆっくりと元いた場所に戻りました。 あくまでも「ゆっくりと」です。 光圀の生命の始まりからその終結まで、一気に読了しました。この作品を読んだ日は平日で、 当時大学生であった私は履修している授業もあったのですが、そんなものはなんら問題ではありませんでした。 気が付いたら10時間以上が経過していて、その圧倒的かつ高度のエンタテインメント性を備えたこの作品に出合うことが出来た幸せを噛みしめていました。 そして、授業をなんら痛痒を感じずにエスケープ出来たことを、誇らしく思いました。 天地明察しかり光圀伝しかり、冲方丁さんの歴史小説は読み手に歓喜を与え、その作品世界に引き込む夥しい魅力を感じさせます。 | ||||
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700ページを超える大作。 因みに、私は「天地明察」は途中棄権をしました。 水戸光圀という、誰もが知っているけど、本当は知らない人物ということで、手に取りました。 乱世が終わり、平和が訪れ、人々がパラダイムシフトを迎えた時、水戸光圀の溢れる力量が行き場を探す。 本当に大切な人との別れを乗り越え。 儚さを噛みしめる物語。 | ||||
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いろんな意味で大変面白く感じました。光國が力み返ってお茶碗を握りつぶしたり, 読耕斎とやり合ったり。嘘のようなホントのような,妙な明るさとおかしみを感じました。 読み始めは,いきなり殺戮シーンだったり,人間の首を煮ちゃったりで,正直「この話, どうなっちゃうの?」でした。でもとにかく出てくる人が皆,くっきりとした輪郭を持った 魅力あふれる人間で,みんな面白い。 分厚い本で,大変かなあと思ったけど,最後は読み終わるのが惜しかった。光國の史書 編纂事業じゃないけど,人がちゃんと生きていて,ずっと繋がっていくんだって感じました。 もしも光國が生きていて,幕末の大政奉還を見たらなんと言ったでしょうね。 興味あります。 | ||||
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ご存じ、天下の副将軍「徳川光圀」の一代記。 水戸光圀が諸国を漫遊しなかったのは常識ですが ここまで博学で胆力も体力もある方だったとは! 以下、ネタバレあり。 巻頭、いきなり晩年の光圀が 家臣を殺害する場面から始まります。 その家臣は巻の途中に旗本の子どもとして登場します。 私が年のせいで、登場人物の名前をちゃんと覚えられないので 光圀がかわいがるこの子どもか巻頭で殺害される家老と 同一人物とは、しばらくわかりませんでした。 が、分厚いまま1冊の本なので え???と気が付いて巻頭のシーンを 読み返すことができました。 上下巻に判れてなくて本当に良かった。。。 三男にもかかわらず世子となったことに 疑義を抱きながら 「義」をつらぬくために、兄の子を世子とし 水戸藩を継がせる。。。 その「大義」がなったときには おもわず涙が出てきました。 そしてその兄は、光圀の侍女に生ませた男子を 世継ぎとする。。。 途中、「天地明察」の安井算哲も改暦のくだりで 登場するのも、冲方ファンとしては、とっても嬉しい! 黄門さまへのみかたが変わること間違いなしの1冊です。 | ||||
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紛れもない傑作だろう。 非常に静かな筆致の中からあふれ出る情熱と言うよりも情恨がにじみ出ている作品のようにも思える。 文に生きた人間の姿勢をそぎ落とすだけそぎ落として描いた世界は紛れもなく、戦いの日々だったのだろう。 そこには生きた人間と死んでからの人間の営みが鮮やかに描かれているのだ。 | ||||
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「天地明察」の渋川春海、「光圀伝」の徳川光圀。 かたやヒョロヒョロ、かたや暴れん坊とキャラは違えど、自らの出自に思い悩み、様々な出会いを通じ成長していくという点では共通しています。 華々しい成功の陰に様々な失敗、苦悩を繰り返す主人公の生き様を通じて、人としてどう生きるべきか、時に逆境にあってどうあるべきか、実にたくさんのことを読者に投げかけてくれる作品です。 著者からの、夢を持って生きる人全てに送る賛辞とも呼べる一冊だと思います。 「天地明察」で登場した魅力的な人物たちを随所に出してくれるのもうれしかったです♪ | ||||
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徳川御三家の二代目水戸光國(のちに光圀)の生涯を描いた作品である。 テレビドラマはさておいて、事跡として思い浮かぶのは、大日本史という歴史書の修史事業を開始したことではないだろうか。本作品では、武断政治から文治政治へのターニングポイントを歴史的背景として、光圀がどのように人間的な成長を遂げていったかに着目している。青春小説であり、成長小説でもあるのだが、儒教思想に触れることができる教養小説の側面もある。 物語は、光圀が、ある男を刺殺するシーンから始まる。このとき光圀齢67歳。冒頭から、”何故”という、謎が投げかけられるのだが、答えは物語の最後までわからない。そこから、7歳の光圀が生首を引きずって歩く、衝撃的なシーンに切り替わる。幼くして剛毅、苛烈な光圀の生涯の物語の幕開けだ。 幼少のころから光圀を抱いていたのは、父頼房、兄竹丸(後の頼重)への反骨精神である。兄を差し置いて、世子となった光圀は、父頼房から試させる日々を送る。「なんで、おれなんだ」と自問する光圀。兄への複雑な敵愾心に苛まれる。この、「なんで、おれなんだ」が本作品の通底音として流れており、光圀の儒教精神である大義をかたちづくっていくのだ。 粗暴な少年時代の光圀は、間違いを犯しては煩悶し、時には悔悟の念にかられる。その時々に、手を差し伸べてくれる人々のおかげで、光圀は人間としてのさらなる一歩を踏み出していくことになる。「がんばれ、子龍(光圀の幼名)」、「がんばれ、世子どの」。この励ましの言葉を目にするたびに、私は、胸を突かれてしまう。特に、兄頼重との心の触れ合いは、私にとっての泣き所をいたく刺激されてしまった。 青年光圀は、詩歌に目覚め、文事の世界で天下を取ろうと決意する。良き理解者である最愛の妻、頑固で偏屈な友、自分を導いてくれる師、不器用な愛情を注いてくれた父。様々な出会いと、突然の別れを通して、光圀はさらなる人間的な成長を遂げていく。歴史という変えられない事実を前にして、私は頁を繰る手を止めざるを得ない。魅力的な登場人物たちに、別れを告げることが辛くなってしまうのだ。 物語は、藩主となった光圀の事業、光圀の大義のあり方、そしてクライマックス 冒頭の謎へと進んでいく。 冲方丁さんのアツイ気持ちが伝わってくる本作品は、ボリュームがあっても決して飽きさせることがない。男として光圀の人生に羨望を感じる。折々に精読すると、自分を見つめ直すきっかけがつかめるのではないだろうか。 | ||||
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光圀伝 冲方 丁 (角川書店) オススメ度:★★★★★(5) 「天守閣が燃えている!」江戸城が炎に包まれる場面、江戸の町並みが赤く染まり、人々がうろたえさまよう場面でそれまで読み進めることで揺さぶられつづけた感情の高ぶり、グッと胸に迫るものが一点に集約され最高潮に。明暦の大火。教科書で文字だけ追いかけていた事柄が熱く胸に迫ってくる圧倒的なパワー。そんな江戸時代の臨場感とそこに生きる人々の熱い思いを常に感じながら読むことができる強烈な一 冊。同時に大火事以上に熱いのが光圀の生き方そのも のであることも揺るがしがたい事実。「義」に生きると同時に「愛」にも生きる。その葛藤が時として辛く苦しい人生の茨の道を連想させる。しかし光圀は圧倒的な底力で次々とそれらを乗り越え乗り越え成長を重ねていく。その生き様に現代を生きる上での示唆を見出すことも、勇気をもらうこともできる、そして背中を押してもらうこともできる。人生を強く生き抜くために、必ず読んでおいたほうがいいと思われ る一冊。間違いない。 | ||||
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処女作を読んだのが小学生の時でした。それからずっとこの作者の作品を読み続けて来ましたが、文句無しの一番素晴らしい作品です。 資料の読み込み、文章の緻密さは圧巻です。レビューをお書きの方の中には「如何に史実に正確か」で評価をしておられる方も居ますが、作者がここまで練り上げて光國という人物を表現したのだと感じたときには思わず鳥肌がたつような感動を覚えました。単なる人物伝としてでなく、多くの人に楽しんで頂きたいです。 | ||||
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一気に読み終えました。天地明察に続き、素晴らしい内容でした。 まだお若いご著者ですが、徹底したご研究あってのものと感銘を受けております。 今後もまた楽しみにしております。 | ||||
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755ページを一気に読ませてしまう作者の筆力のすごさ。昨年読んだ本のベストワンです。 | ||||
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光圀とはこんな人だったのか? そういうことが幼少時から、考えさせられる物語でした。 前作とはまた違った切り口。 今後も沖方の作品に期待します。 | ||||
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これは伝記であるよりも教育書である。優れた指導者を育成するにはどのようにしたら良いかを記した指南書である。もとより光圀は偉人ではない。大火による災害への対処・復興を成し遂げ、近親者の弔いを果たし、文事を発展させ、家名を盤石とした優れた指導者である。そのような指導者をいかに育てるかは現代において最も望まれるものであり、それが伝記の形で記載されている。 現代は道徳教育は役に立たない教科としてないがしろにされているが、江戸時代においては道徳教育こそが教育の中心であった。そして歴史学は道徳を実例として理解するための学問であった。そのような時代において、青年達は必死で道徳を修養し、自らの精神的な基盤として培っていた。そして命がけで義を、徳を、仁を、実践しようとしていた。それが優れた指導者になるための基礎となったである。 光圀伝は、そのような江戸時代の厳しい教育現場を克明に描写したものであり、指導者とはいかにあるべきかを記したものである。現代教育の欠落したもの、現代の指導者に不足しているものが何であるかを痛切に批判している書と考えて良いだろう。 光圀の時代には戦国の世が終わり太平の時代が到来した。これは現代にも通じる。しかし民主主義の現代では政治家が幼少の頃から指導者としての十分な教育を受けることは期待できない。たいした素質も教育も受けていないものが指導者になっているから政治が荒むのだ。であるとすれば現代においてこそ道徳教育をいっそう充実させて、人民の精神性を高めることが教育の要となるだろう。その中で選ばれた逸材が指導者となれば良い。 「天地の狭間にあるもの、悉くが師だ」、「史書は命の記述であり、決して死者の名簿ではない」、「大義とは人の苦しみを知り、喜びを見いだすことである」など、多くの言葉が心に残った名著である。 | ||||
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緻密な時代背景の分析と、その時代の社会情勢をくまなく調べた上で、生き生きとした人物像が描き上げられている。 | ||||
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感動した。 最後は泣いた。 遠い昔に大義に生きた人生を見た。 みなさんも読んでみてください。 | ||||
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びっくりしました。「天地明察」も良かったが、この「光圀伝」もすごい。 私自身が水戸近辺で生まれ育ち、黄門様の隠居所と、瑞龍山の墓地は、幼い頃の風景の記憶にあるため、何やら、自分のご先祖様の伝記を読む気分も味わいました。 (子ども心に「変な形のお墓であるな」と感じていたことが「儒式の墓地」という文章により、約何十年を経て納得) これだけ分厚く難しい漢字の多い本ですが、手に汗を握り、その汗の乾く間もなく、一気に完読しました。 後日、上記の故郷に暮らす95歳の我が母親にこの本を紹介したところ、半月ほどで完読とのこと。面白かった、と絶賛しつつ、思い出話に花が咲きました。年齢を考えれば、「一気読み」の気分であったようです。 物語世界の時間と空間の広がりは見事なものです。江戸時代から現在まで、同じ時間が途切れずに続いている気分にもなりました。こういう歴史の続きの中に黄門様の隠居所があり、我が幼少時代はその近辺で遊んでいたのか、と、何となくしんみりした気分にも。 物語も終わりに近づいてきた頃、何故か司馬遼太郎さんの著作と比べている自分がおりました。そして、この物語一冊の「現実感の質量」は、司馬遼太郎さんの著作の一冊の「現実感の質量」と比較しても、遜色がない、という印象で読了。(もちろん質感は異なりますが) 今後、冲方さんの描く歴史上の人物が10名を超える頃には、独自の「冲方史観」が、と期待大です。 そして、冲方さんには、何年か前に亡くなられた漢字学者「白川静伝」を期待します。この天才学者の伝記を書くことのできる才能を感じます。 「白川静伝」もかなりの厚さになるでしょうから、私自身の視力と体力で読書可能であるうちに読みたい。そのために早く取材を始めていただかなければ、という思いがあっての提案です。特に、台湾の学者先生方が白川学説を受け入れていった経緯を、と切に願います。 光圀伝を出版された角川書店の方々、或いは、辞書を出版された平凡社の方々、よろしくご支援願います。 | ||||
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徳川幕府の御三家といわれる水戸藩。この水戸藩は江戸に近いということもあり、御三家の中で唯一、江戸常勤を定められた藩であり、万が一の変事に備えて将軍の代役として働くことを宿命づけられていたといわれています。初代徳川頼房、二代目光圀により藩風が形づけられた。その二代目の光圀は学問に秀で、また大日本史の編纂という藩の財政が傾くほどの大事業を推進した。このことは後に幕末の尊王攘夷運動に強い影響を与えるまでになった水戸学として水戸藩に尊王の気風をあたえることになった。その光圀の一生を描いた作品。冲方丁はこの時代(江戸時代初期)が結構好きで得意としている。 水戸藩のこの様な特殊性は、この光圀が運命づけたものであり、なぜ、尊王を旨とする大日本史の編纂事業にとりかかったのか?水戸黄門伝説(テレビの水戸黄門ではない)につながる逸話。なぜ庶民の間で人気が高かったのか?光圀の人生を通じて描いた新解釈満載の歴史小説です。徳川最後の将軍が、水戸家から出て大政奉還を成し遂げたことは偶然ではないことがよく分かります。光圀から息づく藩の運命。歴史に刻まれた意思であろうと思います。非常に読みごたえのある力作の800ページ。前作の天地明察よりも格段に面白い!と思いました。 | ||||
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「日本有数の誰でも名前は知っているのに、その人生は殆ど知られていない人」といった光圀評を著者がしていたのが、面白くて、遅まきながら読んでみた。 700頁超を1冊におさめた重量感も気にならずに、時間があれば、手が伸びて、頁をめくっていた。一気に読ませる力のある本だ。 そして、その内容は、実に正統なビルドゥングスロマンにして貴種流離譚のテイストもある。一方で、歴史エンタテイメントの要素もあって、実は歴史小説の舞台となることが少ない、家光〜家綱時代のイベントや有名人を巧みに織り込んでいる。 徳川家康の孫となる水戸徳川の世子という優越的な地位にして文武両道のみならず容姿端麗という、これ以上は望みようもない生まれにある光圀を主役にしながら、ビルドゥングスロマンとして成り立つのは、長男をさしおいて世子となったという出生の秘密からヤンチャし放題の青春の日々という貴種流離譚のテイストに仕立てているところが大きいと思う。 生まれついての恵まれた境遇というのは、現代を生きる日本人には羨ましいところだが、そうではなく高みに生まれたからこそ、更なる頂まで登らなくてはならないノブレス・オブリージュを背負っているのであり、そこを理解することで、この作品が単なる歴史小説ではなく、現代を生きる者への問いかけに気付くだろう。 わかりやすいヒントもあって、これは雑誌連載中に起きた3.11を踏まえる形での明暦の大火のくだりは、ストレートに生き方が問われるところだ。 また、ガキっぽいと見る向きもあろうが、「ありがとう」「ごめんなさい」「頑張れ」という言葉が繰り返し用いられている。陳腐に過ぎる言葉が、全くそう感じずに、心に響いてくる。それこそが、著者が描き上げた徳川光圀という若者の魅力なのだろう。 そして、本書では、「死」が実に無造作に読者に突きつけられる。天災を前に積み上げられる群集の死体の山、故も咎もなく切り捨てられる無辜の民、その逆に富貴を極めし者にも現代から見れば正に為す術もなく死を待つしかない。そうした、多くの死に直面することで、頂に立つ者として深い意味での「生」を考え続ける光圀もまた、自ら「死」と向き合う。「生」と「死」、このビルドゥングスロマンが長くテーマとしてきたことを現代に投げ掛けることは、ともすればリアリティの乏しさから読者に伝わり辛い内容であるが、本書は、その大部の多くをここに割くことにより、読者の多くの心に伝わるものと思う。スタイルとしてのみならず、その内容も実に正統なビルドゥングスロマンと評する由縁である。 そうした積み重ねを通じ成長した光圀を描いた地の章以降、内容は様変わりしていき、気付けば、沖方風の解釈で「水戸黄門」になっていく。定番の助さん・格さんだけでなく、「うっかり」忘れることなく あの人も、さらには、今映像化された彼も登場する 広いファンサービスもある。そして、テレビドラマ「水戸黄門」好きなら、定番のエピソードの数々の盛り込みにも感謝感謝。ちなみに、紋太夫は、ドラマでは3回登場していて、面白いことに、最終の第43部に登場したときは、刺殺されないのです。第1部での扱いを知る者には、時代は変わったと思ったものでした。 | ||||
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水戸光圀とはいったいどんな人だったのか。 幼い頃から何気なく見ていた「水戸黄門」は、大人になってから本当の光圀とはかけ離れたイメージだと知り、「ああ、あの印籠を出して悪人を成敗なんてしてなかったんだ」と少なからず寂しい思いをしていました。 しかし、この本の光圀はドラマの光圀よりも一際輝いていました。 長子ではないにもかかわらず、家を継ぐことになったことへの葛藤、愛妻との別れ、人生を賭けた事業への熱意……。 要所要所で心を揺さぶられ、そして終盤にはもう光圀にのめりこみ共感し、ともに人生を歩んできたかのような不思議な感覚にとらわれます。私自身、読み終えた後多くのポジティブな感情が溢れ出しさわやかな涙が流れました。 本はびっくりするくらい分厚いです。しかし、この非常に濃い人生を表現するには必要不可欠な量だと読み終えて気付きます。文体も時代小説に普段親しんでなくてもまったく問題はない読みやすいもので、リズミカルに読み進められます。 どなたにもオススメできる傑作だと思います。 | ||||
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冲方先生の挑む歴史小説第2弾 以前から挑戦したいと仰っていた徳川光圀の物語です。 暦の改革という、ある種マイナーなジャンルだった前作「天地明察」から、俗に言う水戸黄門の生涯記という有名な人物を使った小説ですが、前作に負けず劣らず挑戦的な出来。 TVドラマの水戸黄門は「助さん格さん、やっておしまいなさい」な人ですがこの本の光國は「どけ!俺がやる!」とでも言いだしそうなほどパワフル。いや、助さんも格さんも出てきませんがね。 兄を差し置いて世子となったことに苦悩する少年時代、師や好敵手と出会い成長していく青年時代を経て表紙の虎のように力強い人物に成長していく光圀がどう生き何を成し遂げるか。それを見届ける物語になっています。 物語の中で何度も人が生まれ、生き、そして死ぬ。出会いと別れの繰り返しは、しかし未来への希望すら感じさせる。そうして世界はどこまでも続いていくのです。 750ページ余りの物語も終わってしまえばあっという間。 今後もこの作者に付いていきたいと感じさせる作品でした。 これで仕事を受けすぎる癖さえ無くなってくれれば…… シュピーゲルとマルドゥックの新作、待ってます。ずっと待ってます。 | ||||
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