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新リア王
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新リア王の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.08pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全24件 21~24 2/2ページ
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青森県政と地元で磐石の基盤を誇る政治家一家福沢家の政治家を描いた作品であり 政治や政治家というものを主題にすえた作品である。 物語は青森という田舎から出て来た政、務しか出来ない政治家福沢栄と、妾の息子として 陰湿な取り扱いを受け、仏の道に進んだ福沢庄野が久しぶりに邂逅し交互にお互いの体験を語ることで展開される。 作品は、政治家の仕事というものが福沢栄の語りという形を借りて詳細に叙述される。 その仕事とはどんなものか。 国会の開催日に政治家が何をするのか、地方の政治家にとって霞ヶ関めぐりというのが どういうものなのか、同じ議員でも内部の派閥や階級があり、大きな違いがあることなどが語られる。 地方におけるライバルとの鞘当や、どぶ板選挙の詳細などは読んでいて中々楽しい。 ライバルといえども構成員はお互い流動的な部分があり、一枚岩でない人間関係、組織関係が描かれていて中々に面白い。 また地方が時代の流れにあわせて大型プロジェクトを誘致しては時間がかかりすぎたり政治の都合で時代の流れに取り残されていく様が描かれ、そんなふうに 取り残されても仕事や金さえ手に入ればいいという地方の即物振りが鮮やかに叙述されていく。 そういった開発頼みに、実務的に開発を誘致しながらも、内心憤るしかしらない栄自身の内情の露土は読んでいて考えるものがある。 栄が苦労して2世議員として育てた息子も、栄の開発頼みへの憤りを理解せず、ポリシーを持たず即物的な結果さえ手に入ればいいんだという政治理念をもってしまったことへの失望などは親の悲哀であろうか、時代の流れだろうか。 作中、青森の陸奥小笠原開発という核関連事業に関わる話も取り上げられる、核廃棄物処理という長期の問題を考えず、即物的に原発誘致を行う地方への批判が展開されるが、これは作者自身の主張とも思われる。 作者は青森における貧乏と、それを解決するための開発優先主義の時代の功罪を見事に描き出している。 開発か未来への責任か、読者自身にも一考を迫る話である。 小説は小説に過ぎないので現実よりもはるかに単純化されているのだろうが それでもなお政治を主役にすえたという点は特筆に価する。 またもう一人の語り手である福沢庄野の坊さんの生活というものが、非常にわかりやすく丁寧に記述されており、それだけで他に例を見ず一読に値する。 | ||||
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「晴子情話」・「新リア王」は続編で合田刑事が出るということで入手したが、その評判からなかなか頁を開く勇気がありませんでした。新潮で連載の始まった続編「太陽を曳く馬」で実際に合田刑事が「新リア王」での福澤彰之との関わりを回想するのを読んで、やはり必読テキストと思い頁を開き、あとは一気に読了しました。「新リア王・上」は本山での岡野玲子の「ファンシィ・ダンス」の法戦式を彷彿とさせる場面で楽しめました。そして「下」に入ると、だんだん登場人物達がシェイクスピア劇のように俳優が舞台で喋っているような錯覚に陥って、榮がかわいい爺さんに思えて、わくわくしながら読んでしまいました。 ただ、「晴子情話」は「太陽を曳く馬」の第一話を読んで合田シリーズのサイドストーリーとしての意味合いを持たせてから読まないと続かなかったと思いますし、「新・リア上」も「ファンシィ・ダンス」を読んでいたから視覚的イメージが浮かんで楽しめたと思います。 | ||||
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政治家の父・榮と、宗教家の息子・彰之。シェークスピアはもとよりギリシャ悲劇の登場人物にも比肩しうる苛烈で美しく惨憺たる運命の下で、恐るべき人生を刻み続けていく福澤一族の父子。彼らの物語が鮮烈な言葉と迸るような文体によって叩きつけられ、読者はほとんど暴力的な引力で青森の茫々たる昏い雪の世界に放り込まれる。 榮と彰之の息苦しいほどに張りつめた精神、あまりにも強靭すぎる自我、執拗に粘りつくような情念の、圧倒的な重量とその密度には絶句するより他はあるまい。人間的であるということは知的であるということであった時代の思考様式には驚愕させられる。これが近代というものかと。 榮と彰之の敵は、迫り来る現代という時代であるとも読み取れる。彼らはこの得体の知れない敵に対して、近代の所産である“言葉”を武器として必死の抵抗を試みる。しかし彼らがどれほど言葉をつくして語り明かしても、彰之の息子・秋道に、それを聞くべき耳は無い。かくして父子の“言葉”は、白く虚無的な闇の中で無残にも暴力的に断ち切られる。そして、絶望の慟哭が響く。 これは近代という“言葉”の時代の終焉を物語る悲劇である。また、従来の高村作品らしさも色濃い(美貌の主人公・彰之の禁欲的で粘着質で、ある意味ヘタレな性格と行動、その代表格である合田刑事の登場、圧巻としか言い様のない緻密な状況描写)。あらゆる角度から多様な楽しみ方が可能。次回作では舞台はいよいよ現代に移る。現代を生きる現代人として心より楽しみ。 | ||||
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「晴子情歌」から続く福澤家サーガ・・・ まぁ、作家には自分の好きなものを書く権利があるわけで。 新しい読者層を開拓してください。 私としては今後主人公・彰之が息子に殺されようが息子を殺そうが、 仏家の道を究めようがイスラム教に改宗しようが、もうどうでも いいです・・・ 合田雄一郎、電話でひと言出演場面あり。ほんとにひと言ですから。 電話で「合田といいます」って言うだけですから。もしかしたら 同姓の他人かもしれないですから。 かつての著者インタビューでの「次は合田が出ます」発言で期待 なさってた方、要注意!! | ||||
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