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密やかな結晶
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密やかな結晶の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.92pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全52件 21~40 2/3ページ
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これまで私が読んだ小川洋子さんの作品とはまるで異なる、衝撃的な読み物でした。 なにかと話題の本なので読んでみましたが、読後感がとても複雑です。 心地よさはありません。 爽快感もありません。 ただ、静かに「今いる世界を、手足を動かして歩き周り、文字を書き、声をだせる生活を大切にしよう」と改めて思いました。 主人公「わたし」が小説家で、その小説家が書いた物語もまたリアルで強烈です。 その物語では、ある女性が恋人によって時計塔に閉じ込められ、次第に身体の機能が低下していき、まるで人形のように恋人に扱われます。 その物語を書く主人公自身は、仕事上の知り合いだった男性を自宅内の「隠れ部屋」にかくまい、やがて二人はベッドで抱き合い慰め合う関係になっていきます。(その描写に、いやらしさは全くありません) つまり、立場は逆でも、両方とも「監禁」に陶酔しているのです。 それがときに官能的に、甘美に描かれています。 だからこそ、読んでいて恐怖が募りました。 でも、登場人物のひとり「おじいさん」には、癒やされます。 人への愛情とは、こういうことをいうのだとしみじみ思いました。 主人公「わたし」から、おじいさんへ向ける愛情もまた純粋で深く、心打たれます。 特に、終盤のこのあたりに感動して、涙が込み上げてきました。 ・・・引用はじめ・・・ 子供の頃から、わたしはおじいさんの手が大好きだった。みんなで一緒に出掛ける時は、いつでもおじいさんと手をつないだ。それはおもちゃ箱や、自動車のプラモデルや、カブト虫の飼育箱や、お手玉や、電気スタンドや、自転車のサドルカバーや、魚の燻製や、リンゴケーキや、とにかく何でも作り出すことができる。関節は強固なのに、掌は柔らかくて気持がいい。その手に触れてさえいれば、絶対にわたしは一人ぼっちになったり、邪魔にされたり、見捨てられたりはしないという安心感があった。 ・・・引用おわり・・・ 最初から設定が日常からかけ離れていて、どこか距離を保ちながら読んでいましたが、ここだけは身につまされて涙が止まらなくなりました。ここ以外は、感情移入するのが難しかったです。小川洋子さんの頭の中は一体どうなっているのだろう?と驚嘆しながら読むばかりでした。 星4つにしたのは、「小説」が島から消失したときに、図書館がまるごと燃やされたところに納得がいかなかったからです。小説は小説であって、本すべてではないはず。詩集や画集や写真集や図鑑や辞書や事典や学術書や歴史書など、すべて「小説」の消失にともなって燃やしてしまうのは変だと思いました。いっそ「本」の消失だったら、図書館そのものを燃やす展開にも納得したのですけど。 | ||||
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日本で1990年代に書かれてから四半世紀を経て登場した小川洋子の「密やかな結晶」の英訳本。 ノーベル文学賞への登竜門という噂のあるマン・ブッカー賞の最終候補に残ったという作品です。 英訳の題名は「The Memory Police」 たしかに、物語は秘密警察が島で人々の記憶の消滅に関わっているのですがあまりにも捻りがない。 「密やかな結晶」の方が、何か深遠な意味が置かれているようで素敵に感じるのですが。。 物語は、空想的な島で社会の集団的認識が概念ごと一つ一つ消滅していき、それに伴い不随している記憶も同時に消滅するということがおきていきます。 登場人物には名前が記されていません。作家である主人公「わたし」と編集者「R氏」と「おじいさん」の三人で物語は回っています。 記憶警察から逃れるための狭い秘密の部屋での出来事が、物語の重要な意味を抱え込んでいるのです。 (これは小川洋子の作家になることになった原点が「アンネの日記」にあるという事と関連しているそうです) 個人的なインスピレーションではありますが、「結晶」というのは大事な記憶が昇華した標本のようなものではないかと考えました。 簡単には消失させたくない、密やかに大事にとり置かれた純粋な結晶という意味です。 この物語の中の概念の消失というのは、いろいろな比喩に置き換えることが可能です。 この物語から読み取るべきアレゴリーは、現代の社会兆候からの視点で考えると、情報操作による歪んだ世界の俯瞰的な眺めではなく、そのもっと先にある概念自体が忘れ去られていく世界の物語かも知れないということ。(恐ろしい未来ですが) 実際的な話に戻すと、人はすでに失ったものには、案外気づいていないのではないかと。 生きている時は人の感情は定まったものではなく、生きていく中で様々に変化したりしていくものですが、その人が閉じてしまうとそれは定まった(確定した)概念として記憶されています。 ただこの物語の島の人々は記憶自体が消されてしまうので、喪失した後の日常を、肯定はしないまでもそのまま受け止めて生活をしています。 ある意味これは非常に恐ろしいことではあります。 昨今のフェイクニュースに始まる個人の価値観のすり替えが、疑似認知への巧みな操作によって容易にすり替えることが可能になりつつある時代に、英語圏の批評家達にはたまらなく魅力的に映ったのではないかと考えました。 カテゴリ化すれば村上春樹の、比喩に中に展開する物語と同じ感触。 読み手の中に物語の膨らみを与えるという手法でも。 その物語の中に読者を引きずり込む文章の力量はさすがです。 ただ、村上春樹の作品と一つ違うところは、あまりにも静かに丁寧に物語が描かれていて、料理の中の香辛料にあたるちょっとした微妙な違和感がないと言う事です。 喉の中を通り過ぎる時のゴツゴツ感というか。 しかし、小川洋子のファンにとっては逆に、そういう部分が大切な魅力となっているのでしょうが。 追加。 主人公の書いていた小説の中で登場する失語症の「わたし」は、物語とパラレルに動いていきますが、その自由を奪われた「わたし」と主人公である消滅していく「わたし」は最後に見事なまでに同質化して物語に深みを与えています。 不思議な余韻が深く持続していく小説。 「博士の愛した数式」と同じ「記憶」に関連しているようですが、こちらの物語の方は普遍的で大きなテーマを示しています。 | ||||
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ブッカー国際賞報道で作品自体を初めて知りました。ずいぶん以前のものですね。小川さんの作品らしく、大きな虚構を緻密なディテールでうめて、説得力のある物語に仕上げています。主題は言葉と記憶の喪失です。 数ある小川さんの本の中で、この作品がブッカー賞の最終候補になったのは、排外的な主張が世界中で台頭している今、作品の舞台となっている島の出来事が我々の世界の行方を暗示していると評価されたのかなと勝手に想像しています。 ブッカー国際賞は著者とともに翻訳者も受賞します。 この作品も、優れた英訳を得たんでしょうね。 だいたい小川さんの小説の舞台や道具立てはそのままヨーロッパに持って行っても通用しそうです。 論理的な文体と併せて英語圏の翻訳者に優しい日本の小説ではあるのかもしれません。 考えさせられますが、おすすめです。 | ||||
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ブッカー国際賞のショートリストに上がっていたので、読みたいと思い、紙媒体が数日かかるていうことで電子ブックにしました。すぐ読みたくて、安価な文庫のときは電子ブックもいいなと思いました。本の内容はディストピア小説なんだけれど、美しい文章で静かに語られていて、無力感が際立つ。主人公たちの静かな抵抗に美しさを感じる。消滅に向かって静かに時が流れて、その一瞬一瞬を愛おしんでいる姿に打たれます。著者はこの小説をアンネ・フランクの日記のオマージュというようなことをかつて語っていた記憶が。 | ||||
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今ここでは、スーパーへの買い物と町内の散歩しか許されていません。親が死にそうだとしても会えません。 そんな時にこの本を読みました。ブッカー賞の候補に挙がっていたのがきっかけでしたが、なんともタイムリーな物を読んだ感があふれました。 消失の流れに逆らえず、秘密警察に怯える私たちの、あきらめとも言える静かな静かなため息が | ||||
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英国ブッカー国際賞候補の6作品に選ばれた、ということで読んだのですが、失っていく感覚とサイコパス(psychopath)的要素が入り混じった不思議な内容で、2016年の映画「クリピー偽りの隣人」主演香川照之を思い出しました。 | ||||
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「石原さとみ」さん主演での同じタイトルの舞台が大変良かったです。 | ||||
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これはものすごく面白かった。 勝手な感想だけど、 「あった物が無くなっていく、消えていく、忘れられていく寂しさ」 を、本当に上手に描写していると思う。 圧倒的暴力と、そこから身を守る術の描写の仕方は、アンネの日記をモチーフとしているだろうということは容易に想像がつくけれど、その設定の活かし方がものすごく好きだ。 つまり、ここで暴力の対象とされるものは、思い出や記憶なのだ。 奪い去られてしまうことに比べたら、「悲しみ」でさえ、それを無くしてしまいたくない、「悲しみ」にもアイデンティティはある…そんな気がしてくる。 ファンタジックな世界観を持ちながら、非常に普遍的なものが感じられる。 全く中だるみすることなく、最後まで読みきることができた。 結末がどうしても知りたくなる小説だった。 私は、「小川洋子の作品で何がオススメか」と聞かれたら、間違いなく本書を推す。 | ||||
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消滅が進む事に、心の空洞が増える。 消滅してゆく島で、わたしは事態を受け入れながらも、常に哀しみに支配されている。 発狂する寸前の心みたいな緊迫感が作品から伝わり、意識を逸らす事が出来ない。 世の中に溢れる無駄は、心を豊かにしているのかもしれない。 が、消滅してゆく世界でわたしが日常生活をおざなりにせず生きる姿は、凛として美しく映る。 | ||||
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小川洋子ならではの透明感のある文体と、衝撃的なストーリーの組み合わせ。 どうなっていくのか、どきどきしながら読みました。 「アンネの日記」を思い出したり、カフカの「変身」を思い出したり。 「今の私の生活だって、戦争や災害や事故などで急に無くなることもある」と考えたりしました。 美しい心の優しさが伝わるような文体で、不条理について考えさせる小説でした。 | ||||
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久しぶりの小川さんです 船、香水、ハーモニカ、バラ、カレンダー、小説、左足 ある朝、目覚めると何かが消滅していることを感じる島民たち 彼らは消滅した物を燃やすか流すか、何かしらの方法で処分しなければなりません 「わたし」が小説の消滅で本を燃やすのですが、その物の記憶すら徐々に消えていくので処分に対する抵抗はほとんどありません 図書館が火に包まれるのを見ても大きく嘆くわけでもありません 小説家にとって小説が消える以上の哀しさはないと思うのですが何事もなく受け入れるのです そのような不幸があっていいものでしょうか 私は「わたし」の消滅より、小説の消滅とそれを受容れる「わたし」の様子が一番悲しかったです ところで、島には記憶を失くさない人々もいるのです 秘密警察は、記憶を保ち続けていると思われる人々の家に踏み込んだうえ強制連行します ナチスのユダヤ狩りを連想させますね 「わたし」の母親も、小説を持ちこむ会社の編集者も記憶が消えない人間でした 母親は数年前秘密警察に連行され遺体となって戻ってきました その後、父親も亡くなりひとり暮らしだった「わたし」は編集者を家の地下室に匿います やがてすべてが消えていくしかない物語のなか 唯一の救いは 長い期間潜伏生活を送り、全てが消滅した後、たったひとりで光り輝く外の世界へ出て行く編集者の姿でした 作中作 「わたし」の綴る倒錯のにおいのする官能的な状態を描いた小説も良かったです 1編の長編と1編の短編を読んだようです | ||||
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小川洋子の大ファンです。この本は買いそびれていたので、今回購入できてとても満足しています。 | ||||
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ひさびさに、小説を読んで、その楽しさに耽溺しました。 小川洋子は、同世代の作家だし、2004年本屋大賞の『博士の愛した数式』 は当時高校生だった娘といいよねぇ、盛り上がった作品でした。 寺尾聰と浅岡ルリ子が出ている映画も見に行って。 この『密やかな結晶』はかなり前に買って読めないでいました。 世界からいろいろなものが消滅していく物語に心がひるんでしまって。 でも、400pの小説を読み終わって、これは 世界に誇れる日本文学の傑作ではないだろうか、、、 と思います。 暴力シーンも、戦闘シーンもなく、圧倒的暴力とその暴力への 抵抗を描いていることが奇跡のように思えます。 小説家である20代と思われる女性が主人公、この”わたし”が 生きている世界では、少しずつ、ものが消滅していきます。 リボン、香水、鈴、オルゴール、エメラルド、ハーモニカ、鳥、、、、 物体としてのものがなくなるだけでなく、それらのものがあったという 記憶そのものが抹殺されていく世界です。 確かに、これらのものが無くても、人は、生きていける。けれど、 私達が生きる世界がいかに、これらの些細なものの甘美な記憶と 体験で生きているか、ということが痛いようにわかります。 些細なものの消滅の次には、地図、カレンダー、写真、小説、、、、と 消滅は続きます。 そんな世界に、消滅したものを記憶している一部の人がいます。 そういう人たちは、記憶狩りといって、秘密警察に連行され、消えていく。 主人公の私は、記憶を保持したままの自分の編集者を自分の 家の隠し部屋にかくまいます。 まるで、ナチスの時代のアンネ・フランクのように。 そう、この小説自体が、ナチスの、またスターリンの粛正時代、中国の 文革、いやいや、日本の治安維持法、そして、今年の原発事故までも 暗喩しているようです。 思想が目に見えないように、記憶というものも目に見えません。 記憶が消されるという人間そのものに対しての圧倒的暴力。 消滅は、ついに、人の体の部分にまで及んでいくのです。 左足、、、右腕、、まるでSFのような話の展開になっていきます。 主人公がかくまった”すべての記憶を保持している編集者”は 隠し部屋で生き抜きます。 この世界では、記憶を持ち続けることが”抵抗”であり、”生きる”ことなのです。 そして、この小説のなかのことは現実でもいえることだと気づくのです。 権力者は、庶民が考えること、被害を覚えていること、被害を語る ことを嫌いますよね。 もう一つ、作品のなかに主人公が書く、小説が一篇 埋め込まれています。 これがまた秀逸。信頼していた恋人に、声を奪われ、次は会話の手段で あるタイプライターを奪われ、紙もペンも奪われ、部屋に軟禁される 物語です。恋人の豹変、それなのに、思考することさえ奪われ、 逃げられないのです。この物語が、美しい静かな文章で描写される 恐ろしさに私は、凍り付きました。 それでいて、読後感は、私達の生きる世界が、たくさんの無駄に思える 行為によって、なりたっていることを痛切に感じさせるのです。 なにげないおしゃべり、紅茶を飲むこと、香水のにおいをかぐこと、 部屋に飾ってある写真、小説を読むこと、、、効率からはずれるこれらが あるから私達は生きていけるんだ、、、と思うのです。 | ||||
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初めて小川洋子さんの本おもしろいと思った小説です。『余白の愛』を読んだときはまだ小川洋子さんの小説に慣れてなくて“なんだ、この本と”思ってしまいました・・・。 独特の世界観があり、はまれば病み付きかも・・・です。川上弘美さんと同じ位置にいます。私の感覚では。この本がおもしろいと思われた方は『薬指の標本』もご覧ください。とっても素敵ですよ!!フランスで映画化されたものです。さすがフランス!! | ||||
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個人では抗えない大きな力による不幸に黙って耐える人たち、 しかもその不幸の記憶もだんだん薄れてしまう。 そんな状態に流されている主人公が、大きな流れに逆らうことをする。 その動機は本人にもはっきりしないが、自分にとってもかなり危険なことをやり通してしまう。 けれども、自分自身は大きな流れに乗って、消えていくことを受け入れてしまう。 ファンタジーですが、人ごととは思えない不安も感じてしまいます。 悲しくて辛いことが、たんたんと過ぎていく。 せめてもの救いは、本人はつらさをそれほど感じることができない、というところです。 | ||||
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初めて小川洋子さんの作品を読みました。 最初から主人公の置かれてる「消滅」のある世界という設定に驚きましたが 次に、その文章や選ぶ言葉の一つ一つがすごく優しくて美しくて驚きました。 残酷な情景を描いているのに、美しい絵を想像してしまうような感じで。緊迫した状況での登場人物達の優しさや愛情表現が、激情的ではないけど、とても心地よく感じます。読み終えて、悲し〜い気分になりましたが、「何かすごい小説読んじゃった」っていう興奮が残りました。 映画「博士の愛した数式」を見て本を手にした、ミーハー派ですが他にも小川洋子を読みたくなりました。 | ||||
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淡々と進む物語なので、1回入ってしまえば読みやすい。 忘れることの空しさと、覚えていることの儚さが見事に融合した淡白な作品だ。 所詮、人間は物体なのだということを思い知らされる。 何故か物凄く悲しくなる本だ。 | ||||
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ものすごく、淡々と物語は進んでいって、 なのにすごく感情移入して読んでしまうんです。なぜか。 まぶたより、あたたかい作品。おじいさんがだいすきでした。 消滅は悲しいはずなのに、 消滅してしまうと、それが悲しいことだということも忘れてしまって、 どんな消滅も受け入れて、生きていくけれど、 島は、そして自分の心は、スカスカで、空虚ばかり。 だけど、それを辛いとも感じることはないんです。 消滅とは、そういうこと。 消滅を受け入れて、全て忘れてしまう人と、 覚えている「異端」な人。 覚えている人は、忘れてしまう人を、かわいそうだと思います。 でも、忘れてしまう人にとっては、それは普通なことで、 消滅を辛いと思う、覚えている人がかわいそうだと思います。 「忘れてしまうこと」と、「覚えていること」 いったいどっちが幸せで、どっちが辛いんでしょう。 | ||||
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この物語は、全編をとおして流れている静かな雰囲気にまず引き込まれてしまいますが、人間であればどうしても持たずには生きていくことのできない感情の動きを、実に丁寧にすくい上げ、物語として「結晶」させた作品だと思います。消滅に立ち会った人々が、なぜ消滅の対象となったものたちへの記憶を、あんなにも徹底的に消そうとするのか。その心の動きは、例えば、心はある人に寄り添っていたくとも(恋心でも、友情でも)、状況がそれを許さず、自分自身を消していくようなつらい気持ちで忘れようとする。そんな心の動きに、非常によく似ていると思います。また、古い異国の童話のようなエピソードが随所で銀細工のようにキラリと光っていて、時々本棚から取り出して読んでしまう魅力的な作品です。10年前から小川洋子さんのファンですが、最も愛着の強い作品です。 | ||||
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著者の作品には名前があまり出てこない。 この作品にしても出てくるのはせいぜい「乾さん一家」(各人の名はあらわれない)とR氏くらいだ。 主人公にさえ名はない。 名前も持たない人々が、大切なものを次々と無くしながら、それを哀しむこともできず、生きている。 そして読者に問いかける。 「あなたは何もなくしていないの?」「なくしていることに気づいていないんじゃないの?」 読者は答える。 「そんなことはない。何もなくしてなんかいない。なくしていたとしても、それで不都合はない。」 | ||||
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