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エディプスの恋人
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エディプスの恋人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.14pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全49件 21~40 2/3ページ
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七瀬シリーズ第三弾。 シャープで粒よりな短編集、スーパー超能力者大戦を経て、奇想天外な世界創造物語へ。 表現実験が豊富で前衛的に。 ある意味本来の筒井康隆そのもの。 | ||||
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前作ラストで命を失ったかに見えた七瀬が、何事も無かったかのように高校の事務職員として再登場している。美貌とテレパシー能力は健在とはいえ、これは本当に「あの七瀬」なのか? 『ふたたび』とは別の世界の出来事なのか……? そう訝りながら読んでいくと、クライマックスで思いもよらぬ真実が明かされる。いい意味で、これほど「ぶっ飛んだ」ものになるとは驚愕したものだった。 七瀬三部作は作品人気を受けて続編が連ねられていって出来たものだが、この三部作だけで完結するのは実に惜しい作品世界だ。たとえば『家族八景』はこの設定のままあと本2冊分ぐらい各家庭を渡り歩く物語を紡いでも十分飽きずに楽しめるものになるだろう。『七瀬ふたたび』にしても、たとえばラストで暗殺者集団に追い詰められた七瀬がかろうじて一人生き延びて、まだ見ぬ超能力者の仲間たちを探してレジスタンスを組織する……とでもすれば、いくらでもこの世界観のまま面白い物語を展開することは可能である。筒井康隆の筆力をもってすればこうしたことは容易だったはずだ。にもかかわらず、そうなってはいない。第一、続編である本作でも、あの秘密組織の正体や全貌は全く解明されていない。謎解きはされないまま物語全体の幕が下ろされている。 筒井が三部作で完結させた―本作『エディプスの恋人』は、実質「絶対に続編が作れない作品」になっている―のは、「七瀬の物語」としてのエッセンシャルな部分は、これで完全に尽くされているからだと評者は考える。 言ってみれば「異なるもの」として生まれついた火田七瀬が、その自らの運命をどのように受け止めていくかだ。『家族八景』では当初、テレパスである七瀬の視点から見て平穏に見える家庭はどう映るのか、が主眼に描かれていた。彼女の立場は傍観者、あるいはせいぜいトリックスターだった。だが途中から彼女自身の超能力を持ったがゆえのトラブル、疎外、孤独へも物語の力点は置かれていく。そしてそして超能力者の同胞たちとの出会いを通して、逆説的にその孤独さと悲哀を、抹殺されるに至るまで徹底して描いたのが『七瀬ふたたび』。これが三部作の中でも中心的な位置を占めるのも当然である。 こうした数奇な運命を背負った七瀬の物語は、最終作では宇宙意志に選ばれ、死から復活させられるという特異な立場を通して、どうにも逃れがたい形でかみしめられることで結ばれている。そのように考えると、確かにこれ以上のエピソードを付け足すことは蛇足になる。七瀬自身を描き切るには、もう加えるものはないといっていいのだ。 | ||||
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筒井康隆の本にしてはやや読みにくい感じがします。 途中で止まっちゃいました。 | ||||
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このレビューを書いたのは、七瀬三部作に対する自分なりの考えをまとめたかったからだ。以降はネタバレ注意。 私はいわゆる筒井ファンではないが、この七瀬三部作は別格だ。今回再読してみて、あらためてそう感じた。 特に一作目の『家族八景』は、普通の家族が持つ(類型的だが)どろどろとした悪意を描いていて素晴らしい。精神分析的なレトリックを駆使して描かれる悪意は肥大させられているが、それゆえに人間の本質に迫るリアリティがある。主人公七瀬の保身や(自己本位という)悪意も隠さず描いている点も上手いと思う。 おそらく、筒井は『家族八景』を書いたことで作家的満足感を得たと思う。しかし七瀬再登場への要望が高く、それならと『七瀬ふたたび』を書いた。筒井は、この本で(まるで『幻魔対戦』のように)予知能力やテレキネシスといった超能力を持つ人間を登場させ、その戦いを描いてみたかったのだろう。内容は、筒井らしいエンターティメントとして抜きんでている。そして筒井はこの一冊で全てを終わらせた。超能力戦争はもう十分だということだろう。七瀬も「深い虚無」へ落ちた。 ところが、三作目を書くことに。一度死んだ七瀬を生き返らせるためには、“神”を描くしかないじゃないか。そうやって『エディプスの恋人』が生まれたのでは。この本のテーマは宇宙の真実(つまり“神”)、それにエディプス・コンプレックスという欲望をふりかけたものだ。むろん筒井らしいレトリックや展開は読ませるが、唸らせるのはエンディング。ここで前作との整合性をとり、ミステリー的な決着をつけている。さらに、最後の一行でとどめをさす。私は、この一行は「もう七瀬の話は書かないよ」というメタ・フィクション的な宣言だと思うが、どうだろうか? | ||||
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SF小説の出来具合はフィクションとリアリティの混合比によって決まります。 だいたいフィクション4対リアリティ6以上の比率でなければ読者はついていけないのです。 妄想家筒井康隆さんの「家族八景」「七瀬ふたたび」「エディプスの恋人」いわゆる七瀬三部作はSF小説の傑作、 その混合比はフィクション3対リアリティ7。2対8まで比率を上げていれば直木賞だったでしょうが。 小説家筒井康隆の膨大なエログロナンセンス、パロディ小説群のなかで一番の傑作、次点は「文学部唯野教授」。 「家族八景」にはじまる七瀬の超能力者設定は人の心を読み取る能力だけという押さえがいい。 家政婦として他人のうちを覗き込むという「家政婦は見た」の元祖版。 「七瀬ふたたび」はおそらく「家族八景」の思わぬヒットに気をよくした筒井さんが、 ヒロイン七瀬を007並みの活躍をさせるエンターテイメント小説に仕立てて二匹目のドジョウを狙って成功。 さらに「エディプスの恋人」では七瀬が神にまで昇華します。 三部作のクライマックスは60ページに及ぶエディプスの独白。 小説家筒井康隆にしてもっとも美しくもっとも泣ける珠玉の文章。 傑作です。 | ||||
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実を言うと他の2作品は未読です。 一部部分はン…とは思いましたが さほど読むことに関しては不自由はありませんでした。 まず特色としては 特有の文章使いをしているということでしょうか。 この形式は別の作家ですでに出くわしたことがあるので 新鮮、とまでは行きませんでしたが目を惹きました。 その中でも七瀬が出合ったある人の 文章表現はきっとクスッ、となることでしょう。 なるほど、そうなりますよね。と。 作品としてはやや難しいことでしょう。 人間の存在、という深いものをテーマとしているため。 そして絶対的な存在の暴走、 というのも出てきますので。 ただし、ある人物(?)が言っている 世の中の傾向は今のご時勢でも なるほどな、と感じさせてくれることでしょう。 ちょいと難しいですが、嫌いではありません。 | ||||
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今回は今までとは作風がかなり違います。 前作とのつながりも一応あるので順番通り読んでいくことをおすすめします。 | ||||
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続編には2番煎じで退屈なものも多い。七瀬三部作は,そんな作品群とは異なる。三部作というより,同じ主人公の三作品と言った方が適切で,いずれも傑作なのは作者の力量に負うところ大である。 敢えて言うなら,第一作品『家族八景』の続編が第三作品の本作で,第二作品『七瀬ふたたび』が異質であるとも思える。どれが一番面白いかといえば,私には『七瀬』だ。第二作品で「死んだ」はずの七瀬に「恋する」人は読まない方が良いとおもう。 | ||||
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この全集、各巻に必ず幾つか単行本未収録作品が掲載されているというのがウリだったがこの巻では戯曲形式で文庫化された「12人の浮かれる男」のオリジナル小説版の収録である。それと厳密には未収録作品ではないが「バブリング創世記」の文庫版では読み手の参加すら強要するといういかにも筒井作品らしい発表形態の特殊さゆえオミットされた怪作「上下左右」も収録されている。加えて長編収録作品は七瀬シリーズの掉尾を飾る「エディプスの恋人」。正に全集トップクラスのお買い得のセレクションではあるまいか。そういえば本全集が完結して断筆期間を挟んで早二十有余年、発刊当時「これが最後の全集」などと持って回ったコピーを付けてしまった手前なかなか第二期、という空気にはなりにくかろうがそろそろ「虚航船団」以後の作品を収録した「増補改訂版」を出して貰いたいものだ。 | ||||
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一見すると前2作との連続性が薄いように感じますが、実は1作目からの七瀬の受難自体が本作への伏線だと言えます。本作は前2作での問題提起(なぜ超能力者が生まれたのか)の解決篇であるとともに、「神」の存在を描く作品でもあります。SF物では神の登場は定番ですが本作では「彼女」を分かりやすく、しかも圧倒的な存在として見事に描いています。これは前2作で運命に抗ってきた七瀬の視点から見るからこそ得られる感覚であり、我々は著者の壮大な罠にはまったともいえるわけです。 | ||||
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全体的には、「彼」こと智広と、智広を守っている大いなる「意思」の正体を巡る地道な調査描写が大半を占めているため、地味な印象を受けるかもしれません。ですが、題材は非常に興味深いものがあると思います。 「意思」に突き動かされるままに「愛し合わされてしまう」男女の、ある種の「悲恋」物語も面白いですが、今作の一番のテーマは「神の意思」と、それによって生じる「自己や世界の不確かさ」でしょう。 この世界は「神」によって創造され、あらゆる出来事は全て「神」の計らいによって起きているのだとすれば、我々人間は所詮、「神」の手の平で良いように踊らされているだけなのではないか? 「自己の意思」などというのは、見せかけの概念でしかないのではないか? 「自分」という存在や世界の曖昧さ、虚構性を、「神」という存在を追求する事で描いた、非常に絶望感の漂う物語です(暗いのが苦手な人はご注意下さい)。さすがに、作中のような極端な例はあり得ないとは思いますが。 非常に興味をそそられる内容ではありますが、「七瀬三部作」の完結編として見るには、設定に無理があるように思います。これだと、『家族八景』や『七瀬、再び』で積み重ねてきたものは何だったの? という疑問が芽生えてなりません。何でもアリな世界にしたせいで、シリーズ全体の整合性をブチ壊してしまってる感があります。 そして、個人的には七瀬と智広の触れ合いをもっとじっくり描いて欲しかったです……。智広だって、立場的にかなり重要な人物だと思うのに、意外と七瀬との絡みは少なめだったのが物足りなかったです。 ※以下、少々ネタバレが入ってるため、未見の方はご注意下さい。 息子である智広のためなら何でもやる母親が「神」になっている訳ですが……一人の母親として、子供を思う気持ちは分かりますが、彼女の立場を考えると、いくらなんでも好き勝手やりすぎに思えます。そんな人が「神」になってしまって良いのか? という引っ掛かりがあります……。 ※ネタバレ終了 何でもアリなSFものは受け入れられない、七瀬シリーズは前作「七瀬、再び」で終わっているべきだという人は抵抗を感じるかもしれません。テーマ自体は面白いので、前者の方は合理的なSFものはハナッから期待せず、テーマを味わうつもりで読んでみるか、後者の方は半パラレルワールドものだと思って試しに読んでみるぐらいの気持ちで手に取るのが妥当かもしれません{無論、無理に読めとは言いません(汗)}。 | ||||
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なんだか哲学的な話でした。 「家族八景」「七瀬ふたたび」の続編として読むと少し残念な感じもしますが、これはこれでいいのかも知れません。私は結構好きです。 前の二作で積み上げてきたものが最後の最後で崩壊していくのには、やられたなぁ、という感じがします。 筒井作品が好きな人ならきっと気に入るのではないでしょうか。 | ||||
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ネタばらしをしている作品です。 手品ならそのネタ、アイドルならその裏側、舞台ならそのセットの裏側を見せているような作品です。 それはある意味作者の誠実さでもあるのだけれど。 同時に作品に描き出したキャラクターをペラペラの二次元にしたように感じます。 「意志」や「彼女」の存在は作中では只の仕掛けにしか過ぎないので(そう作中のアイドルのように)気にしなくても良いが(「彼」も仕掛けの一つにしか過ぎない、アイドルの隠し芸のように)。 その舞台を作中のキャラクターが喰い破ってこそ、例え文字で描かれたキャラクターであっても実在のものとなると思うので。 その舞台を見透かしながら最終的にその役どころを受け入れる七瀬が残念です(他のキャラクターをその舞台から退場させるのは彼女の誠実さであったのかもしれないが)。 そういう意味で実は、女性原理を全面に出しながら、実に父性的な作品です。 エディプスは父殺しをしたが、この作品は結局父殺しをしていないということです。 だからあくまでも「彼」の恋人は「彼女」であり、七瀬ではない。 父(作者)を殺せなかった(というかそもそもそこに問題意識すら持っていないのだが。だからあのような単純な選民的意識に浸れる)「彼」ではほんとうの意味で七瀬を恋人にすることはできない。 それは「彼」が七瀬の実在性を認識していないから。 そしてそれでありながら、七瀬が自己の実在性を放棄してしまう。 七瀬が魅力的なのは、どのような環境においても自己の実在性を決して放棄しようとしない、その意志であったと思います。 しかしそれを放棄してしまうのは、七瀬が「彼女」を受け入れたからなのでしょうか(それとも単に疲れたか、ある意味作者が)。 そういう意味では七瀬は「彼女」以上の母性を発揮したと言える。 しかし父殺しをしないエディプスの恋人になるという選択を七瀬がした時点で、七瀬はキャラクターとしては死んだと思います。 つまり虚構の存在に戻ってしまった。 確かに文字の上に書かれたものはキャラクターを含めて虚構です。 ですが、そのキャラクターがその虚構を喰い破ろうとするときに、確かに読者はそのキャラクターの実在を感じる。 そういう意味で、七瀬が最終的に自らの実在を放棄するような選択をした(もしくは作者がさせた)ことは残念ではある。 しかしそういう構造を包み隠さず見せた作者の意図はわかる。 しかしネタをネタとせず、それを本物にするには何が必要なのか。 そこまで踏み込めればほんとうの意味で「意志」と向かい合えるような気がする。 結局作品に食い殺されることを、作者が避けたということなのかもしれない。 七瀬というキャラクターのポテンシャルは作者を食い殺せる可能性があった。 そういう意味では七瀬自身がエディプスに成り得たかもしれないということです。 そしてその七瀬(今回の七瀬ではない)の恋人に成り得るのはどういった存在なのか。 そういったことも不遜ながら考えたりするのです。 | ||||
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明らかに前2作とは毛色の違うこの作品だが 傑作としてのエディプスの恋人は前2作の存在なくしてありえない キャラクター小説からの脱却ではなく肥大したアイドル性を昇華させる試みとさせうる技法には脱帽 | ||||
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「七瀬ふたたび」で死んだはずの七瀬がなぜか傷もなく美貌のまま主人公。 エディプスはオイディプスとも発音され、ギリシア神話の王ライオスとイオカステの子でのち王となる。ライオスは息子に殺されるとの神託を受けエディプスを捨てた。のち、心ならずも老人(実はライオス)を殺し、スフィンクスの謎かけを解き王となる。先王の王妃(実は母)を妻として4人の子を得る。やがて、知らずして父を殺し、母と交わったことを知り両眼をえぐり王位を捨てて放浪する。 エディプスコンプレックスは精神分析の用語で・・人は幼児期において異性の親に対し近親相姦的愛情をいだき、同性の親を憎むという経験を持つが、これは自他ともに容認されないため意識にとどめる事ができず無意識内に抑圧される・・この心的表象(コンプレックス)をいう。 でもこの作品はそんな思索めいたことはなく、筒井の世界観、超絶対者、母親の息子に対する溺愛・過剰防衛、近親相姦などが混じっていて安っぽく無理を感じます。 | ||||
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七瀬、みたび、ですが、 『七瀬ふたたび』で、 衝撃的なエンディングを迎えましたが、 もう一度、 というのは嬉しい。 と思っていたら、 なんとも意外な方向へ。 SFには違いないけど、 壮大な展開。 で、 その落ち、みたいな。 嬉しいけど、 なんか、 寂しい3冊目でした。 ちょっと哲学的過ぎたかな。 | ||||
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あえて三部作の掉尾を飾る作品だと言い切ってしまおう。「家族八景」「七瀬ふたたび」という連作と主人公は同じなのだが、実は前作で話は終わっていたはずだからである。 その謎解きがないままに、物語は大いなる意志に導かれ、否応なく甘美な恋の物語として進んでいく。そして最後に大いなる意志、すなわち母性のエゴイズムの思惑がすべて告白によって証され、その意志に翻弄される人々や自分の存在意義とは何か、という哲学的疑問に昇華していく。 作家が創造した主人公を、意外な人気で引き継いで話を展開した結果、今度は読者の予想もしない地平に物語を引きずり出して、大いなるSF的な解決を見せることでファンを叩きのめし、七瀬を封印した作家快心のシリーズ最終作品と言えると思う。 | ||||
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確かに前の2作に比べると話の密度も面白さも低いんだけど…、ショック度・重要度ではトップですね。読んだ回数は圧倒的に「七瀬ふたたび」が多いんで星4つにしましたが。 他の方が書いてらっしゃる「神」の事や「宇宙」の事は割りとどうでもよくて、とにかくラスト。これ、筒井さんが常々言ってる「虚構性への挑戦」の、最初の成功作だと思います。 現実と虚構、本を読んでる自分はじゃあ一体どこにいるのか?この世界は何なのか?高校生の時に読んで、何が何だかわからなくなってナタで脳天かち割られた気持ちで、しばし呆然としました。翌日、学校へ向かった時も、それ以降も、ずっと現実感が無かった、この世界に。 | ||||
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シリーズ一作目が好きな人には、この作品が苦手な人が多いようだ。私は小学生の時に読んで、恐怖のあまりトラウマになってしまった。それと同時に筒井作品を深く読むようになった記念碑的作品でもある。七瀬三部作は是非10代で読んで欲しい。 | ||||
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神について論じているのが三巻で、けっきょく主人公:七瀬には焦点はあてられていない。 七瀬は語り部であり、「七瀬ふたたび」と同じように、しかも今回は前作よりひどく翻弄される。 能力に翻弄され、社会に翻弄され、神に弄ばれるのが七瀬という哀れむべき女性である。 結局、七瀬の人生はあらゆる意味で陵辱された悲惨なものであった。 SFとしては一級だが、七瀬という人物を書く小説としては三級と思わざるをえない。 世界をつかさどる神に人格ごと蹂躙され、人生という人を組成するものを髪の毛一本まで陵辱された主人公というのも珍しいのではないか この作品に全く救いはない。 | ||||
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